0001チュー太郎 ★
2021/08/18(水) 00:12:44.74ID:CAP_USER92021/08/16 16:35AERA dot.
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69歳で亡くなった、鍜治真起さん(c)朝日新聞社
(AERA dot.)
9×9の正方形の枠に、ひと桁の数字を埋めていく世界的な人気パズル「数独」の名付け親で、
パズル出版社「ニコリ」前社長の鍜治真起さんが10日、胆管がんのため都内の自宅で死去した。69歳。16日、同社が発表した。葬儀は近親者ですでに行なっており、後日、お別れの会を開く予定だという。
1980年に、友人たちと日本初となるパズル専門誌「パズル通信ニコリ」を創刊。
雑誌が提供するパズルを解くだけではなく、読者が自分で考えたパズルの投稿もできる「読者参加型」の雑誌だった。
その後、83年に株式会社ニコリを立ち上げ、社長に就任した。
いまや世界でも「SUDOKU」として定着し、2億人以上が楽しんでいるとされる数独。鍜治さんが日本で世に出したのは84年ごろのことだ。
■「数独」名前の由来
9×9の正方形の枠に、3列3段のブロックがあり、1から9までの数字を重複しないように埋めていくシンプルなパズルだが、もとはアメリカの雑誌に掲載されていた「ナンバープレイス」というパズルだった。これを鍜治さんが見つけ、雑誌で紹介した形だ。
ひと桁の数字で、さらに重複しないことから「シングル…独身」などと発想を広げ「数字は独身に限る」という風変わりな名前を付けた。その後、略されるようになり「数独」の呼び名が定着した。
国内で人気を広げていった数独だが、先に爆発的なブームが起きたのは海外だった。
きっかけは2004年に、数独が大好きだったニュージーランド人がイギリスを代表する新聞社「タイムズ」に自分で考えた数独を持ち込んだこと。
紙面で「SUDOKU」として取りあげられると、その面白さから一躍、欧米で人気となった。その後、06年に“逆輸入”される形で日本でも人気に火がついた。
2006年の「ニューズウィーク日本版」で「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた鍜治さん。数独以外にも数多くのパズルを発表し続けた。
海外では「Godfather of Sudoku(数独の父)」と呼ばれることもあり、世界中を渡り歩いて数独やパズルの面白さを伝え続けた。
同社によると鍜治さんは晩年、「『数独の父』では死にたくない。死んだときに『日本でパズルというジャンルを確立させた』と書かれたい。
今死ぬと『数独の父』になってしまうから、もっとパズルの楽しさを広めたい」と、パズル普及へのさらなる意欲を語っていたという。
■世界中にパズルの面白さ
40年近く続けてきた社長業を、今年7月末で退任し、後進に道を譲っていた。
安福良直・ニコリ代表取締役社長は、
「鍜治さんは数独ブームのおかげで、『Godfather of Sudoku』と呼ばれ、世界中を駆け回る日々が数年続きました。
外国語は話せずとも、だれとでも打ち解けてしまう性格で世界中に友人を作り、行く先々でパズルの面白さを広めました。
鍜治さんは、『ニコリのパズルを世界に広げる』ことを目標に掲げ、まだ新しいパズルビジネスを発展させることを夢見ていました。
これらの可能性を追い求め、広げていくことが、私たちの使命と考えております」
と、コメントした。
パズルをどこまでも愛し、世界中にその楽しさを伝えて、鍜治さんは旅立った。
(AERA dot.編集部・國府田英之)
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ニコリ https://www.nikoli.co.jp/ja/