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柳家小三治が2年前に披露した“傑作マクラ” 「その若者は私のことを人間国宝だなんて知らないで…」

生島 淳 10時間前

「小三治師匠、マクラが長くてね」

 という声を頻繁に聞くようになったのは、いつごろだっただろうか?

 たしかに、長いのだ。

 新宿末廣亭のトリのときでさえも、マクラが続く。あれ、このままだと落語やらないのかな……と不安になってくると、ふっと噺に入り、9時ちょっと前には追い出し太鼓が鳴るという寸法だった。

 落語を聴きたいという欲求はあるものの、私は柳家小三治の世評にも似たマクラを聴くのが好きだった。そして、マクラと噺の時間の配分、バランスにドキドキするのが、ちょっとしたスリルになっていた。





2019年に遭遇した傑作マクラ

 そして時々、とんでもなく面白いマクラに遭遇することもあった。これがたまらない。

 中でも2019年10月31日、東京・立川の「たましんRISURUホール」で行われた独演会のマクラは「作品」とでも呼びたくなる傑作であった。

 遡ること数年前、小三治がヨーロッパ旅行に行ったとき、パリのシャルル・ド・ゴール空港のラウンジに立ち寄った。たしか、トランジットかなにかのためだったと思う。小三治は重たいスーツケースを持っていて、持ち運ぶのに難儀していた。そこに小柄な若者が寄ってきた。

「ニコニコしながら、『持ちますよ』と言ってくれたんです、その人が」

 小三治は恐縮しながらも、その申し出の主を観察していた。

「私のことを柳家小三治だって分かって、話しかけて来たり、手伝おうとする人が、中にはいるんです。そういう人は目や、顔の表情で分かります。でも、その若者は私のことを人間国宝だなんて知らないで、『持ちますよ』と言ってきたんだ。これは、彼の表情を見てりゃ分かりました」

 結局、小三治は荷物を持ってもらうことにして、丁重に礼を伝えた。気持ちが良かったからだ。その若者は、「いやあ、いいんです」と言いながら、ずっとニコニコしていた。

 先方も小三治のことを知らないし、小三治も先方のことを知らなかった。そのとき限りの縁に終わるはずだった。

 ところが――。

 小三治は荷物を持ってくれた彼と再会する。

 彼は、テレビのなかにいた。


 パリで出会った若者は、2019年の秋、日本代表のジャージを着て、ラグビー・ワールドカップに出場していたのだ。

「あ、あのときの!」

 驚いたのなんの。それから小三治は日本代表を夢中になって応援し、毎試合、その選手が途中から登場すると、テレビに向かって、叫んだ。

「タナカ!」

 荷物を持ってくれた若者は、日本代表のスクラムハーフ、田中史朗だった。

「気持ちのいい人でした。本当の親切心で、私の荷物を持ってくれようとしたのが伝わった。それにしても、ラグビーってのは、いいもんですな。タナカは、あの小さい体で、デカい連中に向かっていく。ケガをするんじゃないかと、ヒヤヒヤしてるんです、私は」

 私がラグビーW杯の取材中だったこともあり、このマクラはやたらと心に響いた。

 そして小三治が80歳を超えてなお、好奇心が旺盛なことに驚いた。そしてその話が、一編の物語として成立していたことに感激した。

「タナカの話」(私が勝手に命名)がとてつもなく長かったので、ひょっとしたら噺は一席で終わりではないかと思ったほどだったが、「馬の田楽」を演ってから、中入り後はサクッと「粗忽長屋」。小気味よく丁寧な「粗忽長屋」が思い出に残っている。




最後に小三治を聴いた独演会での嘆き
     ===== 後略 =====
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