読売新聞2021/12/20 19:00
https://www.yomiuri.co.jp/hakone-ekiden/news/20211208-OYT1T50128/

箱根駅伝「花の2区」は、権太坂を越えても、まだ気が抜けない。

19キロの「不動坂」交差点を過ぎ、20キロ付近から戸塚中継所までの3キロはアップダウンしながら高低差40メートルを上る。ラスト800メートルの上りは特に急な坂道で、ハーフマラソンの距離を走ってきた選手たちは、とどめを刺される。1991年の第67回大会で、早稲田大の1年生だった櫛部静二選手(現・城西大監督)が中継所まであと300メートルの場所で失速し、ふらふらになる衝撃のシーンがあった場所だ。

87回大会の2区で早稲田大2年生の時に区間賞を獲得した竹澤健介さん(現・大阪経済大長距離ヘッドコーチ)は「みんな(2区は)権太坂って言うけれど、最後の坂のほうがヤバい。権太坂はなだらかに登っていくけど、最後の坂は『ガンッ』と上る感じなんです」と苦笑いする。

竹澤さんは現役時代、渡辺康幸監督(当時)から「箱根の2区は30キロくらいを楽に走れる体を作っておかないと、最後の上り坂で(疲れやダメージが)くる」と、教えを受けたという。「ゴールした瞬間、その意味が分かりました」