【芸能】X‐GUN「ボキャブラ世代」番組ブームの裏側と、爆笑問題・田中裕二の“スゴさ” [湛然★]
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X‐GUN「ボキャブラ世代」番組ブームの裏側と、爆笑問題・田中裕二の“スゴさ”
2021年9月23日 21時0分 週刊女性PRIME
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab863eab00ae838aa1dc90580e94ed58bcd42bd3
『X‐GUN』西尾季隆(左)、さがね正裕
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210923-00021924-jprime-000-2-view.jpg
さがね正裕(以下、さがね)「当時は常にダジャレを考えている状態でしたね」
放送当初は視聴者投稿番組としてスタートした『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)。何度かのマイナーチェンジを経て、1997年から“キャブラー”と呼ばれる若手芸人たちがダジャレネタで競うスタイルになったことで、大ブームに。そんな人気番組で1回も休むことなく番組を盛り上げたのが、X-GUN(バツグン)の2人。
さがね「ボキャブラネタは番組が用意した用紙に箇条書きでフリになるコント部分を書き、最後に言い換える前の言葉とダジャレになる言葉を書く……という方法で作っていました。当時はメールもなかったので、相方とそれぞれ何十枚も手書きして、毎回番組スタッフにFAXで送っていましたね」
西尾季隆(ひでたか)(以下、西尾)「何十個と送った中から厳選された7〜8本を収録するのですが、放送されるのは3〜4本。相方と自分のネタのどちらが多く採用されたか覚えていないぐらい、とにかく大変でした。ボツになったものも含めると番組終了までにそれぞれ1000本はネタを作ったんじゃないかな」
スタジオのひな壇に座れる“メジャー”と“チャレンジャー”の入れ替え戦も、番組の見どころの1つ。
西尾「メジャーにいる芸人にかみつくなどテレビに映る方法はあったので、チャレンジャーに落ちてもあまり気にはしなかったですね。ただ、チャレンジャーはカメラが回っていないところでもスタジオの外で立ちっぱなしだったので、体力的にはしんどかったです(笑)」
さがね「自分たちの中では渾身(こんしん)の出来のものがスタジオではウケなかったり、その逆もあったり。ボキャブラネタに関しては最後まで正解がわからなかったですね」
◆流行語「だっちゅーの」はスタッフが
当時は珍しかった、若いアイドル2人が組んだ『パイレーツ』が番組からブレイク。プロの芸人は、彼女たちの存在をどのように思っていたのか?
さがね「本当にイマドキの女の子たちで、僕らから見たらただの子どもでした。事務所にやらされている感が満載で大変そうだなって(笑)」
西尾「流行語になった“だっちゅーの”という胸を寄せるギャグも、番組スタッフが考えたものだったそうですから」
さがね「完全に別枠という認識だったので、僕らより彼女たちがウケてもまったく悔しくはなかったですね」
そんな2人が、当時から一目置いていたのが爆笑問題。
西尾「本ネタの漫才だけでなく、ボキャブラネタも抜群に面白かったので、さすがだなって。大ウケするともらえる大座布団をすぐに10枚集めて初代名人になりましたしね」
さがね「漫才は太田(光)さんが作っているのですが、ボキャブラ用のネタはすべて田中(裕二)さんが作っていたんだよね」
西尾「だから太田さんに会ったときは、“今の爆笑問題があるのは、田中さんのおかげ”とよく言います(笑)。もともと実力は飛び抜けていたけど、この番組で2人を知った視聴者も多いと思うので、田中さんの功績は偉大!」
芸人がアイドル級の人気に
キャブラーが集結した1997年に富士急ハイランドで行われたイベントには、約1万人のファンが集まるなど社会現象に。当時の盛り上がりをどう感じていたのだろうか。
西尾「芸人の間では意見が二極化していましたね。黄色い歓声が挙がって、ネタをちゃんと見てもらえない……と悩むタイプと、アイドル的な人気を楽しむタイプ。僕らは後者でした(笑)」
さがね「若い女の子たちにキャーキャー言ってもらえるなんて、普通に生きていたらありえないですから」
西尾「僕は当時からデブキャラで単体では人気はなかったので、相方の人気のおこぼれで“トシちゃん気分”を堪能していましたね(笑)」 ガネックじゃない方
デブ専ゲイなんやから
このLGBTの流れに乗って売り出せばそこそこ話題にもなるんと違うか
オネエでお笑いっぽく見える人もそこそこいるが
ガッツリ、芸人でゲイ、しかもデブ専は稀有やで
木久は売り専に嫌らしい下着穿かせて写真
風間、加藤、ナリはまんま売り専
純太は仕事なくて売り専 >>544
つぶやきシローとパイレーツが抜け出る。
笑いではともかくタレント的人気では頭一つ抜けて他のメンバーよりも先に売れた。 MANZAI-Cの顔が四角い方が性格が悪いって話だけは不思議と覚えてる
フォークダンスは本当もったいない 座布団9枚で100万円リーチかかってた爆笑問題が30点満点取ってほぼ決まったと思ったら、海砂利水魚がドコモネタで30点取って田中マジ切れしてたの好き 坂道コロコロは片割れが(松丘じゃない方)強制ワイセツで捕まったよな >>528
海砂利水魚はネタは東京版ダウンタウンの走りだよね。特にボケの方w
二人とも九州人だけどw >>555
松丘はその後しばらく苦難続きだったな
村田渚の事とか >>552
この前ラジオだったかな、爆笑の田中が安田のことをヤッチンと呼んでいた
ヤッチンって20年ぶり位に聞いた ラジオでした太田の大島渚のモノマネが面白かったなー まだそんな話題で飯を食おうとしてるXgun
まだ引退してないのか もうこの歳じゃ何がなんでも芸能界にしがみつくしかないだろ
別の商売やれる才能も無さそうだし >>555
アンジャッシュの児嶋と組めばイイのに・・・
坂道コロコロとアンジャッシュはライバルであり、盟友なんだから >>524
「現在のコンビ名での活動が10年以下」という参加条件に則ってM-1出場資格を満たすため、
コンビ名を変えたようだけど結果を残さなかったね。 へらちょんぺ
(オフィスへらちょんぺ)
が一番面白かった この人達もう20年近く底辺に戻ってしまっているけど食べていけるの?
ボキャブラ時代の貯金と長年芸人続けてる役員報酬?で中流リーマン程度の生活ならできるの? ボキャブラで
爆笑の次くらいにウケていたネプチューンでさえ
いわゆる当時のアイドル的人気、ブームを楽しみながら活動していた中で
爆笑問題はそんなブームはお構いなしと、とにかく毎回しっかりネタを作って来ていて、それで真剣に勝負していた >>574
R-GUNとかこのスレでわかる人いないんじゃないかなあ >>571
雑誌のインタビューかなんかで月給18万とか言ってたな
本当ならまあ何とか生活はできるレベルかな こいつら解散してなかったの。
さっぱり見かけないから解散したかと思ってた。
ピンでも見かけないけど。 当時有田がとにかく尖ってて、ネプチューンを目の敵にしてた
「あんなワーキャー言われてる奴はお笑いじゃねえよアイドルかよ」っつってたし
数年後仲良く堀ケンと深夜番組やってるの見て驚いたわ
プリンプリン好きだったがうな加藤のツッコミが強すぎて見てて怖かった 今の有田は韓国の広告塔みたいになっちゃってるけどな
フジや日テレの番組観てると酷いもんだ 海砂利はネタの当たり外れがあったけど
フリートークでは安定して輝いてた
有田のプロレス好きな部分が生きていたのかもしれない ボキャブラは芸人のネタ披露会になってから見るのやめた ぶっちゃけ爆笑問題の凄さもわかんねえわ
クソつまんねえと思うけどなあ 嵯峨根さんって子供さんが結構有名な進学校に通ってるって聞いたんだがどこなんだろ。 >>3
人生の中で光り輝く時間が15分もあれば恵まれてる方だ >>584
マスター目障り(水割り)のネタを見てくれ
爆笑問題の素晴らしさが分かる バツグンやブーマーは今浅草演芸ホール(旧フランス座)に出ているらしい ネプチューンの全盛期は深夜の冠番組で
若い女性を泰三が巴投げして
パンチラをさせていたときだね。
その際にさらに脚を大股開きにさせる技は「フェニックス」と呼ばれ、
観覧の男達が「フェニックス!」とコールする中で
泰三が無理矢理女性の股を開いてパンツ丸出しにするという、
今なら深夜でも無理な内容。 >>391
2、3回のインパクトが強くて好きだった
エンタで言う小梅的な >>1
サムネで見たらあんま変わらんなと思って開いたら2人とも萎んでて驚愕した 哀愁というか何というか
なかなか出てきてもきつい
この辺は >>579
10年近く前、BONNIE PINKのモノマネでまたまあテレビ出とった >>62
それめっちゃ好きだった
爆笑のはさらりと面白い事言う感じでまた演技が上手いんだよな
あとプリンプリンかなんかの敵はほんのり塩味も好きだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています