【話題】「米アニメーション界から宮崎駿が出ない理由」 米学生アカデミー賞ファイナリストの日本人が語る [muffin★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86641
「学生アカデミー賞」という賞をご存知だろうか。アメリカのアカデミー賞が主催する、学生版のオスカーで、過去の受賞者の方々の中にはピクサーで数々の作品を監督しているピート・ドクター監督や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のロバー ト・ゼメキス監督など、そうそうたる顔ぶれが名を連ねる。この学生アカデミー賞のアニメ部門ファイナリスト、中学を出て単身アメリカに渡った日本人女性23歳の田村鞠果さん。5月に大学を卒業をしたばかりで、10月の授賞結果を待つ田村さんにアメリカのアニメ界のこと、アメリカ作品と宮崎駿作品、細田守作品との違いを現地でどのように捉えられているかなどをインタビューで伺った。
抜粋
田村さんによると、やはりアメリカでも宮崎作品、細田作品の人気は根強いという。
――アメリカで気づいたのは、日本のアニメファンの多さです。自分の周りにも日本アニメが大好きな人たちが多く、日本アニメは海外の人にも沢山のインスピレーションを与えているんだということを実感しました。その中でも宮崎監督や細田監督の描く独特な世界観は沢山の人を惹きつけています。宮崎監督と細田監督作品のどちらからも感じるのが、「物語の全てのからくりを説明する必要はない」という姿勢です。起承転結はあるものの、お二人の作品には上に挙げたように、不思議さや曖昧さ、解釈の余地があります。そして、物語や世界観にそれぞれの監督の個性が色濃く出ているように思います。これはアメリカのアニメ作品との大きな違いだと感じます。
――アニメが大好きな友人達と一緒に、アメリカと日本のアニメの違いについて話すこともあります。その中で気づいたことは、アメリカのアニメ映画の世界観はとても綿密に作り込まれているものの、コンセプトはシンプルで簡潔なものが多いということです。例えば、『トイストーリー』なら、「もしおもちゃが本当に動いていたら?」ですし、『アナと雪の女王』は有名な童話「雪の女王」をモチーフにしています。しかし、宮崎監督や細田監督の作り出す世界は、ひと言では表せない、それぞれの監督達の「ワールド」があります。例えば『千と千尋の神隠し』には神様もいれば動物、龍もいて、形容し難いにもかかわらず、私たちはその世界を目の当たりにすれば夢中になります。常に主人公に焦点をおいて物語がどんどん進んでいくアメリカのアニメ映画に比べ、日本のアニメ映画は「監督達の描いた世界観に浸る」という楽しみ方ができるのではないかなと感じます。その独特な世界観が、海外でもファンの多い理由の一つだと思います。
この「シンプルで簡潔なもの」を求めるアメリカのアニメーションは、アメリカのアニメ界で宮崎監督や細田監督のような存在が出にくい大きな理由ではないかと田村さんは言う。
――私の思うアメリカと日本のアニメ作品の大きな違いは、日本アニメは「宮崎駿作品、細田守作品」など監督名で知られるのに対し、海外アニメは「ディズニー、ピクサー作品」などスタジオ名で知られるということです。もちろん、ジブリという名はひとつ通っているものですが、「スタジオジブリ作品」と聞くと、宮崎監督か故・高畑勲監督という個人を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。私なりにその理由を考察してみると、大きな理由の一つとして、アメリカのアニメ映画では「物語の分かりやすさ」が日本のアニメより重要視されていることにあると思います。物語を誰にでもわかりやすくするために、ディズニーやピクサーでは「ブレイントラスト」という会議があります。この会議では、他の作品を担当した監督や脚本家が集まり、作品のストーリーやメッセージが見る人に伝わるのか、そもそも観客の感情を引き出す物語か、平凡な話になっていないか、など正直な意見をぶつけて徹底的に話し合い、その結果監督の元のアイデアが大幅に変わることも多くあるといいます。
――そして監督は、その意見を受け止めてアイデアを練り直しつつ、自分のビジョンも守っていく、という作業が必要になります。そのため、いくら監督とはいえ、アメリカのアニメではその監督の個性が前面に出ることは日本に比べて少なくなるのだと考えます。また、アメリカのスタジオでは監督が作品ごとに変わることが多くあります。そのため、一人の監督がスタジオのブランドを確立することがないのです。どちらが正解、というのではもちろんありません。実際に、私はどちらの作品も大好きで、常にインスピレーションをもらっていますし、それぞれの強みがあると感じます。アメリカのスタジオのシステムの良いところは、沢山の人が監督になるチャンスがあり、それにより常に違った視点から物語が作られることだと思います。
全文はソースをご覧ください 分業か一人のオナニーをみんなで介助するかの違いじゃねえの?知らんけど >細田監督の最新作、『竜とそばかすの姫』は残念ながらまだアメリカでは見られないのですが、こちらでも冬に公開ということでとても楽しみにしています。 日本の場合先に漫画描いて描いた本人がそのままアニメ作るみたいなのが出発点なのもあるのかな。
手塚治虫、宮崎駿、大友克洋 ハリウッド自体が一部の監督除いて、監督なんて誰でも良いシステムになってるやん アメリカは映画があるだろが
アニメ映画は格が下
同等だと思ってるのは日本人だけ 米アニメってキャラクターデザインがキモいから
いまいち好きになれない。キャラクターデザインのセンスなさすぎ。 そりゃアメリカではロリコンもケモナーも忌避対象だろ
その時点でアメリカに宮崎駿は現れない みんな手塚治虫が原点だからな
手塚治虫の名前が出てこない時点でよくわかってない
その手塚治虫の源流はもちろんディズニーだ
そこもわかってない youtubeでアメリカの書店の漫画コーナーは日本の漫画だらけってやってたけど本当なの? 実写映画でやるようなことをアニメでやってるってだけですね 洋ゲーやってると
naruto
sasuke
というワードを含んだユーザーの多い事
人気あるんだなだあ >>15
今は日本のスタジオにスターウォーズのスピンオフアニメ作らせてるんだから面白いよね 海外で人気とかいう記事が多く出る宮崎駿が細田よりも
新海の方が英語の称賛コメントが多い 国民性からすると逆だよねw
アメリカ人の方が「俺に従え!」てなりそうなのに >>1
>それぞれの監督達の「ワールド」があります。例えば『千と千尋の神隠し』には神様もいれば動物、龍もいて、形容し難い
これはこいつの主観でしかないし、こいつが無学でパヤオの元ネタを知らないだけじゃん
普通に古代中国の古典読んでればあれの元ネタがどこにあるかわかるし
ラフカディオ・ハーンが英語で翻訳して世界に紹介してるからな
パヤオは元ネタが現代の作品の場合は原作者に許可を受けた上で映画化してるよ 日本のアニメの多くは、性的コンプレックスの表現の場となってしまった
それは、その原点である手塚治虫が多分ゲイだったからだ
それがロリコンの宮崎駿ら多くの青年に影響を与え、またそこから多くの若者に影響を与えていった
ゲイだのロリコンだの性的コンプレックスが核にあるから、わかりやすい内容ではなく
何となくおぼろげな世界観が作られていく いやアメリカは、というか世界中はDBだろう
鳥山明を知らないアニメ漫画ファンはいない 宮崎って動きが面白ければ何でもいいんだよね
思想は共産党だけどそれが作品には反映されてない
高畑勲とはそこが違う
大江健三郎に近いかもね それぞれの国にエンタメの天才がいていいじゃん?
得意不得意あるし
日本は昔から構図がとにかくかっこいい
漫画アニメ(止め絵から作る系)は得意なのはかっこいい構図作れるおかげ?
あと隙あらばリアルじゃない方向に行きたがる習性?
あちらは隙あらばリアルに寄せたがる 90年代のディズニーアニメが好きだな。
第二の全盛期と言っていい。
美女と野獣、アラジン、ライオンキング、ノートルダムの鐘と
出す作品全てがヒットした。
2000年以降はどれもいまいちなんだよな。
2Dセルアニメが終わって3DCGアニメになったってこともあるし。 逆にじぶんは宮崎駿はあまり評価しないが
おなじ部分だとおもうが
練りに練って出来上がったわけではなくいきあたりばったり感があるだろ?
作ってる途中でシナリオ変更するのはいいんだが
展開の読めないような変化の仕方してくるだろ? >>28
アメリカはアメコミ文化だし
バットマンからスターウォーズに至るまで
作家の世界観はちゃんとあるよ
>>1は何も知らない学生が思いつきで喋ってるだけの駄文 宮崎駿は手塚治虫とはちがうとおもうぞ
手塚に敵対心をもちつづけた結果、いまのスタイルになったんだとおもうが
手塚治虫に神の手を見た、ので決別したみたいな事いってたはず 宮崎駿や富野由悠季や押井守
ここらの世代は
アニメよりもアメリカの実写映画の影響を受けて物を作ってきた もうずいぶん前からやれる事やり尽くした出涸らし感。 >>26
宮崎駿といえば他人の作品を平気でパクりまくることで知られていた
スーパーマンややぶにらみの暴君などからのパクリがよく知られている
その後水面下で和解するなどしているはずだ ジョン・ラセターの方が世界的評価もマーケティング評価も高いでしょう
日本のアニメをありがたがってるのは向こうのマニアだけなのを認識しろ 日本のアニメでもTVシリーズの監督は
作家性押し付けたりしない職人だろ。
特に最近の日本のアニメは原作物ばっかりでオリジナルがないから
余計に作家性は出せない。 アメリカのアニメは娯楽映画だけど
日本はマンガ原作のテレビアニメ劇場アニメがたくさんあって
その部分は娯楽映画に近いんじゃないかな
それと差別化する意味で、宮崎とか細田は
映像表現と作家性にこだわる文芸映画風になる 久石譲の音楽が良いだけでぶっちゃけ世界的にこうだからな
不思議の国のアリス>>>千と千尋 >>39
やぶにらみの暴君ってフランスのアニメの「王と鳥」だろ
巨大ロボットが出てきて城をぶっ壊したりラピュタを彷彿とさせる古典
ジブリ好きならジブリ博物館でポスター見て皆知ってる話
宮崎駿がナウシカを描き始める前には
ホドロフスキーのデューンが企画されていたから
ルーカスもあれを知ってスターウォーズを作った
>>1の学生はアメリカに行っただけで本当に何も知らないんだよ 宮崎 駿 『出発点―1979〜1996』
手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と訣別した
まずぼくが手塚さんの影響を強くうけたという事実がある。小中学生のころのぼくは、まんがの中では彼の作品が一番好きでした。
それから、十八歳を過ぎて自分でまんがを描かなくてはならないと思ったときに、自分に染み込んでいる手塚さんの影響をどうやってこそぎ落とすか、ということが大変な重荷になりました。
ぼくは全然真似した覚えはないし実際似ていないんだけど、描いたものが手塚さんに似てると言われました。それは非常に屈辱感があったんです。
模写から入ればいいと言う人もいるけどぼくは、それではいけないと思い込んでいた。
本当に抜け出せたのは、東映動画に入ってからですね。二十三、四歳です。
これは先輩から聞いた話ですが、「西遊記」の製作に手塚さんが参加していたときに、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。
けれどなぜその猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知ったときに、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。
そのあと、アニメーションに対して彼がやったことは何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います。
アニメーションに関してはーーこれだけはぼくが言う権利と幾ばくかの義務があると思うので言いますが
これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張してきたことというのは、みんな間違いです。
なぜそういう不幸なことがおこったかと言えば、手塚さんの初期のまんがをみればわかるように、彼の出発がディズニーだったからだと思います。
日本には彼の教師となる人はいなかった。初期のものなどほとんど全くの模写なんです。
そこに彼は独自のストーリー性を持ち込んだ。持ち込んだけど、世界そのものはディズニーにものすごく影響されたまま作られた。
結局、おじいさんを超えることはできないという劣等感が彼の中にずっと残っていたんだと思います。
だから、「ファンタジア」を超えなきゃいけないとか「ピノキオ」を超えなきゃいけないとか、そういう強迫観念からずっと逃れられなかったとしか思えないーーぼくなりに解釈すれば。
https://flying-fantasy-garden.blogspot.com/2016/06/blog-post_20.html マニアが新たを作って来たのが文化
らせたー?
死んでる文化だし
かなりの子供以外に通じないゴミ作品ばっかw >>28
鳥山明は性的コンプレックスが感じられないから、単純な子供向けで分かりやすい作品になるんだろ ピクサー作品大好きだけどアメリカのって善と悪がはっきりしてて悪人は最後に容赦なく殺すよね >>40
米じゃ名前すら出しちゃダメな人物になってるよ
評価されてるどころが汚点扱い >>17
政岡憲三だと思うよ
手塚は日本アニメの主流になれなかった 以前アニメ/ゲーム業界にいて今漫画描いてるけどアメリカは完全分業化/システマイズ化してしまったから作家性の高い日本の漫画やアニメの様な作品は作れないよ。 作家性の話か。
たしかにアメリカのアニメで突出した作家性がある作品って少ないな。
土壌の差かね。
日本ほど多様な漫画、ライトノベルの文化無いし。
それを求めてる人が少ないんだろうねえ。 >>1
更には脚本家が一人か、複数かの違いじゃないか?
脚本家が複数いると、個人のこだわりよりも
全体が納得いく「分かりやすい」ものが採用されるんだろうから。
■脚本家の数
千と千尋:1人
トイストーリー:2人〜4人 カーズとかはジョン・ラセターワールド全開らしいよ
宮崎駿もカーズ見て泣いたとか言ってた >>54
ティム・バートンの映画なんて絶対ブレイントラストとかやってないよなw
個性全開だしw
つうかブレイントラストってアニメというかディズニーだけなのかね なんかわかる
ジブリとか子供の頃見終わったらモヤモヤした気持ちになって記憶に残るもん ティム・バートンとかブラッド・バードとか、アニメで実績を上げたらみんな実写の方に行くからでは? >>18
アメコミはポリコレに毒されすぎて読者離れを引き起こした。 アメリカ様の場合は
日本アニメーションのような世界観を
ドラマや映画の実写で実現できてしまうから日本のようなアニメーションにこだわる必要がない いやむしろ、映画はこのように作るべきだろ
宮崎駿はなんでも一人でやってるだろ?
いきあたりばったりで作ってるかと?
途中まで作ってから破棄して作り直しとかもしてるかと?
私なりにその理由を考察してみると、・・・ディズニーやピクサーでは「ブレイントラスト」という会議があります。
この会議では、他の作品を担当した監督や脚本家が集まり、作品のストーリーやメッセージが見る人に伝わるのか、
そもそも観客の感情を引き出す物語か、平凡な話になっていないか、など正直な意見をぶつけて徹底的に話し合い、その結果監督の元のアイデアが大幅に変わることも多くあるといいます。 >>50
ルネサンスの画家に例えると
駿=ダヴィンチ
富野=ミケランジェロ
押井=ボッティチェリ
庵野=ラファエロ 仕組みの差もありそう
漫画雑誌があって、個々の作家が評価される日本と
産業化してしまったアメコミ
たくさんのアニメがあって、たくさんのクリエーターがいる日本と
そうでもないアメリカ
テレビ網がしっかりあってテレビと組めば、大規模動員でき、大規模作品をつくる余地がある日本と
いくつかのアニメスタジオに集中してるアメリカ アメリカのアニメは日本のアニメを揶揄してるところあるけど滑ってるからね >>29
思想はそうだけど軍事オタクでもあるのがクリエーターの業の深さw
風立ちぬなんて宮崎の趣味まんま。引退宣言したあとの作品だから鈴木Pも作らせてあげたんだろう。 >>67
巨大なセット
豪勢なロケ
手の込んだCG
日本ではアニメでやるものが実写化されることも多いかもね 最近のディズニーなんか日本のアニメパクりまくりなんだけど
それについてはなにも言わんな >>71
アメリカ人はなんで漫画を書く人が少ないのかな?
あんなに面白くて自由で一人でもできるエンタメはないのに。
世界では日本以外ではマイナーだという事実を認識するたびに不思議に思う。 ルネサンスの画家に例えると
駿=ダヴィンチ
富野=ミケランジェロ
押井=ボッティチェリ
庵野=ラファエロ ピクサーの作品って分かりやすいし伏線も綺麗に回収してるけどあまりにも綺麗すぎて監督の主張が失われているんだよな
多分ブレイントラストで色んな人の意見が入りすぎているんだろう
宮崎駿みたいに分かりにくいけど面白いって作品は絶対に無理だろうな 作家性となると海外じゃアートに行っちゃうからな。
エンタメと作家性の両立ができない。
日本は形だけ子供向けでありさえすれば内容はかなり自由って時代があったから。 アメリカは音楽でもそうだよ。複数の人が作曲して組み合わせて作っている。会議で色々議論して。
だから消費者に売れる音楽が作れる。
日本はアーティストやプロデューサーのオナニーが多いからヘンテコでレベルの低い曲が
量産されてる。 >>6
あれ、ワザと上級国民のサイコパスにしたらしいぞ アニメだけの問題ではなく、監督の権力、絶対性が強いだけかと?
日本でもアニメ映画以外だと、監督が独走できることは少ない気はするが
宮崎監督と細田監督作品のどちらからも感じるのが、「物語の全てのからくりを説明する必要はない」という姿勢です。
そして、物語や世界観にそれぞれの監督の個性が色濃く出ているように思います。
その中で気づいたことは、アメリカのアニメ映画の世界観はとても綿密に作り込まれているものの、コンセプトはシンプルで簡潔なものが多いということです。
しかし、宮崎監督や細田監督の作り出す世界は、ひと言では表せない、それぞれの監督達の「ワールド」があります。
例えば『千と千尋の神隠し』には神様もいれば動物、龍もいて、形容し難いにもかかわらず、私たちはその世界を目の当たりにすれば夢中になります。 ディズニーピクサーって大勢で寄ってたかって作って
試写会をして大勢に見せてアンケート取って
印象が悪かったところや不評なところはどんどん直していく作り方なんだよな
そしたら大勢の人たちに不満はない作品にはなるが
同じような綺麗な大衆迎合の映画になっていく
ハリウッドの監督も本当は自由に作りたいって言ってる 漫画なんかも漫画家個人じゃなくてスタジオ制にしたほうがいいな AKIRAと押井の攻殻機動隊はハリウッドのどの映画よりも面白いだろ。 アニメーターって、大人の男としての自分に自信がないから、少年じゃなかったから、少女か大人の女に自己投影してる気がする。
それが爺さんになるまで続くんだから、ある意味スゴいわ。
宮崎アニメなんて、自分が小学生の頃から「まぁ、これはおっさんが作った少女だしな」って思ってたし、あのアニメの強い女像ってホントおっさんのためのものって感じ。 一人に集中するとベルセルクやハンターハンターみたいになってしまう >>85
みんなの意見を聞きまくるとか傑作は作りにくそうだよな 宮崎駿は一人で作って末端を弟子らがやってるだけかと?
肝心なところは監督がすべてやってるので弟子らが経験つめずに後継者が育たないのかと? 日本人の作る実写作品やアニメは物語のプロットが破綻して辻褄が合わなくてもあまり気に
しないことが多いのではないでしょうか?カリオストロの城は面白いけどルパン三世の行動
や言動は一致しない。それでも楽しいアニメで心を奪われます。 >>91
岩田って金田以外アタリ役ないな
今ザボエラだっけ アメリカは敗者の歴史が少ないからな。ベトナムや中東で上手く行かなかったくらい 中国のアニメは日本的なんだけど全く勢いが無く同じ様な展開が永遠に続く >米アニメーション界から宮崎駿が出ない理由
ウォルト・ディズニーだけで
日本のアニメ界が束になっても敵わんと思うが >>78
マンガは子供のものみたいな空気があるのかな
そうなると読者は増えない
出版社も扱わない
そういう業界ができあがってなければ
そういう仕事をしようという発想がうまれない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています