【芸能】三宅裕司さん、70歳。笑いを追求し続けて、いま子供たちに伝えたいこと [フォーエバー★]
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三宅裕司さんが主宰する劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)が、未来のエンターテイメント界を担う新たな才能を発掘しようと立ち上げた、劇団こどもSET。これまで3回の公演を成功させた劇団の舞台裏について、三宅さんにインタビュー。ミュージカル・アクション・コメディに取り組んできた三宅さんの言葉には、笑いとの向き合いか方や、子供たちの可能性を伸ばすためのヒントが隠されていました。
いちばん見極めるのが難しいのがコメディのセンス
――三宅さんがこどもSETを設立した動機からお聞かせください。
40年以上、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)というミュージカル・アクション・コメディーを旗印にした劇団をやってきて、年齢的にそろそろ今まで培ってきたものを若い人たちに伝えていきたいなと思ったのが動機です。それが結果的に日本のエンターテインメント界の底上げに繋がればいいな、と。今は小学校1年生から中学3年生までの子供たちが活動しています。子供たちは僕が思っているよりもすごい感性を持っていますし、ミュージカル・アクション・コメディでは得意な部分を伸ばしやすいんです。ダンスや歌、芝居がうまければもちろん活かせるし、バク転ができればアクションシーンを任せられる。非常に幅が広いので、小学校1年からでも十分対応できます。
ーー子供たちのオーディションでは、どのようなところに注目されていますか?
ダンスを習っている子も多いので、どれくらいのレベルなのかを見ることはできるのですが、一番見極めるのが難しいのはコメディのセンスなんです。出てきた瞬間に面白い子もいれば、しゃべり出したら個性を感じる子もいる。そこは僕自身の笑いのセンスを信じて見ていきます。緊張して失敗したときの方が、その子の個性が見える場合もありますね(笑)。
――お稽古が始まってからは、どのように進めていくのでしょうか。
12月にオーディションを行い、1月から各先生方に基礎的なレッスンをお願いします。こどもSETは前年秋の大人たちの本公演の台本をそのままやるので、僕がキャスティングにも参加して劇団員が演出に加わるんですね。毎年行われている『熱海五郎一座』が終わった7月くらいから本格的な稽古を始めて、子供たちの個性に合ったセリフに変えていきます。本公演では役者ごとに当て書きをしていますから、例えば劇団員の小倉久寛の個性に合わせたセリフを子供たちが覚えることになるんですね。そこで子供たちに合わない部分を書きかえていくわけです。
10/27(水) 20:06配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f63bf4927ec52f32cd383d601199011aa963f69
https://i.imgur.com/msrwELk.jpg 劇団の主宰なんて知らないから当時はちょくちょくテレビで見る謎の人だったな ひらんや
恐怖のヤッチャン
おぼっちゃま
だっけ? 三宅裕司、佐藤B作、柄本明の回のボクらの時代は演劇小僧の集まりみたいで面白かったな >>204
大学の先輩後輩だよね?
どっかの局のオールスタークイズみないな番組で「後輩の三宅です」みたいなこと言ってたの覚えてる 三宅裕司って物腰が穏やかで品があってユーモアあって
嫌いな人がなかなかいなさそう 笑っていいともに出たときにタモリに「声、悪いよね」って言われたのってこの人だっけ
別人だったような気もふる BSでやってる地方の名物を見に行く番組
ものすごく面白い
変な演出やテロップとか全くないんだけど
三宅さんの話術がうまくて、ちょっとした毒舌もあったりして飽きさせない >>152
ヤンパラ辞める時のアッサリさにビックリした はなたれコースとインテリコース
インテリコースってどれくらいの難易度だったんだろ 本当に70かと思うぐらい若いよね
頭の回転も良いし喋りも全く衰えてない
BSの番組では長い山道歩いたりラーメン完食したりしてるし コロナ禍でいろんな舞台が中止に追い込まれて多くの演劇関係者がブーたれてた時
この人だけは「日本人は震災から立ち直れたんだから、コロナ禍もきっと乗り越えられます」
って前向きなコメントを出してた
もちろんこの人の舞台も中止になってたのに、愚痴も不満も言わずに
どうすればこの状況でも舞台ができるかだけを考えてた >>296
ヤンパラを始めた時は20代だった。
結婚式には中ちゃん(中曽根康弘。当時の首相)から祝電が来たんだよな いい加減にします! (1984年 - 1985年、日本テレビ)
三宅裕司じゃん! (1985年、日本テレビ)
大きなお世話だ! (1985年 - 1986年、日本テレビ)
テレビ探偵団(1986年 - 1992年、TBS)
平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国(1989年 - 1990年、TBS)
EXテレビ(1990年 - 1994年、日本テレビ)
THE夜もヒッパレ(1995年 - 2002年、日本テレビ)
輝け!噂のテンベストSHOW → 新テンベストSHOW (1995年10月 - 1997年3月、読売テレビ)
どっちの料理ショー → 新どっちの料理ショー(1997年4月 - 2006年9月・2007年1月・2012年4月、読売テレビ)
この辺の番組大好きだったわ(´・ω・`) 小倉さんはたまにドラマで見たけど三宅さんはそうでもないな 舞台演劇でも笑いで、喜劇とも違う感じ。
コント劇みたいな? 伊東四朗が流石にヨボヨボを隠せないからリタイアまでにもう一花咲かせて欲しいね >>121
東京の一部の地域が有利、
ネットが無かった時代だな。 >>292
明大の同じサークルだと、
立川志の輔、渡辺正行、小宮正泰がいますな。 小倉さんはずっと老けてると言われてたが還暦を過ぎて遂に逆に若いと言われるようになったらしい テレビで頑張って稼いで劇団に金使って団員を育てても岸谷と寺脇みたいに辞められたら辛いわなぁ 三宅さんがしっかりしないから、セカオワハウスの連中が騒いでるのよ 今まで三宅裕司が芸能生活でいちばんビックリしたことは、
イカ天の第一回で、お姉さんが審査にキレて、突然パンツを脱いだことらしい。 80年代にレギュラー7本もってたのに、急にテレビから消えたよな >>1
なんなんだよ〜藪からスティックに。
三宅ちゃん、もっと自分を出せ!
ルー大柴、どこ行ったんやw >>334
このパターンが一番爆笑できたね。1人でラジオの前でゲラゲラしてた。友達はあまりいなかったけどラジオだけは面白かったし聞いていて良かった、と大人になって思ったわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています