ジーコジャパンは2大勢力の権力抗争が原因で崩壊寸前だった
ひとつは小野や小笠原らワールドユース準V勢力
これらは元々トルシエジャパンの次の監督による主力として考えられていたのは当人らも自覚していた
もうひとつは宮本や中村俊輔らが率いていたアジアカップ優勝勢力
これらはジーコによる放任主義を利用し、政治力を背景にチームを完全に掌握していた
つまりワールドユース組はそれに対する反発で完全に腐っていた
中田英寿は1年間グロインペインの治療で代表を離れていた為にチームの内情を把握しておらず
戻って来た時にその余りの惨状に、自らがトルシエみたく嫌われ役をやり
中田英寿に対する反発によってアジアカップ組とワールドユース組を融和させようとした
その事は中田浩二と福西のみに語り上手く調整してくれるように頼んでいた