【芸能】タモリの司会起用に周囲は「猛反対の嵐」…それでも『笑っていいとも!』が大成功した“決定的理由”とは [吸湿性守口CEO★]
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学費未納で抹席処分となり、叔父に連れ戻される形で地元・福岡へと戻っていたタモリが二度目の上京を果たすのは1975年のことだった。『笑っていいとも!』の初回放送は1982年。この間の7年強、タモリはどのように過ごし、どのようにお昼の帯番組の司会者という名誉ある仕事を勝ち取ったのだろうか。
社会学者の太田省一氏の著書『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)の一部を抜粋し、芸人としての活躍の足跡を振り返る。
(中略)
そこに一大転機がやってくる。フジテレビ『笑っていいとも!』のメイン司会に起用されたのである。1982年のことだった。
タモリは「恐怖の密室芸人」として、大学生など若者を中心に絶大な人気を博していた。だが、お昼の12時からの番組となると、視聴者は主婦層が中心である。その時間帯の番組では、各局とも品行方正で建前的なことしか言わないタレントやアナウンサーが司会を務めていた。タモリはそれと正反対の存在だったわけで、その起用は、危ぶむような驚きの声で迎えられた。番組プロデューサーだった横澤彪は、「ワースト・タレントの大本命だった」タモリの起用に対して、「猛反対の嵐」が周囲から巻き起こったと述懐している(横澤『犬も歩けばプロデューサー 私的なメディア進化論』)。
しかし案に相違し、『笑っていいとも!』は結局、32年も続く長寿番組となり、日本のお昼を代表するテレビ番組になった。司会を務めたタモリの存在は、この番組を通じて一躍、全国的に知られるようになった。『笑っていいとも!』でタモリは、それまでの毒のある芸風を抑えてうまくお昼という時間帯に適応したとされる。実際、作家の小林信彦もこう指摘する。「タモリは、発想の根本にある〈差別〉を薄め、(中略)「笑っていいとも!」の〈無害な〉司会者として〈成功〉した」
確かにそういう面はあるだろう。しかし、私たちが想像する以上にタモリはずっと変わらなかったと見るべきではないだろうか。言い換えれば、タモリにとって「差別」や「毒」といった要素は、実はそれほど本質的ではなかったのではないか?
※全文はソースで
文春オンライン 8月9日
https://bunshun.jp/articles/-/47467?page=1 タモリ、たけし、さんまのビッグ3は凄いな
みんな好きだわ 笑っていいとも!が終了して
もう、10年も経つのか... まあ昼の顔になってからは、尖った芸は少なくなったな ミュージックステーションで口パクが横行している事実を暴露してください 「タモリ本人」が言ってたが「密室芸」を披露してた当時
「江頭2:50みたいな扱いだった」のよな。
でもまあ、その後出演するには必ずオーディションを受けないと駄目な
「NHK」の番組に出たり、「笑っていいとも!」の司会を長年務めたり
振り幅がすごいよねん。。。。 小田和正はなんで来ちゃったんだけ?
タモリの凄いとこは悪口いいまくった相手をNGにしないとこ 笑っていいともの後がバイキングみたいな不快な番組になるとは
タモリ、マジで帰ってきてくれ、坂上忍を駆逐してくれ 当時のタモリのポジションって今で言うと誰になるんだろう? いいともはいつも滑ってたし嫌われてたよ
毛植えて髪にボリューム出てから本当の意味で大衆に受けられた
あれで明らか流れが変わった つべでうわさのチャンネルとか観ると相当やべえもんな
俺があの頃大人だったら絶対ファンになってたわ レイバンのサングラスしてるタモさんのユンケルの看板が怖かったんです… 同じ構成の番組でタモリじゃなかったとしたらコケてたのかな 最初噂のチャンネルに出てきた時のタモリはイグアナの形態模写とか際物扱いだったのにいつのまにか大御所に 最初は視聴率さんざんだったから、横澤がたけしとかに頼んで出演してもらって田中康夫の首絞めとかやっていたな タモリは、日テレでやってた、今夜は最高!が面白かった。
なんか、ひどい打ち切り方をされて、日テレとは仕事しなくなったらしいね 田代と桑マンはレギュラーになったもののタモリを無視しててすぐクビになったな
彼らはタモリの事が嫌いな志村の派閥だったから タモリさんってすごいと思ったのは赤塚さんの告別式の時の弔事かな 何も書かれてない白紙をもってすらすらと言ってるの たけしが断ってタモリだからな
そして日テレとタモリの関係が悪くなったこともある タモリは中退だったかな?
でも、早稲田に行ってたはず
だから自分は引いて、ゲストをたたせるとか、当たり前のことが出来た
当時の他の芸人は「自分が自分が」で煩くて、しかも面白くないやつが多かった
明石家さんまとか >>24
4か国語麻雀(※藤村有弘のギャグの焼き直し)やラジオで意外にアカデミックな香りを出したこと、
赤塚グループに山下洋輔、坂田明がいてここでスノッブ組に認められたこと、
赤塚不二夫が『お笑いスター誕生!』の審査員を降りてその席に座ったのが全く違和感なかったこと(タモリ「最初は芸歴で先輩の人を俺が審査してたんだよね」)
こんな感じで徐々に茶の間が「慣らされた」感じだったかな >>34
土曜日の深夜はあれが楽しみだったな。
それにしてもそういう背景があったのか。 >>39
さんまも自分じゃなくてゲスト立てるぞ
あいつ基本演出家だからゲストの面白いとこ引っ張り出すのが上手い >>32
んなわけない
『笑っていいとも!』初期で人気コーナーになったのは所ジョージの「所さんの頭ワルいんんじゃないの?!」
タモリはいなくて所が一人でボードにイラストや字を書きながらギャグを披露するコーナー >>41
所ジョージといえばフジテレビだったからな
いいともスタッフと対立して日テレで長寿番組を生み出すことになる いいともの末期はやばかった
惜しむ声があったとか言われてたけど
かなりつまらなくて終わっても仕方ない状態 >>34
なんだかんだタモリさんま鶴瓶とんねるずとかテレビ局とケンカして出禁扱いなってるけどたけしってそういうのないよな タモリが卓球は根暗だとディスったのは有名だけど、そのあと卓球協会に1000万円寄付していたのはあまり知られていない。 笑っていいとも立ち上げに関わっていたプリティ長嶋がタモリの起用に反対していて明石家さんまを推していたよな >>33
最終回で爆問太田がやったのはあれのパロディなんだよな
しかも本人にw
双方ともに「わかる奴だけわかればいい」なスタンスだったと思われ タモリの才能を認めて芸能界に入れた赤塚不二夫と黒柳徹子の慧眼は素晴らしかった >>25
なるほど、昔のタモリ=カズレーザーは割とピンとくるわ 「笑ってる場合ですよ!」から「笑っていいとも!」に移行した時は
漫才ブーム真っ只中だったし、確かに前評判が宜しくなった気がする >>6
そうそう
高田純次とかあの芸風でおふざけばっかりやってたよね テレホンショッキングが最初ガチだったな
だめになったのは志村が理由かねえ 政治の意図が見え透いてる。
バブル期の日本国民を大衆操作の計略にタモリの才能を利用した。
メディア戦略に貢献したから評価される。 笑ってる場合ですよが始まった時は
フジテレビがスゲーこと始めたって思ったが
それが数年で終わるってなって
後の番組は毎日タモリって聞いた時のガッカリ感は半端無かった タモリも22日には76歳の誕生日
元気なタモリをテレビで見られるのもせいぜいあと20年だろうな… >>13
女性が選ぶ嫌いな男一位やったんやろ知的な出川みたいな感じやないか 何にでも噛み付く芸風だったが、この仕事受けた途端に封印した。
千載一遇のチャンスと思ったんだろう。 テレフォンショッキングで小田和正の事は差別してたけどな >>50
惜しむ声はあったよ
終わるって決まってから、どうせもう観てないだろって奴らが大騒ぎしてた 後期が当たり障りなさ過ぎただけで
割と攻めてたような 単に周りがタモリを担いだからだろう
黒柳徹子みたいに1対1でやる方が難しそう > 各局とも品行方正で建前的なことしか言わないタレントやアナウンサーが司会を務めていた。
うそつけ
笑っていいともの前の笑ってる場合ですよの司会はB&Bだぞ
ツービート、紳助竜介、明石家さんまがレギュラーだった タモリ倶楽部とほぼ同時期に始まってるんだよな
タモリが歌わなくなったあたりから全く見てない >>68
「勝ち抜きブス合戦」やってたたけしがいってたのかな?
