2021年9月15日 12:10

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1975年製作のスティーヴン・スピルバーグ監督作「ジョーズ」をはじめ、殺戮マシンと化したサメが人間を襲う「ディープ・ブルー」、竜巻に巻き込まれたサメが空から降ってくる「シャークネード」など、これまでに多様なサメ映画が製作されてきた。2018年のジェイソン・ステイサム主演作「MEG ザ・モンスター」が、全世界で5億3000万ドル超の大ヒットを飛ばしたことは記憶に新しい。

2021年8月4日、サメ映画専門のバイヤー兼翻訳家・サメ映画ルーキー氏のツイートが話題を呼んだ。サメが出ないサメ映画「No Shark(原題)」に言及したツイートの中には、「そろそろ真剣に『サメ映画とは何か』を考える時が来たのかも知れません」という一文が。そこで映画ナタリーでは、サメ映画ルーキー氏と“サメンテーター”である中野ダンキチ氏の対談を企画。サメ映画とはなんなのか、たっぷり語り合ってもらった。

取材・文 / 小澤康平





サメ映画の定義とは?

──まずはお二方が考えるサメ映画の定義を教えてください。

中野ダンキチ 私の中では3つ条件がありまして、1つは製作者や宣伝担当者が「これはサメ映画です」と打ち出していること。2つ目は分数が60分以上であることです。ものすごく短い作品もあるので、映画としてどこかで線引きする必要があるため60分以上としています。最後に、サメによる恐怖を感じさせる作品であること。サメとの心温まるふれあいを描いたものは除外しています。ただサメ映画という言葉が定着したのは最近な気がしていて、こじつけて定義している感覚はありますね。今後変化していく可能性は大いにあります。

サメ映画ルーキー 僕もほぼダンキチさんと同じ考えです。サメ映画というジャンルの根本には「ジョーズ」があって、サメを起点とする非常事態に人々が巻き込まれていくのがサメ映画のテンプレート。なので、サメによる恐怖が描かれているというのは一番重要な点だと思います。その一方で、本編にサメがちょっとしか出ていない作品を「ジョーズ」のようなサメ映画としてプロモーションすることが多々あるんですよね。そういう乗っかり方はサメ映画の伝統になっていて、宣伝側がサメ映画と打ち出しているものを含めないのはかわいそうなので、タイトルに「シャーク」や「ジョーズ」、パッケージにでかでかとサメが写っているものは含めていいのではないかと。分数については僕はあまり気にしていないです。

ダンキチ 「ジョーズ」以前の作品はどう考えてます? 1932年の「虎鮫」や1969年の「サミュエル・フラーのシャーク!」 を入れるかどうかは、人によって分かれるところだと思うんですけど。

ルーキー 難しいですね。

ダンキチ 私としてはサメ映画に入ると思っています。「虎鮫」でもちょこっとだけサメの恐怖が描かれているんですよね。「サミュエル・フラーのシャーク!」 の原題は「Shark!」なので、おそらくサメ映画として売り出そうとしていたのだと思います。そのほかにもアニメやCG作品を含めるのかどうかも難しいので、正直それぞれが「これがサメ映画!」と定義してしまっていい気はしています(笑)。例えばゾンビ映画と比べると、サメ映画ってまだ未開拓なんです。重鎮みたいな人はいないし、たぶんサメ映画をどう定義しても怒る人はいないと思うので。

ルーキー 映画の中にサメを見出せれば、もうその人にとってはサメ映画なんですよね。





宮本武蔵が無刀の境地に至ったように…
     ===== 後略 =====
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