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2021/12/26(日) 08:37:02.26ID:CAP_USER92002年7月に日本代表監督に就任したジーコが、初陣となったジャマイカとのフレンドリーマッチで、いきなり中盤で同時起用したのが、中田英寿(パルマ。所属は当時、以下同)、小野伸二(フェイエノールト)、稲本潤一(フルアム)、そして中村(レッジーナ)の4人だった。以後、“黄金のカルテット”と称されたこの中盤は、ジーコジャパンの代名詞のようになっていく。
まず鈴木氏から、「俊さんから見て、他の3人はどんな選手ですか?」と問われた中村は、「ライバルでしかない。全部ライバル」と返答した。
「競争相手が味方に揃っているのは、すごく変な感じ。伸二がいいパスしたら悔しいし、それは(フィリップ)トルシエ(監督)の時からそうだった。『伸二いいボール出したな。俺もやらなきゃ』って」
この発言からも分かるように、特にライバル視していたのは小野だったようだ。日本が誇る技巧派レフティは、こう続けている。
「伸二はタイプで分けたら似ている。でもヒデさんはちょっと違う。フィジカルも強いし、ドリブルで運べる。あの当時は異常だった。セリエAでも(相手を)なぎ倒して前に進む。これは真似ができない、という見方だった。イナはボランチだし(ポジションが違う)」
中村は改めて「ライバルがたくさんいた。普通、ライバルって一人じゃない? 啓太ならボランチの人を意識していればいい」と話し、いずれも個の能力に優れ、欧州クラブで活躍していた3人について、強烈に意識していたと回顧している。
結局、3バックの採用や、稲本の故障中にボランチの福西崇史が評価を上げたこともあり、2006年のドイツ・ワールドカップで、“黄金のカルテット”が揃って先発に名を連ねることは一度もなかった。そして、タレント揃いで「史上最強」とも謳われたジーコジャパンは、1勝もできず大会を去ったのだった。
サッカーダイジェスト 12/25(土) 20:28
https://news.yahoo.co.jp/articles/e387831f4eadfd1bf669dd086394db61c2973e46
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