B&Bがアイドル的だったから観客が夏休みになって低年齢化してなんでもギャハギャハ笑うようになっちゃった
だからたけしは最終回で「お前らなんでも笑いやがってバーカ」と悪態を吐いた
『いいとも!』はその反省をこめて最初から観覧は18歳以上に
それでも当初は客が応募では埋まらないからアルタの下で呼び込んで集めてた タモさんが酔っぱらってゲストの子供泣かせたり客がドン引きしてるやつ
見てみたいわ 笑っていいとも!の前番組は笑ってる場合ですよ!と言って
タモリの足元にも及ばない低能芸人がやってた番組
だからタモリの番組に変わって品格が上がった >>50
だよな、スタジオアルタ行って
芸能人を生で見たいって分にはいいけど、
日本全国に放送するような内容かとは思った。 タモさんが酔っぱらってゲストの子供泣かせたり客がドン引きしてるやつ
見てみたいわ >>4
さんまはあまり好きじゃないな
変なことしか言わないし オリンピックじゃないけどこの頃から吉本興業の芸人使えとかそういう手回しがあったんかな? タモリって笑っていいともにいなくてもいい存在だったろw
宣伝と笑い無しのトークコーナーのつまらなさったらなかった
みんなダウンタウンかさんま目当てで増刊号だけ見てた 後期のマンネリ・つまらなさは半端なかった
タモリもコーナーのボイコットとかやってて
明らかにやる気なかったし 所が出たての頃は師弟関係いうくらい仲良かったのに、いつのまにか互いに無視を決め込んでるような関係だ。 何があったのか知らんが。 タモリを昼の司会に使ったのはものすごいと思う
どう見ても深夜オンリーみたいな雰囲気だったしな
結局、タモリが想像以上に大きかった気がする
教養や知識で誰とでもそれなりに話をして、若い人たちも楽しめるような
雰囲気で飄々とまわしてしまった 当時見てた感覚だと、タモリじゃ格が足りないとか、早すぎるんじゃないとか、そんな印象だった。
深夜番組とかアングラのイメージだったからね。 >>95
そう何故かみんなその事を忘れてるかのように振る舞ってるのが不思議 逆にたけしが所の家に入り浸るようになったのが結構意外だったわ。 >>96
昔、たけしは所の悪口言いまくっていたのに、今の所はたけしのポチだもんな。 >>92
当時はまだ漫才ブーム組がギャラが安かったから東京でも使いやすいってことじゃないかな
有名な話で『俺たちひょうきん族』は始まったときは吉本はグロス一括でギャラを受けて各芸人に分配してて
ある日さんまにギャラを聞いたたけしが絶句して横澤氏に交渉、「構成作家杉本高文」で別ギャラをあげられるようにしたよな >>1
夜タモリ1回目の放送時
往年の密室芸を思わせるネタのコーナー時の5chの実況は「老害」とか「つまらない」とか批判の嵐だったのに
ネットニュースで絶賛されると次週から批判が止まったのには笑った 今でこそ好々爺然とした人だけど笑っていいとも開始時なんて
アングラ臭プンプンの怪しい奇人変人の部類の人
これを昼の帯によく起用したもんだ >>104
ドラキュラが笑ってるでは、お互い悪のりしてたなあ インテリ界隈に気に入られて友達多いからたけしが嫉妬してたよな >>95
後期は番組が明らかにおかしい方向に行っていた
国民の好きな鍋1位がキムチ鍋とかそういうあり得ない変な情報操作が
あったからタモリもやる気をなくしたんじゃないかと。
当時のフジテレビはいいとも以外でも反日的な事をやっていた
そもそもコネ入社とかが横行してる局だし
今の凋落は当然の結果だと思う 当時のタモリのステータスって
今で言えば永野みたいな奇をてらったゲテモノ芸人だよ >お昼の12時からの番組となると、視聴者は主婦層が中心である。
>その時間帯の番組では、各局とも品行方正で建前的なことしか言わないタレントやアナウンサーが司会を務めていた。
この時点で意味ない思い込みの分析だわな。
前番組は「笑ってる場合ですよ」なんだから。 >>78
鉄道のラストランに群がる撮り鉄みたいだな せめて1万回やってから、終わりで良かったのになあ
今年の12月か来年3月くらいでお終い 週5できっちり出番に間に合わせてくるだけでも凄いこと >>108
30代から50代くらいまで女に嫌われる要素をいっぱい持ってたよなあタモリ 小樽博覧会でのタモリ「小樽は何もない町!」
↓
数十年後、ブラタモリでそれに触れられたタモリ「本当に恥ずかしい…若気の至りです」
小樽博の時は既にいいともやっていたから、まだこの頃は尖っていたよ。 とはいってもすでに自分の冠番組をもってるような売れっ子ではあったよ
永野とか江頭などとのマイナー芸人とは格が違う >>108
82年頃はすでに今夜は最高とか、
オールナイトニッポンやってたし、
タモリ倶楽部も同時期に始まってるし、
そこまで得体のしれない怪芸人でもかなった。 いいともが始まる頃のタモリってめちゃくちゃ下品な芸風やったからな
嫌われるのは仕方ないわな
でも何かと博識やったからそれがうまくハマった感じがする >各局とも品行方正で建前的なことしか言わないタレントやアナウンサーが司会を務めていた。タモリはそれと正反対の存在だったわけで
タモリは私生活は絵に描いたような品行方正な人物だろ
番組でも危ない事を発言したこともないはず? オネェみたいな人が韓国風巻き寿司みたいなの作ったときキレてたよね。 チェリッシュがゲストとして出たのを見てた
お茶の間が凍りついた いいとものスタート時はトーク回しも下手糞だったし面白いこと言わないし妙に気取ってるし
「何でコイツなの?」感がすごかった
大御所感は皆無だった 永野とか江頭みたいな奇人とは全然違うだろw
変な芸をするし、見た目もちょっと怪しいけどしゃべると内容が深い
タモリは間違いなく永野や江頭の括りには入らない いいともも初期は結構酷いコーナーやっていたな。「金言格言色紙でどうじょ!」なんか誰にも理解されない名コーナーだった。 >>130
それ
ジャングルテレビタモリの法則
じゃね? >>13
該当者無し。
タモリは山下洋輔が見出して赤塚不二夫の庇護を受けて
新宿や六本木の業界人専用バーで行われてた密室芸は音楽界や文壇から支持されてた。
そんな人今いないでしょ?
いいともの初期にはやる気が無いのが見え見えでラジオと同様に名古屋をバカにしたり
嫌いな小田和正などの悪口を堂々と言ってた。
テレフォンではロリを隠さず伊藤つかさに会いたいってずっと言ってたね。
家建てた頃に「金がある」発言をしだしてから芸風が丸くなっちゃったね。 >>106
いいとも年末SPのタモリの神父は毎回吹いた >>122
いいとも!も最初は二日酔いできてて「文句があれば抗議TELでもすればいい」といい放った
↑これを誰かに教えてもらったのか真似をしたのがバイキング帯をやりだした頃の坂上
尖りを抑えだしたのは俺は人任せの「他力本願寺教」とか出して本願寺からクレームがきたあたり
宗教は面倒だからなw 最後は全くやる気なかったな。
オープニング歌を歌わなくなったし、コーナーもやる気がないから出ないとか頻繁だった。 テレホンショッキングは正直ライブでやっていいレベルのトークじゃなかったよな
今なら袋叩きだろう >>102
伸介が所をバカにしたような態度を取るから、たけしは伸介のこと嫌ってたみたいだね。 子供の頃はBIG3ゴルフで一人だけ真面目にやってんなあくらいしか思わなかったが
年取ると凄さというか面白さが分かる感じかな 前番組でB&Bを使ってる時点で、タモリ起用にそんなに反対があったのか疑わしい >>110
ドラキュラでは共演してたのにその2時間前は裏番組同士だった(たけしは日テレ、所は朝日放送・・ではなくテレ朝) 鶴太郎とやってたあたりは面白かったなぁ
阿部ちゃんイジったり、ゲストできたマコーレー・カルキンを日本語わかんないから、マコーレー・タマキンって連呼してて超笑ったww >>132
さんまやたけしは互換芸人がいるけどタモリはタモリだけなんだよ
深い教養が背後にあるから、そんなにしゃべらないけど一言一言が重い
大人が好む芸だわ、最近はあまり披露しない密室芸も >>23
所さんいいともの水曜レギュラーだったが
野沢直子と一緒に いや本当に今で言うクロちゃん扱いやで当時のタモリなんかw 漫才ブーム終焉からの今更タモリ?って感じだったのが分からんもんだよな
やっぱテレフォンショッキングって企画がデカ過ぎた >>135
タモリ自体も「(当時は)健全イメージのフジが俺を起用するなんて、単なる穴埋め番組だろ」と軽い気持ちで引き受けたとTVガイドで言っていた。
しかし思いの外に好調で、横澤彪が「タモリくん、(放送継続で)今年の夏休みなくなったよ」と言ったらタモリは残念がったという。 >>132
永野は好きじゃないけど映画とか音楽とかわりと知識ある >>137
本願寺絡みはつぼイノリオも抗議受けて曲が放送禁止になったNGワードなのにw >>137
「他力本願」って本当はいい意味の言葉だけど、
どうも昨今はネガティブな意味でしか使われていないからな
そりゃ浄土真宗は怒るだろ >>143
あれは本当に真剣にやってて、さんまとたけしに怒ってたからなw
いまでもタモリ倶楽部の趣味回でたまに片鱗がのぞく タモリは当時江頭みたいだったという人いるけど違う
江頭は壊す事に主眼、タモリはマニアックな笑いを追求
初期のタモリに似てたのは強いていうと以前の関根勤 >>115
後期はほぼ番宣だったよな
中居正広だけはガチでトモダチいなくて、TBSの安住を呼んだけど それでも1980年に、ABC制作全国放送のゴールデンで大洋漁業(今のマルハニチロ)提供の「のってシーベンチャー」という番組を既にやっていた。
だけど東京乾電池とかアルフィーとか、当時のマニアックな仲間との共演だから、3ヶ月で終わった。 うわさのチャンネルとか出てた漫才ブーム以前の連中持ってきたんだもんな
世代でいうとせんだみつおとか >>129
なんでや
ディックミネのときに大きいんですよね
見せてください
ただじゃ嫌だよ
金取るんですか
って会話があったりな 俺はタモさんの横に座った事あるからな
一生の自慢だわ >>169
昼飯食いながら流しとく番組だからな
あまりくどくしないタモリの采配もよかったんだろ 最初はテレビ向きちゃうかった
https://pbs.twimg.com/media/DHy9_c8VoAAaoQa.jpg
i0.wp.com/koimousagi.com/wp-content/uploads/2021/01/tamori_wakaikoro.jpg
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up.gc-img.net/post_img_web/2017/09/m8SxppBRECwJOan_13494.png ビッグ3なんてフジテレビが勝手につけて広まっただけ
大した意味はない
最初はさんまの代わりに欽ちゃんだし
タモリ、たけし、さんまになってからもタモリはその中でずっと人気格下だった
今たけしの人気暴落したけど
それでもさんま一強、たけしタモリどっこいどっこいくらいだろ テレホンのベンガルの回がめっちゃ笑った記憶
あと小松の親分と芸だなあ 横澤が優秀なだけだったんじゃないの
笑っていいともが面白かったのはサンコンさん出ていたあたりまでだと思うし 横澤プロデューサーも労働組合活動で一時期会社から干されてて、
日枝天皇ら組合派が実権握ってから復活したんだよな。 加藤浩次や恵俊彰の
番組起用も
最初は大反対だった 今のBIG3とかやっぱゴルフやりだした頃からか定着したんかな 深夜番組でブリーフ一丁でイグアナの真似して男2人でペロペロとかやってたからなあ。子供ながら昼番組は無理だろうと思ってたは。 いいとも始まったときは、あのタモリが昼間にどんなことをやるんだっていうワクワク感が大きかった記憶がある。
当時小5くらいだったと思う。 タモさん本人が江頭2:50に昼の帯番組司会をやらせるようなものって言ってたな 所詮タモリがいうことだから話半分でいいって感じを本人も醸し出してるのがいいかな
知識人の話は重要、芸人が話す話は役に立たない
でも芸人も偉そうなこと言いたいからお前ら信じろ的なときもある
この中間に位置する発言で肩肘はるのが馬鹿馬鹿しい感じの
意外と重要な内容を語れるって位置はなかなか いいともの前に、デビュー5年目くらいなのに
「お笑いスター誕生」で審査員やったり、
ほんちゃんの「スター誕生」の司会やったり、
永六輔に気に入られてNHKのレギュラー
取ったり、妙にステイタスが上がって
いったんだよ。「いいとも」もその流れ。 >>190
ありゃ、師匠格の赤塚不二夫もいたからだと思うが、当時のテレビ屋は見識あったからな。 名古屋がオリンピック落選したときにコメント求められたりしてたな でもタモリとたけしって合わなかったよな
いつもギクシャクしてた >>6
だからそんなに期待されてもいなかったんだよな
それも知らないで後付けのごたく書いてるだけ 新春ゴルフの時は一人だけ真面目くさってつまらねえジジイだなあと子供ながら思ったけど、結局あの根が真面目で落ち着いた感じが今日まで重用されたんだろな 初期のテレホンならやくざの親分すらテレビに出れたんじゃないかってぐらい
呼ばれる人分けわからん人混じってたよな たけしが断ったからな
断わってなかったら「笑ってビート!」ってタイトルだった
ってたけし本人が言ってた >>195
文化人面しないのと政治に色気出さんのは大事だよな ただブラタモリとかで
タモリがなんか答えるたび流石タモリさんって持ち上げんのはやめて欲しい >>13
賛同者はいないかもしれないけど
永野が近い気がする
いいとも前のタモリは
女性人気ゼロの気持ち悪さと
わかる人にはわかる系のネタのマニアック芸人 >>196
そうだったけど、たけしはたけしで「さんまは教養がねえからなあ…」って呆れてるんだよな 笑っていいとも!とかまともな大人は観れないし観てなかったよ
笑ってる場合ですよはそれなりに需要があったけど
これが現実
タモリはアングラ系のギャグは面白いし
空耳アワーは傑作だけどそれ以上のものではない >>52
たけしの場合は別のとこと喧嘩して逮捕されちゃったからね
テレビ局への迷惑掛けた度は凄まじい
たけしの方からあれこれ言えるようになったのは最近になってからだと思うよ >>204
でも、たけしとさんまは仲が良いというか、尊敬し合ってると思う
さんまはタモリとも普通に上手くやってるな タモリの最高傑作はCD化されてない
「戦後日本歌謡史」 >>208
いいともは視聴者のレベルが異様に低かったな タモリ後継っていうとデーモン閣下くらいしか思いつかない 笑ってる場合ですよからタモリとか自然な流れだったろ >>211
タモリVだな
新生堂だけで販売されたから
わざわざ電車で買いに行った >>210
そうだね
たけしはどこかタモリには構えちゃうんだろうな
さんまには何言ってもいいと思ってる 笑ってる場合ですよは、MANZAIブームの勢いだけでやったから短命 >>208
ニッポンのお父さんは日曜に寝ぼけ眼で増刊号見てた 日テレ的にBIG3は所・たけし・さんまでしょ
タモリさんが「今夜は最高」のスタッフと喧嘩して日テレに出演拒否してたから >>196
森茉莉はいつもたけしを絶賛してタモリを毛嫌いしてたな なんか神格化されてるけど末期のいいとも酷かったよな
Mステもやるきないのかローテンションでゲストが無理して盛り上げてるし >>210
いや『いいとも!』のコーナーでも次第にタモリがマジにさんまの遅刻を注意しだしたりして
なんか不穏になりだして「タモリンピック」を真面目にやるやらないで対立して終わった
険悪まではいってないし今でも共演はできると思うけど昔みたいな仲良しではないはずよ >>220
教養のある人はたけし好き多いだろうな、でもタモリはたけしのこと好きだと思うだよね 今では本人もNHKも封印しているが、テレビに出始めの頃に紅白のゲストに呼ばれて、当時流行した「タタリじゃーっ!」の扮装で、赤組を藁人形で呪ったら、赤ふんどしだったというギャグをやっていた
その姿は江頭2:50そのものだったな >>222
しかしだ、三人とも関係性はともかく、お互いの長所は尊敬してるんだよな
そして所ジョージという謎の権力者もいる 笑ってる場合ですよは多くの芸人が出てたけどタモリ1人じゃすぐ終わると思ったな
予想が外れたのはジョジョが打ち切り喰らうと思ったのとこれだけだ
タモリは嫌われ芸人だったからなあ >>200
バイキングと同じ流れで
笑ってる場合ですよの
ひとつの曜日担当だったたけしに
全曜日させようと思ったんだけど
朝起きられないから断ったんだよな
そんでたけしはタモリに当たりがキツい >>222
そういうこともあったんだな
まあ最終回に来てたし、そこまでじゃないと思うけどな たけし、タモリ、さんまでゴルフするやつ
タモリのつまんなさは突出してた 朝鮮人と中国人が口喧嘩しているのをロシア人が仲裁に入り「朝鮮人が悪い!」と判定して
収めるタモリの出鱈目外国語芸が、左翼系の明石書店が出してる本で「差別で笑いを取る
下劣な行為、芸とはとうてい言えない」と断罪されていた。 タモリって昔は嫌いなタレント1位だったりするんよな 当時のたけしは番組を半年で打ち切られることに最大の喜びを感じていたから >>230
タモリが英語禁止ホールでむっつりだまる
英語を引き出そうとするさんまとたけしが逆に英語を口にする
冷静に咎める逸見さん
見事なチームプレーだよ タモリで憶えているギャグは何か脂ぎった顔で爬虫類になってべろべろ舐めまわす物だった、気持ち悪い >>212
ジャニヲタがキーキー騒いで他の演者の邪魔する番組って印象 >>35
逆だよ
横澤班と石田班の対立の煽り喰っただけ 何でタモリが持ち上げられてるのかわからん
昔から「タモリってつまんねーな」としか思わん
知性がどうこう言う奴いるけどお笑いにそんなの求めてない >>238
タモリってコメンテーターとかしてたの? >>231
アメリカ人と中国人と韓国人とベトナム人が麻雀していてけんかになって
止めに入った寺山修司が「平方の盤面上における…」とか言い出す奴ならあったな。 >>230
27時間だと
お互いの通信簿いじりあうやつは楽しかった
たけしのだった連続攻撃w >>239
新喜劇で笑い転げられる人からするとつまらんでしょ
BIG3で一番の教養、芸の器用さ、観察力を持ってるのはタモリだよ タモリと他の2人を一緒にするなよ
教養の下地が違いすぎる
タモリからしたら、タケシすら馬鹿に見えるだろw >>242
『笑っていいとも!』の初期は1コーナーだけど時事問題を扱っていたんだよ
そこが司会とコメンテーター兼ねてた感じで
「5つのフォーカス」というコーナーでここに田中康夫が出ていた >>184
今もTubeで見れるのかな?
赤塚不二夫とやってるの
めちゃ笑えるwww >>249
それをカムフラージュする為にサングラスかけているのを気に食わなかった堺正章がタモリを呼び出して生意気なヤツだと言ったんだろ ラジオは以上につまらなかったな
レコードも出してたけど、そばやそばーや、とか何が面白いのか
愛川欽也もイマイチだったな
面白かったのは
野沢那智白石冬美のナッチャコ
鶴光
鶴瓶のぬかるみの世界 >>13
当時はアイパッチをしてイグアナの真似を四つん這いになってやってたりして気持ち悪かったよ。
でも四カ国語麻雀は腹を抱えて笑った。 タモリのすごいところは「居候のプロ」を自称できるところよ
赤塚邸ではもはや家主
さんまはうるさくて追い出されるだろうし、たけしなら喧嘩して勝手に出ていくだろ いいとも以前にNHKで「ウォッチング」やってただろ つべの昔タモリANN聴くと
すげー早口なんだよな
b&bとかたけしの影響だろうな 10年くらい前にタモリ倶楽部で昔の企画(90年頃か)をやっていて
井上陽水とタモリが「なぜ我々には人望がないのか」をテーマに討論してた
その後ジャングルTVで料理作ったりSMAPとかナイナイ、ボキャブラ芸人とかとの
関係性もあって「良いおじさん」みたいなイメージになっていったけど >>1
「ラオウは実はいい人でした」と後から言われても 昔話でスレ立てんじゃねーよカス
爺さんかよてめーは >>13
タモリ自身がTVで「昔の俺の芸風は江頭よりも酷かった」と言っていた タモリはつまらんかったけど
お笑い界がありえない全盛期でその中でもほぼトップ芸人全員を出演させてたプロデューサーの手腕のおかげだろ 前にも記事になってるのに、この記者調べてないのかな 昔はあさはかな発言や悪ノリが多かったけど、司会を続けるにつれていい人になった
元々いい人だけど無理してはしゃいでただけかもしれない
司会を続けてるうちにどんどん偉そうになって行く人の方が多いのに 1984年の夏休みは、いいともとロサンゼルス五輪、高校野球で過ごした楽しい思い出 結果こうなっただけで
小堺一機でも続いてたと思う
タモリ好きだったけどいいとものタモリはそれほど タモリと所は好き
大声出したり叩いたり脱いだりで笑わせようとする奴は嫌い >>38
実際はマネが勝手に断ったと本人が言ってたな最終回で >>10
小田「僕の何もかもが嫌いですよね?」
タモリ「そうですね、OLとかがキャーッ!小田さあん!!!とか言ってるの見るとケッてな気分になりますねぇ」
みたいな感じだったようなw >>270
キワモノ芸人として出たのだって上京が30歳とすごく遅かったから背水の陣みたいなものだったんだよな
福岡で社会人やってた期間があるからどんな時でも「一般の人目線」があった
さんまとたけしが盟友みたいなのはともに社会人経験なしで芸人生活に入ったことと
片や寄席片やストリップ劇場の舞台(いた)で修業したり営業回りも半端ないくらいやったバックボーンが似てるからだろうな >>13
野球で言うと
たけし→松井
さんま→イチロー
タモリ→金本
みたいなもんで、もちろん全員凄いんだけど金本だけちょっと記録と記憶が違うよなって感じ
全員凄いんだけどね たしか「笑ってる場合ですよ」もそんな人気(視聴率)低下でもないのに「いいとも」に
変わったような記憶がある。ひょうきん族と出演者も変わらなかったし夏休みとか毎日見てたしな。
当時のタモリの知名度とか立ち位置って江頭と有吉辺りを足して割ったような感じで、
昼の顔としては違和感はあったなw まあでも自分もガキだったし、それなりに企画コーナーとか
笑えればそれでよかったからな。つうか回を重ねるごとにタモリのトーク術とか認知されていったんだよね。 タモリの言
「いいともはファーストフード」
「ファーストフードっつったって、そんなに不味いわけでもない」
「美味い食い物はいつか飽きる」 ヒルナンデスが10年以上続くと予想できた奴もおらんやろ >>222
タモリはさんまがラジオでスタッフと喧嘩していいとも辞めるって決まった時に酔った勢いで「辞めないでよ〜」って泣きそうになりそうな声で電話してきたってさんまが何度も話してる いいか悪いか判断できないくらいの量しかしゃべらないのでなんとも言えない
空耳は左の笑い屋がいてこそ 「はいそれじゃ次」が35%
「いいですねえ」が20%
「んなわきゃない」が15%
それ以外が30%
ぐらいしかしゃべらない
データ不足 >>34
好きなようにやって良いよと言われ、料理作ってトランペット吹いて中洲産業大学ネタやって本人が一番気に入ってた番組を
日テレの都合で一方的に打ち切りにされ激怒したんだよな > タモリ、たけし、さんまのビッグ3は凄いな
> みんな好きだわ
タモリが一番最初に消えるといわれたけど・・さんまがいち早く老害化
> タモリは所ジョージと共演したことがない
噂のチャンネル いいとも 普通にあった 仲人する仲だったが仲違いしてしまった
> たけしは所の悪口言いまくっていたのに、今の所はたけしのポチだもんな
たけしとさんまは所をぼろ糞言ってた タモリと離れて2人に近づいた 嵐ごときが猛反対とは何様だ、とわけのわからない供述 つべに上がってる「笑ってる場合ですよ」なんかを見ると、
中学校の休み時間の男子生徒の悪ふざけにしか映らない。 90年代までのタモリと鶴瓶は絶望的なくらい人気なかったからな 実際はフジより先にテレ東が昼に起用してるんだけどなw
タモリの突撃生放送
1980年10月5日 - 1981年6月28日、日曜日正午・スタジオアルタから生放送)
タモリの歌謡スター笑
1981年7月5日 - 9月27日、日曜日正午・スタジオアルタから録画放送)
https://m.bilibili.com/video/BV1dV411d7sC?from=seopage
>>1のライターがニワカなせいで
昼帯の話と昼の話がごっちゃになってるんだろうな >>308
出てるメンツとか含めて、アルタと田辺エージェンシーの流れでそのままフジに持ってきただけなのか実情は >>4
紳助が現役だったらどうなってたかなといまだに考える
ゲストいじりはこの3人より上手かった >>10
逆だよ。嫌われてるの知ってて来た小田和正が格上
>>279
小田に突っ込まれて冷や汗かいて始終焦りながら司会してたよ
そもそもお笑いと当時のトップアーティストじゃ格が違う 笑ってる場合ですよ の方が芸人大集合で面白かった
タモリはつまらんし嫌いなので“笑っていいとも”は観なかった さんまだけ面白かったなタモリと喋ってても段違いに >>106
ネットニュースにそんな力なんてない
単に一回目で切った視聴者が多かったという可能性にすら気づかない残念なレス 気持ち悪いと言われた時代も尖っていた時代も
年齢重ねて紳士でカッコ良くなった時代も、そして徐々に枯れて行きながらも楽しんでる現在も、ずーーっとファンです。
タモリさんは基本変わってないね これからも
健康でまだまだ元気でいてください >>316
タモリは最初から田邊エージェンシーなのかな >>23
いいとも出てたじゃねーか
所さんの頭悪いんじゃないの?ってコーナーやってたよ >>308を見ると横澤が考えたんじゃなくて
田邊の番組をテレ東から持ってきただけなんだな 田辺エージェンシーてのはタレントが廃人になっても
しつこく使ってくれるから、
無能者が入るには最適な事務所
所とかもまだいるし(もう事務所変えたっけ?変えたら干されてるか) >>321
実際横澤案件でも笑ってる場合ですよやひょうきん族とは当初メンツ全然被ってなかったもんなあ
で>>308の番組に所ジョージだけじゃなくて久保田篤まで出てたとか、ここから歌番組の要素排除したらこうなったみたいな >>308
それとニッポン放送で「だんとつタモリ おもしろ大放送」という主婦向けのナイターオフ番組をやってたのを聴いたフジが「タモリでも大丈夫」と決断したと言われている
いいとも初期の水曜は昼(いいとも)→夜(だんとつタモリ)→深夜(オールナイトニッポン)と三回も生があった
さらにタモリ倶楽部も同時にスタートしてる
>>319
赤塚不二夫の所にいて二〜三回テレビ出たらすぐに田辺社長がスカウトして田辺エージェンシー所属になった >>1
放送期間 1982年10月4日 -
バブルのかほりがするw
パソコン通信のFAXモデムしか無かったけど
いい時代だったわ タモリってその前はイグアナやってたよな
気持ち悪かった 子供だったから朧気な記憶しかないけど、
初期のいいともは嵐山光三郎とか出てきて
なんだか文化的な匂いがしたのでR 当時のポマードべっとりでティアドロップのタモさんはギラついてて、深夜番組向きだったしな >>320
金言格言色紙でどーじょ!もやってたな
頭〜は所ジョージのネタライブみたいにワンマンで金言〜はタモリとツーショでやるコーナーだったような 本質的にお笑い芸人とも呼びがたいというか、
まあ言わばディレッタントだよな。
街の名物おやじ(良く分からないけど“先生”と呼ばれるような)のプロ版みたいなw >>36
当時は感嘆されたが、その後の上岡龍太郎による弔辞で大分印象が
薄くなったな
>>40
「お笑いスター誕生」において、タモリは別に赤塚不二夫の後釜ではない
番組開始当初から一緒に審査員やってただろ >>64
義眼ではないけど、片目しか見えないのは事実だろ >>115
「友達の友達は〜」ってゲストがそのフレーズに曲をつけて
最後に「輪っ!」とか言ってた時代はとてつもなく寒かった
まあ、「今日は暑いですね」「そうですねっ!」っていう
客とのやりとりとか、拍手の最後にチャン、チャチャチャッて
いう止め方なんかも最後までやっててホントに寒かったが 笑っていいともを終わらせたと言われるヒルナンデスがクソ化してるの悲しい >>339
元々クソだろ。たいして面白いわけでもない単なるワイドショー
いいともは他に取って代わられたというよりクソになった大衆達から去っていったんだ 30年間1度も休まなかったのは凄いな。面白さは皆無だけど タモリは
井上陽水もけなしていたんだよな
なんだあの歌詞はと。
でも仲良くなっちゃったんだよな。
歌唱力は凄いと元から評価していたしな。 >>322
所ジョージが田辺エージェンシーだなんて初めて聞いたが
事務所は自分の妻が社長の「ティヴィクラブ」だぞ? タモリが散々「いや傘くらい買えばいいじゃん買えるだろw」
てネタにしたからリアルタイム世代以外も陽水の傘がないは知っている >>341
いやいや、タモリは船舶免許取りに行った時、ゴルフ場で
ケガをした時、白内障手術した時とか、何度か休んでるぞ?
海外ロケや正月休みで休んでた頃もあったし
その間はレギュラーメンバーが日替わりでMCを務めたが
朧げな記憶で適当なこと書く奴多すぎw >>23
仲が良かったころは
タモリ「仲人といえば?」
所「親も同然」って言わせてたよ >>199
確か日テレの社員の土屋も出てたはず
ダウンタウンの付き人同然な仕事の関係でマネージャーと間違えられたとかで タモリはジャズの連中に好かれているわけで、
芸プロはジャズのバンドマンが興したものが多いしで居心地はよかったのだと思う
当時のアメリカの番組の真似から脱却して暗中模索している芸能界で、落語家や漫才師などのお笑い芸人ではないところから入ってきた奇妙な男
ジャズが好きってことは当時のアメリカ文化を知っているわけで、文化人的なポジションが取れたことが長続きした原因かな
毒はタモリ倶楽部やオールナイトニッポンで吐き続けてたからバランスが取れてた いいともが後10年続いてたらマツコは確実にレギュラーだったろうな >>83
タモリが昼の顔になって、毒が無くなるのを惜しんだ事務所社長が深夜枠番組を立ち上げた
一時はスポンサーが無くて打ち切りの可能性もあったらしいが、タモリがサラ金CM出演でスポンサーになってもらった >>251
たけし絶賛タモリ酷評の森茉莉先生が鼻で笑うわ >>341
ケガや船舶免許の欠席と初期や中期に夏休みで1週間休みをとったことは数回ある
ある年(84年か85年)は明石家さんまが代わりに司会を1週間勤めてテレホンショッキングもさんまがやってる
(アイドル後期の堀ちえみとのかけあいがつべにあるはず)
別の年は曜日レギュラーが日替わりで司会代役 >>350
>いいともが後10年続いてたらマツコは確実にレギュラーだったろうな
タモリはオカマが大嫌い
いいともでオカマを出すようになったから
やめる決心したんじゃなかったっけ? >>50
爆笑問題が辞めない宣言してたあたりからヤバかった
新陳代謝しなくてダラダラ あと、やたらとオカマとかミスターレディみたいなのを呼ぶ番組だなと思って見てた
マッチョなゲストの体にやたらと触りたがるタモリとか
若いイケメンのゲストに、どんなパンツ履いてるの?ビキニ?トランクス?って必ず聞いたり >>358
そうなの?
素人時代、西麻布のオカマバーの常連だったよね?
そこで毎晩、違う職業の設定で身の上話してたとか。
あと、赤塚不二夫の弔辞で出てきた「ひとみ寿司」も新宿二丁目にあった。
そこでオカマ嫌いになったのかな >>358
?
よめきんトリオのKINYAはそっちの人でしょ
あとテレショにオナペッツも出たし
おすピーとも仲良くて(特におすぎ)モノ真似してたんじゃ >>358
それはねーわ
オカマが嫌いだったら、能町みね子とレギュラーやらんだろよ
それまでにもどんだけオカマと共演してたか
日出郎とかおすぎとピーコとかきよ彦とかはるな愛とか
マツコとだって何度も共演してるし、自宅にも招いてるぞ >>365
マツコとはあの紅白で滑らされた企画で一緒にやってたな >>367
そうそう2017か18かな?めんどいからググらないw
演出グダッて視聴率もワースト5に入っちゃってタモリは何の得もなかった 元祖おっぱい星人がオカマ好きなわけないじゃんww
仕事と割り切る部分はあったろうけど >>370
おまえバカすぎて笑える
どんだけ意地張るんだよ 埼玉県民と名古屋市民はこいつにキレていい
福岡人の陰湿さを表したような人間 >>372
オカマの型でしたか?
申し訳ありません 【平成30年間の芸能人視聴率王ランキング】
ザ・テレビジョン引用
【年間】平均視聴率20%超え回数(1989年〜2019年)
1位とんねるず 11回(みなおか8 生ダラ2 ねるとん1)
2位SMAP 8回(スマスマ8)
ここ→😀3位タモリ 6回(増刊号4 トリビア2)
4位ビートたけし 3回(平成教育委員会1 世界まる見え2)
4位板東英二 3回(マジカル3)
6位所ジョージ 2回(世界まる見え2)
6位島田紳助 2回(バラ色の珍生2)
6位松村邦洋 2回(進ぬ!電波少年2)
6位伊東四朗 2回(伊東家2)
6位関口宏 2回(東京フレンドパーク2)
11位志村けん 1回(だいじょうぶだぁ1)
11位明石家さんま 1回(からくりTV1)
11位笑福亭鶴瓶 1回(特ホウ1)
11位大橋巨泉 1回(ダービー1)
11位三宅裕司 1回(夜もヒッパレ1)
11位みのもんた 1回(愛する二人別れる二人1)
11位ネプチューン 1回(ネプリーグ1)
【0回】ダウンタウン ウッチャンナンチャン ナイティーナイン他 このスレを読むとゆとり世代あたりはタモリに関する間違った情報ばかりを信じてる感じがするな
上の世代はタモリ界隈の過去の活動を知ってるからそれを細かく訂正できる 一番知名度高いのってタモリだろな
あの顔知らん日本人おらんと思う >>381
意外とジジイどもの記憶の方が朧気だよ
さっきから忙しいわ
別にタモリやいいともにたいした思い入れはないんだが >>377
よく「ヒルナンデスに視聴率抜かされた」て言い方されるけど
その前から制作としては腐ってて自爆だよな
キリのいい30年で終わるのがキレイかなと思ったが >>384
中後期は正直見てられなかったな
増刊号でさんまとのトークだけ見てたりしてたわ >>382
老若男女なら間違いなく志村けんの方が上だったわな
幼稚園児はタモリ知らないだろ タモリといったらいいともよりタモリ倶楽部だわ
空耳アワー最強 >>147
深い教養あるか?自分が好きな地層くらいだけで、こいつ早稲田と言っても夜間だからアホ 笑っていいともの前はB&Bの笑ってる場合ですよだろうが
昼は品行方正だったとか極端な嘘から始めんなよwwww >>373
そうそう、福岡の田舎もんのくせに身の程知らずに名古屋や埼玉を田舎もん扱いにしたクズ タモリに深い教養がなかったとしても、8054回も他人と話を合わせる仕事をこなした訳で
バカに無理な芸当だわな >>263
永野は弄られたらキレて帰る懐の広さゼロが持ち味 >>390
図書館で新聞のTV欄すら確かめない社会学者とやらが書いた愚書 笑っていいともの前にテレ東でタモリの歌謡スター笑やってたよな
いいともの前進みたいな番組だったな >>398
一晩中抱き合いながら寝たが、恋愛感情なんか芽生えんぞ >>40
最初にタモリに会ったのは山下洋輔グループの方
九州のライブの後に会った男の話をしてたら東京に呼べということになった 昔はぬめぬめして気持ち悪い奴だったらしいな
そういう芸見てた奴って50代くらいの奴だろうか
今は好爺に見えるが時々それが垣間見える >>402
モリタとしか言い残してなかったが、変人として既に有名だったから、そいつならジャズバーにいるんじゃね?と言われて問い合わせたら見つかった。 >>313
ファンの必死の擁護が気持ち悪い
こんなファンしかいないんじゃ小田和正が嫌わるのもわかる >>13
最初から多才な感じはあったから該当者はいなさそう
なんか異質だったじゃん ラジオでも昼の番組やってたし
その時は、そこまでアングラじゃ無かったよ タモリにおそ松さん知ってますか?と聞いた女がいたとかいないとか いいともの前から永六輔に気に入られてNHKテレビファソラシドの準レギュラー扱いだったからその頃は>1のようなイメージ無かったと思う >>373
名古屋イジリは浅井慎平とか友人の名古屋出身の奴等が自虐的に言ってたのを貰ったらしい、じゃないと名古屋との接点無いし
今では完璧な名古屋弁を喋る事ができるとかw プンス 08/10 8:12
ル ク
化 ラ
ま
だ
? 当時、タモリのオールナイトニッポンで
スタッフと生対策会議してたな
記憶は曖昧だけど「お前らがよってたかって俺を夜の顔にしたんだ」みたいな事言ってたな
それ自体がネタだったのかもしれないけど、
その後、「若者との決別」とか言い出して古参リスナーを切り、番組も終了した NHKのテレビファソラシドで、全身タイツ姿でトカゲとかイグアナとかやっていたからな。加賀美アナのナレーションで。
今のNHKよりも酷い。 >>3
しばらくはコーナーのキャラ扮装に使用してたな オリンピックでタモさんの姿を見ることができなかったのが残念 タモリ 75歳
あと TVで見れるのは 5年ぐらいかな デビュー当時は、田辺昭知に「芸能界で一山当ててやろうという野心がない」
と言われるくらい上昇志向がなかった。
その後、今の地位まで上り詰めたが
それでもマレビト感があるのが不思議。 いいともの前から、クイズダービーにときどき出てた気がする タモリはおっぱい星人の普通のエロいオッサンだったから、庶民ウケするキャラだった >>421
まあそこが魅力だしな
今でも俺は明日芸能界やめても別にいいんだよ感あるし >>422
巨泉が早稲田中退の後輩としてかわいがってたんだよな
だから巨泉の物真似が生々しいくらい似てる 成り上がっていく時代は面白かったろうなぁ
90年代の放送後トークは思い出に残ってる >>10
小田でもNHK出られるんだからさ。NHKのロケで外にいた時に、年配女性たちに見つかっちゃった時にカメラの前で平気で「やべぇばばあに見つかっちゃった」って言うような奴でもさ タモリって政治思想とかはどんな考え持ってる人なんだろ? いいとも全盛期レギュラー
月曜 関根勤
火曜 片岡鶴太郎
水曜 所ジョージ
木曜 笑福亭鶴瓶
金曜 明石家さんま >>335
赤塚不二夫が亡くなったのって横山ノックが亡くなったのより後だぞ >>9
その事でタモリ本人が言うとったよな
「オレは今で言うと江頭2:50だったんだから、お昼の司会させた横澤さんや他スタッフがすごいんだって」って
謙虚さを滲ませるところが好きやわ テレホンショッキングで大人しく喋ってる分にはいいんだけど、
後半のコーナーで変なスイッチが入ってしょーもない鳥の鳴き声みたいなボケとかやり出すと、
もう寒くて見てられなかった。共演者もただただ苦笑いで。 >>429
表向きにはノンポリ(ノンポリシー・政治的無関心)芸人の代表みたいに振る舞ってきたね。
天皇も茶化すし、学生運動も茶化す。
ノンポリがキモいと言われた時代(ノンポャ鰍ニいう言葉が封歯フの意味を含b゙)にあえてそう振る舞うというキャラを通してきた。
実際の心はタモリ本人しかわからんね。 >>433
この人は学歴詐称をしているという説がある
表向きは大学中退ということになっているが 本当はチャンと卒業しているらしい
かなり昔に暴露系の雑誌に書いてあった タモリの後が坂上だからなぁ
坂上はマジでやめて欲しいわ
文春も何かすっぱ抜けよ まっすぐ直立に立って、両腕を真横に水平に伸ばして
手首を内側に脇の下辺りに向けてくるっと回して、
少しがに股にして
「子宮(のモノマネ)!」
みたいな芸をしていたよね。
まあ若い頃は女に嫌われるキモ芸人だったよ。 >>434
小松氏の芸は昔からそうだった
たいして面白くないのに
どうしてTVによく出るのか不思議に思ってた
後で、あの植木等の元付き人と聞いて
ああなるほどと納得した それまでお笑い芸人というと、ただのバカ、高卒以下、ヤクザ的な人間という印象だった
それが早稲田中退だから学問ができる人みたいな感じがあったね
早稲田といっても二部なのはあまり知られてなかった >>211
Youtubeに上がってるらしい。
>>249
赤塚不二夫のお母さんも同じだったので、親しみを感じてたらしい。 こういう記事が出てきたらタレントとして終わり
とんねるずとかDTも昔は凄かったの記事が多くて邪魔だった >>10
ラジオで思想のない音楽会というコーナーを作って、さだとかのニューミュージック系の曲をこき下ろしてたんだよね。 タモリの文化人面が成功してるせいで
他の頭の悪いお笑い芸人も真似して文化人面しようとしてウザい >>430
80年代にさしかかった頃は昔の言い回しを冷やかすというか「ダサい」って皮肉ってた
(いまでいうサブカルだけどそんな言葉はなかった)「〜してくれるかい?」「いいともさ!」という古い言葉を冷やかして使っていたのが当時構成作家してた景山民夫あたりで流行していた >>446
毎週毎週さだの「防人の詩」を馬鹿にしながら朗読してコケに
しまくっていた
放送局でさだとすれ違いそうになってコソコソ隠れたとか タモリはBCLが好きだったり、ジャズが好きだったりと
オタク系の趣味を持ったタレントという側面もあったな
オタクという言葉はまだ無かったけど タモリはミュージカル嫌いだったけど、ミュージカルこそエンターテインメントの王様
だということに気付いたのは、タモリのせいで遅くなった >>447
それどっちかというとビートたけし タモリはあんまり知識人ヅラはしていない タモリがミュージカルや唐突ミュージカル演出がクソだと喝破して以降も
延々と続けた結果があのオリンピック開会式閉会式 いいともはラスト数年が糞ツマらんかったせいでもういいやって感じ >>452
単なる断層フェチ高低差フェチの人だよね >>34
番組スポンサーのパイオニアが若い人をターゲットしたがったとか何かで見たな
レーザーディスクのCMに裏で紅鯨団やってるとんねるず使ったりして酷い見切りの付け方だなと思ったw
まあ紅鯨団20%超えてたしスポンサーとしては考えるよな >>13
コメンテーターになる前のアンガ田中かもしれない。 >>434
製材所の芸?
子供のころめっちゃ笑った
製材所を知ってるからかな? >>54
あの時点でのプリティ長嶋って結構偉かったんだな。番組のキャスティングに意見できるし、まだ完全ブレイク前のタモリさんまより扱いも上だったのかも。今じゃ信じられんが。 >>4
たけしさんまは老害になってもうたけど
タモリは多くを語らずボロが出ないから好き 偉いわけではないとおもうな、キャリアがあるわけじゃないし
県庁を退職して芸人になったところを見ると、番組のほうからある程度の仕事を保証されていたのではないだろうか
それくらい長嶋さんの物まねは手堅いコンテンツだったんだと思う
プリティ長嶋からすればタモリは悪人キャラなので絡みにくいと思っただろうし、意見を求められたら反対するのは普通だと思うよ
さんまは売れる寸前かな、小林の物まねしてたし >>7
タモリ本人も「毎日だから中身は薄いよ」ってオールナイトニッポンで言ってたw >>13
タモリの芸は元祖嫌われ芸だからな たけしも初期はそれだった >>443
自己愛利己的、言葉でコミュニケーションがとれない、規則や時間が守れない様な
言わばサラリーマンになれない人間の最後の砦が芸能界や創作界だったからな
小山田やら闇営業の事も踏まえると、上岡龍太郎の芸人論や弟子論はマジで面白いよ >>447
所ジョージの趣味人・自由人の真似も入れてくれ >>353
>>361
三田寛子のお料理コーナー
料理も器用にこなすタモリがアシストするのに
超絶不器用な三田寛子が頻繁にトラブる
見るに見かねて、お料理のプロがセットの裏から出てきて
「そこはそうじゃなくて・・・」と再度レクチャーする回もたびたび
無事に食べれたことってあったのかな?と思えるくらい
毎回発生するアクシデントをどうこなしていくか
どうやってリカバリーするのか
そこがあの番組の一番の見どころだったと思う >>435
タモさんは「運と出会いでここまで来られた。だから自然体に行くだけ」と話していたな。
福岡時代に山下洋輔に見つかり、
東京で赤塚不二夫にプロデュースされ、
赤塚台本の番組を見た黒柳徹子に興味を持たれ、
大学の先輩である岡崎氏に誘われてANNに出て、
周囲の反対を押切り横澤彪がいいともに起用した。
前に出ることは一切せず、陰ながら夫を支えた奥さんと結婚したことも良かったのではないか。 >>449
防人の歌の凄さがわからなかったとはタモリも底が浅い
神道の親玉天皇を利用した戦争を仏教思想をぶつけることで
より高度な戦争批判をしてるのに
タモリは赤塚不二夫の晩年を、漫画がつまらなくなったと切り捨てた
あんなに面倒を見てもらったのにアル中になってダメになったらゴミ扱いだぜ >>104
たけしは「所ジョージの笑いは植木等の系譜」って言って、自分の笑いとは
異質だけど昔から認めてはいたんだよな。 >>443
× 早稲田中退
〇 除籍
中退するにはその時点までの学費を払う必要がある。
滞納した学費を払わないと除籍。
除籍は在籍していた記録が残らない。 10代20代からバリバリやってたタケシやさんまと
30でデビューして並び称される様になり
その30代のうちにいいともだから出世のスピードは半端無い
今は40でも若手みたいな顔してる人もいるし
気付けばお笑い芸人も政治家みたいな世界になってる タモリとマチャアキってあんま仲良くないみたいに思われてるけど
あれってそう思わせてる様にお互いが振る舞ってるだけだよね
SMAP解散前後の動きみてるとそう思うわ >>470
さだや小田和正批判は恐らく才能に対する嫉妬なんだと思う。だから逆に評価していた小沢健二は…ということなのか? 漫才ブームに翳りが出て、マンネリになった時。
タモリはお笑いの中でも異端というか、仲間外れだったし、異色だったし、オールナイトニッポンに一部コアファンがいただけ。
今でいえばバカリズムみたいな感じかなぁ。 >>10
芸能人同士のディスり合いは所詮プロレスだろ
以前爆問太田がディスってた阿部サダヲがラジオのゲストに来て
さすがに本人目の前にして悪態つけなかったのか太田が噛み噛みで言い訳しまくってたのはクソワロタ ID:LS2AeOAa0
芸スポで見かけるナマポ婆? > タモリとマチャアキってあんま仲良くないみたいに思われてるけど
> あれってそう思わせてる様にお互いが振る舞ってるだけだよね
どうかな?
田辺エージェンシーNo1だったのがタモリにその座を奪われて
関連事務所に移籍したからな
一切共演はしなかったな >>346
タモさんと所ジョージは何で仲悪くなったの? 昭和40年代は前田武彦とコント55号でお昼のゴールデンショーやってたんだよな。
その後月野家円鏡が引き継いであの枠は生の公開番組が長かった >>442
ただ小松政夫は伊東四朗の狂気を引き出せる最高の相手だった いいともでの乱入者のあしらい方とか、今夜は最高でのトニー谷との絡みとか見ると、この人すごいと思うわ。 タモリを初めて見たのは12チャンネルの「モンティ・パイソン」だけど、
いいともが32年も長々と続いたのは「徹子の部屋」みたいに
テレフォンショッキングで毎日違うゲストとトークする
コミュ力の高さがあったからだよ >>485
結局、笑っていいともはテレフォンショッキングでのタモリとゲストのハプニングや緊張感があるトークが全てだったんだよな。
ゲストが番宣になってからはやっぱりつまらない >>135
もともとのタモリはサロンでしか通用しないお座敷芸
お座敷芸が大衆に受けた、という点で、落語と通じるものがある
タモリは自分を芸人じゃない、と言ってるけど、ものすごく原初的な芸能の基本みたいなところがある タモリは密室芸だけかと思いきや
誰とでも話を合わせられるスキル、雑学、そして経歴からすると意外な勤勉さ
これら全てがバラエティータレントとしてマッチした稀有な存在 >>443
ネットで見た1969年発売の受験雑誌のランクだと
早稲田二文は立教社会、立命館文とかと同じだから別に悪いというわけでもないんだな。
設置後数年の早稲田社学はそれより下で明治文とかと同じ。 タモリは普通の会話が面白い
生理的に受け付けなかったけど偶然ラジオを聞いていきなりファンになった
一週間の出来事を淡々と話してただけなんだけど 昔のオールナイトニッポン聴いてたらタモリがすげー早口でたけしみたいな喋りしててビックリ 嵐は童顔だからわかりづらいけど60は越えてるわけか タモリは歳取って良くなったな
若いときはアクが強くて見ててキツイ時が有った 名古屋小田和正ミュージカルさだまさしが嫌いで
ジャズ地質学鉄道料理が好きな人は信用出来る テレホンのゲストがイグアナやってってお願いしたらやんわり拒否してたよな タモリは素顔が醜いからサングラスかけてるの知らない奴多いんだよな
ほんと素顔とか眼帯でテレビ出てるときとか気色悪かったよ この本読みたくなったわ
社会学者が書いてたのか
確かにそういう感じがする >>222
タモリンピックのくだりは覚えてるわ
昔はタモリマジメでつまらんなって思ってたがお笑いがマジメにゲームやってもしょーもないってのも正解だしMCがそれ許すとボケ合戦になって趣旨が変わるから注意するのも正解だな >>479
普通の自営業のオッサンだが?
バカも程々にしとけこの糞カス虫野郎が 笑っていいともで「ミスターレディコンテスト」ってあったよな。
おすぎとピーコみたいなわかりやすい「おかま」が主流の時代において、
今で言うGENKINGみたいな、見た目もきちんと女の元男が昼間のお茶の間に出てきたのは衝撃だったと思う。
まあでも今ならあり得ないコーナーだったけどな。
タモリが「男同士だからこんなことやってもいいんだよ」とか言いながら抱きついたりおっぱい揉んだりしてた。 >>499
さだとタモリは共通項かなり多いんだよな
九州出身
鶴瓶と大の仲良し
鉄道ファン
古地図・江戸時代大好き
大学中退
年齢はタモリの方がずっと上だけど、仲良く出来そうなのに
タモリが攻撃的すぎたせいで。 >>478
初期のテレホンショッキングは本物
ある日は、どういう訳だか普通の少年がやって来て
無口の少年相手に「困ったなー」と終始つぶやいてた
チェリッシュ(旦那がくせもの)
小田和正
この二人は喧嘩上等でのりこんできた
目の前でガチバトルが繰り広げられるので
視聴者はハラハラドキドキで見てた
後で知ったけど、チェリッシュは名古屋出身
当時、タモリは名古屋を馬鹿にしてたので
チェリッシュ旦那は、いつか懲らしめたろと思ってたんだろ
で、その目的は果たしたと 我慢強く、成長させようと言う気概だな
すぐに降板するようでは なんかもうこの辺の50代より上じゃないとわからない
そしてネットでは時代の空気感や当時の社会の状況など知りようもない近過去に対して
適当なことを言い出す奴が増えてきたな 時代の空気感やら直撃世代などの経験則は、知識や伝聞に勝る事に気がついたけど
そんなん自分達じゃどうしようもないし膨大すぎて体験量じゃ勝てないし
時間がないがどうにかしなきゃつって、若者の動画サイトやらの倍速視聴が流行り始めたんだな タモリはその人間性で視聴者から愛された反面 その人間性のために今の腐りきった業界から離れつつある印象 >>10
しばらくして仲直りのゴルフに行っちゃったりする 当時小学生だったが、笑ってる場合ですよがオモシロかったので、
いいともには期待していなかったな
当時のタモリって笑ってる場合ですよの出演者に比べたら数段落ちた芸能人だった気がするが? タモリをお飾りにしたことが勝因
あととにかくゲストが豪華すぎた タモリがいいとも!の司会にならなかった世界線(←最近この言葉を知って使いたくてしょうがない)を知りたい
今どんな位置のタレントになってたんだろう 持ち芸のエログロナンセンスを封印しただけ
タモリにとってはめちゃくちゃ簡単な作業 いいともより前にNHKの永六輔と黒柳徹子の番組にレギュラー出演してたような覚えが
既に密室芸みたいな認識はされなくなっていたのでは >>508
鶴瓶が両者の仲を取り持つってできないのかなw しゃぼん玉ホリデー復活特番で賑やかしの若手みたいな感じでクレイジーキャッツにどつかれてたタモリ >>524
俺もそう思うんだけど難しいかもね
さださんも当時相当叩かれて根に持ってると思うし 最初にタモリを知ったのは高信太郎のオールナイトニッポン。一回ゲストで来て
次からはタモリのいるバーに電話して芸をさせたりしてたな。高のオールイナイトが
終わったらすぐ裏の林良雄のパックインミュージックに二人で出たりした 高信太郎がタモリをバカにしたとかでたけしがめちゃくちゃ怒ってたな北野ファン倶楽部で
「てめえはマンガでも何でも一度も人を笑わせた事ねえ癖にタモリに何か言うんじゃねーよ」つて >>530
高信太郎もジャックと豆の木の住人だったのに、何があったのだろう。高は愛知県の出身。どっかが先だ? あの頃のタモリは気持ち悪かったからたw
眼帯着けてイグアナの真似してペロペロしてた頃
学校行ってて昼間に番組なんか観てなかったけど子供にウケる芸風ではない >>530
タモリとたけしは芸風が異なるから相容れないところはあるけど、
互いに同時代の戦友というリスペクトを感じるね。 >>516
タモリは当時流行っていたサブカル系の芸人だから大学生くらいの年齢層に「ドリフや漫才ブームなんて幼稚すぎ。タモリの面白さを理解できるのオレかっけー」的な扱いはあったんじゃないかなぁ。
小学生にはやっぱり気持ち悪いだけだと思うけどw >>460
あの人、のちに千葉の県会議員になったんだっけ >>54
あんだけタモリが続いたのに反対した責任取ってないな ID:LS2AeOAa0
やっぱりナマポ婆だった
チョイスする言葉が一緒
容姿がおっさんなんだろw タモリは何をやらせても器用にこなすが、演技だけはダメだった
NHKがタモリ人気に乗って無謀にもタモリを主役に抜擢した詐欺師ドラマは
タモリの暗黒史 >>534
たけしはなぜか分らないけど漫画というものを全く評価してない感じがある
昔、「何なんだよあの漫画家は」と小林よしのりを見下したように語ってたことがあった 誰だったかゲストの話を聞きながらタモリが紙にメモを取ってて
何を書いてるのか覗き見したら電力マークだったという話があった >>541
オメコマークやろ
タモリの定番のギャグやがな 放送してなかったうちの地方でも「明日来てくれるかな」「いいともー」は知ってた
紙メディアやラジオで話題になってたから
テレフォンのトークだけ収録した本が何冊か出てたな 今考えるとテレフォンショッキングは大変だったろうな
一時期は話しづらい相手のときは大汗かいてたからすぐ分かった タモリさんはまず休まない体調管理のプロであると同時に
知識を吸収する力に長けていたからトークの幅が広かった
ラッパーとかとも苦にせずトーク繰り広げられる芸人はタモリさんくらいだろ >>1
今にして思えば事務所gs捩じ込んだんだろうな >>1
その三人から始まって
オリンピックの開会式で終わった タモリは若者に無理矢理迎合している感じがしないからいい >>538
こういうキチガイ野郎は相手にしないのが吉なのだが
本気でキモいな
特に最初の>>406とかな
スイカみたいになるまで顔面グシャグシャに踏んでやりてーわ >>507
美人でモテてた頃のはるな愛、プロになる前の楽しんご・・・
いろいろ発掘したわな 当時昼時間でお姉を普通に扱ってた
タモリがおすぎとピーコと仲が良かったのもあるだろうし ID:LS2AeOAa0
婆さん丸出しでなおかつ内容がえげつなくてどんだけ不幸なんだか
哀れ >>509
一番の伝説回は故・有吉佐和子氏の番組ジャック
その後自殺した >>546
音楽は大好きだからどんなジャンルでも食いついてた
田中健にケーナのこと深く掘れたのはタモリだけだったw
苦手はスポーツマンで共感ゾーンがないから「へーへー」で終わってた >>554
黒柳徹子は演出だけど有吉佐和子は躁病からのガチ事故だったみたいだな 片桐はいりの遅刻
田中裕子が自分のマンコについて言及
素人参加なのに子役が自ら「キリンプロ」仕込み暴露
最終回たけしの小倉さんのズラに触れる
いいろもは俺の青春だった >>540
教育ママの母ちゃんがマンガ読むのを禁止してたんだろうな >>554
それはすべて番組側の演出で、自殺ではなく心不全ということで
終わってるぞ いいともも最初の3年くらいは漫才の人ばかり出てた場合ですよ!との差別化なのか、
基本サブカルキャスティングで深夜ノリのマニアックなことばかりしていたけど(セックス相談とか)
場合ですよにも出ていたさんまをレギュラーにした頃から方向転換してつまんなくなった
その後のダウンタウンも使い切れてなかったし
そしてSMAP登用くらいから国民的番組化とタモリの置物化 >>543
昼間から司会者が(映さないとはいえ)毎日おまんこマークをニヤニヤしながら書いて
「満蒙開拓!」とか叫びながら謎の儀式をする番組ってよく考えたらすごいよな笑
今の子役あがりのタレントが偉そうな持論を言う番組と同じ枠だよ
昔は良かった悪かった論ではなくて、日本そのものが変わった >>558
はいりは出演者、スタッフ、観客、視聴者全方位に向けて「ごめんなさい!ごめんなさい!本当にごめんなさい!」と謝り続けたな。
時にさんまは確か三田寛子のお菓子コーナーで誤って材料をひっくり返してしまい、自ら後片付けをし続けたのを気に入られ、レギュラーになったような。
演出かも知れんが。 いいとも初期のレギュラー陣見るとマニアックすぎて、よくこれで数字取れたなという感じがする。
生放送でまとめ上げるタモリの力量が凄かったと感心する。 >>560
睡眠薬の飲み過ぎで所謂オーバードースだな >>566
初期の頃の主な視聴者はお昼前に起床した大学生あたりなんじゃないかな?w >>485
徹子の部屋、以前は毎年タモリがトリを務めていたが、
最近はモーニングショーの羽鳥&玉川コンビに変わった
初回のテレフォンゲストは桜田淳子で、次に呼んだのは、
桜田やピンクレディ、いいとも青年隊の「お昼休みはウキウキウォッチング!」
の振り付けをした土居甫だった > 徹子の部屋、以前は毎年タモリがトリを務めていた
楽しみにしてたが出なくなったね
番組なくても年に1回食事をタモリ宅に女性を連れて
料理をふるまうのが恒例になってたのに
徹子SPかなんかで最近タモリさんともお会いしてませんが・・・
って言ってたから何かあったのかね? 小学生の頃いいともの三田寛子とタモリの料理するコーナーがやたら好きだったわ
あとテレフォンショッキングの塩沢トキのカラフルなでかい眼鏡が印象的でそれだけ覚えている >>539
モノマネは演技じゃないのかw 人物描写はうまいだろ >>528
テレビファソラシドの中でタモリが「NHKはゲイ禁止なんだけど、ギリギリ許されるのが永六輔まで」って言ってたw
その時 永があわてて「私は結婚して子供もいますから!」って大声で取り消していたw
やっぱりその時代にNHKがゲイ禁止なのは本当だったってわかったよw
今はLGBTを必死に煽っているNHKがw >>486
矢田亜希子ゲスト回の時に開き直ってお友達紹介方式をやめて次のゲストは番組側が指定するように いいともとかジャングルTVとかタモリ倶楽部とかトリビア、ボキャブラとか
タモリの番組かなり見ててタモリのこと嫌いじゃないのにタモリで笑ったことはない
面白いこと言う必要がないポジションなんだろうな > やっぱりその時代にNHKがゲイ禁止なのは本当だったってわかったよw
おすぎとピーコは当時NHKはNGで出られなかった >>576
そのくらいのキャリアのときは小ボケ程度で基本ツッコむことが多かったね >>1
タモリは古坂大魔王+江頭2:50みたいなもんだから夜ならともかく昼出来るとは思わんよね > いいとも復活させろよ
春 秋 年末年始 どれかで同窓会SPやってもいいけどな
今はコロナで無理だろうけど 江頭2:50って感じではなかった
暴れる訳じゃないし
天竺鼠河原が昼帯の司会するような感じ 大成功したのはタモリをお飾りにしたこと
完全に司会進行に徹してテレフォンも当たり障りのないことだけ >>576
昨年上梓されたビートたけしの著書『弔辞』でも
「タモリは司会者、芸人じゃないから」と記していたな タモリだと上層部からクレームくるので「森田一義アワー 笑っていいとも」 >>278
たけしが毎日昼12時にスタジオに規則正しく来れるわけがないっていう理由だったな >>574
しかし本当に不自由な時代になったな
昔の空耳なんてゲイ ホモネタ満載だったからそういった過去の名作選も流せない
ボキャブラでもしょっちゅうあった タモリの楽屋には時刻表や船に関する本などが置かれた書棚もあった。 故横沢プロデューサーが大昔にいった言葉
「タモリは大鵬、たけしは柏戸」
例えが古すぎだが寧ろ今の年齢の二人を見たら逆にしっくりする >>558
田中裕子は覚えている
テレホンショッキングで次の日のゲストへの伝言をタモリが書き取る時に
メモにいつもまんこのイラスト描いていて
普通の女のゲストだと驚いた顔したり嫌な顔したり反応が面白いんだが
田中裕子は平然と
「ワタシのはココのところがこうなってます」
とか言った。
今の田中裕子じゃないぞ20代の妖艶な色気の頃の田中裕子 >>587
関東の浅草出身系と関西は絶対タモリを芸人とは認めないんだよね
理由も昔は弟子修行してない(今はほぼ養成所しかいない)
とかあぁだこうだと難癖付けてるけど
タモリは4ヶ国麻雀とか中洲産業大教授とか今までないスタイル
おまけに音楽や芸術に造詣があった だから岡本太郎があんなにトーク
でしゃべり倒して面白おじさんキャラになったけど 他の芸人は誰も引き
出せなかった 浅草関西芸人は自分たちにないものに反発してた感があったな >>599
だから、たけしは形式的に仲悪かったということにしていたのか。BIG3とかも師匠死んでからだったな。
タモリもいた面白グループに最初はたけしも加わっていたが「俺には合わない」と、すぐ脱退したけどな。 当時の印象としては起用案に出る事すら不思議な芸風、雰囲気だったな。ど素人を引っ張り出したのと大差ない感 >>601
多分NHK「テレビファソラシド」を見て「茶の間でもイケるんじゃないか」と踏んだのだと思う。 さんまのまんまにゲストで出た志村がさんまのいいとも降板の話題に乗っかって
俺も鶴瓶ちゃんに会う度にいつまであんなつまんない番組に出てんのよって
言ってやってるのよってディスっててタモリの事が嫌いなんだなと まあさんま、たけし、志村は天下とったことあるけど
タモリとか赤塚不二夫が福岡から連れてきただけの素人だもんな。。。 さんまがタモリを面白くしてただけだもんな
さんま御殿の司令塔ぶり見たらアイツ誰でも面白くできるモン。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています