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 確かに、ミュージシャンの一挙手一投足に品行方正であるように求めるのは難しいことです。
 また90年代のサブカル界隈では、あえて悪趣味な行動や発言を好む“鬼畜系”なるムーブメントがあったのも事実。小山田氏の“いじめ武勇伝”や、その内容を躊躇なく掲載した編集サイドの意向が、そうしたムードに支えられていたことは想像に難くありません。インターネットが普及していなかった当時、これが炎上することもなく、普通に流通していたのです。

 けれども、小山田氏と編集サイドは、そのようなムーブメントの意図するところを完全に読み違えていたのではないか――そう論じているのは、『90年代サブカルの呪い』(2019、コアマガジン)の著者でミュージシャンのロマン優光氏(48)です。
悪趣味の意味をカン違いしている

 90年代・悪趣味カルチャーの輝きを知っているロマン優光氏は、小山田氏のインタビューをリアルタイムで読んで、当時でも嫌悪感を持ったといいます。偽悪や露悪趣味を誤解していたがゆえの事例として、小山田氏の一件をこう論じています。

<変な話ですけど、ギリギリのところでモラルを守るというか、モラルを理解した上で(当時としては)ギリギリのところで遊ぶのが悪趣味/鬼畜系だったし、何度も書いてますが、実際に鬼畜行為に及ぶことを推奨していたわけではないのです。

 それを鬼畜行為の当事者として、著名なミュージシャンが反省もなく面白おかしく語るというのは、頭おかしすぎなんですよ、当時としても。普通に考えてリスク高すぎです。
 誰も彼もが時代の空気に浮かれていたとしか思えないし、そもそも流行りに乗っかってみただけで、何もわかってなかったんだと思います。>
(『90年代サブカルの呪い』より)
薬物や不倫とは次元が違う

 実際のいじめエピソードはもちろん、こうした耐え難い軽さを感じたからこそ、ネット世論も一斉にNOを突きつけたのでしょう。それは、野次馬根性からくる“ネットリンチ”とも違う。小山田氏の“汚点”は、25年以上経った今も、本質的で決定的な拒否感を呼び起こすほど、むごたらしいと言わざるを得ない。

 違法薬物や女性問題などが報じられるたび、ミュージシャンの作品と人格についての論争が巻き起こります。ところが、今回の小山田氏については、そうした形で擁護する人がほとんどいません。
 やはり、これは次元の異なる、実際的な悪として処理すべき問題なのでしょう。
<文/音楽批評・石黒隆之>
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc237c681acb3755b22980a7886c6278ce858a33?page=2