https://bunshun.jp/articles/-/45611
 

雨宮塔子「息子はフランスの高校1年生、生活指導の面談で感じたこと」

「文藝春秋」6月号「巻頭随筆」より

雨宮 塔子 7時間前

 先日、息子の生活指導の先生に会ってきた。息子はフランスの高校1年生。遅刻することが多く、点呼に間に合わないので欠席扱いになったり、先生によっては遅刻者は教室にさえ入れてもらえないため、必然的に欠席となる。届けのない欠席日数が多すぎると、面談の要請があったのだ。




息子のだらしなさは私の責任でもある

 息子の欠席扱いは、とくに昨年の12月に集中していた。私が年末の報道番組に出演するため、1カ月近く単身帰国していた時期だ。年末恒例のこの番組は6時間半に亘る生放送なのだけれど、事前に番組宣伝の収録や打ち合わせがあるため、最低でも放送日の2週間前には日本にいなければならない。今回はコロナ禍で帰国後2週間の自主隔離もあったから、日本滞在は例外的に1カ月にも及んでしまったのだ。

 息子のだらしなさは私の責任でもある。先生に欠席の内情は遅刻であることと、12月は私が丸1カ月不在だったことを正直に告げると、驚いたように目を見開くので、思わず口走ってしまった。

「このコロナ禍で、1年ぶりの大事な仕事だったのです。私も働かなければなりません。生きていくために……」

「それはそうよ」

 すかさず深くうなずいた後、先生は同席していた私の息子の方に向き直り、

「なぜお母さんが心穏やかに仕事に向き合えるようにしてあげないの?」

 と静かに諭すのだった。





もしこれが日本だったら?

 私はジェンダー・ギャップ指数、16位のフランスに住んでいる。今回の面談時だけでなく、働く女性や離婚したシングルマザーへのスマートな対応によく救われている。息子の生活指導の先生がたまたま同じような境遇にいるとか、あるいは女性だったからではなく、他の先生や男性教師でも、おおむね似通った対応を受けられたことと思う。

 が、もしこれが日本だったら? 1カ月も離れるのは無責任だと批判されるか、あるいは、こういう母親だから息子の躾もなっていないのだと言われるだろうか?

 フランスを一度離れてみて見えてきたことがある。人はみな一人ひとり、考え方も生き方も異なって当たり前で、その他者を尊重する姿勢がここフランスでは人々に刷り込まれているということだ。多様性を受け容れる、というと安易に聞こえるかもしれないが、環境も背景も民族すら異なった人たちが自分の信じたことや進みたい方向、権利といったものを得るためには時には闘いも辞さない覚悟がそれぞれにあって、裏返して言えば、そういう他者からたとえ自分に迷惑が降りかかったとしても尊重しようという寛容さにも通じている。
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://bunshun.jp/articles/amp/45611?page=2