国内 政治 2021年11月25日

 11月25日は「憂国忌」の日として知られている。1970年のその日、作家・三島由紀夫は東京・市谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹自殺をした。

 事件そのものに対する評価はさておいて、三島が日本の政治や社会に強い危機感を抱いていたのは間違いない。当日、三島は自衛隊員たちに決起を促す演説をし、ビラを撒いている。
 当時、ノーベル文学賞候補とまでされていた才能は、何に怒り、苛立っていたのだろうか。
 三島由紀夫の名言を集めた『三島由紀夫の言葉 人間の性』から、政治や戦争、国家に関する言葉を抜粋して紹介してみよう(すべて同書から。原典は記事の最後にまとめて示す)。いずれも今なお響く言葉ばかりである。





私が投票したい人物

「胃痛のときにはじめて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識されるはずのものではなく、まして食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、カジ屋はちゃんとカジ屋の仕事に専念していられるのである。
現在、政治は民衆の胃痛になり、民衆の皮膚はアレルギーの症状を示し、異常に敏感なその皮膚は、何事もまず皮膚で感受しようとする。こういう状態こそ政治的危機である」
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「本当の現実主義者はみてくれのいい言葉などにとらわれない。たくましい現実主義者、夢想も抱かず絶望もしない立派な実際家、というような人物に私は投票したい。だれだって自分の家政を任せる人物を雇おうと思ったら、そうせずにはいられないだろう」
 ※1




どんな思想家の危険性だって、権力の危険性に及ぶ筈はない

「一説によると私は『危険な思想家』だそうである。名前だけきくとカッコいいようだが、そういう説をなす人の気持は、体制側の思想家というほどの意味で、政府御用達の思想家というほどの呼称であろう。日本における危険の中心は政府であり、どんな思想家の危険性だって、権力の危険性に及ぶ筈はなく、いわばその危険性の戯画にすぎぬであろう」
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政治は結果責任

オリンピックという“安全な戦争”

「日本」はなくなってしまうのではないか
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/11250610/?all=1