【多事蹴論(21)】 カズは「スポンサー付き移籍」の声にどう答えたのか――。1994年夏、V川崎(現J2東京V)に所属していたカズこと日本代表FW三浦知良はイタリア1部ジェノアへ移籍が決定した。当時のイタリアは豊富な資金力を駆使し、各国のスーパースター選手が集結する「世界最高峰リーグ」。カズの欧州進出は話題となり、大きな期待が寄せられた。

 その一方で、W杯出場も未経験だったサッカー後進国の日本ではカズの挑戦に対して懐疑的な見方も広がっていた。まだ、海外サッカーが日本で見られなかった時代だったためか「日本人がイタリアで通用するはずがない」「欧州では潰される」「試合に出られないのに何をしに行くのか」など辛辣な意見が出ていた。そのくらい日本と世界サッカー界をけん引するイタリアとの差は大きかった。

 中でも「スポンサー付き移籍」「金の力でイタリアに行く」との見解も出ていた。実際に、ジェノアは日本企業の「ケンウッド」がゼッケンスポンサーに決まり、日本でのテレビ放映も決定。さらに地元紙「イルセコロ12」によると、港町として知られるジェノアの港に大型船が寄港できるように水深を深くする工事を日本の総合商社が支援し、日本の鉄鋼会社が地元企業との協力体制を強化するなど、カズの加入でさまざまなプロジェクトが動きだした。

 こうした現状もあってか、純粋な戦力としてイタリアへの移籍が決まったわけではないとの見方が出ていたわけだ。そんな中、カズ本人は、批判的な意見をどう受け止めていたのか。後に本人に聞いたところ「批判されていたのは知っているよ。でも、アジアのMVPになったから会長に“来てほしい”って言われたわけだから」とし「スポンサーについては移籍する前からの話だったら気になるけど、後から決まったのだから気にしていない。それも選手としての価値でしょ」と“反論”していた。

 カズは92年にアジアカップMVPとアジアベストイレブンを受賞し、93年にアジアサッカー連盟(AFC)最優秀選手賞にも輝くなど、実績は十分と自負。しかもブラジル時代にもイタリアクラブからオファーが届いたことがあり、日本国内での評価は気にしていないようだった。またスポンサーについても自らに「商品価値」がある証しとしていた。実際、MF久保建英が加入したスペイン1部マジョルカのゼッケンスポンサーを日本企業が務めるなど一般的なサッカービジネスとして現在では知られるようになっている。

 カズは批判を浴びながらも臨んだイタリアの開幕戦で負傷するなど、結果を出せないまま、1年で帰国することになったが、Jリーガーとして初の海外進出を実現。現在多くの日本選手が海外でプレーする第一歩になったのは間違いない。

東スポ 11/25(木) 16:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/9580b06038892aa8868a3b2a9eeb5967ef84c4e7

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