(21日、高校野球選手権大会 日本航空5-3新田)

 塚田甲子郎という名前の五番打者がこの日、甲子園をわかせた。

 五回裏、好機で打席が回ってきた。1回戦は無安打で、自分のスイングを心がけて練習してきた。「絶対打ってやろう」と打席に入った。高めに浮いたスライダーをとらえた。二遊間をゴロで抜け、二塁走者が生還して4点目。決勝点だった。四回裏にも左前安打を放ち、2安打の活躍を見せた。

 その息子の姿をスタンドから父の淳さん(49)が見守っていた。淳さんは瀬田工(滋賀)の元球児。3年時の1989年、滋賀大会準々決勝で近江に敗れた。その後、「甲子園に行ってほしい」との思いを込め、息子に名前を与えた。

 そんな願いを受け、小学2年から野球を始めた。周囲からは「甲子郎だから甲子園行かなあかんで」とよく言われた。淳さんが仕事を終えて帰宅すると、自宅の13階のマンションの階段を10往復走ったり、部屋のたたみがすりきれるほど素振りなどをしたり。父の特訓が日課だった。

 日本航空での寮生活が始まってからは、淳さんは毎日欠かさずLINEで一言送る。淳さんに対する口数は多くはないが、父からのLINEは励みになった。

 新田(愛媛)との2回戦を迎えた21日朝、「がんばれよ」と淳さんからLINEが来た。「打てるように頑張るわ」と返信。その言葉通りになった。次戦でも父への感謝をプレーで見せようと思う。

 自分の名前について、小学校のときは恥ずかしさもあったという。だが、甲子園出場が決まると「もう恥ずかしくないですね」と笑みをこぼした。

 淳さんは試合後、「名前のプレッシャーもあったかもしれない」と言いながらも「精いっぱい努力してきたので、1本出てよかった」と安堵(あんど)した様子。でも息子に褒める言葉はかけないつもりだ。「気が緩むとあかんから」

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8/22(日) 7:35 朝日新聞
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