【漫画】“少女マンガ革命”とは何だったのか? 萩尾望都と竹宮惠子…打ち破られた「花の24年組」の幻想 [muffin★]
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2021年4月に発売された『一度きりの大泉の話』は、多くの少女マンガファンを震撼させた。『ポーの一族』などの作品で知られる漫画家・萩尾望都が、同じく「花の24年組」として語られてきた竹宮惠子(代表作『風と木の詩』『地球へ…』など)との関係について、心情を暴露したのだ。その後、インターネットの掲示板では、それぞれのファン同士が論争。竹宮の妹であり、マネージャーの大内田英子がブログでショックを受けた心情を吐露する(現在は削除)など、マンガ界を揺るがす事態となったのである。
少女マンガの世界には「花の24年組」と呼ばれた作家群が存在する。昭和24年前後に生まれた作家たちは、萩尾望都と竹宮惠子が同居生活する東京都練馬区南大泉の「大泉サロン」に集結し、さながら「少女マンガ版トキワ荘」のように切磋琢磨し、その作風はのちに「新感覚派」とも呼ばれ、次々と新機軸の作品を世に送り出し「少女マンガ革命」を成し遂げた。
……というのが、これまで語られてきたマンガ史の定説である。きらびやかな少女マンガを武器に新世代が革命の闘士となり、旧態依然とした業界の慣習を打ち破り、少女マンガの可能性を広げていったとする成功譚は、マンガファンのあいだで共有された美しい物語であった。
ところが、である。2021年4月22日に刊行された1冊の本によって、この幻想が突き崩されてしまった。本のタイトルは『一度きりの大泉の話』(河出書房新社、以下『一度きり』)で、著者は萩尾望都。これまで大泉時代については沈黙を貫いてきた萩尾が、ようやく重い口を開いたのである。そこには「『大泉サロン』という名前も、『24年組』という名前も、私の知らないうちに流布していました」(『一度きり』)という衝撃の事実が語られていた。いったいどういうことなのか。萩尾、竹宮のそれぞれの著書や周辺関係者の傍証から、「少女マンガ革命」の真相に迫る。
■「花の24年組」とはなんだったのか
「私たちは24年組と呼ばれます。昭和24年(1949年)前後に生まれた女性漫画家のことで、『ポーの一族』の萩尾望都さん、『綿の国星』の大島弓子さん、青池保子さん、木原敏江さん、山岸凉子さん、ささやななえこさんなどがいます」
竹宮惠子は2021年3月に刊行された自著『扉はひらく いくたびも―時代の証言者』(聞き手:知野恵子/中央公論新社)のなかで、このように「24年組」を明確に定義づけている。
しかし「24年組」という呼称は、だれが言い始めたのか正確にはわかっていない。竹宮は、命名者は増山法恵(一時期の竹宮作品の原作・プロデューサー)と推定し、萩尾は山田ミネコらしいと推測している。あくまで憶測の域を出ない。
この点が、トキワ荘とは大きく異なる。いわゆる「トキワ荘組」は、東京での下宿先を下見するため単身上京した安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)が寺田ヒロオと意気投合し、彼らと志を同じくする漫画家予備軍に声をかけてトキワ荘への入居を促し、「新漫画党」というグループを結成したことに端を発する。彼らには明確な当事者意識があった。
対して「24年組」は、どこからそう呼ばれ始めたか不明な語句であり、当事者全員に周知されたり共有されたりしていたわけではない。24年組のひとりとされる木原敏江は、「私も、どうやらそのしっぽに入ってるらしいんですが、でも私は『24年組』じゃないもんね。断固。たしかに生まれは同じ頃ですが、めざしてる方向も舞台も資質も違うもの」(木原敏江全集6『花草紙』角川書店)ときっぱり否定している。
ここで木原が作品の傾向について言及している点が興味深い。つまり「24年組」は、「団塊の世代」とか「松坂世代」のように世代全体をあらわす語句ではなく、特定の作品傾向を志す集団、いわば「大泉グループ」と同義として用いられてきながら、当の本人たちに当事者意識がなかったことになる。萩尾が「私の知らないうちに流布していました」と述べたのも合点がいく。
全文はソースをご覧ください
https://bunshun.jp/mwimgs/a/b/-/img_ae10bb956f958af65186c8e458a41722421902.jpg 萩尾望都は、今でも語られているが
竹宮惠子は、今ではほとんど話題にのぼらん
そーいうこと
(´・ω・`) 一種のムーブメントの旗印としては機能してたし、それでええんとちゃう?
それが幻想だったとしても 竹宮恵子がエロBLの元祖的な存在というのは知ってる >>1
大泉グループではなく大泉サロンと呼ばれていた
東京の田舎部(今も畑)の木造アパートだけど 今の若い人たちの中で、いわゆる「少女マンガ」って読まれてるんだろうか
一般の人も読んでる「少年マンガ」と違ってかなり独特のマイナーなものになってるような気がする
今一番売れて有名な少女マンガってなんだろう >>12
ミステリという勿れ
ちはやふる
あたりかな 萩尾望都はずっと漫画を描いていたい職人
自分がやりたいことをやっている人
言葉少な
竹宮惠子はチヤホヤされたり先生と持ち上げられたいので漫画を描いていた人
待遇改善とかにも行動を起こせる活動的な人
話を盛りながら自分をアゲていく
方向性が違い過ぎる人たちだよなあ 大泉サロンがあった場所はうちのすぐ近所
今は何もないけどね >>12
りぼんやなかよし等の雑誌はあるけど、昔の少女漫画とはまた別物な気がする >>12
そんなもん鬼滅だろwww
あれは少年漫画(劇画)ではないwww 竹宮惠子以外の交流のほうがおもしろいんだよな
大和和紀のアシスタントをすでにデビューしてた青池保子がやったり
青池保子のアシスタントを萩尾望都
大和和紀と山岸涼子は北海道で一緒に手塚治虫に持ち込みしたり >>12
夏目友人帳
かげきしょうじょ!!
24年組もそうだけど万人受けするのは少女漫画として異色作だな >>10
1ページ目からホモセックスシーンでびっくりした
当時はセンセーショナルだったんだろう >>1
その年生まれ前後の少女漫画家はレベルが高く昔の漫画は今でも読める普遍さがある
24年組といわれたのはたまたまその辺生まれの人が多かっただけの一括りじゃないの?
萩尾望都は頭一つ抜けてる
竹宮恵子の名前をだすならその前にまず大島弓子や木原敏江や山岸涼子の方が上でしょ 萩尾望都も竹宮惠子も
どっちもすごい人。
これでいいのだよ。 そういう売り出し方をされたんだろ
スポーツでもしょーもないネーミングするじゃん テレビ局なのか代理店なのかは知らんが くらもちふさこや成田美名子や佐藤史生なども凄かった 地球へは小学生当時衝撃を受けたな
百億の昼と千億の夜はチャンピョン連載時は詰まらなくて読んでなかったけど大人になってから読んだら面白かった >>26
萩尾望都と竹宮惠子が仲違いしていて長い間没交渉だということ
多くのファンは二人は親友だと思ってた 二人の後ろにいた増山という女の一代記なんだよこれは。
増山を知らないと萩尾のも竹宮のも誤読する。 >>32
サンクス
>>1の無料で読める記事には萩尾が竹宮たちから排除されてたって証言がある
あとは有料記事を読めと >>29
訂正、名前を間違えた
× 成田美名子
〇 森川久美 萩尾と山岸は画力を長く維持して心理的な問題をベースにしたものを描いてる
青池は独自路線で基本が明るいロマンチストでHR好きってことで別扱いだと思うw >>35
漫画家に憧れてたけど才能なくて竹宮や萩尾にパワハラモラハラしまくってた引っ掻き回した元凶って印象しかない 山岸凉子の、ちょっとした隙間にうっかり落ちたがために
二度と元に戻れなくなるような
怖くて嫌な気持ちになる漫画が好き なんなのか・・・漫画家って
花の〇〇組
なんか昔からある言葉
相撲であるのも知らんのか・・・
こいつらに使われたのはその後だろ。
別に公表してるのなら同じ年が多ければ世代なんて誰が付けたとか
誰のネーミングとか関係なさすぎるのにこだわるのが女らしいけど・・・ 一体何なんだ・・・
大泉サロンがなかったとでもいのなら全てが幻想といえても仕方ないが、
それ自体はあったのならば別に呼び方としてはおかしくもなんともないし。
こういう細かいところでこだわるのが本当に女って感じだな 呼び方なんてどうでもいい
萩尾さん竹宮さん青池さん木原さん山岸さんの作品は好きだわ >>25
近年の絵柄のデッサンが狂ってるのが気になる
昔絵柄を見たときにおしゃれだなと思ったもんだが >>15
上下関係なのか、ここまで言葉を紡ぐくらいに沈黙するのが流石に変。
忘れたい過去でもなければ聞かれたら答えるだろうに 昔から変に思ってたんだよね
あれだけビッグネーム同士で作品に共通点もあるし二人一緒にいた時期もあるらしいのに
仲良いような話をまったく聞かないの
やっぱりなんかあったんだなーと納得いった
生きてるうちにはっきりしてよかった 7−80年代に描かれた萩尾望都や山岸凉子の作品は今も読めるが
同時期のとても読み返せない漫画とあるが、この違いはなんなのかな
最近日出処の天子読み返したがやっぱよかったわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています