【訃報】伊勢正三ショック…フォークデュオ「風」の相棒・大久保一久さん死去、71歳 [湛然★]
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伊勢正三ショック…フォークデュオ「風」の相棒・大久保一久さん死去、71歳
9/16(木) 4:00 サンケイスポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/26754d483edb6a7a8f1d215fb0949ed1d067dac8
伊勢(右)とステージで楽しそうに演奏する生前の大久保さん
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210916-00000006-sanspo-000-1-view.jpg
「22才の別れ」などのヒット曲で知られる伝説のフォークデュオ、風のメンバーでミュージシャン、大久保一久(おおくぼ・かずひさ)さんが13日に東京都内の病院で死去したことが15日、分かった。71歳だった。1979年の風の活動休止後はソロで歌っていたが、2008年に脳血管障害を発症。その後、脳梗塞を患い、闘病生活を続けていた。関係者によると、相棒の伊勢正三(69)もショックを受けているという。
■デビュー曲「22才の別れ」大ヒット
日本のフォークソングブームを支えたレジェンドが、人生のステージから降りていた。
関係者によると、13日に都内の病院で息を引き取り、この日に親しい関係者に訃報の連絡が入った。死因は明らかにされていないが、近年は脳梗塞を患い、入退院を繰り返す生活を送っていたという。葬儀はコロナ禍を鑑み、16日に都内の斎場で近親者のみが参加して行う。
広島・呉市出身。フォークグループ、猫を経て、75年、かぐや姫のメンバーだった伊勢と風を結成。伊勢が作詞作曲したかぐや姫の名曲「22才の別れ」をデビュー曲として発売し、大ヒット。その後も、「あの唄はもう唄わないのですか」「ささやかなこの人生」など名曲を世に放った。
79年に活動休止し、ソロ活動を展開。83年に再び活動休止後は薬剤師として勤務していたが、90年に行われた南こうせつ(72)のライブイベントで伊勢と共演。07年5月には伊勢のソロ公演に飛び入りで参加し、28年ぶりに風を復活させて往年のファンを喜ばせた。
■08年に脳血管障害で緊急手術受け
翌08年4月には伊勢のツアーにゲストとして帯同する予定だったが、同1日のリハーサル中に倒れ、病院へ搬送。脳血管障害と診断され、緊急手術を受けた。手術は無事成功し、同7月に退院。その後は広島の実家で療養を続けていた。
大久保さんの訃報は、ともにメロディーを紡いできた相棒にも届いており、2人を知る関係者は「伊勢さんは大変ショックを受けています」と話している。
伊勢は17年11月に風時代のライブ映像と音源を初めてCD&DVD化した際、夕刊フジの取材に「これは何より大久保君が一番喜んでくれるという確信がありました」と説明。療養中の大久保さんに発売することを電話で連絡したといい、「すごく喜んでくれました。まだまだ体調は優れない感じだけど、早く元気になってほしい」とエールを送っていた。
風のように静かに去ったパートナーに悲しみは尽きない。
大久保 一久(おおくぼ・かずひさ)
1950(昭和25)年7月22日生まれ、広島・呉市出身。昭和大薬学部卒。学生時代からシンガー・ソングライター、吉田拓郎(75)らによって結成されたアマチュアフォークサークル、広島フォーク村などで活動。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 22才〜はかぐや姫のオリジナルの方が好きだった
合掌 えーまじ?
アルバム『海風』はクボやんの才能光ってた。 去年から今年にかけて風のLPを何枚か買った
シティポップが流行っているこの潮流の中でもう少し話題になっていい二人だと思う
それにしても猫も風も検索かける時困る名前だよね
合掌 風は和製スティーリー・ダン。フォークというジャンルの中には入りきらない昨今のシティポップの先駆け
作詞作曲大久保一久編曲松任谷正隆コーラスアレンジ山下達郎の「ロンリネス」が秀逸でした。ソロアルバムの配信を。
ご冥福をお祈りします 浪人の時 パチンコ屋でいつも流れてた
22才の別れ >>12
自分もそう思う
フォークだけの話で終わってはいけない
もっと評価してあげないと… >>15
それなのよ。小学生の頃にラジオで聴いたバイバイに感動して風ファンになったけどフォーク扱いは自分もしてなかった。 伊勢正三は今でも聴くけど
大久保さんのはトパーズ色の街くらいかな 誰?ってレスが続くかと思ってたのに…皆んな知ってるんだ?驚 さすがにリアルタイムでは知らない
後に聞いただけだった >>24
今フォークが静かなブームて知らんのか?ギターブームの流れで 青春の一コマでした、成仏してください (-人-)ナムナム 才能の格差ありすぎ
風、初期のオフコース、グレープ ❪海風❫は時代が追い付いてなくて残念だった
10年早かったんだよな〜 リアルに聞いてる人って同じ世代なんだよね。スレの平均年齢凄そう 『Windless Blue』『海風』‥と、風は音楽の変化の速度も速すぎたなぁ。
正やんばかりが目立ってたけど、1stアルバムの「ロンリネス」からクボやんのサウンド嗜好は光ってた。
ご冥福をお祈りします。 フォークって音楽には限界がある、ディランも言ってるけどスタイル的にどうしようもない
ただロックを取り入れても、他のあらゆるスタイルの音楽を取り入れても最終的にフォーク的な
何かを追求する事がイコール限界であり、10年保たず、限界に達せざるを得ない
風とかフォーク的でない何かをフォークのスタイルで追求するという正直どうしようもない
方向を向いたデュオだったけど、限界に達しきったフォークから見れば面白い部分もあった かぐや姫のベストにこれ入ってて良く分からんのよ
それでいてカラオケのかぐや姫には入ってなかったり >>51
フォークの概念て簡単云うとTOKIOのダッシュ村的な事だろうと思う
主は自給自足でたまに音楽活動 22歳の別れが流行ってた時 俺22歳だった そして彼女と別れた時だったから胸に応えた 10年以上前、営業を1ヶ月後にやめるホテルのラウンジでこの人のLiveを見た。
この人に興味はなかったが、ホテルの出入り業者だった友人がホテルから頼まれて
購入したチケットで、Liveより、取り壊される老舗ホテルを最後に見たくて行きました。 小さな手
夜の国道
旅の午後
トパーズ色の街
古都 大久保はルックスが良くて女性ファンが多かった。実質的に曲を書いてたのは伊勢正三。 伊勢と歩いた青春の幕が降りた
君はなぜイルカに生まれてこなかったのか 大久保くんが亡くなってしまった絶句
思い出に残る曲をありがとう
安らかにお眠り下さい >>12
海援隊もチューリップも
今のバンドやユニットは、
検索しやすいかどうかを基準に
名前を考える、って言うね
その点、ソルティーシュガーとか賢明 20年近く前にウチくる!?に出た時
すでにボケ老人みたいだったぞイセやん 風と聞いて思い出したのは、シューベルツの曲名の方だった
22才の別れの人ね >>62
でもアレて女の歌だろう?て聞くのは野暮か >>24
サブスクのスレみても中島みゆき早くしろ、チャゲアスはまだか、しかないし
ここ抜けなきゃいけないって焦る。。。 改めて調べたらドラマの主題歌になったのはオリジナルの「かぐや姫」バージョンだったんだ。
長年勘違いしてた… 長く闘病中とは知らなかった
良い作品を残してくれてありがとう
お疲れ様でした安らかに 22歳でお別れするはずが71歳まで生きたら大儲けじゃないか
頭がクレバーなうちに亡くなるほうがいいよ
ボケて、みんなに迷惑かけて、死んだらせいせいしたと言われたらおしまい 当時のヒットはラジオ番組でどのくらい曲がかけられるかで決まってたよね
自分は高校生の時、レコード会社でリクエストハガキ書くバイトしてたわ
1ヶ月に100枚書いて番組に送ると、そのレコ社アーティストの好きなアルバム1枚もらえた
クイーンのライブキラーズもらったわ 毎晩酒に飲まれ
見知らぬ人にからみついてたあの街で
最後に煙をふかしては
夢をみながら倒れたと
だからいつか云ったよ「むちゃはよしなよ」って
あいつはそれを聞かなかったよ 久保やん長らく闘病していると聞いていたが
おつかれさまでした 今年もつぎつぎに・・
合掌 っi~
中学の文化祭のステージで数人で「ささやかなこの人生」他をギター弾き語りしたなあ
22歳の別れもやりたかったけど、まだスリーフィンガーが無理だった >>28
坂崎を継ぐ存在がでてこないとそこで終わる 猫もいいグループだ
佳曲が多い
雪なんてあのサウンドは素晴らしい 後追いだけどドーナツ盤とLPいっぱい買ったわ
今でも何枚か手元にあってたまに聴いてたからショックだ
ご冥福をお祈りします へー 吉田拓郎と縁があったのか 今の今まで知らなかった 大久保くん…
トパーズ色の街 大好きです
合掌
お疲れさまでした 確か風のデビュー曲のために22歳の別れをかぐや姫のシングルとして出さなかったとか読んだ記憶がある >>108
ささやかなこの人生って簡単だよね
凄く良い曲、歌詞がジンジンくる
正やんの曲だけど
合掌… >>118
なごり雪が神田川の後という予定はあったが22歳のの別れがかぐや姫でシングル化という話は聞いたことがない
正やんは「かぐや姫の歌だから」と風で出すのには反対したが日本クラウンがゴリ押し >>115
拓郎以降のメジャーどこのフォーク、ニューミュージックで拓郎に関わってない人あまりいないぞ
拓郎長生きしてくれい! そうじゃなくて広島フォーク村だからつながりは深いという話 >>109
勝ち組乙
いま音楽業界は世界中でダメダメだけど
米人の若い奴もヨウツベで70、80年代の音楽聞くと
こりゃもう作れないわって嘆くらしね
クラッシック音楽が作れないのと同じ論理か
感性や環境の違いだろうか 私には鏡に写ったあなたの姿を見つけられずにぃ(´;ω;`) 猫の 各駅停車 の かすれ声 いいよなぁ、歌ってるのは別のメンバーだけど 大久保作詞曲なら
「デッキに佇む女(ひと)」が名曲 ずいぶん長いこと闘病してたんだね
実家で療養してたってことは仕事もままならない状態が続いてたのかな
ご冥福 曲作りの才能は正やんが天才的だったけど、大久保さんの楽曲には優しさや人のよさが滲み出ていた
風は青春のBGMだった
感謝
ご冥福をお祈りします リアルタイムでない世代だけど、合唱で22歳の別れを歌ったことある
薬剤師でアーティストって珍しい人だなぁ 22才の別れが有名だが B面の 約束しようよ のほうが 古臭くならない コロナかワクチンかで寿命を早めたな
血管系の病気持ちはトドメ刺されるね 薬剤師やったんか
病気に詳しいだけにつらかったやろなぁ、晩年
猫、風、拓郎
全部世代じゃねぇけど、あの時代の空気を知らない若造鼻タレでもね
時代を超える熱量があったのが分かる
もうちょっと早く生まれたかった もしや令和になってもまだギター教則本の練習曲は22歳の別れなのか >>3
>>24
名前が似てるからこのスレ開いてみた
大久保 一翁(おおくぼ いちおう) / 大久保 忠寛(おおくぼ ただひろ)は、幕末から明治時代にかけての幕臣、政治家。東京府知事、元老院議官を務めた。栄典は従二位勲二等子爵。 海風のイントロ弾きたくてギターを買ったが金がないので安いクラシックしか買えず
まず固くてコードを抑えられないので挫折 >>1
久保やん、ラジオ聞いてました
ビルの影から〜♪ >>1
伊勢正三の方が年下だったんだ
この画像は07年の共演時のものかね
年齢考えたら二人とも当時とあまり変わらないな 70過ぎた人が死んだ事に対してショックを受けるってのが理解できん
死因はともかくいつお迎えが来ても不思議じゃ無いだろ
親しい人の死に対して深く悲しむのは当然だけどショックを受けるって >>146
平均寿命って知らんのか?
あぁ おまえら五毛の平均寿命はせいぜい60だっけ? >>147
平均って理解してる?
男性の場合81.64歳だよ
70過ぎたらいつお迎えが勘違い来ても不思議じゃないよ
あとあなたに罵倒される理由もわかんないね 「ほおづえをつく女」って サンタナの「ブラックマジックウーマン」のパクリだよね 「はずれくじ」という唄があるんたが、当時はまさにオレの事を歌ってると思ったな。 >>149
ほおずづえをつく女は、スティーリー・ダンの「最後の無法者」そのまんまだよ
当時正やんもスティーリー・ダンに傾倒してるって公言してたし 22歳の別れ
なごり雪
フォークといえばこの2曲だな
3曲選べとなると
いちご白書をもう一度 秋だというのに街は
いまだ夏の香りを
残しているから
僕はあの娘思い出してしまうのさ 20歳のめぐり逢い
からの
22歳の別れ
子供の頃ヤンタンやわいのわいの90聞いてたから
この頃の関西フォークなじみ深いわ 22歳で今の彼と別れて現実的な結婚するって時代だよな そのスティーリーダンはホレスシルバーあたりから引っ張ってきてんだよ
サンタナもな ところでなんで昨日、悲別は円盤化再放送もされないのか まあ,3号線を左に折れ,なんかもろ AmericaのDaisy Janeだしなあ. 個人的ベスト3
1:旅の午後
2:トパーズ色の街
3:ロンリネス 雪でした 貴女の後を何となく着いて行きたかった
振り向いた貴女の瞳は 早くお帰り坊やって言ってた
ああ あの人は見知らぬ街の見知らぬ人
雪国の小さな街に そんな私の思い出がある 22歳の別れをカラオケで歌うと、何それーいい曲じゃんーと言われる
ナッシュビルチューニングのアコギって音きれいだけど普通のゲージ張ったギターと2本持ちじゃないとダメだよね。 >>148
平均寿命81.64歳に対して71歳で亡くなったのは十分早いだろ
「いつ死んでも不思議はない」とか言って周りの人は10年以上前から心の準備をしとくのか?
沢田研二、松崎しげる、矢沢永吉、舘ひろし、宇崎竜童、鮎川誠、吉田拓郎、泉谷しげる、南こうせつ、小田和正、谷村新司、堀内孝雄、武田鉄矢、市村正親、梅沢富美男、山本譲二、鹿賀丈史、西田敏行、風間杜夫、奥田瑛二、タモリ、ビートたけし、大竹まこと、間寛平
全員70代だけど、誰が亡くなっても絶対に驚くなよ 楽しかったり沈んだりたわいもなく
こうして今日もまた一日がおわったよ
いつもと変りなく >>168
何歳になっても自分知ってる人だったり思い入れのある人が亡くなるのはやっぱショックだよね 拓郎や永ちゃんが平均寿命越えて亡くなっても俺はショックだな
そもそもショックな理由に平均寿命なんて要素はあんまり関係ないし >>69
出身の者だがもうゴーストタウンみたいになってるわ 22才の別れのイントロを考えたのは石川鷹彦(本人談)
しかし三階建の詩では編曲者は瀬尾一三の表記 22才の別れ「17本目からは〜5年の月日が」
南こうせつ「17、18、19、20、21、21!あれ正やん6年じゃないの?」 そういうのはよくあるよ
例えばかまやつさんの我が良き友よ
あれも編曲クレジットは瀬尾だが
イントロのフレーズはスタジオで高中が出したフレーズ パソコン開いて、wメディアプレーヤー
大量に認めている、昼間から飲み始め
最初の曲が旅の午後なんだよな
今でも、何故か
合掌 >>99
お前はクレバーじゃないからみんなに迷惑かける前に死んだ方がいいぞ 風は、二人のバランスが絶妙によかったね。
それで1枚のアルバムの完成度が上がってたと思う。
素敵な音楽をありがとう(-∧-)合掌・・・ >>177
拓郎の家に遊びに来たムッシュができたばかりの我が良き友よの用紙を勝手に持ち出して拓郎が気付いた時にはレコーディングされてたらしい ワクチンは関係ないワクチンは関係ないワクチンは関係ない >>158 20歳とか21歳とか、なんなら19歳とかでも女性に見合い話が舞い込んできて
ガチ婚活って、70年代の空気だな
20代後半でも、未婚女は行き遅れとかオールドミスとか陰口叩かれてた感じあったもんね 偉い頭のいい人じゃん、薬剤師をやってたって事はパンドを中断してから薬学部で勉強したのかな。 >>158
彼氏は安保反対でデモに夢中で就職せず、一流企業に就職した彼の友達と結婚。 >>157
そうそう!この二曲の流れで何か盛り上がった思い出
10代で手首に傷を作って二十歳でいい人と巡りあえたのに、22歳でその人の知らないところへ嫁に行くのかあ…みたいなw
>>184
80年代最初の頃も20代後半は売れ残りのオールドミス扱い、25歳はクリスマスケーキって言われてた 世代じゃないのに何でかこの22才の別れって曲知ってんだよな
しかも小学生の頃の記憶としてな
1975年なんて小2だしレコード聴いた覚えもない
なごり雪とかこれとか知らんうちに刷り込まれてる フォークからニューミュージックへの過渡期、デュオが流行ってたな〜
風、ふきのとう、とんぼちゃん、ちゃんちゃこ、あとはグレープやあのねのねもありっちゃありかな
この頃はコードが簡単でよかった 相方の方が才能あるデュオって辛いだろうなと思ってたけど
薬剤師の方が勝ち組とも思えるな >>197
>チンペイさんと谷村さんと
堀内、矢沢「え…(´・ω・`)」 3枚目からフォーク色からポップ色強くなったけど、この頃からは伊勢より大久保氏の方がメロディメイクには非凡なものを感じたな。 大久保さん薬剤師だったんだ
普通の暮らしもできて良かったな >>183
当時は二中のイメージを引き摺ったバリバリの進学校だろうね >>190
>ちゃんちゃこ
初めて知った“ふきのとう”と“とんぼ”は今でも聴いているけど くボヤんは、風時代は正ヤンの
オマケみたいに言われた時期もあった
けど、海風以降はくぼやんの評価は
高まったと記憶している。
トパーズ色の街は、らしかるぬ笑
失礼、しゃれた空間を感じたな。 しょうやんの弟分かと思ってたら2歳も年上だった
のが驚き まあしょうやんの金魚のフンくらいにしか思われてないのが哀しいね 一発屋でも無いし
ジローズの片方はラジオ関西の役員にまでなってたけど >>197
アリスは2年前からラジオのヤンタンやってるよ
矢沢透はナベプロでザ・ピーナッツのバックやってた
バンドマン 結成時は唯一の芸能人だった >>190
あのねのね72年 ブレイク 拓郎陽水と同時期だよ
風は75年以降だからブームが去ってからのコンビ
浜省がソロになったのもその頃 バンバンのもう1人はリードギター弾いてて目立ってたよ
いちご白書の頃 記事の冒頭にあがってる曲を聞いてみたが、いい曲だな
似た曲にも馴染みがないのに、この感情はどこで刷り込まれたのだろうか こういうの好きなら この前にしょうやんがやてた
かぐや姫のアルバム聞けばいいよ
三階建の詩 かぐや姫live かぐや姫さあど かぐや姫はね
意外とファンキーつうかねビートが効いている
これは時代の音なんだよな
これが聞いてない人にはわからない かぐや姫も最初のうちは南こうせつが完全に主導権握っていて曲も作っていたみたいだね >>137
コロナなら公表されるからワクチンだろうな 18才からずるずる付き合った彼氏に見切りをつけて、
もう22才だし見合いで結婚するわあ〜って歌だよね。
25過ぎると、売れ残りのクリスマスケーキと言われた時代 旅の午後の「そしてあなたのやわらかな耳朶に午後の陽ざしが透き徹ってとてもきれいに見える」
の歌詞は最高だと思う。 70年代初頭は同棲時代 非婚が流行りだしたので22歳の別れはアナクロな旧世代の価値観なんだよ 拓郎の
結婚しようよ 我が良き友よもアンチ進歩主義で逆に
保守派に受けた。 どこかで読んだんだが
全共闘の「我々は」が負けて内向きの個人の時代になって「私は」の歌になったとあった 私小説的フォーク71年の遠藤賢司あたりからですね カレーライスで三島由紀夫をおちょくってる
岡林信康が71年の夏のフォークジャンボリー以降隠遁生活に入ったから入れ替わりでミーハーフォークが流行った
拓郎 かぐや姫もその流れ 「僕のエピローグ」作曲した人だな。ちな作詞は吉田拓郎 72年拓郎がブレイクした時 岡林ファンからブーイングされたのは有名なエピソード 岡林はもうシーンにいなかったけど政治的なものをフォークに求める客がいて >>225
遠藤賢司のカレーライスと井上陽水の傘がないって
社会のことなんかより今日の自分の些細な事の方が大事という内容で似ているんだよな
どっちが先かは知らないが 実際には68年頃からコミックフォーク 抒情派フォーク カレッジフォーク プロテストフォーク 色んなものが乱立してて一方で芸能界では華やかなGSブームがあって
それに安保闘争世代のファン団塊世代が絡んでて実際には69年で大規模なデモなど終わってるのだけどファンの方がしばらく引きずってて70年代前期までライブ会場でクダ巻いてた
70年にデビューした拓郎や71年のかぐや姫(こうせつ伊勢正三)などはポスト全共闘のヒーローになった。 ラジオ坂崎幸之助 @NACK5 2021年9月17日(金) 21:00〜
風 トパーズ色の街
2021年9月17日(金) 21:14
猫 カラフルな君
2021年9月17日(金) 21:22
序盤はほぼ大久保さん追悼だった 「いちご白書をもう一度」もだけど大学を卒業する22歳というのは人生のターニングポイントなんだろな >>230
井上陽水の傘が無いについて
これは陽水個人の些細な事の歌ではないよ
最近、日本文学研究者のロバートキャンベルが井上陽水英訳詞集を出した。
「傘がない」のタイトルを当初「I've got no umbrella」としたところ
陽水から「No Umbrella」にしてくれとダメ出しされたそうだ
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoFm_EeakAGf4gw/
>唯一「『傘がない』のタイトルは『I’ve got no umbrella』ではダメです。
>これは『No umbrella』にしてもらいたい」って、けっこう命令形に近い感じ(笑)。
>なぜかって言うと、「この『傘』は『俺の傘』じゃない。
>井上陽水の傘ではないし、歌ってる人の傘ではない。
>『みんなの傘』じゃないといけない」っていう風に言われたんですね。
>「『傘』とは、誰にとっても大事なものだ」と。
>それは平和であったり、いろいろなことであったり。
>一人称はこれを壊してしまうから、「止めてくれよ」って言われたんです。 >>233
ボブディランはそういう反戦フォークの教祖に祭り上げられ、政治に利用されるのにうんざりして
66年ごろにはもう関わるのをやめたからな
ディランも裏切者扱いされて大変だったようだが ボブ・ディランと岡林信康はその時々に興味が有ることだけやってきたな
吉田拓郎は常に売れ線狙いでフォーライフの頃は歌謡曲のカバーアルバムとか出してたな 拓郎のソニー時代は72-74なのでニューミュージックという
呼び名もなかったです
ユーミンがあの日に帰りたいでブレイクした75年以降
定着した 音楽的には洋楽風アレンジの歌謡曲です。 75年と言うと
ユーミンあの日に帰りたい
アリス 今はもう誰も
オフコース 眠れぬ夜
等がヒット もはやフォークのジャンルに入らないということで
自作自演系jポップスの呼称としてニューミュージックと呼ばれた。 1975年 シングル売上
1 昭和枯れすゝき さくらと一郎
2 シクラメンのかほり 布施明
3 想い出まくら 小坂恭子
4 時の過ぎゆくままに 沢田研二
5 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
6 ロマンス 岩崎宏美
7 22才の別れ 風
8 心のこり 細川たかし
9 我が良き友よ かまやつひろし
10 冬の色 山口百恵 >>147
みんな平均的な人生歩めないんだが。
みんな平均年齢まで生きれるわけないんだが。
平均寿命近くまで生きればそれで
納得なのか?
全てには終わりがあり、寿命はその人その人で違う。
こんなフォークソング聞いてた爺さんは宗教も否定してた共産主義かな? >>245
あらこんなとこにいたの?
さあ病院に戻りましょうね >>242
ニューミュージックマガジンってのが1969年に創刊されてるから
呼び名自体はあったんじゃないの
ジャンルとしてのニューミュージックとどう関係があるのかはわからないが >>244
10位の百恵ちゃんの曲だけわからん
43歳 >>248
あなたかーら許されーた口紅の色はぁ
(たぶん) >>242
まだそんなこと言ってるのか
ニューミュージックという言葉は1973年から 73年ならまだフォークと言われてたよ
メディアも雑誌もジャンルとしてニューミュージックなんて言わない
拓郎の襟裳岬も森進一がフォークを歌うと話題になった
それが定着するのが75年以降
丸山圭子どうぞこのままが1976年 >>252
なんで嘘書くの
ニューミュージックという語句は猫から使われてるのはわかってるし
本田路津子のアルバムタイトルにもずばり使われてる。
嘘ばかり言うのやめてもらえますか ニューミュージックはユーミンを売り出すときに作った言葉じゃなかったか >>253
その時期ではその呼称は一般化してないと言ってるのです。
売れてないアーチストがそう呼ばれてたというのは関係ない >>255
あなたが無知だっただけじゃん
自分の無知とすりかえないでくださいね
みっともないですよ このスレの人なら知ってるかなあ?
海風の「おそかれはやかれ」は
つい最近までインストルメンタルverが
テレビのBGMによく使われてたけど
あれは誰が演奏してたんだろう?
ずっと気になってる。 >>256
いいえ リアルタイムで知ってるので後追いの又聞きではないですよ
73年ならニューミュージックなどと呼ばれているアーチスト群は居ません 75-76年以降です。 22才の別れの歌詞がよく分からん
好きだけど将来性ない男を切って、将来性ある男と見合いして出てく話? >>260
しつこいですねw
無知じじい恥ずかしいw >>261
そんなところです
売れないミュージシャンと長年一緒に住んでいて
見切りをつけて地方の実家が薦める公務員と結婚する為に明日黙って出て行く
私のイメージはそんな感じです ニューミュージックって「これが最後、今度こそ最後」詐欺を繰り返して
未だにやってる見苦しい老害バンド チューリップ辺りから言われ始めた >>261
当時女性は20〜24歳頃にはお見合いで親や仲人の薦める相手と
結婚するのが一般的だったからな
しかもそれは強制力を伴うものも多かった。
恋愛派はまだ少数でいろいろとハードル高かった。 >>244
22才の別れは、かぐや姫と風のテイクはほぼ同じアレンジなので
三階建の詩やかぐや姫フォーエバーの前に発売していたらシングルは確実にもっと売れていた 君と歩いた青春は、22才の別れを男側からの視点で描いているのでは?と思ったことがある 22才の別れ でギターコード難しく弾けるかで挫折してしまった中学時代
谷村新司のアリスもこの頃なのに遅咲きやなと思った コード難しいってオリジナルキーをカポなしで弾こうとしたのか? お元気かね
22歳の別れのイントロは石川さんだっけね ソロになってからも伊勢はいいよな
ほんの短い夏ささいなこと 70年代、22歳ころに結婚した女どもがその後80年代に「金妻ブーム」で不倫しまくると思うともうなんだかなぁw
結婚が「ゴール」と言う幻想はバブルとともに死んだんだよなw >>270
脳梗塞で倒れてからお休みしてるね。
拓郎とかは時々電話で話したりはしてるとか。
写真とかの姿が出たのは2019年にイルカのコンサートを尋ねたのが最後かな?
http://www.iruka-office.co.jp/2019/07/24/DSC06903-1.jpg 石川さんお元気そうで何より
脳梗塞だと指動かないかもしれないけど
こうして時々顔見せてほしい >>241
ニューミュージックと呼ぶかどうかはともかく、
CBSソニーでの最初のアルバム「元気です。」に長々としたメッセージカードがついていて
「フォークソングほど不自由な音楽はない」とか訴えてたな。 >>268
そうか?ビートルズのラブーミードゥを少し改造しただけやないかい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています