0001爆笑ゴリラ ★
2021/11/16(火) 15:23:50.74ID:CAP_USER9スポーツ報知
元広島監督の古葉竹識さんが死去 85歳 球団初のリーグV、3度の日本一に導く
古葉竹識さん
広島を球団史上初のリーグ優勝、3度の日本一へ導いた名将、古葉竹識(こば・たけし)さんが12日に死去したことが分かった。85歳だった。広島球団が16日、発表した。葬儀、告別式は近親者のみで執り行われた。
現役時代は1958年のプロ1年目からレギュラーを獲得。63年にはオールスターに初出場し、第3戦でMVPを獲得した。ここから勢いを加速した古葉さんは、巨人・長嶋茂雄と首位打者を争い、一度はトップに躍り出た。だが、同年10月の大洋戦であごに死球を受け負傷退場、下あごの骨は真っ二つに割れた。残りわずか13試合での不運だった。
病床で復帰を目指す古葉さんの元にはライバルである長嶋氏から「キミノキモチヨクワカル。1ニチモハヤイゴゼンカイヲイノル」と電報が届けられた。このシーズンは打率3割3分9厘で終了し、わずか2厘差で長嶋氏に及ばなかった。だが、古葉さんもベストナインに選出され、飛躍の年になった。
翌年は死球の後遺症から成績は下降し、打率は2割1分8厘でチームの打撃成績は最下位だったが、自己最多の57盗塁をマークし、盗塁王に輝いた。機動力を持ち味としたプレースタイルは、監督時代にも生かされた。
南海に70年にトレード移籍したが結果を残せず、71年で現役引退した。72年からは野村克也監督の下でコーチとして指導者の経験を積み、73年にはリーグ優勝に貢献。74年には、野村監督から強く引き留められたが、専修大の先輩かつ同期入団の森永勝也氏から懇願されたことで、広島に1軍守備コーチとして復帰した。
75年にはシーズン早々に帰国したジョー・ルーツ監督の後を継いで監督に就任した。座右の銘でもある“耐えて勝つ”野球をモットーに采配をふるい、球団創設初となるリーグ優勝を成し遂げた。その後も79年、80年、84年と3度のリーグ優勝&日本一に導き、多大な功績を残した。
その後、1年間の野球解説者を経て、87年に3年連続でBクラスに低迷していた大洋の監督に就任。広島黄金時代の采配が期待されたが、チームの最高成績は88年の4位だった。89年にシーズン最下位の責任をとり監督を辞任した。
その後は99年に野球殿堂入り。2008年には東京国際大野球部の監督に就任。プロ野球の監督経験者が大学チームの監督になったのは初のケースで、全日本大学選手権にも出場した後、名誉監督となった。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/75672ef6d8351cd3ad6a8327817cce66c9e53b88