【訃報】作詞家の喜多條忠さん、肺がんで死去 74歳 「神田川」「やさしい悪魔」などのヒット曲手掛ける [muffin★]
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かぐや姫「神田川」やキャンディーズ「やさしい悪魔」などのヒット曲で知られる作詞家で、日本作詩家協会名誉会長の喜多條忠(きたじょう・まこと)さんが11月22日午前6時、肺がんのため亡くなっていたことが30日、分かった。74歳。大阪府出身。すでに近親者で密葬を済ませた。喪主は妻輝美(てるみ)さん。後日、偲(しの)ぶ会を開く意向という。
早大在学中に文化放送でアルバイトを始め、中退後に同局で放送作家に。コント55号やザ・ドリフターズのコント台本も書いた。1日に200字詰め原稿用紙250〜300枚を書く生活を送った。
代表作「神田川」は喜多條さんの文才が凝縮された名作と誉れ高い。新曲のキャンペーンで文化放送を訪れた南こうせつ(72)に見込まれ、最初の曲「マキシーのために」を提供。半年後「また書いてよ。締め切りは今日だけど」と頼まれて誕生したのが「神田川」だった。
帰り道に神田川を渡る、アパートでの貧しい同棲生活を思い出した。昼間に学生運動のデモで命の危機を感じる生活の中、帰宅すると狭い台所で彼女がカレーを作っていた。「この優しさに安住した生活に逃げ込めば抜け出せない」と感じた若き日の焦燥感を「ただ貴方(あなた)のやさしさが怖かった」の1行で表現した。
「赤い手ぬぐいマフラーにして」「小さな石けんカタカタ鳴った」など、情景が鮮明に浮かぶ表現力は、長年にわたり評価された。
80年代後半から約20年、作詞活動を離れボートレース評論家として活動したことでも知られる。「ギャンブルのヒリヒリする感覚が人生の何かに通じる」と徹底的にのめり込み、スポニチ大阪版でもコラムを連載していた。
作詞家の湯川れい子氏(85)は「かなりの飲んべえでしたが決して酒にのまれず、納期までに必ず詞を完成させるなど、仕事は本当に真面目」と偲んだ。「女性への優しさを忘れないフェミニストで、感情をむき出しにしないクールな人でした」。“優しさ”を原点にした名作詞家らしい生きざまだった。
◇喜多條 忠(きたじょう・まこと)1947年(昭22)10月24日生まれ、大阪府出身。小学生時代に毎日、日記を書いて教師に提出し、ご褒美にもらった「広辞苑」を読破。早大では学生運動のかたわら、井原西鶴を専門研究する授業や人形劇のサークルに打ち込んだ。14年5月に日本作詩家協会の8代目会長に就任し、20年6月まで3期務めた。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/11/30/jpeg/20211130s00041000666000p_view.jpg あなたが書いた 私の似顔絵 うまく書いてねって言ったのに
いつもちっとも似てないの 窓の下には神田川
っていうくだりがすごく好きで、映画的な切り返しが効果的だと感心する 「若かったあの頃 何も怖くなかった ただあなたのやさしさが怖かった」ってのは
本当は逆で、男の自分が女のやさしさで学生運動に突っ込んでいけなくなるんじゃないかと思って
怖かったらしいね アテンション・プリーズ
作詞 喜多條忠
作曲 浜田省吾 >帰り道に神田川を渡る、アパートでの貧しい同棲生活を思い出した。昼間に学生運動のデモで命の危機を感じる生活の中、帰宅すると狭い台所で彼女がカレーを作っていた。「この優しさに安住した生活に逃げ込めば抜け出せない」と感じた若き日の焦燥感を「ただ貴方(あなた)のやさしさが怖かった」の1行で表現した。
へー初めて知った
あなた=男じゃなくて、女のほうって主張は前に見て?と思ってたけど
そういう意味だったのか 母ちゃんが昔友達だったわ
作詞家の生活はキチガイのような毎日だとか言ってたらしい かぐや姫 マキシーのために、神田川、赤ちょうちん、妹
梓みちよ メランコリー 柏原芳恵 ハローグッバイ
キャンディーズ やさしい悪魔 暑中お見舞い申し上げます アンドゥトロワ 微笑み返し
SHOGUN 男たちのメロディー 能瀬慶子 アテンションプリーズ 雨がつづくと 仕事もせずに
キャベツばかりを かじってた
すごい歌詞だよな 学生運動ってなんだったんだろうね
今は何食わぬ顔してテレビに出てる田崎史郎とかに語って欲しいわ 一昔前はボートといえばこの人だったな
談春師匠も悲しんでるだろう 神田川とSHOGUNの男達のメロディー
あとは柏原芳恵のハロー・グッバイが有名 「ただし」じゃく「まこと」だったのか
今になって初めて知った 神田川の優しい貴方はこの方だったのか、と
自分のイメージは細身で繊細なタイブだと
しかし神田川のあの男性はその後、ボートレースにのめり込んで
作詞家協会の会長にまでなり成功しましたと
合掌
いい曲をありがとうございました >>21
男たちのメロディーって
走り〜出したら〜の曲だっけ マフラーにした赤い手拭いは安い赤Tシャツと一緒に洗っちゃった元は白かった手拭いだと思うとる チェリーズの「私のサタン」もどうか忘れないでやってほしい、、合掌 >>2
子供の頃の神田川のイメージってお茶の水のホームから見る景色だったんで
ここで?っていつも思ってたわ
親に神田川ってどこ?って聞いたらそこよって言ったから この人、昔は「神田川の歌詞を書いたというと貧乏だったように言われちゃうけど、
別に昔の若者はみんながあんな風に貧乏だったわけじゃないですよ」とか言ってたんだけど、
いつの頃からか「神田川は私の若い頃の思い出です」とか言い始めた
どっちが本当の事かは知らないが 貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭 マフラーにして
二人で行った 横町の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が 待たされた
洗い髪が芯まで 冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は私の 身体を抱いて
冷たいねって 言ったのよ
若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった
貴方は もう捨てたのかしら
二十四色の クレパス買って
貴方が描いた 私の似顔絵
巧く描いてねって 言ったのに
いつもちっとも 似てないの
窓の下には 神田川
三畳一間の 小さな下宿
貴方は私の 指先見つめ
悲しいかいって きいたのよ
若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった 結構芳野藤丸とのコンビもあるんだよ
「風に抱かれて」が名曲だし名歌詞だし名編曲 ローリング・ドリーマー/ジャンボ鶴田(1980年)
作詞:喜多條忠
作曲:川口真
編曲:川口真 >>16
ああ。何がいいかわからないけど。
幸せなんだよ。今は。 両国橋って曲があるんだけど神田川を下れば両国橋に出るんだよな 今まで気にしてなかったけどフォーク系って自作だと思ってた 湯川さんもう85歳なんだ。今年は巨星が何人も堕ちたねぇ〜
筒美京平さん、小林亜星さん、すぎやまこういちさん 喜多條と組むとほぼヒットすると語ったのが吉田拓郎だな
喜多條&拓郎だと中村雅俊のいつか街で会ったならだな 喜多条は横丁の風呂屋行くと、毎回風呂上がりに池の鯉に餌あげるの好きで
それで『いつも私が待たされた』という話 今日NHKラジオ3時から岡本おさみ特集
岡本さんは73歳で亡くなった
岡本さんも喜多条さんも経歴が似ている いつか街で会ったなら/中村雅俊
各駅停車/猫
風の街/山田パンダ
私の歌/松崎しげる
恋のパイナップルサマー/西崎みどり 「ただ貴方(あなた)のやさしさが怖かった」
私にとって何が一番怖いのか?
何日も考えて「やさしさ」にたどり着いたらしい。 キャンディーズに5曲ぐらい書いたと思う
そのうち4曲が作曲吉田拓郎で
1曲が佐瀬寿一の暑中お見舞い申し上げます キャンディーズの
アンドゥトロワ
やさしい悪魔
あなたのイエスタデイ
銀河系までとんでいけ >>1
喜多條さん亡くなられたんか
ご冥福をお祈りします 泣ける詞を書ける人だった
松本隆の詞で泣くことはないんだよな
赤ちょうちんとかはその代表だろうな 神田川は高田馬場付近らしいね
南こうせつは詩を電話で聞きながら即座にメロディーが浮かんで
書き写した時には曲ができていた この時代あまり良く知らないけど、大人になってからキャンディーズの特集とか見たら歌の歌詞が凄く上品で
三人も可愛くて何かいい時代だと思った
神田川とかも何か懐かしく心に沁みる やさしい悪魔、の振り付け
手を使って、キツネの頭のようなカタチをつくって、
カラダの両サイドに交互に振り回す…
悪魔、の表現、サインなんだけど
無理に悪魔表現にこだわる必要はなかったよね…
キャンディーズについては、この問題を提起したくて長年の間ウズウズして待機しておったんやけど、
やっと天下の5ちゃんねるのスレに記すことがかなって、肩の荷が降りたようなスッキリとした気分に浸っている現在のワイですねん…www 風の街は最初拓郎のデモテープでは一番と二番が逆なんだよな
あこがれ共同隊という伝説のドラマのテーマ曲になった 神田川と赤ちょうちんは四畳半フォークの代表曲だったな >>72
郷ひろみ西城秀樹桜田淳子並べて当時一桁とか
黒歴史そのものだな 神田川、南こうせつの作詞じゃないんだ。
こうせつの詞じゃないんだ。 >>74
テーマ曲は作曲拓郎でコーラスがまだシュガーベイブ時代の山下達郎
打倒太陽にほえろで作られた。しかし後の金八がリベンジを果たす >>76
岡本→喜多條→松本→岡本、みたいな感じだった 作詞家はセンスが必要で技術に逃げられないから
全盛期は長くないんだよな
一生考えると意外と厳しい キャンディーズのやさしい悪魔はブルージーなシャッフルでカッコいい
神田川と同じ作詞家だったのは知らなかった 喜多條も松本も情景が浮かんでくるタイプの作詞家なんだけど
松本の場合、映画とか小説的に浮かぶのに対して
喜多條の場合は聴く者のリアルな体験、風景を浮かばせるような気がする
阿久悠などはキャッチ―な部分や、時代を見つめたものが多い気がする 今の時代では早死だな。競艇場でよくお会いしました合掌。 「神田川」は自分の実体験だし、「マキシーのために」はモデルになった実在の女性がいた 「マキシーのために」が学生運動で有名だった実在の人物の歌というのは知っていたが神田川もそうだったのか 拓郎って日本のクラプトンだよなぁ
おくりびとと化してる あなたはもう忘れたかしら〜
30歳でも知ってる名曲だわ 赤ちょうちんで電話ボックスで膝を抱えたのも実話と話していたな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています