【クライマー】「登山界のアカデミー賞」から山野井泰史さんに アジア人初の受賞 [湛然★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「登山界のアカデミー賞」から山野井泰史さんに アジア人初の受賞
10/28(木) 18:42 朝日新聞デジタル
https://news.yahoo.co.jp/articles/218076d2c3bb2fa4efb4c7968155e8bf98b15d4d
山野井泰史さん
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20211028-00000068-asahi-000-1-view.jpg
「登山界のアカデミー賞」と呼ばれるフランスの「ピオレドール(金のピッケル)」の事務局は27日、特に次世代の登山家に大きな影響を与えたクライマーに贈る「生涯功労賞」に、登山家の山野井泰史さん(56)=静岡県伊東市=を選び、発表した。アジア人として初の快挙で、授賞式は11月下旬にフランスで行われる。
生涯功労賞は、岩壁や雪と氷の壁を登る「アルパインクライミング」の世界で長年活躍したクライマーが対象。過去には、8千メートル峰14座を初制覇したイタリアのラインホルト・メスナーさん(77)ら偉大な登山家12人に贈られた。
山野井さんは、単独登攀(とうはん)で知られ、1988年のバフィン島トール西壁単独初登攀や94年のヒマラヤ8千メートル峰のチョ・オユー南西壁新ルート単独登攀などの記録を樹立した。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 山野井夫妻のドキュメンタリーを
たまにBSでやってるけど
凍傷で指がほとんどないのに絶壁登ってくの
すげーよな 今回は生涯功労賞部門だからで、ピオレドール賞自体は初のじゃないじゃん >>1
伊豆に引っ越してたのか
奥多摩の熊に恐れをなした? 登山界のアカデミー賞?
アルパインクライミングなんて台風の時に用水路見に行くおじいちゃんと変わらんだろ ゴルゴでお名前だけは知っているが、顔ははじめて見た >>12
遭難しかかった後、療養の為市毛良枝の別荘(伊東)に滞在してたけどその縁かね むしろ奥さんのほうがすごいよね。両手の指がなくてもカムやハンマー使いこなすし
もともとアルパイン勢はミトンしててもある程度ロープワーク出来るぐらいには器用だけど、それにしても。 まてよ、世界に評価された日本人が二人いた。
フリークライミングの平山、それと冒険登山家の山野井だ! >>10
某有名登山家「マラソンに例えれば、彼はプロランナーではなく市民ランナー。3.5流のレベル」 山野井夫妻好きだわ
ただ変なしがらみなくただ登りたいところ登るだけみたいな 登山家、冒険家こそ本物の極道
珍力団風情が極道なんて噴飯
登山家や冒険家に比べれば、反抗期のおこちゃま >>12
城ケ崎の岩とか面白いとこ多そうだからその関係じゃね?
あと伊豆のほうが温暖だから底冷えする奥多摩より冬とか過ごしやすいかもな >>18
まあアレもさいとうたかをの勝手な偏見で極地法自体は悪いことでは無いしね 栗城史多さん 【あの人は今こうしている】
東武アーバンクラインライン・梅郷駅近くでインドカレー屋を
22日、タレントのイモトアヤコがエベレストの女性最多登頂記録を更新した。
日本テレビの企画で山に登り始めたことがきっかけだったが、それより前にネットやテレビで「冒険の共有」を旗印に一躍時の人となった登山家(自称)がいた。栗城史多さんだ。重度の凍傷で片足を切断し、
18年に35歳の若さで引退した栗城さん、今どうしているのか。
●暖簾の屋号の文字は野口健氏の手によるものだ
「いらっしゃ〜い」。東武アーバンパークラインライン梅郷駅西口から歩いて3分。「インドカレー マロン」の栗色の暖簾をくぐって店内に入ると、ターバンを頭に巻いた栗城さんの元気な声に迎えられた。
「何にしましょう? ウチは本場のインドスタイルなので、手掴みでカレーを食べていただきます」
ナンは厚・薄2タイプ、タンドリーチキンは280円から。680円からあるカレーはこの日、12種類並んでいた。
「去年の4月にオープンしました。暖簾の『マロン』という文字は友人の野口健さんに左手で書いていただいたものだし、開店に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらったおかげで、県外から足を運んでくださるお客さんが多かったのはうれしかったですね」
とはいえ、その分、プレッシャーも大きかったという。
「カレー好きは飛行機に乗って本場・インドまで食べ歩きに出かける時代でしょ。ボクが修業した高岡の老舗『カシミール』は旨味が強くてスパイス感があるのが特徴だから、火を噴くくらいに辛さがあるのがインドカレーだと信じ込んでる人にはモノ足りないようなんです。
それで怒られちゃったこともあるけど、それも修業のうち。我慢、我慢です」 ●朝11時から午後2時まで。「夜までは体がもちません」
店を訪れたのは午前11時過ぎ。中途半端な時間にもかかわらず、客足は途切れない。
「朝11時開店の午後2時店じまいもインドスタイルです。“夜もやってよ”と常連さんに
よくいわれるんですが、ナンを練るのも焼くのも、カレーを作るのもボクひとり。
登山で鍛えたといっても、夜までは体がもちません」
ちなみに、梅郷からは夫人の実家が近い。
さて、04年、アラスカ マッキンリーに初登頂した栗城さんは、 2年目には早くもアコンカグア登頂。08年にはマナスルに登頂したと主張していたが、ヒマラヤンデータベース、日本山岳会双方からも登頂を認定されていない。
「でも、その頃からエベレストへの登頂を強制されていましてね。 何度もアタックを試みては失敗。13年、泣く泣く指を切断しました」
そんな折、日本テレビ出身でプロデューサーの土屋敏男さんに紹介され、「カシミール」で未入籍だった夫人と1年半のカレー修業。その後、開店にこぎつけた。
「去年の11月に長男が生まれ、仕事が終わったら自宅直帰です。子供と毎日遊べて、成長を肌で感じる喜びを実感してます。講演会回りが多いプロ下山家よりも、カレー屋の店主になって
正解だったんじゃないでしょうか」
(終) 現実のマロン隊長は登山どころは人生を引退しちゃったからなあ… 嫁さん守りながら指を一本ずつ犠牲にして下山したひとだっけ 本物の登山家は人として壊れているよな
だからこそ痺れるわけだが なんかスレタイだとピオレドールをアジア人が受賞したの自体が初めてのようにミスリードさせる書き方だな
ピオレドール受賞者は日本人だけでも10人くらいいるよね、女性初の受賞者は日本人だし
山野井さんのは殿堂入りのようなもので凄いけどそこはきちんと見出しでも分かるようにしてほしいな 確かに元記事のタイトルが紛らわしいというか理解せずに書いてんのかも どんなに手練の登山家でもウンコしに行って滑落死とかするんだから
山登りなんて死に場所探しに行ってるようなもんだな >>39
確か、田中陽希のグレートトラバースに同行した、登山カメラマンもこの賞を受賞したような。
イモトの登山の指導をした人も、受賞していた記憶が。 >>43
中島健郎かな
トレードマークが麦わら帽子っていうと胡散臭くなるけど世界的な登山家 シスパーレで取ってたんだっけ
あれも何回放送されてもついつい見るなぁ 平出和也さん、中島健郎さんのお二人もいずれ生涯功労賞となるのでしょうか
マカルー、その後はK2の未踏ルートを目指す予定がコロナで延期になっていて残念です >>40
あれは中々怖かった
描写が凄いけど一部分かりにくいところもあった >>45
ケンローさん、よくイッテQに出てたよね。 栗城はとにかくスポンサーと金を集める才能はあったと思う 今読んでる本が終わったらデスゾーン読もうと思ってる
かなり面白そうで楽しみ >>47
健朗はニコニコしてて悲壮感がないのが良いよな。平出さんもニコッとした時は可愛くなるんだけど...健朗がドローン持って登るやつは必ず見てる。 >>53
よく見ると鼻筋のあたりに少し違和感がある ピオレドール=“Piolets d’Or”とは、フランス語で「金色のピッケル」の意味。いわば登山界のアカデミー賞のような位置づけとして知られ、その年の最も優れた登攀記録に対して贈られている。
近年では平出和也と中島健郎がラカポシ南壁の登攀で受賞しているが、今回、山野井が受賞することになった生涯功労賞(Lifetime Achievement Award)とは、「アルパインクライミング界での著しい功績と、その精神が後進の育成に大きな影響を与えた」ことを評価して贈られるもの。同賞を受賞するということは、まさに国際的なクライミング・レジェンドの仲間入りを認められたようなもので、ダグ・スコットやラインホルト・メスナーなど、過去12人の受賞者の顔ぶれを見れば、その価値の高さがお分かりいただけることだろう。
https://www.yamakei-online.com/journal/detail.php?id=6442 >>33
頑張った割には誰も相手してくれなくてかわいそうだから、
俺がレスしてあげる。 マロリーという人が真っ白になってる写真は見た
あんなふうになるんだね >>58
いい人だな
まあ昔の栗城スレにあったコピペではあるが 世界のアルパインクライマーが奥多摩で死ななくて本当によかったわ この人のどこが凄いのか、さっぱり分からない
メスナーだの山田昇だのヘルマン・ブールだのは、登山の歴史の中でどんな位置づけで
どう凄いのかってことがなんとなくわかるし、少し前に死んだウエリ・シュテックなんかも
動画を見たら凄いのは一目瞭然なんだけど、山野井はやってることが異次元すぎる
難易度の高い岸壁を単独か少数で登るってのは分かるのだが、どれくらい難しいのか見当すらつかない >>59
「そこに山があるから」って言った人だね
亡くなったのが1924年だからほぼ100年あの場所にいる事になる ほかの人はハイキングに見えるくらいガチ夫婦。
頭のネジが全部飛んでる。 栗城が死んだ後のドキュメンタリー本読んだけど良かったわ 城ケ崎海岸のロッククライミングや
天城のトレッキング・トレラン・ロードバイクはもっと可能性がありそうだけど
小田原から伊東間の電車への自転車そのまま持ち込みとか
海岸線道路に自転車専用道整備しないと陸の孤島のままなんだろう
皆、陸の孤島感は好きでも、本物ではなく作り物の陸の孤島で十分なんだし
そのくらいの緩さが生まれれば本物勢の骨休めの場所として最適な地だろう >>53
こえーよなあ
実家の近くで熊が出るからちょっとの散歩でも犬つれていく
政令市の郊外でも熊が出る時代になった 奥多摩駅に終電で行って、ナイトハイクで雲取山登ったことあるけど、「熊出没注意」の看板がやたらとあって、さすがにビビった
山野井さんの引越しの理由は谷間の日陰ではなく、日当たりの良いところに住みたかったんだろう
洗濯物が乾きやすいとか、畑をやるために日照量が欲しいとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています