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【駅伝】「実業団優勝よりも箱根駅伝出場の方がスゲー!て言われます」18年前“花の2区で12人抜き”尾田賢典(関東学院大卒)は今何してる? [征夷大将軍★]
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0001征夷大将軍 ★
垢版 |
2021/10/27(水) 18:00:27.62ID:CAP_USER9
Number Web2021/10/27 11:02
https://number.bunshun.jp/articles/-/850371

東京国際大、創価大はまだ登場しておらず、青学大も出場していない時代。“崖っぷち”にいながら、箱根駅伝にしぶとく参戦していた大学がある。2000年代前半の関東学院大だ。

箱根駅伝の出場回数は6回、最高成績は総合12位。高校時代に実績のある選手を獲得できず、箱根駅伝出場校のなかでは“弱小校”というイメージが強かった。それでも絶対的なエースが育っている。大学4年時に花の2区で12人抜きを演じている尾田賢典だ。

■40歳になった「関東学院大の尾田くん」
当時、箱根駅伝を熱心に見ていたファンなら「関東学院大の尾田」として記憶に刻まれていることだろう。筆者は当時、尾田くんをよく取材していた。

尾田くんは大学卒業後、トヨタ自動車でも大活躍。2011年テグ世界選手権の男子マラソン代表にも選ばれている。最後に会ったのはテグ世界選手権のマラソン日本代表会見だったと思う。尾田くんは2015年2月の別府大分毎日マラソンで現役を引退。現在は筆者の実家近くに住んでいることを知り、40歳になった「関東学院大の尾田くん」に会いに行ってきた。

10年ぶりの再会だったが、尾田くんは少しも変わっていなかった。現役時代の身長は163cm、体重は49kg。スリムな身体はそのままでよく日焼けしていた。今もバリバリ走っているからだ。

■超名門高で埋もれていた“金の卵”だった
まずは学生時代の話から伺った。尾田くんは熊本県出身。中学時代は野球部ながら、冬の駅伝で活躍して、福岡・大牟田高に進学する。当時の大牟田高は毎年のように全国高校駅伝で優勝争いをするような超強豪校。尾田くんは練習についていけなかったという。

「高3の夏までは駅伝やインターハイ路線のメンバーに選ばれることがありませんでした。でも、2年生のときに1学年上の先輩を勧誘に来ていた中田監督が僕の走りを見て『いいな』と思ったみたいです」

超名門高で埋もれていた“金の卵”を関東学院大・中田盛之監督(現・日本薬科大監督)が発見。その後、特に強豪大学から声をかけられることがなかった尾田くんは関東学院大にスポーツ推薦で合格する。中田監督の目は確かだった。尾田くんは3年時の秋からメキメキと力をつけると、全国高校駅伝(1998年)のレギュラーをつかむ。そして6区で区間賞を獲得したのだ。同学年に野村佳史、大津誠らがいたチームは2位という成績を残している。

関東学院大では1年時からチームの主力として頼りにされた尾田くん。箱根駅伝予選会では4年連続で好走を見せているが、これも弱小校ならではといえるだろう。

当時の関東学院大は選手層が薄く、10000m平均タイムも高くなかった。戦力的には通過できるかギリギリのラインにいた。エースが上位で攻め込み、他の選手がしっかりまとめることが予選会突破の絶対条件だった。稼がないといけないエースは重圧が大きかったという。

「予選会と本戦を比べると、予選会の方が緊張しましたね。チームの雰囲気もめちゃめちゃピリピリしてきます。僕の場合は実力的にも失敗できない。エース級の選手が予選会で失敗してしまう気持ちはわかります。自分が稼がないといけない、というのはすごいプレッシャーですから。しかも当時の出場枠は15校。予選会からは6校しか通過できないので、本当にきつかったですよ」

予選会は1年時が個人10位で、チームは5位通過。2年時は個人5位に食い込んだが、チームは9位で落選した。3年時は平成国際大のジョン・カーニーに食らいつくも、終盤失速。個人11位ながら、チームは6位で通過。次点の拓大とは42秒差だった。4年時(第79回大会)からは箱根駅伝の出場枠が「20」(19校と関東学連選抜)になり、尾田くんは個人3位、チームは9位で通過している。

■12人抜きも「箱根駅伝はあまりいい思い出がないんです」
箱根駅伝は1年時(第76回大会/00年)で花の2区を任されて区間最下位(15位)。3年時(第78回大会/02年)は、12月10日のエントリー記者会見で中田監督が「速い順に並べて、前半区間を突っ走りたいと思います」と豪快な戦術を披露。尾田くんは1区に起用された。

「3年時の1区は緊張しましたね。リードを奪うことが求められていたのに、区間5位に終わりました。箱根駅伝は結果を残せていないので、あまりいい思い出がないんです。4年時もたまたま最下位でタスキを受けただけですから」

4年時(第79回大会/03年)は2区で“12人抜き”を演じたが、区間順位は8位。シード権獲得を目指していたチームは総合18位でレースを終えた。関東学院大は尾田くんが卒業した年の予選会を突破するも、その後は正月の晴れ舞台を踏んでいない。これも時代の流れだろうか。
0002名無しさん@恐縮です
垢版 |
2021/10/27(水) 18:12:54.88ID:a/5BzLa30
関東学院大学と聞くだけで色眼鏡で見てしまう
進次郎効果はすげえわ
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