【伝説のバンド】「氷室京介は“解散”と決して言わなかった」BOØWYドラマー高橋まことが語る「一番悲しいクリスマスイブ」 [muffin★]
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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90664
1980年代に人気を博したロックバンドのBOØWYが、今年でデビュー40周年を迎えた。氷室京介、布袋寅泰、松井常松、高橋まことの4人で結成されたバンドは、わずか7年という活動期間でさまざまな金字塔を打ち立て、「伝説のバンド」とも言われることも多い。渋谷公会堂(※当時)での解散発表から34回目のクリスマスイブを迎える今、記事前編に続き、ドラマーの高橋まことが、当時の記憶や、現在も輝きを放ち続けるメンバーへの想いを語った。
■長野のホテルで「1位を取ったら解散する」と誓った
――シングルの『マリオネット』(1987年7月)がキャリア初のランキング1位を獲得、そのわずか半年後の1987年12月24日に解散を発表したBOØWY。人気絶頂のなかでの解散は多くの人を驚かせましたが、メンバー内ではそれ以前から解散の話し合いが持たれていたと言います。
解散について真剣に向き合ったのは、最初のアルバムツアーになった「BOØWY'S BE AMBITIOUS」(1985年9〜12月)の長野公演を終えた12月16日が最初でしたね。布袋が「4人だけで話したい」と言って、泊まっていた長野ワシントンホテルのラウンジにメンバーを集めて、「この後、俺たちは多分売れる思う。そうしたら解散しよう」と言ったんですよ。
その時は、「やっとマイナスからのスタートラインに立ったばかりなのに…」とか、「まだ解散は先だな」と思っていたんだけど、あれよあれよと人気を博していきまして…。今振り返ってみると、布袋には「みんなで好きな道に行こう」というビジョンがあったんじゃないのかなと思うんだよね。
――その後、3枚目のアルバム『BOØWY』(1985年6月)で注目を集め、4枚目の『JUSTA HERO』(1986年3月)、5枚目の『BEAT EMOTION』(1986年11月)とヒット作をリリースし、絶大な支持を獲得しました。その後、シングルの『Marionette-マリオネット-』(1987年7月)が初のオリコン1位を獲得して名実とも日本一のロックバンドに輝くと、9月には6枚目のアルバム『PSYCHOPATH』をリリースし、大ヒットを記録しました。
1位を取れたのは、これまでに4人が一生懸命やってきた結果でしかなかったと思う。人気絶頂での解散は、「勿体無い」と思うこともあったし、俺自身は、「やれるなら続けていきたいな」という想いもあったんだけど、「辞める」と言ってしまったんだもん。みんなで覚悟を決めるしかなかった状況でしたね。
(1987年6月に制作された)『PSYCHOPATH』のレコーディングをしているときは、「これで終わりなんだ…」と思いながらやっていましたよ。
だがアルバムを受けて開催された『DR.FEELMAN'S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』の最終日、12月24日の渋谷公会堂(現LINE CUBE SHIBUYA)公演をもって、突然の解散が発表される。シングルチャートで初の一位を獲得した半年後に、BOØWYは解散を発表。「『今まで一番悲しいクリスマスイブだった』と今でも言われることがあって、その度に胸が痛むんだよ」と、高橋さんは想いを語る。
――解散を告げる氷室さんのMCを聞いた時の高橋さんの率直な心境を教えてください。
ヒムロックは「それぞれの道を行く」と言って、「解散」という言葉を使わなかったんだよね。本人じゃないからわからないけど、あいつも言いたくなかったのかな。「“解散”と言わないんだ…」とは思ったけれど…。
中略
――ギタリストの布袋寅泰さんは、パラリンピックの開会式にも出演され、年末の紅白歌合戦にも出場も予定されています。元メンバーの活動をどのようにご覧になられていますか?
布袋は相変わらず凄いな。アクティブだし、才能もいまだに枯れていない。見てて嬉しいよ。氷室も「ライブ活動はやらない」と言ってマイクを置いたけど、決して音楽を辞めたわけではない。これから新譜を出してくれる日を楽しみにしているし、きっと俺たちに何らかの答えを出してくれると思っている。俺もやれることはやっていくつもりです。
全文はソースをご覧ください
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記事前編
第一印象は「おっかない二人」がいるバンド…「BOØWY」ドラマー高橋まことがクリスマスイブに想うこと
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90663 氷室と布袋はジャストなのに
まこっちゃんと松井は少し前のめりなんだよな
ライブ盤飽きずに聞ける >>28
2 TONE Recordsのスカ
世界中にフォロワーを産んだ
東京スカパラダイスオーケストラも2TONEフォロワーのバンド 氷室が今世紀になってからやったことって震災ライブしか知らない >>434
長く続けると自分が常に注目されるよりはその方が楽だし美味しいと思うけどどうなんだろうね
後にチャーの番組でギターだけなら二日酔いでもステージに立てると言ってたが、
それがよく言い表してる思うw >>471
解散の際に退職金の名目で1億貰ってるし何とかなるだろ >>483
元千葉ロッテの里崎が言ってたけど、
年俸1億円でも手元に残るのは3300万円ぐらいだって。
その当時の税金と保険がどうなってたかは知らんけど
当時も税金は高かったろ。 ヒムロックのソロというとキスミーの一発屋と言ったらファンからは怒られるだろうけど、
他はそこまで記憶にないのも事実
一方の布袋はソロ時代にも印象に残るヒットが多数あり、そこだけで見たらちょっと比較ならないね ANGELも売れた
確かにそんなに売れた感はないが
集客力はハンパないのが氷室さん
愛されてたんだよファンに 確かに最後までエンジェル、サマゲー、ジェラシー頼りだったのは確か。 でも、アルジャーノンとかラブアンドゲームとか色々良い曲あったじゃん
アンチじゃなきゃな Lover's day とか Missing peace とか Stormy night とか、バラード系こそが氷室さんの真骨頂だと思ってる自分のようなファンも居る
safe and sound と コーリングも提供先の映像とのマッチングっぷりが好き 布袋も一般的には江頭のテーマの一発屋じゃね?
一般紹介には坂本の戦メリ並みにキルビルを前面に出すけど、あれは一作目の敵キャラの登場シーンにちょろっと使われただけだしな
採用された理由もタラが深作オタでリメイク仁義なきのテーマを引用しただけという >>489
LOVE&GAMEはBOOWY時代に既にデモ作ってたので解散が無ければこのへんまではBOOWYクレジットでリリースしていた可能性有り。 >>260
関東連合に女を紹介されたんだろうか
氷室は女には困っていなさそうだし
松田聖子は抱いたのかな CALLINGも良いね
あれは今でも聴く
批判するのが目的なら何とでも言えるさ
そんな人生楽しいのかと callingとバラード系はいいね。
あとVIRUSっていうラップの曲がが結構カッコいい。 でもアルバムのネオファッショの中にサマーゲーム入ってて違和感持った当時 >>107
俺の中でもバッドフィーリングはゴミ曲扱いだわ
イントロが持て囃されてるけど「どこが?」って感じ
まあバッドフィーリングが好きって言っとけば通ぶれるから便利な曲ではあるけどな 再結成なんてほとんどの人は望んでないだろ
震災の時になかった時点で皆諦めたし
解散理由なんて今さらどうでもいいしな >>491
世間一般的な認知度で言ったらポイズンとかラストシーンを当てたのがでかいと思うな
あれらの曲でBOOWYを聴いてなかった層にも結構認知された印象
スリルは江頭が勝手に起用する以前に有名曲と言えたからね
そもそも当時、布袋というアーティストは江頭より売れてたしw
最近の子がどう思ってるかはしらないけどね >>464
高校の文化祭で、楽器始めて2段階くらいの人がコピーしまくってたな
1段階はジュンスカあたりだったw バンドに誘われたとき、断ったらどんな危害が及ぶか恐ろしすぎて加入した布袋から解散を口にするとは思えない >>501
サレンダー辺りからの歌謡曲路線って結局一般人にはそんなに浸透しなかったんじゃないか?
粉雪レベルで聞いたことあるかと言えばそんなに浸透してないと思う
氷室と同じように信者層が形成されて一定の売り上げ出してただけというか
さらば青春の光の辺りで旧来のファンはほぼ離れて変な兄貴キャラに心酔する宗教が形成されてた印象 >>491
布袋作曲で人口に膾炙した曲
@PRIDE
A仁義なき戦いのテーマ
Bスリル
Cマリオネット
こんな感じかな?
後は、COMPLEXのBE MY BABYが入るかもってとこか 元BOOWYだから成功?
そりゃそうだ
その解釈に間違いは無いだろうな
賛否はあれど、やっぱりBOOWYは
素晴らしいバンドだよ
ZIGGYとかジュンスカ、レベッカもだが
あの時代は色々なバンドが凄かったわ
イエモンもそうだ >>506
あー、そのランキングは納得できる
PRIDEは国民的レベルでかなり浸透してたな
COMPLEXも含めるならBE MY BABと恋を止めないでは当時の若者なら誰でも知ってるレベルだろうね >>505
浸透のレベルにもよるけど、粉雪レベルでいいなら普通に流れてたし流行ってたと思うよ
B'zやミスチルレベルかと言われるとそれはノーだけどw
これ、ボウイは聴いてなかった当時の俺少年による肌感覚だから結構正確な自信がある Only youを忘れてるな
飲み屋で滅茶苦茶歌われてたぞ
(´・ω・`) plasticoceanとか好きよ
ボウイか氷室か忘れたけど 個人的にはCLOUDYHEARTとMEMORY
あと、LAST GIGSのNONY
CASEのONMYBEETを推奨したい
( ・∀・) >>511
本当に世間に浸透してなかったら、ボウイのことも知らない田舎の小中学生が
チャリンコ漕いでサーカスのシングル盤買いに行ったりしないからね?絶対に その時のCDまだ持ってるよ俺
こういうのって90年代の布袋がいかに売れていたかの完璧な証明だと思うのよ
大人は好き勝手に事実を捻じ曲げたりたりするけどさ、子供の反応ほど素直なもんはないからねぇ やっと売れたのに解散?!勘弁してくれょうぅぅ〜って俺なら言うわ、絶対に >>516
それって氷室も同じなんだよな
布袋のスリルとかラストシーンと同じレベルで魂を抱いてくれとかスコールがテレビや有線でバンバン流れてた記憶がある
でも粉雪とかスピッツのチェリーなんかは今の若者にも通じるけど、氷室布袋は仲良く風化してるという点では一緒 >>518
東芝EMI(当時)のスタッフはそう言うだろうなあ。
逆にB'zとかサザンが異常とも言える。 >>519
風化はたしかにねw
俺はナツメロとしてたまにツベで聴いたりするけど
新曲とかはもう随分チェックしてないや 所詮バンドなんて自我の塊人間の集まりなんだからいつまでも仲良くなんて難しい。
極稀にうまいこと行くところもあるくらいなもんで。
布袋がホテルで解散をーって本当にそれが原因だと思ってるなら仕事ができない人なんだろう。 >>515
残念、解散の理由時点では山下久美子
ホタテさんの女ぐせの悪さは異常 世代的にリアルタイムじゃないから
ボウイがパンクとか言われてんの見てもビートロックとか歌謡ロックじゃんくらいに思ってたけど
YouTubeに昔のライブハウスでやってた頃のライブ上がってるの見たらパンクバンドだった
売れてる頃の映像より全然カッコ良かった >>525
いや、山下との結婚はBOOWYとして別に反対ないし、それこそ主従が逆だった関係だし。
山下のほうがとっくに売れていて、BOOWYは前座だったわけで。
不倫があったからだよ。 まことはちょいちょいホラ吹いてる気がしてならないw どう見ても氷室のバンド 詩と曲は布袋なんだけどルックスがどう見てもサブ >>528
うむ。
あのオッサンもだいぶ調子いいこと言ってそう >>487
男性ソロシングルアルバム総売上枚数トップ5
1位 福山雅治
2位 長渕剛
3位 槇原敬之
4位 五木ひろし
5位 氷室京介
売上枚数もハンパないのが氷室さん >>29
布袋も凄い人だろ
井上尚弥の入場曲に使われたり そこまで氷室を熱心に追いかけてきたわけじゃないけどIDEAとMERROW以降、変に向こうの音楽の流行を取り入れたりして、氷室の本来持つメロディーの哀愁のあるポップセンスとかが失せたように思う
ギリ、イデアとメローまではその辺を保っていた気がするが
その後も何度か初期の自分をトレースしたような曲も何曲かはリリースしだと思うけど、いちど狂ったセンスというのはなかなか戻らずにあまり大衆には響かなかったように思う
とはいえ、サウンド的には後期の音の方がかっこいいのは間違いないのだが
熱心なファンはどう思ってるのか?
後期の氷室を ライブDVDも全部観たわけじゃないが観た中で一番良かったのはワンナイトスタンド
SHAKE THE FAKEの氷室も少し病的な感もしつつアグレッシブな感じでかっこよかった 続けてたら続けてたで、「PSYCHOPATHで終わっとけば
カッコ良かった」とか、「PSYCHOPATHまでは良かったけど、
○○からは…」みたいなことを言われてたと思う
平成に入っても活動続けてたらバンド御三家の
ブルーハーツ、ユニコーン、BUCK-TICKに人気を
奪われてた可能性もあるから昭和で解散しておいて良かったと思う >>535
north of eden めちゃ好きなんやけど ヒムロックのALBUMはNEO FASCIOが最高だけど最近はFTWもよう聴いとる Kiss MeからのMemories of bluesで元BOØWYからソロアーティストとして認知された氷室
ポイズンスリルのヒット後CMなどメディア露出が増えこれまたソロとして認知された布袋
この頃になると二人が過去バンドを組んでた事を知らない若いファンが増えそれがますますBOØWYというバンドを神格化していく
伝説は氷室だけでも布袋1人でも成し得なかった
何だかんだ二人ともスゲーよ >>535
同意
そのあたりのことはTAKUROも言っていた >>535
ボーダレスはあんまり好きになれなかった。バンザビートは好きだけど ヲタがずっと離れなかったのが氷室でヲタが離れちゃったのが布袋
知名度は圧倒的に布袋だが人気は圧倒的に氷室
20年前まではどっちもそれなりだったんだけど
それ以降は露骨になった ホタテさんは途中から女がらみ暴力沙汰やらとワイドショー的なネタを提供し過ぎたわ でもあれで知名度上がったのも事実
悪名は無名に何たらってやつ >>543
でも日本のロック史には名前を残したよ
キャロル、ボウイは大きな節目だね >>544
タクローはGLAYがくっそ売れた時の収入が20年で分割なら良かったと言ってた。
ドカンと増えると税金でだいぶ持っていかれるんだろう。 >>538
確か氷室さん、ラジオで、その三組を好きなバンドに挙げてた憶えが… 【80年代】
BOOWY解散の口火を切った
ギタリズムがイギリスで全然売れなかった
【90年代】
COMPLEX、2年で解散
山下久美子と離婚、今井美樹と再婚
【2000年代】
転倒事故で危うく死にかけた
高岡早紀と火遊びして保阪尚希にキレられる
町田康に車中で暴威
【2010年代】
氷室のBOOWYチャリティーに対してブログでネガティブコメント
ツイッターのフォロワーの中から放火犯を排出した
布袋に「しくじり先生ゴールデンSP」に出てほしい 氷室マニアの人教えてくれ
まだファーストが出る前にいくつかイベントに参加してたらしいがその時のドラマーは誰だった?
その人のヘルプで永井が加入して、永井固定になったらしいが
氷室のキャリアで、ライブのドラマーは日本人はその最初な人と永井と田中だけ? >>553
YOSHIKIにキレられて逃げたのはいつだっけ? >>555
ああ、それもあったねw
hideが止めに入ったって話だから90年代 やたらワイルドな布袋寅泰が今夜も叫んでる〜ポイズン >>538でも書いたけど
平成に入っても活動続けてたらバンド御三家の
ブルーハーツ、ユニコーン、BUCK-TICKに人気を
奪われてた可能性もあるから昭和で解散しておいて良かったと思う
BOOWYとユニコーンは良いタイミングで解散した
ユニコーン(86年結成・87年デビュー・93年解散・2009年再始動)が
もしも94年以降も活動してたら、ミスチル・シャ乱Q・スピッツに
人気を奪われてた 布袋が辞めたいのなら脱退させて他のギタリストを加入させる選択肢もあったかもな
氷室は作詞も作曲も出来るから問題はないはず 作詞作曲できるボーカルは経費削減のためにレコ社にソロを打診されるのがデフォ
氷室、矢沢、yasu、YUKI、Tommy >>560
問題があるのはお前の頭と顔だバカヤロー >>560
でもそれだとマスゴミの不仲説を認めることになっちゃうからなぁ
マスゴミ「氷室京介と布袋寅泰は仲が悪いから楽屋を別々にしてもらってる」 山下久美子1985年発売のアルバムBLONDEに布袋がサポートギターに入る
アルバムプロデューサーの吉田健が疾走感のある新鮮なサウンドというコンセプトにあった布袋を連れて来たのがきっかけ
2人はあっという間に意気投合しそのアルバムが発売された1985年に結婚する
布袋は山下に曲を提供したり演奏したり常松と高橋に山下久美子のバック演奏してと声かける
BOΦWYの4分の3が山下バンドじゃ氷室をのけ者にしてるみたいでまずいんじゃねえかって感じた高橋が氷室に声かけられたと報告する
ボーカルの首すげ替えみたいなもんだからな
そしてそれを聞いて氷室ひと言「解散しよう」
氷室の1988年発売のソロファーストアルバムFLOWERS for ALGERNONは吉田健がプロデュースしてる
吉田健の贖罪の気持ちなのか、氷室の吉田のせいじゃないよというアピールなのかは知らない
ちなみに飲み屋で山下の元カレと居合わせてオラついた布袋が元カレに絡みだして諍いになったとき、
そこに居合わせた吉川晃司が仲裁に入り布袋と吉川の殴り合いになる
後に2人は何故かユニットを組むがそれがあの時は悪かったね的な会話がきっかけだったかは知らない
さらにその頃山下のサポートバンドのドラムの彼女として紹介されたのが今井美樹であった >>564
山下久美子のバックをしなかったらBOOWYは今もメンバーも変わらず活動してるってこと?
せいぜい1年後には解散してたんじゃないの? >>564
そんな吉川とまた殴り合いの喧嘩別れとかw >>417
群馬テレビの旅番組でナレーションやってる
とても棒読み >>565
若者にすごーく流行ったものって陳腐化早いよ
BOOWYの次のバンドブームとかイカ天の頃にはもう一昔前の感覚
おニャン子ブームで、昭和のピンアイドルが古臭く見えるような感じだな
ユニコーンも頑張ってたけど、サウンドがなんか古い
素人バンドブームの次は、ZARDだB'zだミスチルだって産業ロックの時代になった。
その時代には前時代の個性派バンドは生き残れてなかったよ 解散の原因は布袋がバンドの主導権を握れなくなったから。
あくまで3人を雇ってやってる。楽器できない氷室がこっそり
鍵盤買って、作曲等の腕上げたりして音楽的成長が著しく
人気が出るにつれて氷室のバックバンドのようになってきてしま
った。それが気に食わなかった。サーカスのステージ観てると
顕著だがあんなにボーカルに対抗意識燃やすギタリストはいない。
「ウォーキングマン」の間奏を、イントレ最上段に駆け上がって
弾きまくってた布袋は頭おかしいw すげー妄想丸出しだしそもそもウォーキングじゃねぇし 氷室はラストツアー開始時に来春の東京ドーム押さえてるって知ってたけど
この人は解散後に聞かされたのか。つくづく氷室と布袋だけのバンドだった
んだな。 氷室「俺も鍵盤買っていろいろ試行錯誤してるし」
布袋「!…初めて聞いたよその話…」
氷室「俺派手なの好きだけど、そういう時間持たないと逆に大嫌いな
見掛け倒しに即すりかわる」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています