【格闘技】小川直也「相手もわかっていたしね…」 2005年大みそか・吉田秀彦と “平成の巌流島” 決戦 衝撃事実を告白 [爆笑ゴリラ★]
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12/28(火) 6:15
東スポWeb
小川直也「相手もわかっていたしね…」 2005年大みそか・吉田秀彦と “平成の巌流島” 決戦 衝撃事実を告白
明大の先輩・小川(右)の左足首をロックする吉田(2005年12月31日、さいたまスーパーアリーナ=東スポWeb)
【大みそかバトル激闘史2】2005年12月31日、さいたまスーパーアリーナで行われた「PRIDE男祭り」では、大みそか決戦史上に残る「決闘」が行われた。
吉田秀彦 VS 小川直也。
「平成の巌流島」と呼ばれた一戦は明大柔道部の先輩後輩対決、バルセロナ五輪の金・銀メダリスト対決、勝負師対ハッスル・キャプテンなどと数々の副題がついた。しかも両雄の関係は「水と油」「犬猿の仲」とされ、両者出席の会見では異様な殺気が漂い、決闘ムードは高まるばかりだった。さらに小川の最大ライバルで盟友だった橋本真也が同年7月に急死。暴走王が亡き破壊王への弔い合戦をテーマに打ち出したことから、いやが応でも盛り上がった。
4万9801人の大観衆の前で繰り広げられた決闘は1R6分4秒、レフェリーストップによるTKOで吉田の勝利。結果は吉田の圧勝に終わったが、試合内容については語られることは少ない。では実際、リング上では何があったのか。
敗れた小川が明かす。「オレとしては作戦は殴り倒すしかないな、と。グラウンドじゃなくてスタンドの倒し合い。それだけだったね」。実際、序盤はパンチの打ち合い。ここまではプラン通りだったが、吉田に組みつかれ、小内刈りで倒されてグラウンドの攻防に。ここで吉田は小川の左足首をがっちりホールドして、前方に倒れ込みながらひねった。
この瞬間、小川の左足首が折れた。「『わ、やっべえ、折れたな』と。ここで激痛というか…足の感覚がなくなって。踏ん張りが効かなくなって、足が動かなくなった」
左くるぶし下を亀裂骨折。小川によれば、この時の体重は吉田より軽い108キロだった。「(体重の)ハンディをなくそうと思って。オレなりの猪木イズムだったけどね。結果的に落とし過ぎた。いつもの練習でもかからないこと(技)だったし、これを逃れたらいけるなと。でも、そこはうまくいかなかった」
勝負はここで決まっていた。「そこからは全然覚えていない。折られてから、ほぼ思考能力がなかったなあ。橋本戦で(肩を)脱臼しかけて自分で戻したことはあったけど、骨折は人生初めて。『骨が折れるとこんなに痛いんだ』といまさらわかったよ」
小川は左パンチを吉田の顔面に入れて、アンクルホールドから脱出。そこから顔色ひとつ変えず、パウンドを中心に攻撃を続けた。
「頭の中には1分、1秒でも長く(試合を)やんなきゃだけ。もう、勝ち負け関係なくて。お客さんの前に立った以上、自分から白旗を上げるわけにはいかないから。そこは(師匠のアントニオ)猪木さんの教えもあるし。相手も『折れた』とわかっていたしね。でも、右脚一本でバランスが取れなくて、グラウンドでのパンチ(パウンド)も全然ダメだったなあ」
最後は吉田に下から腕十字固めで捕獲されてタップアウト。と同時に、レフェリーも試合続行不可能と判断してゴングを鳴らした。文字通り力尽きた瞬間だった。
しかし、小川が真骨頂を発揮したのは試合後だった。敗者であるにもかかわらずマイクアピールでトリを締め、天国の橋本と観客に謝罪。さらに大観衆とともにハッスルポーズを決めてみせた。一方の吉田は小川のハッスルポーズの呼びかけに応じることなく毅然とリングを下り、勝負師としての矜持を示した。
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20211228-03885557-tospoweb-000-1-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/8db19a4183b72c6204d40759b43172630af7b7ed とにかく片手間にしか格闘技やってなかった小川はガチでは弱かったことがバレた試合
ヒョードル戦もそう
小川本人はプロレス希望でガチにはそこまで関心無かったしな 他競技の選手が総合で活躍しにくいのは、打撃の恐怖心。
吉田はかなり根性があった。
その吉田の心を折ったミルコのローはどれだけの破壊力なのだろうか。
吉田が1ヶ月お尻が痛くてまともに歩けなかったと言ったほど。 >>199
柔道ならヒョードルに完勝出来たけどな。 猪木とくっついてた頃までは真面目にやってた
猪木から距離をおいて橋本とつるむようになってからプロレスやりたいってなった
総合用の練習もボクシングと柔道のみになった
2004年以降のPRIDE参戦はハッスルの宣伝目的でしかなかった
その後、また猪木のIGFに上がったが、こんな経歴だったのでしょっぱいままだった >>191
PRIDEで柔道家の転向が相次いだとき、柔道界への復帰の条件は明文化されてるよ。
確か何年か猶予期間を設けて、その間格闘技に携わなければ戻れるというものだった。 ライトヘビーでフック連打と首相撲膝蹴りのシウバに対しては吉田は特に相性良く
戦えたが、ヘビー級でしっかり組み止めてアッパー打ってくるミルコには吉田は
なすすべがなくそしてローキック打たれ続けて嫌倒れして足腰立たず ぐぐったら全柔連の規定があった。
神取もその気になれば復帰できるんだろうけど、
もともと町道場出身の傍流で自由にやってたと言ってる人だから、
しがらみの多い世界に戻るつもりがないのでは。
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1035157/
プロレス・格闘技からの柔道界復帰には、全日本柔道連盟の登録規定を満たすことが条件となる。
即座に復帰することはできず、プロ活動の終了から一定期間を置くことが義務づけられている。
規定の第16条には全柔連が登録を拒否できる条件として、次のように明記されている。
「柔道以外の格闘技系競技(プロレス、プライド、K―1等)において、プロ選手またはプロコーチとして登録され、または契約している者および登録または契約が終了してから、
競技者として活動しようとする者にあっては3年間、それ以外にあっては1年間をそれぞれ経過していない者であるとき」(原文ママ)
つまりプロ契約が終了後、選手として登録する場合は3年、指導者として登録する場合は1年が経過していることが必要となる。
「プロ契約の終了」とは最後に行われた試合を意味するのではなく、所属団体との契約が切れた時点をさす。
同じく格闘家から柔道界に復帰した吉田秀彦氏(48=現パーク24総監督)はプロ格闘技を引退してから1年後に指導者、
3年後には選手として畳に帰ってきた。小川も指導者のみならず柔道選手として試合に出場する道が開ける。 まーた自分に都合の良い理屈ばかりくっちゃべりやがって
やる気は無いクセに金だけが目当ての片八百だったの有名じゃんかよ
そんなだから芸能の仕事も来なくなって
東スポ大本営ぐらいしか相手にしてもらえないんだろうが >>70
プロレスも本気でやってない感じだったけど 小川の総合格闘技戦は
相手のコンタクトをずらすことで戦意を喪失させたガファリ戦だけは素晴らしい
でもあとはダメ >>194
プライド成功の大きな要因の一つは桜庭の存在だな、そんな桜庭に高田は酷い扱いだったらしいけど まあ小川のベストバウトは橋本絡みを除けば川田戦だろう あの試合、足を折られたあと、小川は一度も立ち上がらず必死に寝技で組みつき戦ってる
立ったら足首折れてるから無理だった
あの当時のプライドはブレイク無かったからな
今のMMAの、膠着はすぐブレイク取ってスタンドから始めるルールだったらあの時点で終わってた
なかなか根性あるよ
試合をそれなりに面白くしないといけないというプロレスラー根性がある。小川は
ただ上になってるのにパンチに迫力がないんだよね
やっぱ足折ってたらきついよ グラップラー出身で小川程綺麗なストレート打てる選手もいないよなぁ
ステファン・レコにも打ち勝っていたし何か色々と勿体無い選手だった
総合ではそのポテンシャルを発揮しないまま終わっちゃったな グレイシーとか出てた時代を思い出すといまのRIZINのスケールw 小川は素材だけなら歴代最強と言われていた。ただメンタルが弱いと言われていた。 吉田との不仲も足折れたのも嘘って話じゃなかったっけ? >>209
田が本当にたっぷり中抜きしてたなら桜庭は長者番付に名前載ってないんじゃないの。 吉田さんは現在オリンピック金メダリストを育てているけど小川って人は何してるの? >>219
体格差あるからヒクソンは受けないよ
やっても小川が勝ってる >>216
高校入学後に柔道初めて大学1年で大学王者2年で無差別世界王者だろ
そんな怪物二度と出ない >>208
あれは笑えた
入場シーンでガファリは雑魚って分かるからなw >>210
>>184
ステファン・レコやジャイアント・シルバをボコってたやん 小川は最先端の練習環境で総合の練習してれば多分かなり強かった
明大柔道部とキックとボクシングジムいってあとは我流とか無理無理 子供の頃から柔道やってなかったから講道館に嫌われてたんだろ小川 >>11
昔と違って金が無いのよ
日本人も目が肥えちゃったから >>226
でも安生にボコられてたからなー
あれが現実なんやろ 日本人歴代最強候補の
桜庭や吉田や藤田らと比較されてた頃もあったな小川
小川がホイスとかと戦ってても絶対勝ててない
じゃりん子チエの飼い猫と戦えば3分で殺されそうだ >>234
そりゃ劣化してたといえ
あのマークケアーに勝ったしな藤田
ヒョードルにラッキーパンチ当ててグラつかせて本気にさせたし
骨格が原始人のように硬い >>228
高1から初めて19歳で世界チャンピオンだからな。
奥襟掴むのは邪道だとか当時、柔道界から叩かれたし >>218
桜庭はまだ格闘技のギャラが低い時代に、連続してスポーツ長者番付に掲載されてたし高田の搾取ってのはネット発のデマでしょ
似たような話で、長年定説だった長州が健介に金を借りて返済してないってのも結局はデマだったし 当時は盛り上げようとしてた小川に対しブスっとしてた吉田を「悪」にしてる人もいれば
吉田は武士みたいで渋い。あれぞ日本人!なのに小川はふざけてる!って人もいた >>238
吉田はプロレス業界は向いてない性格なだけ
小川は何年もレスラーやってきてた人なんだし
当然
てかあれが仕事で
ああいう風に言わないといけないんだが 当時見てたが動きが鈍くて低レベルな試合だったな
どっちも雑魚なんだけどね 小川って遅いよね
もっさりはどうやっても解消できんのか >>239
プロレス云々は関係ない
あの時は小川に場の主導権を握られて
不機嫌になっていただけだよ
まあ小川も吉田も目立ちたがりで芸能志向が強いクセに
気分屋でプライドが高い一方タレントスキルを磨こうとしないのは
同じ穴のムジナと言っていいけどね >>237
じゃあなんで桜庭って高田と疎遠になってたんだ? >>243
桜庭は地上波放送やってるHERO'Sに行きたかった
高田も相談してくれれば了承したのに無断で移籍した
って高田が後に語ってたような ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています