コント55号vsドリフターズ 萩本欽一が明かす「土曜夜8時戦争」の真実 [幻の右★]
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「強敵」と書いて「とも」と読む……昭和という時代には、そんな“くさい”言葉がふさわしいライバル関係があった。芸能、文化、スポーツ、ビジネス……さまざまなジャンルでの切磋琢磨が、この国を豊かにしていった。
バラエティ番組史に残る戦いが、1960年代後半の「土曜夜8時戦争」だ。
先鞭をつけたのは、萩本欽一と坂上二郎の「コント55号」が舞台上を駆け回る『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ系1968〜1970年)だ。当時、「土8」といえば歌謡番組かドラマと決まっていたが、萩本と坂上のコントに視聴者は釘付けに。放送開始からわずか半年で視聴率30%を超えるお化け番組になった。
この牙城に切り込んだのが、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS系1969〜1985年)である。
アドリブ主体のコント55号に対し、ドリフは徹底的な作り込みで知られた。水曜昼にドリフとスタッフが集まり、土曜の生放送まで連日連夜の打ち合わせ。いかりや長介は一切の妥協を許さず、稽古が深夜に及ぶこともザラだった。
スタート直後の『全員集合』の視聴率は15%前後。『世界は笑う』にダブルスコアをつけられていたが、キャンディーズや沢田研二など大物ゲストを次々と投入し、わずか1年で逆転。『世界は笑う』は1970年3月に終了し、コント55号の2人はソロ活動に移った。
萩本が振り返る。
「もともとドリフとは仲良かったの。当時ぼくは大井競馬場で馬を持っていて、コーちゃん(仲本工事)とは大井でしょっちゅう一緒になってた。カトちゃん(加藤茶)交えて3人で麻雀したりね。でも、メディアがライバル構造を作るもんだから、お互い意識しちゃってさ。カトちゃん、コーちゃんとある時、『プライベートで一緒に歩くのはやめよう』って決めたんです。
当時、二郎さんとよく『ドリフに敵うわけないよ』って話してたっけ。彼らの稽古はすごいもん。毎週毎週、何時間もさ。TBSの他の番組に行くたびにドリフの稽古を見ていたから、肌で感じてたんだ。僕らは稽古なんてしないし、瞬発力で舞台を駆け回ってただけで、ドリフの『計算された団体芸』とは力の入れようが違ったよね」
盛んに取り上げられた『全員集合』との視聴率戦争について、萩本は一歩引いて見ていた。
「会場のお客さんにウケたかどうかがすべてだから、数字なんて教えてくれるなとスタッフには言っていたの。僕らは台本もペラ1枚だし、ぶっつけ本番で勝手に動き回るからカメラが追い切れない。テレビ向きじゃなかったよね。『全員集合』とは作り方が何から何まで違ったから、比較しないようにしていたんだ」
一方、コント55号を追いかけたドリフも苦労は絶えなかった。仲本が語る。
「相手のことを考える余裕すらなかったってのが正直なところ。毎週、いかりやさんの指示に従うだけで、もう必死ですよ。『全員集合』の合間には地方興行もあるし、ヘトヘト。いかりやさんは『他のことは考えるな。自分の番組のことだけ考えろ』ってよく言ってた。TBSからは数字のことも散々言われていたと思うけど、そういうやり取りは全部いかりやさんが引き受けてくれた。あのワンマン体制があったから、『全員集合』は成り立っていた」
そんなドリフが『世界は笑う』を追い抜いた要因について、「僕らがバンドマンだったことが大きい」と仲本は話す。
「ステージで生演奏してるから、もともと生放送に向いてたんだ。間が空けば自分で繋げる。あとはリズム感。ドリフの強みは5人がリズムに合わせて一斉にずっこけられること。くしゃみひとつで転ぶのは音楽のリズムと同じ。ある種の“踊り”みたいなものでね。分かりやすくて、子供も大人も楽しめたんでしょう」
その後、1975年に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジ系)がスタートし、第二次土8戦争が勃発。萩本が語る。
「お笑い番組が花開いた時代だったよね。いまの芸人は言葉で笑わせるけど、僕らもドリフも『動き』が基本だったから、脳で笑うっていうより、直感でお腹を抱えてくれた。当時は笑いが起きると文字通り会場が揺れたもんです。お茶の間でも家族全員でドカンとね。そういう笑いは、今は難しいのかもしれないね」
※週刊ポスト2021年5月7・14日号
5/3(月) 7:05
https://news.yahoo.co.jp/articles/da9ca3898aab06edac852ab5f45c82a6bcaf8785 俺が見始めた頃は古臭えジジイだなって感じの氷河期世代です 悪の組織が日本のコンテンツを潰し合わせる編成に口実を与えてはならない >キャンディーズや沢田研二など大物ゲストを次々と投入し
記者が当時を知らず、資料にキャンディーズの名前を見つけて「大物ゲスト」と思い込んだか
キャンディーズはもともとこの番組のアシスタント
だからデビューしたときも、「8時だよ全員集合」のアシスタントの女の子が
歌を出しましたってイメージで企画物っぽかった
.
当時、ちゃんとしたアイドルはソロでデビューするから、グループという時点でB級臭。
しかも同期は、山口百恵、桜田淳子、浅田美代子らだからアイドルの主流は当然そっち
その3年後にピンクレディがデビューした。アイドルで3年違いは一世代の差に近い
これが大ブームになったことで、同じグループアイドルとして
ピンクレディのライバルみたいな形で先輩のキャンディーズも引っ張り上げられた
ピンクレディは女子小学生がはまって社会現象的な人気があったが
キャンディーズファンは若い男がメイン。そいつらにとっては神だったろうが
一般的にトップのアイドルだったとは言えない。実際ランキングでも1位になったことはない。
解散が発表され、最後の曲くらい1位にしようとファンらが運動して実現した >>10
ゴールデンハーフやろアシスタント
キャンディーズはどちらかというと伊東四朗、小松政夫のテレ朝の番組 今にして思えば何で同じ時間にやるんだよ?って感じだw 8コント55号→6全員集合→8ひょうきん族→6ごきげんテレビ→8ごっつええ感じ 今の土曜ゴールデンのつまらなさ終わってんだろ
見る番組ねーんだが ダウンタウンてかけだしのころ
欽ドンにでてなかったっけ? 志村も東村山までウケなかったからな
すわしんじのほうがウケていた ついこの前ラジオで欽ちゃん出てたけどフガフガで全く聞き取れなかった
晩年の永六輔のようだった アラフォーだけど記憶に残ってるのはごきげんテレビくらいからだもんな
5ちゃんじゃアラフォーなんてまだまだ子供だな 土曜の夜は昔のテレビを探して見るようになってきたな >>7
まーそれもそうだけど
いかりや長介とかが年齢的に番組を作り上げるのが厳しくなってきたってのも >>19
めちゃイケって金曜だったっけ?
土曜じゃなかった? お笑い土曜八時の都を目指して上洛せんとするものたち
今日はお笑いの歴史です
今川萩本、ぼんち光秀の乱 >>11
あんたの記憶が「みごろ!たべごろ!笑いごろ」からってだけ
ゴールデンハーフはキャンディーズの前のアシスタント
伊東四朗・小松政夫の「みごろ!たべごろ!笑いごろ」は1976年スタート
この前年にキャンディーズはやっとヒットが出て人気者になったからメインに抜擢された
1972年4月: NHK『歌謡グランドショー』のマスコットガール兼アシスタントとして「キャンディーズ」誕生。
1973年4月7日: TBS『8時だョ!全員集合』のアシスタントとしてレギュラー出演
1973年9月1日: 「あなたに夢中」でレコードデビュー
1975年 センターをスーからランに変更。シングル5枚目年下の男の子が初ヒット
1976年 ピンクレディデビュー
1977年 解散
huluに入ってるならこれ
https://www.hulu.jp/watch/100020984
太田が同じことを語ってる あまりお笑いの仕事がなくて関西制作のドラマばっかりやってた頃のさんまが
欽ドンに出たことがあった
素人もタレントもアドリブでイジり倒してた欽ちゃんに
ガンガンツッコミ入れてタジタジにさせてたのは後にも先にもさんまだけだった
さんまにとっては雲の上のような存在だったはずだが
物怖じしない肝っ玉な上に恐ろしく頭の回転が早い人だなと感心した記憶がある
今みたいな芸人の先輩イジリなんてご法度だった時代の話 あー俺コント55号まではぎり分からんわー
小松政夫のしらけ鳥
デンセンマンを覚えとるく位や 萩本欽一といえば祖母にチンポしゃぶられてたというコピペ
本当に本人が言っていたのかよ >>13
ごきげんテレビ→ウンナンのやるやらじゃないの? 全員集合はひょうきん族に最後やられたという話は良く聞くけど
、ひょうきん族はなんの番組に負けたの? 昔話→クイズダービー→全員集合→Gメン75
TBSが強すぎた >>28
その前の関西落語家が身体を張っていたセットが檻に囲まれて本物の虎を投入のドッキリは知らんか 結構有名だけどこの人で笑ったことないランキング
1位萩本欽一
2位蛍原徹
3位恵俊彰
4位太田光
5位土田晃之
6位西野
7位梶原
8位宮迫博之
9位村本
10位後藤 西山浩司(ワルオ)曰く、欽ドンを土曜の7時半に持ってきたのは、全員集合と同じ時間帯だと敵わないので、30分早く番組を始めてそのまま観てもらおうという狙いがあったとか
それでもドリフの牙城は崩せず、結局月曜9時に移動したけど 欽ちゃん知った頃はもう欽どこと月9の欽ドンだったから
ドリフとライバルって感覚なかったな
というかコント55号はほとんど知らない 50歳くらいなら
欽どん・欽ドコ・週間金曜日
欽ドンは月曜日21時だろ? >>32
昔話→クイズダービー→全員集合→Gメン75→金田一耕助
TBSが強すぎた コント55号としてネタやってたのって
ドリフみたいに舞台の公開収録でやってた「なんでそ〜なるの」あたりが最後か?
車だん吉とかがまだ取り巻きとして一緒にやってた頃 ライバルと思い込んでるだけだろ
ドリフは知ってたが55なんて知らん ウンナンって土曜枠の冠番組あったっけ
とんねるずは持ってたと思うが ヤッターマン見ながら飯食ってクイズダービーの間に風呂入り全員集合見終わったら寝る
幸せな昭和の風景 ただの世代の違いだろ
俺もクレージーキャットはさっぱりわからんしさんま世代までは行けるけどダウンタウンは反吐が出るほどきらい ひょうきん族は
とんねるず、ダウンタウン、ウンナンあたりにやられた感じかな
さんま、たけしはタレントとしてはまだまだ活躍してたけど 今のテレビ番組で全員集合や欽ドンに相当するような番組ってある? >>55
少し前までの鉄腕ダッシュとかイッテQ辺りかなぁ
それでも数段落ちるとは思うけど >>54
ひょうきんはたけしのフライデー襲撃事件で低迷し
全員集合の後番組である加トちゃんケンちゃんごきげんテレビに負けたのが大きい ひょうきん族もタケちゃんマンやらなくなってオクレとかジョージが出てきたころはつまらなくて退屈だった 欽ちゃんと仲本工事って同い年(昭和16年生まれ)なんだね
なんか意外だけど 萩本って天下取れてた期間短いだろ。ドリフは今でも通用するけど萩本は見れたものじゃねーよ。 全員集合とか欽ちゃんの番組とかは
そのなかで話題になると社会現象的な感じになったから
今は難しいかもね
今の芸人がダメというよりは
芸人がたくさんいるから、特定の人が特別のポジションになりづらい 時間枠違うけどフジテレビの19時代の所ジョージ司会で
子供相手の番組があった気がする ドリフが受けたのは大物ゲストとか関係なくシンプルに面白かったからだわ >>51
ウンナンのやるならやらねば
3年くらいで終わったから印象薄いかも 土曜夜は、バカボン→ライダー→ドリフ→キイハンターだよな 陰キャはキカイダー、デビルマンか >>62
練ったお笑いじゃなくその時の客にウケそうな事やる
そんな感じだから年数経ったVTR見てもつまらんよ >>64
カケフくんと間下このみのやつか
懐かしい >>73
そうだね
隙間を上手く使ったよね
今観ても面白いし ドリフの生放送が始まって直ぐに会場が停電になった回だけは幼い頃の記憶に残ってる 仮装大賞見るにいじりが得意なんだろw
それだけじゃ弱いよなw🔥 >>26
スクールメイツから出てきた賑やかしって感じだもんな。 >>63
第7世代という大きい括りはあるけど
突出したのはいないね >>27
動画上がってるから見てみたけど面白いなぁ
さんまの芸風今と変わんねえ >>66
番組内のゲームで香港の人気バンドのVoが亡くなってしまってそこで打ち切りだったな >>77
西城秀樹がその場にいたから西城訃報スレで飽きることなく語られたな 今みたらおっくんがなぜ人気者なのか
理解されないだろな >>15
マイルド欽ドンってのに出てた記憶ある
欽ドンのかなり末期の頃だね
紙相撲みたいなのをダウンタウンが実際にやってた >>1
「水曜昼にドリフとスタッフが集まり」とあるがこれは間違い。
水曜は作家だけが集まってネタ出しを含めた打ち合わせをする日。
木曜からドリフが入る。
木曜午後からは翌週のネタ出し。時には日付変わるまでひたすらネタ出しに費やす。時間のほとんどが沈黙。それはそれは重苦しい、有名ないわゆる「木曜会議」。
ここで出されたネタを元に美術や小道具を準備し始める。
一週間しかないからタイト。
金曜は前週の木曜会議で決めたネタをひたすら稽古。
土曜は本番。全国を回っていたので、朝から現場でリハーサル。
夕方から客入れを始めるが大抵の場合リハはまだまだ続く。
本番前、いかりや自身による前説。
午後8時、いよいよ幕が開く。 浅草投げ出し
番組投げ出し
野球投げ出し
大学投げ出し いま改めて観ると全員集合は面白いよ。
当時はそう思わなかったけど ひょうきん族はカトケンに負けたってより
たけしのフライデー事件で自粛した事の失速だよね。 80年代中盤からたけしとか自分のタイトル番組増えて
ひょうきん族で見なくてもいいやとか思い始めて >>32
アラフォーだから
昔話じゃなくて
所さんのただものではないだわ 50年以上前の番組だぞ
見てた奴ほとんど死んでそう >>54
感覚的にはそう
実際の数字はカトケン負けたからってことだけど
話題性はとんねるずのみなさんに奪われてた キャンディーズの活動は1972〜(レコードデビューは1973)だから、「世界が笑う」時期とは無関係。 萩本はとにかくしつこい
同じことを何度も二郎さんや素人にやらせる
みててウンザリする
キチガイの偏執狂だよあれは >>101
ドリフはレトルト、ひょうきん族は生鮮野菜
後者は旬の世相や流行り物をコントに色濃く織り込んでいた
今だったら小室圭やマリエネタで毎週引っ張ってた訳で、そのコントを数十年後の若い世代がみて理解できないのは当然なのだ 昔が良かった点は競争で負けたり、視聴率がピークアウトしたらすぐに打ち切りだったことだな。
今はしょうもない番組でも10年続ける >>16
荒井注の後釜はすわしんじだと思ってたちびっ子も多く、志村加入に対して「…誰こいつ」という目で見ていた。
そして志村は2年ほど暗中模索の時代を迎えるのです。 >>7
高田文夫も駆け出しの頃は全員集合の作家だったらしいね。でもいかりや長介が怖くて何も出来なかったと、その後全員集合から離れてひょうきん族に移った。でもそれは自分なりの恩返しだと 婆ちゃんは欽ちゃん見てたな
ひょうきんがドリフに勝ったのは当時全員集合を夢中に見てた子供達が中学生ぐらいの思春期になって楽屋ネタのあるひょうきんに移ったからだと思う >>56
あらゆる意味で当てはまらない
つーか相当する番組が皆無 >>55
スマスマが最後だな
NHKで内村がやってるのはなんか違うわ >>107
ドリフも結構時事ネタ多かったけどな
馬は?「もうやりません」とか >>88
西城さんは停電の時も居たし、ジャングルコントで火災が発生して打ちきりになった時も居ましたよね 全員集合で見てみたいのは、メンバーがやらかして休みになって
少ないメンバーでやっていたときの映像って残ってないのか封印なのか
ユーチューブとかで見ないなと コント55号人気はすごかった
学校でも流行って真似した子が
ケガしたりしたかな
若い芸人に多大な影響を与えた。 1980年代半ば 日テレの土8は巨人戦だったが、
試合の無い日 オフシーズン 何を放送していたのか全く覚えていない
TBS全員集合 テレ朝暴れん坊 フジひょうきん族 欽一って芸風はバイオレンスだし企画は野球拳でエロだし
とんでもないヨゴレだった ドリフと言えば全員集合のイメージ強いけど、
毎週生でやってたせいか、正直完成度はイマイチ
当時は楽しめたけど、今観るとな
コントとしての完成度はドリフ大爆笑の方が圧倒的に上 土曜の午後外で遊んで疲れるとクイズダービーの時間に寝落ちして全員集合見逃す時があるんだよな
もう悔しくて悔しくて コント55号
・ライバルについて
>ザ・ドリフターズの志村けんは、コメディアンを目指す際、コント55号かザ・ドリフターズのどちらかに弟子入りするか迷っていたそうであるが、
>音楽性の面からドリフに弟子入りすることに決めた。後に、自身のラジオ番組で
「ドリフに入ってよかったと思う。コント55号に弟子入りしていたらどうなっていたことか」と、コメントした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%8855%E5%8F%B7#%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93
全く世間に知られずに芸能界から消えてただろうな 欽ちゃんファミリーにはアドリブ禁止の教育してなかったっけ? 全員集合の初期ってのは音楽がかなりあって、アタマの20分コントをやり出してからようやく55号を追い抜いたわけで。
当時の55号は日テレの「裏番組をぶっとばせ」とか、フジの「世界は笑う」が凄かったんだけど、大阪万博が始まってすぐに「世界は笑う」は終わった。
あとはドリフの天下。
でも、欽どこでまた勝ったのは凄い。欽ちゃんの弟さんは、あの番町小学校の教諭から創価小学校の校長までやった。
学問に走る真面目な兄や弟がいる中でお笑いを突き詰めるという点で、どことなくビートたけし兄弟と似てる。 欽ドコでラビット関根と小堺が出てきて前座みたいな芸やっていまでは考えられないよな >>135
欽ドンは土曜夜
欽ドンよい子悪い子普通の子は月9 土曜日は
お笑いマンガ道場
ヤッターマン
クイズダービー
全員集合
の流れだよな 仲本が言ってるようにドリフの笑いはずっこけるタイミング
なのに志村が違う方向に持ってったから笑えなかった
同じ理由で大爆笑も好きじゃない 本当にいまのうちにこういう話本人に聴いといてほしい >>141
大功労者だからな
ドリフはTBSだけ、とんねるずはフジだけ >>142
お笑いマンガ道場は地域によって違うので >>117
大爆笑の方は時事ネタは多い タイガーマスク
スーパーマン 必殺仕事人 時をかける少女
南極物語 スーパーマリオ 子猫物語 エリマキトカゲ
当時人気あったものをよくコントに入れていた
>>141
欽ちゃんは叩かれただろ。
マンネリだ・面白くない・偽善の笑いだと、
散々叩かれて、充電期間だって休養しただろ。
かつては、視聴率100%男って、
週のレギュラー番組の視聴率を全部足すと100%になって、
マスコミから持て囃されてたのに、手のひら返しで叩かれた。 >>149
それは時事ネタというか単なるパロディでは 欽ドンとの第二次戦争の時は新メンバー志村が全く受けない低迷期で視聴率で欽ドンに抜かれる事もあったらしい >>150
欽ドンも低迷期からラジオ版欽ドンがウケての復活だろ
集英社が提供しプレイボーイ賞とかあった ひょうきん族に負けて番組が終了したところは書いてないのね >>150
よく知らんけど欽ちゃん、絶頂期に突然充電
そして元気が出るテレビが
お笑いバラエティーの基準を変えた革命
欽ちゃん復帰したら浦島太郎だったでは 志村が受けてないて
俺知ってる限りではすでに東村山とからすの勝手でしょだったが小学校で >>140
当時小学生だったけどのぞみが積木くずしに
出た時
がショックだった。 >>40
これはわかる。
評価されてる意味がわからん。
面白くねーわ あなたは もう 忘れたかしら
荒井 注が ドリフにいたこと >>157
東村山からウケたんだよ
それまで笑点の三平状態 >>134
俺も思った 欽ちゃん劇団は稽古も厳しいとか
ドリフの後追いだったんだな >>153
欽ドンはラジオの「行ってみよう」が受けたからテレビ版の「やってみよう」をスタートさせた記憶
時間も19時30分開始で全員集合に視聴者を持って行かせない巧みな編成 >>151
当時人気の時事ネタだからこそ、パロディで使うのだろうに
だいぶ後になって名前だけ聞いたら「それはパロディでしょ」
って思うだけ >>147
とんねるずは468と3チャネル出てたぞ >>37
太田は笑えるし、宮迫はぐっさんとのコントで笑ったことある 志村は本当にリズム感無いんだよな
ひょうきん族は単に漫才ブームのメンバーが出てただけ
やっぱり凄かったのは元気が出るのテリー伊藤 全員集合でネタ作りとかも含め3日4日とるから他の仕事殆ど出来なかったって言ってたな >>168
テリーなら元祖料理対決のテレ東の浅草橋 >>164
いやもうちょっと社会情勢とか事件とか扱ったネタのことじゃないの?
ひょうきん族で言えばフルハム三浦とかそういうやつ ドリフは初期メンバーで売れたから、
古参の荒井注が抜けた穴を新人の志村が埋めるのは無理がある。
しかも、全く知らない新人がいきなりレギュラーメンバーで出演して、
持ちネタもないのにウケる訳がない。
すわしんじがたまに出演してたからそっちが先だと思ってた。
東村山音頭で人気爆発したけど、それまでは本人もつらかっただろうな。 >>150
充電は萩本の意向で、その時点では視聴率はまだ安定していた
そして休養といっても全番組を降りたのではなく、TBSの週刊金曜日は引き続き出演していた
そんなこんなで半年経って本格的に復帰し欽ドンと欽どこを再開させたらまったく精彩を欠く内容で、そこから萩本への風向きが変わった
マスコミだけでなく視聴者だって思いっきり手のひらを返した
過去の実績がどうあれ、いま面白くないものを持て囃すようなお人好しはいなかった >>172
あまり覚えてないけど
加入当時は何やってもウケなくてかなり凹んでたみたいね
ディスコばあちゃんとか「お前それはないだろう〜」とかの頃かな そうか絶対共演しない2組なんだっけ
いかりやさんが亡くなる前に一回対談したんだっけ >>168
テリーはマジで凄い
全員集合やひょうきん族は今観ると大したことないけど、
元気が出るテレビは今でも通用する笑い >>177
エンペラー吉田は
今じゃ放送できないだろうけど
面白かった
偉くなくともただすく生きる >>176
テレビプレイバックっていうクイズで普通に共演してる
あの石田純一も出てた >>32
土曜の午後7はアニメ枠で
日本昔話 の前は
↓
はじめ人間ギャートルズ の前は
↓
ど根性ガエル
だったと記憶
ど根性ガエルはジャンプの原作も良かったけどアニメも面白くて夢中で観てた >>161
三平もどこで化けるかわからないから志村同様に見守るべきだ
…という考えだったが、志村は2年で覚醒したけど三平は大喜利メンバーになってもうすぐ5年なんだよな
やっぱベーツマ要らんわw >>177
今だと出ている素人の人が裏側とかついSNSに書いてしまうリスクが大きくて
もう無理な気もする >>180
むかし話の前は仮面ライダーじゃないか? >>20
WOWOWがYouTubeで配信している電波少年にゲストで出てたけど、同じ状況だったな >>3
ピンク色の亀頭が自慢の45才DTですが、入学希望です。
願書はどこで貰えますか? >>28
みごろ!たべごろ!わらいごろ!
あれは毎週楽しみだった
デンセンマン音頭はいまでも踊れるw 欽ちゃんは55号では台本設定無視で二郎さんを困らせて笑い取ってた。
欽ドンTV版以降は素人、クールファイブ、
お笑いとは縁遠かった真屋順子のような俳優を入れて
本番で追い詰めてアドリブで絞り出てくるものを笑いにするようになった。
基本ツッコミで自分で何かギャグをやって笑わせるタイプじゃない。
共演者の証言では稽古はしないかも知れないけど
放送作家を何人も居候させて周り固めてたし
終了後のダメ出しは深夜まで延々とやってたみたいね。 >>168
志村はそのかわり音楽への造詣は深かった
「ワーオ!」のシャウトやヒゲダンスとか早口ことばのバックトラックはソウルやファンク好きの志村の意向が反映されており、
ドリフの音楽ネタに新たな風を呼び込んだ >>172
みんなが知ってるドリフは末期のメンバーだよ
初期だと坂本九とかがいた時代。
志村は楽器ができないからバンドネタができなくなったってブーさんが嘆いていたけど
逆にブラックミュージック好きの志村発案で早口言葉とか
ヒゲダンスとか音楽ネタが増えたんだよね >>191
二郎さんも創価の強信者だったし欽ちゃん本人はどうだったんだろうね? 鬼軍曹いかりやさんは数字(視聴率)で勝ったが短命
ペライチの欽ちゃんは負けたが長生きしてる
わしは欽ちゃんがええなぁ〜 欽ドン!は視聴者からのハガキネタが面白かった
「欽ドン賞決定!」のセリフ懐かしい
https://youtu.be/QkCNU_KBFLo >>195
仲本、カトちゃんと仲良しの時点でお察し >>10
キャンディーズがアシスタントをしている全員集合を見てみたいんだけど志村メインの後期ばかりで嫌になる
ゴールデンハーフも見たいな
加藤茶や荒井注メインがみたいよ 当時は読売が巨人戦中継で高視聴率だったからね
でも土曜だけは子供にチャンネル権を与えている家庭も多かったのかな
それ以外の曜日ではON全盛時代の巨人に視聴率でまず勝てなかった気がする >>183
>>188
ごめん
自分の記憶違いか?
静岡県だったんだけどテレビキー局の関係だったかも? >>13
ごっつじゃなくてやるやらだろ
ごっつは日8 >>208
その辺は腸捻転があったりまだネット局が少なかったりでなんとも >>208
合ってるよ
当時のTBS系列は東京TBS大阪ABCだったから >>181
お前は俺か…っていうくらい同じ考えだわ。
三平が笑点メンバーに加わった時の場違い感を見て「まぁ、志村もこんな感じだったし、2年もすれば変わるでしょ」と
思っていたんだけど、三平は相変わらずだなぁ… しつこく志村一人に大オチやらせてた時期よりも
後のカトケンツートップ時代の方が今見ると安定して面白い >>189
広島の土人ちゃんは仕事見つかった?
35で無職は赤信号だぞ
351 ガニエ ◆XVw6e7To/o (スププ Sd42-HuqE [49.96.8.150]) 2021/02/17(水) 20:11:49.32 ID:t75FZ/qYd
>>349
もう1ヶ月ぐらい打ちにいってないかな
ディスクのおかげでちょいと貯金出来たから今は隠居してるよ
そろそろ働かないとまずいけど
てかディスク打つようになってからは面白いし平打ちでも甘いしでホールにもちょいちょい行くようになったけど新鬼以降はホールに行くの平均で月1〜2程度だからね
半年ぐらいホール行かない時もあったし
ディスクも家スロ相場下がったからホールじゃ打たないから今はホールに行く理由がないんだよね
エウレカ前辺りまでは暇さえありゃ打ちに行ってたんだけどね
もうめっちゃ前だな笑 >>4
先駆者がいたから革命が成り立ったわけで
天に唾するって言うのそういうのは >>10
当時の人気アイドルをナベタレ(渡辺プロダクションのタレント)を中心に投入してたって感じ。
由紀さおり、沢田研二はドルフメンバーと絶妙なコントをみせてくれた。 >>198
沢田研二とか最近では小島瑠璃子とやった鏡のコントとかもジェリールイスのパクり。ジェリールイスと言っても昔のガキとかは知らないからね >>95
子ども向けっていわれてたけど、今見ると子どもにはわからないようなネタ結構ぶっこんでるんだよな。 第1期全員集合のはまともにVTR残ってないんだよね。
めちゃくちゃ小さく映ってるオープニングは見たことあるけど。 >>180
TBS系列土曜夜7時は朝日放送のアニメ枠で
トリトン、ど根性ガエル、ギャートルズやってたが
ネットチェンジで朝日放送がNET(日本教育テレビ 現テレビ朝日)系列になって
朝日放送のギャートルズはNET系列土曜夜7時からになって
毎日放送がTBS系列になって毎日放送の仮面ライダーはストロンガーから
TBS系列土曜夜7時からになったけど毎日放送はストロンガーで仮面ライダーを
一旦終わらせて、まんが日本昔ばなしを放送開始した >>219
第1期というのは出発進行の中断前?
そういえば見たことないな >>193
ギミック要らない
普通に合唱団のコーナーで面白かったのに 欽ちゃんは天才だけど
毎回毎回初めてのように自然に間違えてボケる次郎さんも天才だわな ごっつにやるやらも寒かった
パロディはひょうきんが始めたのか知らんが
笑えたの
とんねるずだけかな 土8戦争の視聴率争いの流れ
コント55号→全員集合→ひょうきん族→カトちゃんケンちゃん→やるならやらねば→死亡事故で打ち切り
最後の土8勝者はウッチャンナンチャンの「やるならやらねば」 >>139
土曜のやつは生まれる前ですわw
ありがとうございます ショートコントという概念を発明したのが内村だと聞いた >>212
本当かどうかは知らんが早々にメンバーチェンジを考えられている志村と、
金持ちの倅で年寄り相手に親父の話をして頭に手を乗せるだけで喜ばれる人気者? では
立場や状況が違いすぎて危機感そのものも違うだろうしな まんが日本昔ばなし
・・・クイズダービー(お笑い頭の体操)
・・・ドリフ
・・・Gメン75(キィハンター、アイフル大作戦、バーディ大作戦)
が定番だったな >>193
志村はギタリストで数千枚のレコード持っててコントの選曲もやってた 55号のコントって、タイトルだけで内容分かると笑い出す人がまだいるんだよね
「机」とか「結婚相談所」とか
コンビ活動後半になっていくとシチュエーションだけ決めて、あとは全部アドリブで爆笑攫うとか化け物じみてきてた
いかりやや志村が、大袈裟なセットが無くてもそこまで出来る作品作りたいと嫉妬するくらい 視聴率100%男と言われた萩本の凋落ぷりがヒドイ。
ひとつ番組が終わったら立て続けに全番組が終わってテレビから消えた。
トドメは極楽山本を見捨てた態度に吉本勢が怒って萩本を潰した >>236
志村は他のメンバーみたいに音楽でメシ喰えてたわけじゃないからね…
そこの溝だけは最後まで埋まらなかった >>25
織タケシ信長、大ウケ狭間の戦い
比叡山フライデー焼き討ち >>239
そして津軽三味線にのめり込み名取になった >>3
これとブッサーの人がツートップ
夏目雅子似の人が少し検討
熱が出っぱなしの人わりと好きやけど
あんま人気ないね ドリフってビートルズの前座をやれるくらいの演奏力があったんだよな >>237
アドリブ芸の悲しい所なんだろうけど芸が頂点を極めると次第にアドリブ慣れして化学反応が起きなくなる、
空気がマンネリ化して解散まで行っちゃうからな
それを危惧してか客を弄ったり格下相手のフリートーク程度で止めておくのが長続きのコツになってる感じ
欽ちゃんがこれに走ったから後輩もそれを踏襲してるのかもな >>212
志村はメンバーとレギュラーになる前から仕事してたから内部昇格であり無問題。三平と笑点メンバーは何の接点も無いしそもそも力量が無い ドリフは同じネタの使いまわし多かったよね
兵隊が並んでいかりや以外のメンバーがボケるだけの回はハズレ ドリフて
かあちゃんこんと
学校こんと
雷さまこんと
ヒゲダンス
合唱
とあのお決まりがいいんだよな >>238
かつて欽ちゃんファミリーで売れた人達は、
欽ちゃんより売れだしたら追い出してた。
だから、欽ちゃんファミリーじゃなくなると消える。
そんな事やってると、自分が売れなくなった時、
誰も助けてくれない。
なれ合いがいいって言う訳じゃないけど、
芸能界は互助会みたいな所があるから。 スレ違いだが
コント55の野球拳と時代がずれるけどウィークエンダーの再現フィルムのエロ系のシーンが
性の目覚めw すわしんじは独立後もいかりや長介が何かと面倒見てたんだよな >>238
欽ちゃん球団もパンチ佐藤が突然クビになったよな
本人も理由がわからん、と 山本が捨てられたのはしょうがないと思うけど
あれで球団解散します、やっぱりやりますって茶番はさすがにドン引きした 自分の記憶では、物心ついた頃には志村は人気者だった。
加入したてで不人気だった頃の映像見られないかな? ドリフターズの魅力って、彼らが一流のバンドマンでもある事 呪われた欽ちゃんファミリー
・坂上二郎 東日本地震の前日に亡くなり追悼番組どころじゃない
・真屋順子 ボケで萩本を忘れたまま亡くなる
・清水由貴子 介護疲れで母親と自殺
・風見しんご えみるちゃん事故死
・わらべ 高部知子にゃんにゃん写真で空中分解
・気仙沼ちゃん 津波で民宿が流される
・コニタン 癌
・関根勤 嫌われ者
・小堺一機 ハゲる
・勝俣州和 ファン0人
・斎藤清六 行方不明
・見栄晴 行方不明 >>238
山本を10年見捨てたのは吉本自身じゃないか
山本かわいさに萩本潰すなら、山本も10年でなく
1年ぐらいで完全復帰させてやれよ >>248
勝新太郎は末端のADや駆け出しの坊やにまで気をつかい、スタッフ全員を銀座の高級寿司屋、高級クラブに連れて行ったんだよな。
そんで場違いで固まってる駆け出しの坊やの横に座って肩を抱いて
「おまえ、食ってねえじゃんか、飲んでねえじゃんか、普段はろくなもん食ってねえんだろ?だからな、こういう時には普段食えねえもんをたらふく食って飲むんだよ、全部俺のおごりだ気にすんな」
とウニだのアワビだのじゃんじゃん食わせて、高級ブランデーをシャクしてくれるんだよ。
世界の勝新が末端の坊やの肩を抱いて酒をシャクしてくれる、これは絶対に舞い上がって勝新を尊敬大好きになるに決まってんじゃん。
後に勝新が薬物事件を起こした時に出世した各界の坊や達が勝新をバックアップしてくれた。 全員集合が始まった時は子供ながらに吉本新喜劇の真似事やんって思ったなあ >>10
>>26
つまりキャンディーズはわらべみたいなもんだったのか
萩本欽一が日本で最初のアイドルプロデューサーだったんだな まんが日本昔ばなし→クイズダービー→全員集合→ザ・サスペンス >>258
ドリフターズ
・いかりや長介 コメディアンから俳優に転身して大成功。
・志村けん コロナ禍で呑み歩いて死んだバカなのに神格化される。
・加藤茶 遺産目当てで毒殺される。と心配されるも実は良妻だった。
・仲本工事 パチンコYouTuberに転身。
・高木ブー 長生き(現在88才) >>254
加入直後の紅白では志村が一番笑いとってたのにな あれだけ売れた島田紳助もやっていたのは欽ちゃんの真似だからな
笑いの素人をいじり倒してリアクションで笑いを取る
アイドルユニットを番組で作って売り出す
特番では局を横断してファミリーを出演させて盛り上げる
全部欽ちゃんがやってたこと 昭和のテレビって本当に面白かったよね
CMまで面白かった
真面目とオフザケのケジメもキチンとつけてたし、NHKもおかたくやってたし >>270
イモ欽→羞恥心
わらべ→PABO
CHACHA→リアン >>60
エポとかサザンとか
お笑いとは遠いオサレな音楽を使った「革命」だと思う
ドリフや欣ちゃんに無かった発想 >>260
弟子の松平健はその恩義もあって、暴れん坊将軍での母親役を玉緒さんにしたんだっけ? 悲しいのは昔の日本って民放2局パターンの地方(田舎の県)もあったから全員集合は見たけど萩本欽一の番組見ずに育った地方民もいるよ欽ちゃん!(泣)
ちなみにフジテレビ系列が無かった頃の田舎だと笑っていいともが平日夕方放送だったりも
増刊号はなかったかも
ひょうきん族は土曜日の夕方に放送してたかも
地方のフジテレビ系って平成になってから開局した地域もあるもんな >>46
石田純一と向井亜紀を初めて知ったのも
その番組だった 昭和50年10月の土曜日
TBS
19:00 仮面ライダーストロンガー
19:30 お笑い頭の体操
20:00 全員集合
21:00 Gメン75
22:00 影同心2
NET
19:00 はじめ人間ギャートルズ
19:30 秘密戦隊ゴレンジャー
20:00 宮田輝の日本縦断ふるさと
21:00 土曜映画劇場
22:30 三枝・アンヌの愛あいゲーム
フジ
19:00 ズバリ当てましょう
19:30 欽ちゃんのドンとやってみよう
21:00 赤福のれん
22:00 新宿警察
日テレ
19:00 全日本歌謡選手権
19:30 ベスト3夢の顔合わせ
20:00 全日本プロレス中継
21:00 男なら
22:00 ウィークエンダー
東京12チャンネル
19:00 キックボクシング
20:00 ディズニー劇場
21:00 大江戸捜査網
22:00 生きている人間旅行 >>270
大橋巨泉、クレイジー、欽ちゃん、ドリフ、笑点、この辺りでフォーマットは出来上がっちゃってた感じだな >>260
勝新太郎は末端のADや
何故か
勝俣は末端のADや、に見えて
は?勝俣って偉く調子に乗ってんな、と思い
後に勝新が薬物事件を
ここで、は?勝新って、なんで勝新太郎が関係あんの?って、読み直して勘違いしてた事に気づいたわ
ちょっと女にフラれて頭おかしくなってんのかな、ちょっとガス栓開いてくるわ 浜田が欽ちゃん大好きなんだよな
モノマネしたり松本と二人で仮装大賞にエントリーしたり
(監獄と呼ばれる日生学園ではテレビなど御法度だろうから子供の頃の欽ちゃんの記憶しか無い?)
萩本欽一のダウンタウン評は聞いてみたいね
ワイドナショーか何かにゲストで呼べばいいのに ドリフターズと逝くまでやり続けた志村けんのコントは繰り返し笑える
欽ちゃんとひょうきんはナマモノやな
ごっつとかガキ使なんかもナマモノかねぇ >>243
演奏力ではクレイジーをSとするとドリフはBの上か中クラスだが、
ドリフは全員ボーカルができるから。クレイジーのボーカルは殆ど植木さんだったからね。
70年代のドリフはレコードもかなり売れたはず。 >>277
おらほうは当時民放2局だった。土8は全員集合VS欽どん後ひょうきん。金8は太陽にほえろVSワールドプロレスリング >>12
スポンサーの取り合い
それ以外の理由はない 欽ちゃんが二郎さんをバカにして笑いを取るのは胸糞悪い >>281
野球拳で負けたら二郎さんか女性タレントが脱いでいくのは何だっけ? >>287
TBS系列なのに金八やらないで太陽にほえろやってた局だな >>27
欽ちゃんに「萩本」と言った唯一の男、東野 富山県や秋田県などの日本海側の県にはTBSが入っていなかった所が多かったので、そういうとこ出身のやつには全員集合の話が通じない >>126
あれリアルタイムで見た時、欽ちゃんからさんまへのバトンタッチに思えたわ
欽ちゃんの育てた放送作家をさんまはその後ブレーンとしたし コント55号は時代と笑いをやっちゃったんで
萩本欽一が死ねば2年以内に世の中から忘れ去られる
ドリフは人間の本質を笑いにしてるので
いかりや長介が死んでから十何年経っても
今だに面白い
特に最近いかりや長介と志村けんのコントが愛に溢れてると感じる
こんなにお互い愛してたんだっていうのをテレビ画面を通じて私はいつも見て感動してる
あの瞬間二人は幸せだったんだろうなって思うよ さんまは好きだけど、岡村に対しての「あの枠はお前に託した」オーラがちょっと
まっちゃん包囲網のつもりかよ 昔は田舎だと民放が少なかったのでクロスネット局が多かった
系列フルネット局が多い順は
TBS、日本テレビ、フジテレビ、NETか
東京12チャンネルは系列局が一つもないローカル局だったので
関東広域圏以外は他系列の局か独立局が遅れネットで放送してた 今頃天国だよ二人で
もしものコントやってんだろうな
想念だけでセットもすぐできるそうだから大霊界は
おかまのコント最高だったなぁ
いかりや長介が本当は嫌がってなくて
瞳の中で嬉しい気持ちでいっぱいだったところがおれは感動したね
>>67
昔話→お笑い頭の体操→ドリフ→キイハンターだな。 >>256
志村は除くだろ。
バンド上がりだと、クレージーキャッツもだけど、メンバーは晩年まで音楽活動も結構してたな。
ドリフは高木のウクレレは聞くけど、他メンバーは今も楽器やってるのかな? >>67
腸捻転前は10時〜必殺も。
バカボンはど根性ガエルとライオン丸の裏だっけ? >>301
必殺が他局に移って代わりに作ったのが影同心だっけ? >>293
秋田今はテレ朝系あるけど未だにTBS系がな
当時ゴールデンタイムは日テレとフジ、他局の番組は土日の午後とか平日の夕方で金八は土曜の午後1時とかだったな たけしが大嫌いだったからたけし城とかつまんねと思ったが
元気が出るだけは今のバラエティーのスタンダード作った本当に新しい笑いだった
ひょうきんもカトケンも論外だった
志村だけ生き残ったのは田代が凄かったからだと思う CS で TBS チャンネルが8時だよ全員集合を時々流すけど
おとといかなんかも見たけど超面白かった
きちんと生放送を収めるって言うね
総責任者としてのいかりや長介の動きは素晴らしい
ああいうものすごい舞台を毎週やってたんだもん
日本のお笑い芸能において完全にトップ
猪狩文助シリーズが本当に演技上手くてね
本人もすごい手応えがあったんだろうと思うけど寿命が来て死んでしまった。
取調室っていうドラマよりも全然よかったと思うんだけどね >>294
某たけしにぶっ潰して来いと空気入れられたんで本気で潰しに行ったとかw うちの地方フジテレビ系列とTBS系列しかなかったから
土曜八時と言われてもひょうきん族とドリフの戦いしか知らない 二郎さんは気づいたら俳優だったからコメディアンしてた頃知らないんだよな >>306
それが全てとは言わないがクレイジーは音大とか芸大が居るからな 「なんでそうなるの?」までのコント55号は今見ても面白い カトちゃんは田舎者くさいのにどこで太鼓覚えたの?リズム感がとんでもない
動画でヒデキとのドラム合戦を見たが
本当はミュージシャンになりたかった西條があんなに下手に見えるとは >>7
ひょうきん族がドリフを視聴率で抜いたのなんて最後の2年ぐらいでそれも2〜3%の差でしかないんだけどね… 欽ちゃんの相撲を取る番組にダウンタウンが出てた記憶がある 全員集合とか、毎週あんな大がかりなセットを建てるなんて日本に金があった時代だから出来たんだろうな 欽ちゃんの笑いは同じ事をしつこく二郎さんに何度もやらせるのがくどくて余り好きじゃなかった > いまの芸人は言葉で笑わせるけど、僕らもドリフも『動き』が基本だった
この違いはなんでだろうな >>318
毎週4000万だっけ?
志村かカトちゃんが言ってた気がするけど忘れた 大晦日にコント55号の紅白をぶっ飛ばせとかいう番組を紅白の裏でやってたんだが、欽ちゃんがつまらない雑談やゲストとトークして、紅白の視聴率推移をグラフで眺めるだけの糞番組だった。あれで見限ったわ。 >>313
こないだアマプラ入ったら見放題にドリフの映画が大量にあった。一体どれだけ仕事してたんだよと思ったわ その時代に生きてないと芸人の本当の評価ってわからないよね
こぶ平の親父の初代林家三平も昭和の爆笑王なんて言われてるから凄く面白かったんだろうと思ってたがうちの母親曰く全然面白くなかったって言ってたしな 地方興行って何してたの?
コンサートかコントライブか >>325
市民会館みたいな大きなホールでテレビ放送と同じようなセット使って2時間くらいやってた >>320
海外のコメディアンの影響じゃない?
たけし以降は海外志向が薄れた >>324
全盛期は知らないけど、スポンサーへの太鼓持ちが抜群にうまかったらしい。
御座敷でスポンサーへ芸を見せるんだけど、
太鼓持ちってヨイショ芸があって、
それがうまくて気に入られたそうな。
それで、ご祝儀を貰って弟子を食わせてた。 >>318
バブル期じゃないから違うわ
視聴率が違うってことだ >>289
欽ちゃんは「二郎さんは天才だ、どんなムチャ振りでも答えてくれる」と言ってた 新型コロナウイルス感染が判明していた
タレントの志村けんさん(70)死去 >>326
マジか凄いな
全盛期は◯億稼いだってのも頷けるな 土曜の欽ドンはオールナイトニッポンからパクってたけどな >当時ぼくは大井競馬場で馬を持っていて、コーちゃん(仲本工事)とは大井でしょっちゅう一緒になってた。
さすがノミ屋 >>324
三平は完全にライブ型芸人だったらしい
テレビでつまらないんだけど寄席で見ると客席を巻き込む能力が凄かったそうだ
だから生で見ている同業の落語家からの評価が高い よくよく考えるとドリフターズってかっこいい名前だよな >>289
デビュー当時は逆だったんだよ。
二郎さんが欽ちゃんに無茶ぶりしてたんだけど、
体格もいいし年齢も上の二郎さんが、
そんな事をしてもイジメにしか見えなくて全くウケなかった。
それで、立場を逆にしたら一気に売れた。 欽ちゃんはパジャマ党にネタ作らせていたけど、ドリフは自分たちで考えていたんだよな >>119
ドリフ大好きの浦安鉄筋家族の作者が、欽ちゃんを「日本一つまらない男」と漫画に出してきたのは酷いと思ったw >>326
演奏もあったんだよな。
これはテレビではまずやらないが、本業の格好良さを存分に見せてくれた。 当時、欽ちゃんファミリーの松居直美を執拗に怒っていた欽ちゃんを見るに見かねて、いかりや長介さんが、もういい加減にしなよ欽ちゃん、って止めたらしいな。 >>328
同じヨイショ芸なら圓鏡さんの方が遥かに面白かったと思う
お笑い頭の体操が終わってクイズダービー始まった時は心底ガッカリした クレイジー派のオレは土8は「8時だョ!出発進行」しか観てない >>16
どっちも受けてねえよ
すわしんじは何の能もなくウザがられてた 大爆笑で仲本が色んな所にもたれかかってはズッコケるコントとか
コケ方だけで特にセリフ無くても面白いもんな すわは奇声あげて走り回るだけと危ない人ってイメージだったな >>2
アラフィフの氷河期世代でさえ欽ちゃんはもう古くさかったんだな >>344
お前のただの感想だろ
あの独特な笑い方はウケていた いつまでも欽ちゃんの弟子格の人達が
欽ちゃんのすごさを他の番組で語っているのは嫌いだった >>223
結果的に延命できたのも事実
だいたい視聴率的な全盛期は荒井時代だし 合唱団はつまらない印象があった
やっぱり志村の笑いが子供に1番ウケるんだよな >>349
たまに番組ディレクターがドキュメント番組を作って欽ちゃんの素晴らしさを語ってたな
ただ最近はそういうのは全く見かけなくなったが
いま欽ちゃんの弟子格って誰になるのだろう 俺はジジイだけども確かに欽ちゃんは凄かったの
お笑いと言えば三波伸介
コント55号 >>354
それよく聞くがホントなの?
どれくらいすごかってんだ? >>320
始めからお笑いの舞台にいる今の芸人と、畑違いの場所で笑い取らなきゃいけない昔の芸人の違いとか?
55号とかは若い頃ストリップ劇場で踊り子の合間にコントしてたんでしょ >>258
斉藤清六は2時間ドラマに出てるし、見栄晴はCSのフジテレビONEの競馬番組で司会と麻雀番組で麻雀やってるよ。 >>283
何、言ってんのかわけわかめなんだけど。 ドリフはガキでも笑える下品な要素があったからな。
それをさらに超える低俗なひょうきん族が奪い去った。 >>359
すわしんじも反皇室ネタやってほされてなかったか 高校生以上になると全員集合はガキ向けに感じてしまうんだよな。大爆笑はおっぱい出たりしてワクワクしたけど >>31
負けたのとは違う
最後は内輪ネタばかりで飽きられた >>26
ろんぱしたくてふるくさいむかしのこと必死にネットで調べてチラシの裏みたいなとこにいっぱい文字書き込んでえらいね^−^ >>366
ひょうきん族も3年くらいでマンネリ化だったな
アダモステや鶴太郎のヒヨコ隊とか、何が面白いのやら謎だった >>68
ひょうきん族もそんな感じだね
今の若い人が見てもキョトンとするだけだろう
ドリフは現代の子供が見ても笑えるけど その時間帯で一番盛り上がった記憶はやっぱり
全日本プロレス中継
ザ・ファンクス対ブッチャー、シーク組かな 55号が出てたドリフの映画があったな
欽ちゃんが悪役で物凄くハマっていた ひょうきん族は紳助が出しゃばってきた頃からつまらなくなった記憶 >>323
ピンクレディーのケイが倒れて入院してる時にテレビをつけて各チャンネルを回したらどのチャンネルにもピンクレディーが出ててビックリしたし、そりゃ倒れるわって言ってたよ。 >>7
やられてない
無理やり「ひょうきん族のほうが人気がある」というイメージ操作をされた
ワイドショーなどの番組内で子供を使ったりして 金曜8時も、新日プロレス、太陽にほえろ、金八と激しかったな
そこに巨人戦ナイターがあったりで、まさに戦国時代 ひょうきん族はパロディ 楽屋ネタばかり
70年ころやってたゲバゲバ90分の亜流というかんじ
あれは日テレだったかな コント55号の萩原欣一はミックジャガーみたいなスターだったね 土曜日お昼のお笑いスター誕生から笑って笑って60分の流れも良かったな >>363
ドリフは小学生のときは面白かった
中学生になるとつまらなくて見なくなった
高校生になってひょうきん族見て、これは面白いって毎回見てた
笑いのセンスが新しかった >>381
ドリフは偉大なるマンネリだから何年も見てるとパターン一緒でさすがに飽きるんだよ
そこへ全く新しい笑いのひょうきん族始まったからそりゃ食いつくわな >>376
太陽にほえろが始まったきっかけは
日本プロレスが猪木を追放して日本テレビとの約束を破って
馬場をNET(日本教育テレビ 現テレビ朝日)の方に出したので
日本テレビは激怒して金曜夜8時のプロレス中継を打ち切って
しばらくして太陽にほえろを放送開始して
馬場は日プロをやめて全日を旗揚げして土曜夜8時に放送することになった 欽ちゃんて10年位前に次課長の河本と30%番組を作るみたいな特番をTVでやって大コケしてなかったっけ? >>373
紳助は最初企画通りやるけど段々自分のしたい事やり出して番組のコンセプトその物を変えてしまうイメージ >>385
あいつ関わるとすぐ別の内容に変えられるから嫌なんだよな ID:C0s7/Tp30
こいつ来ると長くなるんだよ 欽ちゃんからドリフに取って変わったもんなあ。
そしてドリフからひょうきん族へ
時代は繰り返す 今と違ってテレビが本当に面白かった時代だな
今は事務所の力が強すぎて中身より人だけだからな
人気芸能人使えば視聴率とれると今でも思ってるのかな 欽ちゃんって当時コントでも次郎さんに飛び蹴りしたりとにかく既成概念を取り払おうと過激なことやってたよね。
コント55号の野球拳なんて最たるもの。
それで一時代を築いてた。
ちょっと前のとんねるずみたいなもん 仮面ライダー見たあと起きてられたらキカイダー→デビルマン >>391
小学生の時は特にテレビが面白かったし、授業中 先生の話は聞きながらも頭の中は○○の番組はナンジで✕✕の番組はナンジでって考えてるだけでワクワクしてたな。今の子たちはそう言うのがないから可哀想だわ。 10年以上も毎週新作コントをやって人気を保ってたのは今考えると物凄い事だな。しかも全員集合だけじゃなく大爆笑も月1とかでやってたもんな。 >>368
ひょうきん族の主要視聴層が小学生ばかりになって、
小学生向けの笑いにシフトせざるを得なくなったんだよな。
中高生以上の層をカトケンに取られてたから。
カトケンが女性の乳出しシーンを連発した事で
男子中高生はカトケンばかり見るようになったw >>366
たけし曰く楽屋で芸人が投資や株の話ばかりしだしたからこりゃ末期だと番組Pの横澤に相談して終わりにしたと言ってたな >>400
それはたけしが負けを認めたくないからそう言っただけ。
実際は打ち切り。
当時はとんねるずダウンタウンが台頭し始めてて、
ひょうきん族からは陳腐感が漂ってた。 >>402
ひょうきん族はカトケンに負けた言われるけど
実際はメイン視聴者がひょうきん族離れてみなおかとかに移っちゃっただけだと思う ドリフ派の俺&お袋と、
ひょうきん族派の兄貴&姉貴&親父とで
土曜8時は戦争だったな。
家にテレビ一台しかなかったし、
録画機器なんて原付より高くて
手が出ない時代。 >>402
どちらも正解だ
ひょうきん族の笑いは「面白さ=新しさ」でやってきたから、次世代の台頭により最先端で無くなった時点でお役御免だったのは事実
一方で楽屋の倦怠感についてはさんまも同じことを言及しており、紳助も目の前の現場より数年後の身の振り方ばかり考えてたとのことなので、こちらの要因も事実だろう >>392
固定カメラとスタンドマイク一本で漫才やってる時代に
カメラの前どころかスタジオの外まで飛び出して
無人の舞台を生中継しながら、音声だけはどこかでコントしてて客は笑ってるとか
自分のラジオの常連を放送作家に引き上げるとか
弟弟子のビートたけしは、自分がどれだけ出鱈目やっても、大抵萩本さんが先やってたって苦笑いしてたし さんまも同じフジテレビだからか、かまへんライダーで「仮面ノリダー」に勝てないとひょうきん族の番組内で言うようになってたしなあ >>408
嘘つくな
80年代後半はもうビデオが一般家庭に普及してたわ ドリフはマンネリで飽きられたが、
大阪限定だったら吉本新喜劇みたいに生き残っていただろうな。
ネタも買うだけ、芸も磨かない寛平みたいな年寄りが、
師匠、兄やん姉やん、と若手に持ち上げられてる世界。 土曜はザブングルとひょうきん族は毎週、ゴールデン洋画劇場は大作とエロいのは録画してた >>13
コント55号→ドリフ→ひょうきん族→カトケン→ウンナン
だよ 見栄春は普通に競馬予想TVで毎週みてるし。
清六ちゃんは最後みたのなんだろう、TRICKかな? テレビでドリフ見たことないけど。You Tubeで見ると面白いね。
昔はこんなのが毎週テレビでやってたんだな。今はこういうの出来ないのかね?
お客様を楽しませる番組って感じ。今のお笑いは芸能人が身内で楽しむって感じで見ててもあんまり面白くない。
視聴者を楽しませる番組が見たい。
てかYou Tubeでドリフ見ても志村と加藤しかわからない。他の人誰だよと。 全員集合の前半のメインコントは
なるべく大道具倉庫のストックを使うようにしてると思うけど
仕掛け由来で笑わせるネタの見直し、ラストの壊しのバリエーション入ったら
発注は一ヶ月前じゃないと間に合わないでしょ。
ドリフもさることながら、道具チームの鬼気迫る番組だったな。 二郎さんって夜明けの刑事〜明日の刑事で約6年もゴールデンの同じ時間帯で主役やってたんだな
こんな人他にいないんじゃね? >>424
始めのコントが終わった時、歌手が変わりに舞台に入るけど、
コントの舞台が回るだろ。
地方であの仕掛け持ってる所って、限られるんじゃないかな。
俺、いつかあの舞台がトラブルで回らなくなるんじゃないか、
と思ってたな。 つべで見たことあるが、最初の「8時だよ!全員集合!」の掛け声は、本番始まる直前から何回もやるんだな
で、そのままの流れでちょうど8時になったときに、テーマ曲が流れて、ドリフの4人が舞台に上がる 月9の欽ちゃんは見てたが
末期は記憶に無いなぁ
何見てたんだろう
この後から月9ドラマなんだよね
家族対抗歌合戦は嫌いだったな
子供だから芸能人知らないしな 欽ちゃんの笑いは基本的にしつこい、くどい
個人的にはいかりやの圧勝 >>429に追加
欽ちゃんのコントはしつこいが、
欽ドン!や欽どこ、週間金曜日は面白かったし、見てた >>429
まあ、二郎さんにしろ素人あがりにしろ、その追い込みから出るところで笑ってたからね。
長江のYoutubeにちょうど西山浩二が出てて話は面白かった。 土曜はあくまで半ドン、日曜以外は祝日も年に12だけ、
正月と盆は3連休してよし、GWも一部以外は、カレンダーの色通り
ってのが当たり前だった時代の土曜8時は、国民的な余暇時間だった。 >>273
お笑いと音楽を結びつけたのはドリフも同じだし、それより前にもあった。 >>1
その後いわゆる「ノミ競馬騒動」で志村と仲本が謹慎した時、欽ちゃんはいかりやに「もし番組を終わらせるならば最終回にはぜひとも僕を呼んでくれ。一緒に舞台狭しと暴れ回って、そして引退するから」と声をかけたけど、いかりやは「気持ちだけ受けとる」と答え、加藤高木と三人での「全員集合」に挑んだ >>90
マイルドまでは見れた。
シブがき隊とか、大助花子とか出てた時期。 TVプレイバックっていう欽ちゃん司会でドリフメンバーが入れ替わりゲストのクイズ番組大好きだった
日曜夜で明日から学校って微妙な心理状態で見てた >>99
裏番組だったんだよね
TBSネットしてなかったから、所さんの元祖日本昔話コーナーの意味を後で知ったよ。 >>433
音楽と芸人はむしろ不可分
ギター抱えた芸人もいっぱいいたし、その前はウンナンの師匠みたいに三味線だったろう
コミックバンドとしてはドリフよりクレイジーキャッツが先のはず
クレイジーキャッツ物語をテレビドラマでやってたが、アメリカでそういうのが人気になってて
日本でもやろうとなったようだ
この辺の経緯はドラマではあいまいでよくわからなかった
ナベプロ社長がハナ肇に「おまえはドラムうまくないから真面目にジャズやるよりおもしろいことをやれ」といってバンドを作らせ
アメリカのスパイク・ジョーンズ&ザ・シティ・スリッカーズをコピーしたフランキー堺とシティ・スリッカーズというバンドにいた
植木等、谷啓、桜井センリを引き抜いてきたという(植木らは相手側から辞めるなら今後どこへ行っても食えなくしてやると脅された) >>102
かまへんライダーとか、止める人いなかったんだろうな。
ジャンプ放送局のいちゃもんTVで、週をあげてこき下ろされてたのは痛快だった。 ドリフは時代を超えた笑いで コント55号(欽ちゃん)はひょうきん族と同じ時事ネタ
みたいに何も知らないくせに想像で解説してるやつは何なの
めんどくさいから誰も注意しないみたいだがこういうのが都市伝説みたいに広まってしまうぞ 1980年以降の漫才ブームで金がかかる上に視聴率が取れないコントは衰退していった >>107
さんまのいいともレギュラーと相乗効果あったしね。鹿のフンとか。
たけし謹慎期だったけど、まだ全然元気だった。むしろ復帰たけしが空気をおかしくしたのでは。 >>145
志村はアドリブ入れるからなあ。いかりやを食うというか、すべらすために見えたことも多々ある。 コント55号はイジメネタの始祖
楽屋のノリをそのまま持ち込んだという意味でもひょうきん族の正規の流れ >>173
欽どこ、見栄晴やわらべもレギュラーから外したらしいね。そりゃコケるよ。 >>218
バカ殿様の「はたまたやーやか。しからずんばぬーぬか。」も漢文の構文だしな。 >>445
ドリフこそいやりやをみんなでボコボコにしてたぞ >>121
加藤茶の凄さを子どもながらに思い知らされた三人ドリフの1ヶ月 >>448
あれは権力者をからかうという定番のコメディの構図
チャップリンやバスターキートンが警官から追いかけられてるのと同じ >>168
熊野前商店街に原田大二郎の部活ドラマ、横浜商科大学とかのドキュメンタリー性がよかったよね。あと元気が出るハウスも。
半魚人とか大仏でつまんなくなって、すぐ兵藤高田で盛り返したかんじ。 >>450
二郎さんのほうが年齢も上で芸歴も先輩で体もでかい
>>337 >>375
子どもは正直だし残酷だし、そもそも時間的にもワイドショーを観る世代ではない
当時最先端だったMANZAIブームの主役や期待の若手が集結する新番組となれば、心変わりするのは当たり前
あれだけ夢中になったドリフが古臭い時代遅れのオッサンにしか見えなかった >>190
細川たかしの北酒場は凄かった。あの時代のレコード大賞までになって、萩本欽一本人もTBSにもかかわらず乗り込んだんだから。 >>314
血統につきる
加藤の父親は戦前の大物ギタリスト・平八郎
伯父は日本ジャズ界の草分けピアニスト・平茂夫
その他父方の親戚は音楽関係者がズラリ
もし父親が健在で裕福なまま音楽の英才教育を受けて育ったとしたら
音楽家・平英文という人物はいてもドリフターズ・加藤茶は存在しなかった >>258
坂上二郎が亡くなったのは偶々その日だったわけでまさか次の日あんなことが起きるなんて誰も思ってないから呪われてはないけどな。 >>448
それはブラックでワンマンな経営者に対する反撃で下剋上やろ
いかりや長さんもそのカタルシスは解っていたんやろ ドリフのコントは今でもそこそこ視聴率と笑いをとれるが、ひょうきん族とか55号は全くダメだな
その時点でもう格が違う ドリフ全員でひょうきん族に負けて、加藤と志村はひょうきん族に勝った
加藤と志村はドリフに勝ったことになるw コント55号ってどこまでアドリブでやってるんだろ
https://www.youtube.com/watch?v=b3MqhKZ-Hyk
こういうのって次郎さんは何もわからないままやってるの >>461
いやドリフいかりやは引き際を考えて譲ったんやろ >>453
子供の背伸び気分をくすぐったのと、タケちゃんマンという適度なキャラの存在がドリフっ子をも奪ったんだろうね。あと当時のフジテレビの勢い。 >>449
番号点呼というルーティーンで、加藤と高木を何度並び替えても何度点呼し直しても
ばんごーう、1,4
になってしまう自虐ネタをちびっ子が腹抱えて笑ってるんだよね
カラスが出てきて、加藤が困っていたら大声援で催促したり
アレはアレで子供達が3人ドリフと全員集合を成立させようと頑張る幸せな時間だった >>259
そもそもべつに潰してはないだろ。
欽ちゃん球団のころは、もういろいろ降りてる感あったし。 コント55号はほとんど知らん。
ひょうきん族は周りが面白いっていうからちょっと見たことあるけどクッソつまらんかったわ。
最後までドリフ派だった ドリフって子供向けって印象だったけど、欽ドンとかって誰が見てたんだろう?
20-30代なのかな。 >>473
子供向けならばPTAに文句を付けられない >>420
いかりやはドリフ、
伊東はベンジャミン伊東のイメージしかない。
ドラマで見ると違和感を覚える。 >>357
清六は浅井を独立して干された。ルー大柴と同じ。 コント55号は野球拳のイメージ
幼少ながらテレビにかじりついて見てたわ
大河ドラマが終わるとちょうど始まる時間で
いまから考えると両親も見てたんだなあと気づく >>402
たけし復帰から失速してたからな。
自分はインテリ路線に切り替えてるくせに、勝手といえば勝手。ここだけの話とか、平成教育とか。
お笑いに限ると元気みたいな周りが面白い仕事が中心になって、お笑いウルトラが当時の代表作になっていったね。 タケちゃんマンで「あっ○○だ」とか言うのあったんだけど当時住んでたところの商店街にも来ててほぼ全員視てたから次の週の月曜日、学校行ったらその話で盛り上がってたな。 それまでテレビのお笑いって、演劇場でやってることをそのままやるようなのが主流
芸人司会の番組もあったが、いとしこいしのグリコがっちり買いまショウ、てんやわんやの家族そろって歌合戦、唄子・啓助のおもろい夫婦など
昔ながらのコテコテな芸風の司会だった(子供から見たらただのおじさんおばさんでおもしろくない)
そこに出てきたコント55号は圧倒的に新しかったんだよ
その後欽ちゃんがピンで活動するようになると、丸くなって家族で見られる番組みたいなのをやり始めたから
55号ファンから見たらつまらなかった
だが番組は大成功。テレビのバラエティ番組の原型がここで作られた。
先駆者だから、後からもっと洗練されておもしろいものが出てくるのは当然でそこと比べたら古臭いのは当たり前 >>13
ごっつは日8でしょ
ウンナンのやるやらじゃない? >>409
軍団の出番が増えて鶴太郎やのりおが自由にバカやれなくなったのと、邦子が格上になってしまったのも大きい。
紳助はずっとひょうきんベストテンの司会しかしてないからそもそもいても面白くないし、さんまも結婚してつまんなくなってた。 若い世代に負けるのは世の常
でも最近は若い世代が出てこないな。 >>483
毎週冒頭で、
「鳥だ」
「飛行機だ」
「いや、タケちゃんマン(セブン)だ!」
って、3組の通行人に言わせるやつねw 昔再放送でコント55号のやってたの見たことあるわかなりおもろかった >>26
ゴールデンハーフのエバは有能で、ドリフと対等にコントをやってた
キャンディーズは今のアシスタントにも通じる若くてかわいいのを入れてみたって感じで
何かやらせてもゆるい。かわいいからいいじゃんで済んでしまい、エバはおもしろかったなあと不満だった
キャンディーズがアイドルとして成功すると、この枠はスターを生むと注目が集まった
いいとも青年隊の成功で後釜が話題になるようなもの
それでトライアングルやアパッチなど、今後売り出す予定の女3人組を入れるようになったが
2匹目のドジョウはいなかった >>467
>>258
あの倉沢さんがあんな大胆なイケイケの性格だとは思いもしなかったw
あと欽ちゃんといえば気仙沼ちゃんと双璧の素人
おっくんです!
のギャグで一躍有名となったおっくんは今なにをやってるのだろうか?
誰かこのスレでおっくんの消息を知ってる人が居たら教えてほしい >>492
まあ、そうだなw
彼女が生きてたら、どんなふうに今のテレビを斬ってたんだろうか。 >>1
69年…土8は55号とドリフばかりフィーチャーされるが、そのまた裏番組の「素浪人花山大吉」を忘れるとはけしからんな しかし5chのメインストリームが団塊ジュニア世代のアラフィフなのは知っているが
今はゴールデンウィークだけにいつも以上に年齢層が上がってて
アラフィフどころかヘタしたら還暦超えてる60代もこのスレにいっぱいいそうだなw >>489
80年代末期はディスカウントショップで有名メーカーでも安いのは5万円位になってたな
バイトして買ったから覚えてる >>482
てか末期はたけしサボりまくりでひょうきん族に来なかったよな
そんでタケちゃんマンができなくなってさんまが難民トリオ引き連れてかめへんライダーとかやってた
さんまがダダ滑りすんの見るのはあれが初めてだった この頃は日テレがプロレス、テレ朝がアニメや時代劇か。
全員集合優勢だけど棲み分けはしていたね。 >>493
エバはカトちゃんに鍛えられてたのかもな
>>495
土屋太鳳と森七菜に粘着してたんじゃねえかな? w 欽ちゃんは家族で見れたけどドリフは子ども達のための時間だったな
アラフォーだけど婆ちゃんちで従兄妹たちと過ごした週末の夜はいつも楽しかった 初期の「欽どん」は、ラジオでやってたことをそのままテレビでやるという
ある意味画期的な番組
投稿されたネタはがきを読み上げるパターンだからテンポもよかった
https://youtu.be/QgEkpWcldmI?t=203
さすがに手抜きだと同業者から批判されたか、ネタの方も尽きてきて
タレントを使って再現するという方式に変更
https://youtu.be/4T6HmeraI84?t=5 ひょうきん族が落ち目になった時に日テレがダウンタウン、B21、SET隊とか出して
「全員集合笑うんだって」ばってのをやってたが大ゴケしたのを覚えてる
とんねるずが仮面ライダーパロディで小林昭二引っ張り出したのに対抗して
モロボシダンの森次晃嗣を持ってきたりしてた地球戦士フリルマンの主題歌はデーモン小暮閣下(名義は小暮伝衛門)だった >>496
あれだ
宇宙戦艦ヤマトとハイジが裏番組だったけど、一番見られていたのは猿の軍団みたいな >>497
他に何スレもいってる旬なのを無視して、おまえが500しかレスのない
こんなスレだけ目について見てる老人ってだけ >>503
欽ちゃんがテレビの真ん中でハガキ読んで、目の前の3つのボックスに振り分けるだけで1時間番組やってたな
で観客がカメラの方向いてるの >>507
オイオイ
ネタで言ってるのに何をムキになってマジレスしてるんだw
いくら図星突かれた60過ぎのジジイだとはいえ
恥ずかしいやっちゃなーw >>109
ドリフ大爆笑で時々すわしんじを見るけど
いつもはまともな声で芝居していて
起こって文句言う時洋画のアニメみたいな声を出していた
ブルース・リーだけじゃもったいないよな 昔の芸能人長者番付を見ると坂上二郎はトップ10にランクインしているのに萩本の名前が無い時が何度か有る
いろんな税金対策をしていたのだろうな >>504日テレはひょうきん族スタート時も
土曜7時半からのお笑い番組やってたけど
盛大にこけてたな
B&Bとかお笑いスター誕生のメンツが多かったと思う >>509
自分たち世代が主流だなんて思ってるほうが恥ずかしいよ >>439
正直あれでノリダーに勝てると思うスタッフとさんまのセンスがね
個人的にはノリダーそのものには色々思うところはあるけど、
アイデアと予算かけた豪華なパロディだったのは否めないし
ただ形だけ真似たかまへんライダーの酷さが目立つだけだった 二郎さんが記事の写真のようにガツガツしてた時代を知らない。たぶんカックラキンが記憶の始め >>495
マツコってナンシーの代役期待されてたと思うのは
俺だけだろうか
まさかナンシー以上の存在になるとは思わなかった >>1
毎週違うコントを生放送でやってたって凄いよね! 他のメンバーにやり取り任せると
ギャラの独り占めできなくなるからな >>499
これもたけし抜きの時期にラブユー貧乏があのメンバーで当たったから、勘違いしたんだよ。 いかりや長介も長者番付に出ていた印象が無いんだけど、家の周囲の土地を買い取るのが趣味みたいだったし、そういうので節税していたのかな この前、電波少年に出てたが、かねてからのクドいお笑いへの指摘と反応の鈍さで完全な老害で見るに堪えずチャンネル変えた。前前々週に来てた伊東四朗の方が年上なのに、口調も頭もしっかりしてて面白かったわ >>515
あれはたまたまかぶっただけだろう。よりによって。 昭和47年7月土曜のテレビ欄
TBS
19:00 海のトリトン
19:30 お笑い頭の体操
20:00 全員集合
21:00 キイハンター
22:00 君たちは魚だ
フジ
19:00 快傑ライオン丸
19:30 クイズグランプリ
19:45 スター千一夜
20:00 お祭り銀次捕物帖
21:00 クイズの王様
21:30 おでんお多福繁昌記
22:30 浮世絵・女ねずみ小僧
日テレ
19:00 GOGOヤング
19:30 小さな恋の物語
20:00 黒帯風雲録・柔
21:00 プロテクター電光石火
21:30 おふくろの味
22:30 驚異の世界ノンフィクションアワー
NET
19:00 ストライクボウル
19:30 仮面ライダー
20:00 人造人間キカイダー
20:30 デビルマン
21:00 土曜映画劇場
22:30 題名のない音楽会
東京12チャンネル
19:00 キックボクシング
20:00 プロレスアワー
21:00 大江戸捜査網
22:00 なつかしの歌
22:30 夜の大作戦 >>495
誰との対談だったか忘れたけど、いずれ物語方向にシフトしたいって言ってたからそっち方面に行ったんじゃない?
周り(タレントの事務所やTV局)が煩くなって意見も言い辛くなったとも言ってたし… 配信とかで全員集合観ると内容豪華でびっくりするな
ガッツリとしたコントに大御所歌手、旬なアイドルの歌
今のテレビでこれだけの予算かけるの難しそう >>508
香坂みゆきが欽ちゃんと一緒に座ってた記憶…
>>513
ややウケ
バカウケ
ドッチラケw >>528
ビッグバンドが常に帯同してるってのが今じゃ考えられんよな >>525
日テレの番組知らないものばかりだ
巨人戦前提の編成だったのか >>514
オイオイ
お前やっぱり60過ぎの還暦ジジイなのかよw
こんなどうでもいいネタレスにそこまでムキになってレス返するとはよっぽど図星がお前に効いてしまったのだろうなw >>503
これみると欽ちゃんは素人というか下手くそな
人にサディスティックに絡むのが真骨頂だね
二郎さんが受けが上手くなってやり返すように
なってコンビとしては面白くなったけど
萩本欽一自体の精彩は欠いていったのがわかる
ジャンケンでストリップさせてた時も二郎さんは
猥雑に最高にハツラツとしてたが欽ちゃんは投げやりだった
中原理恵とか外れたのもある時期から欽ちゃん
より面白くなってしまったからだろうなあ >>527
文春や新潮が活躍の場だったから
タレント事務所やテレビ局とは無縁だったと
思う >>535
中原理恵が降ろされたのはYMO高橋幸宏との不倫がバレて
萩本がブチ切れたからだよ >>535
そういや中原理恵って今何をやってるのだろう?
どこかのスレで会社の社長をやってるっていうのを見たのだが
中原くらい器用な人ならあのまま芸能界に居続けたら今頃相当な大御所になっていただろうな >>538
初耳w
しかしこの手の情報って一体どこから仕入れてくるんだ? 中原理恵の現在が凄すぎる…『欽ドン!』の人気アイドルが突然降板した理由とは…欽ちゃんからかけられた“ある言葉”に涙がこぼれ落ちた…
https://youtu.be/mBb21PS0e24 >>536
何言ってんの?タレントの事務所やTV局側からナンシー関の事務所に抗議が来るようになったって話なんだけど?
本当にナンシー関知ってる? >>263
欽ちゃんバンドの番組で出てきたタミちゃんはどうしてるんだろう
アイドルになれなかったな 在日韓国人みやぞんって欽一と同じ事務所なんだよな
日テレのゴリ押しも当たり前か 高視聴率は他に笑点や巨泉も取ってたから
あまり特別な印象は無かったな
欽ちゃんはお笑いのトップグループの1人って感覚 >>37
この負け犬&テレビっ子&氷河期か感じがたまらん
糞野郎とかカスってよく言われない? >>7
ひょうきん族は面白く無かった
今見てもやっぱり面白くない >>37
今の子はとんねるずが入るんだよね
マジで
ダウンタウンも微妙らしい >>123
ひょうきん族貶す奴はひょうきんは内輪ネタに逃げてるとか言ってるけどドリフも大概だからなw
>>171
フジテレビの鹿内専制すらネタにしちゃうギャンブル狂騒曲
とはいえ対する側も三宅だの横澤だの今じゃ大物化したやつだがw 厳しい長さんの下にも、サイコパスの欽ちゃんの下にもつきたくないなぁ >>280
とんねるずとダウンタウンまではあるだろ
それ以後はもう変わらない >>285
リアクション芸は、時代を越えて楽しめるんだよ
集団芸というか、身内芸というか、
「この笑いがお前らにわからないの?」みたいな雰囲気で笑わすのはすぐに廃れる
ひょうきん族とかとんねるずとか >>489
それ、1985年くらいか?
でも1985年くらいから一般家庭に普及し始めてたぞ?
翌年にはレンタルビデオとかも珍しくなく、海賊版で映画を観るのも当たり前になってた。 >>396
今はテレビ以外の娯楽がたくさんあるからな >>534
年齢層がどうとかどうでもいいだろ
シラけるから消えろよ 欽ちゃんの番組の再放送とかソフト化とか少ないもんな 大物芸人って言うか、冠番組で圧倒的視聴率を叩き出すビッグネーム芸人って最近出ないね
コント557号、ドリフターズ、たけし/さんま、ウンナン、ダウンタウン、とんねるずの後が続かない
あえて言うなら、ナイナイやネプチューンなんかなんだろうけど小物化してるし >>48
Gメンの後は親戚泊まった時のみウィークエンダーだった >>471
ノックは無用
部長刑事
エンドレスナイト
何もかも懐かしい‥‥ >>285
あなた老害になってるよ
全員集合とドリフの末期を今見て笑えるとか無いから
明らかに台本練れてないしやる気ないし
ばか兄弟と雷様くらいかな >>567
フジはバラエティあらあた消してしまってるのかな
TBSは比較的残してるときいたことがある
NHKだってかなり残してないもんね 何年か前にドリフの昔の映像をやたら流してた時期があったが
その時でも飽きてきたろ。ワンパターンだから
これを毎週やってたらさすがに飽きる
内輪ネタは今でこそバカにされるがひょうきん族でやりだした頃は画期的だった
それまで謎のベールだったテレビの裏側が少し見えたから
ディレクターってなんだろう、ADってのがいるらしいって新しい知識もあって
ワクワクした。
時事ネタも今だって出川が出てるのに一切触れずに話が進んでるとなんかムズムズ
するように当時も「こないだの週刊誌の女は」なんて入れ込まれたら
そりゃおもしろいに決まってる。ドリフなんか見てる場合じゃない。
といってもひょうきんでおもしろかったのは実質さんま。タケちゃんマンも
コント部分はまったくつまらなくてたけし・さんまのアドリブトーク目当てだった。
だから実際は前半はドリフを見て後半ひょうきん族ってパターンだったな ウィークエンダーが土曜の22時に放送という時代
裏番組の土曜ワイド劇場に至っては21時台放送開始で22時台にエロシーンを入れて対抗 >>548
マツコが〜とか書いてる時点で知らないのは良く分かったw 今見たら笑えるのはドリフなんかより伊東四郎と小松政夫のコンビが一番凄いな
一回きりの派手なセット無しの毎回決まったお約束のマンネリなのに
子供では理解出来ない、志村と違って高度な笑いだよな
マンネリにツッコミ入れていじるという 長崎県の3大悲劇
@全員集合→1984/3まで放送なし(1984/4/7からようやくネット開始)
Aゴレンジャーとジャッカー電撃隊放送なし。
B宇宙刑事シリーズ放送なし >>525
色々なジャンルの番組があって良かった
15、30分の細切れも多く色々と選べる
今はワイド化(2時間)番組が多く、ニュースや
VTR流すだけの情報番組、芸人は雛壇に鎮座、
食品とかメーカー製品の宣伝の様な番組
ばかりになって本当つまらなくなってしまった >>566
じゃあわざわざ絡んで来るなよ
ただのネタレスにここまでマジになりやがってw
よっぽど60過ぎの還暦ジジイの図星がお前にこたえたのだろうなw >>490
それそれ。
>>545
数年後、『夜のヒットスタジオ』のバックダンサーチーム「Dee-Dee」のメンバーとなり、KBS京都の深夜ラジオ番組『はいぱぁナイト』にも火曜日アシスタントとして出演。同番組の水曜日パーソナリティーであったミュージシャンの田原音彦と結婚し、引退。 >>567
なんでそうなるの、欽ドン(良い子悪い子普通の子時代)、欽どこはDVD化されてる。
仮想大賞もDVD化してもいいんじゃないかな。 >>568
弟子制じゃなくなったからだろう
サラリーマン芸人みたいなもの >>53
キャットって単数形かよ
メンバー7人だぞ >>7
だがカトちゃんケンちゃんでひょうきん族をひねり潰したと ひょうきん族でツッコミの地位が底辺まで落ちたのは
ある意味で「坂上二郎(ボケ)の逆襲」と言えような
浜田が最近頑張ってるのは再び「萩本欽一(ツッコミ)の逆襲」と言えよう 気仙沼ちゃんとか斉藤清六とかド素人をテレビに出して笑い者にするという
悪しき伝統を作ってしまったんだよな欽ちゃんは >>163
それが正しい
文化放送で帯で欽ドンやってて確か単発でフジでやってそのあと土曜午後7時30分でレギュラー化
>>200
あと向井亜紀もレギュラーで出てた >>525
何となく今のBS民放の編成に似てはなくとも匂いが似てる。 >>588
欽ドン!は文化放送じゃなくてニッポン放送 欽ちゃんのくじテレビなら知ってたけどあれも欽ドンだったのかな
突然起きた漫才ブームがピーク迎えた時期だったけど
勢い任せでテンポが早すぎる漫才は子供にはウケなかった
欽ちゃんのゆるい笑いが最高だった >>179
それの後番組の「クイズ!早くイッてよ」は、もしかしたら関根勤唯一のテレビでのメイン司会番組かも
脇に徹するのも大変だろうけど、主役ほどプレッシャーもなく落ち目とも叩かれることもなく長く生き残れる 欽ドンと言えば、香坂みゆきだな。
ものすごく可愛かった。 >>512
とんねるずも出てたダントツ笑撃隊だね
そっち見てたけどすぐ終わった >>587
>斉藤清六とかド素人を
清六はド素人じゃないぞ。
欽ちゃんの番組に出演する前から東京で芸人やってるよ。
ビートたけしは「米屋の清六」って言ってたそうだ。
実家が米屋なんだって。 志村追悼で放映された過去作品をたくさん録画したんだが
8歳の娘がめちゃくちゃハマってる
子供に刺さる笑いなんだろうな
コントはセットが作られてるから漫才より子供に伝わりやすい 今思うとひょうきん族が始まってドリフが食われたと言う馬鹿がいるけど
それ土曜に限った話であって
ひょうきんもおしゃれぶった人だけの支持、ドリフは終わってたが
欽ちゃんは健在だった
というか黄金時代迎えて天下取ったの萩本じゃん 芸スポのドリフ上げは過大評価なんじゃないかと疑ってるけどな
ドリフはクレージーキャッツフォロワー要素が大きい
で、クレージー体験世代はドリフをあんまり評価していない感じがする
それが駄目だと言わないけど >>592
良い子悪い子の前番組だな。
公開収録で全国をまわってたので、うちの市にも来てた。 要は欽ちゃんが言いたいのは
自分は何の努力もしないで30%取る天才ってこと >>596
プラッシー飲み放題ってネタにしてたのは斉藤清六だったっけ? >>599
まあねらーはドリフ世代が多数派なんだろうね 全員集合の毎週生放送であれだけのセットの手の込み具合やバイタリティは時代の勢いもあって凄いなと思う 実際にドリフのコントは今のゴールデンタイムで流せるレベルだしな
質が高いのは間違いないと思う
その場限りの消耗品として笑いを提供したのがビートたけしなのだろうか
それはそれで有りなのだろうね
映画でも何度も見返すような作品もあれば
その時は楽しんだけど2度はみないかなみたいなのはあるわけで。
それはどっちが良い悪いって事ではないだろうしね >>588
パジャマ党とか、すずきしゅんじとか、裏方を番組に引っ張り出したのもラジオ版欽ドンが元祖 間違いなくバラエティ番組やお笑い芸人の格を上げた
その後一回落ちたところに今の50代芸人 欽ちゃんは1番苦しい時にニッポン放送にひろってもらったから
ラジオはニッポン放送以外やらないといってたね >>608
そのわりには「欽グルスショー」として、コサキンをはじめとする欽ちゃんファミリーが
TBSラジオの一枠を押さえていたな… 欽ちゃんが映画で失敗して借金が出来た時に
斎藤清六が2000万円持ってきて「これ上げる、欽ちゃんに貰ったようなものだから」と
言ったんだって。
それで欽ちゃんは「俺の本当の弟子はあいつだけだよ」だって。
欽ちゃんは弟子を大切にはしないよね
まぁ一度表舞台にまで引っ張り上げたのなら後は本人の実力でやれって
事なのかもね
見栄春はギリギリ生き残った方に入るのだろうか >>595
約二ヶ月しかもたなかったんだね
小柳トムとか九十九一とか面白いメンツだとおもうのだがさっぱしだった
俺はお笑いスタタンみてたから、ひょうきん族もドリフもみないでこちらだった
お陰でクラスで、「吉田君のお父さんWWW」
とかいってみんなが盛り上がってるのがさっぱしわからなかった
なんだ?吉田君のおとうさんて
て感じで取り残された >>563
83年にベータのビデオデッキが家にあったけど学校でビデオデッキがある家はうちだけだったからうらやましがられた
周りでは87年頃もまだ金持ちの家にしかなく普及し始めたのは88年頃からと記憶している >>605
ドリフは消耗に耐えられる笑いで
コント55号やひょうきん族は刹那的な笑いだったね
基本ひょうきん族は全てに対して冷やかしだった
うなずきトリオとか、自分自身すら冷やかして否定していた >>612 映画ひどかったらしいね、シネマジャックとかいってやって見事惨敗
あれ自分で金出してたのか あの野球拳で女性タレントが脱いでいくのが子供心にときめいた >>612
見栄晴とかそういうファミリーは「弟子」ではないからな
本当に弟子なのは清六さんだけなんだろう >>599
ドリフはクレイジーのパチモンでしょ、そしたらパチモンが大衆人気では本家を乗り越えた
ドリフよりクレイジーが序列は上ということで全員集合の一時休憩とかもあったが無事に主役交代、
そう考えると加藤茶から志村けんへの移行と言い奇跡的な主役交代劇が二度もあったグループと言えるのかも知れない 全盛期のたけしはまさしく別格の存在だったけどな
子供心に芸能界の頂点に立っているように見えたくらいだったが言い過ぎかな? ほうれん草らんソウランソウランソウランソウラン
這い這い >>79
アマプラの時代劇チャンネルで毎日観てるよ
時期によってみられないシーズンがあるのが不満だけどね
もう何周もしてる >>621
ひょうきん族はたけしの仕事というより漫才ブームとフジテレビの仕事って感じはある
オールナイトや元気とかお笑いウルトラクイズのほうがたけしカラー出てるしな >>506
あんた、わかってるじゃないかw
「素浪人花山大吉」こそ、当時のじいさん婆さんからガキどもまでが茶の間で一緒に大爆笑出来た素晴らしい番組だった
今再放送したって充分通用すると確信する >>620
ドリフの加藤から志村に人気がバトンタッチされたように
クレイジーも長らく人気が続きすぎて体力気力が
落ち始めて人気番組のキャストから降りていった
感じがするね
そのかわりシャボン玉ホリデーのコントや
植木の一部のキャラクターはドリフや加藤茶に
譲られていったイメージ
でも荒井注面白かったな
子供のコントにうずらハゲの中年が混じって子ども役をふてくされながらやっているという >>624
ツービート以降のたけしはラジオ以外は実は面白くはないんだけど
ひたすらカッコいいんだよね
映画とるとか小説かくとかエッセイかくとかして
なんか付加価値を高め続けていて
印象操作と言うか自己プロデュースが神がかり的
松本人志ですらその呪いから逃れられない ひげダンスなんてどう考えても海外のパクリ
東村山音頭は「面白い」じゃなく「楽しい」だろう
ダウンタウンの先鋭的な笑いに比べたらどう考えても
ドリフは『お笑い偏差値が低い』 >>207
夏はほんとにイヤだったなー
やきう嫌いじゃないのに嫌いになったよ当時 >>630
志村リスペクトしてる松本が読んだら悲しくなりそうなレスだな。 ドリフ以上に藤山寛美いた頃の松竹新喜劇は面白かったなあ古臭かったけど
土曜の昼にやってたのをよくみたわ >>466
あったなー
覚えてるわ
なんか子供ながら応援してた 『8時だョ!全員集合』のほうが圧倒的に内容が濃かった
アイドルショーにコント ドリフの作り込んだ大がかりなお笑い舞台
コント55号の古臭いコントでは太刀打ちは無理ゲー >>284
ダウンタウンが大阪から上京して、東京での仕事を世話したのが萩本で、ダウンタウン2人は萩本に心から感謝してるらしい 製作費調べてたら当時で一回一億かかってたんだな
そりゃクォリティ凄いわ コント55号のお笑いはアドリブ
で、同じことなんどもやるので
親父がくどいなぁと言ってた。
逆にドリフターズは緻密に
リハーサルされてた >>639
後半は作り込みもなんか雑になって迫力がなくなった
ガラスの勝手でしょみたいに、小学生低学年向けになってしまって見るのが辛かったなあ
長さんも嫌われ役から降りてただいるただのおっさんに成り下がってしまってコントもしまりがまるでなかった >>4
そこはとんねるずだろ
とんねるずが道をつくったからダウンタウンもウンナンも出てこれた ジロさんの笑いのセンスが時代に付いてこれなくて古臭いんだわ
欽ちゃんはピンになっても視聴率ばんばん獲れたけど キャンディーズや・・大物ゲストを次々と投入し・・
時代が合ってない・・ >>635 藤山甘美は、ゴールデンタイムに挑戦したことがあったはず
藤山甘美3600秒、とかいう1時間番組で派手にぶち上げて割り込んできた、だが殆どウケなくて打ち切りになったんだったかな、
しかし甘美しか変換で出ないってのも失礼な話である 松竹新喜劇は涙の部分や人情話の部分はテレビを見てる家庭には鬱陶しいだけやしな
テレビでやるなら人情話はともかく涙はいらんかったと思う ドリフは元々はバンドで
荒井脱退から志村加入で完全にコントグループになった
いかりや加藤はそれも望み通りだったんだろうけど
どっちかと言えばミュージシャン路線強かった仲本高木がそれを受け入れられたのも凄いよね >>650 吉本新喜劇という、土曜昼かにやってたのは、そこらはカラッとしてベタなお約束の笑いで
あれは結構長く放映されてたんじゃないのかな
もの凄くリラックスできるという、誰も構えずに見れて、見るのにお笑いセンスも何も必要とされない敷居の低い笑いであった
でもユーザーのニーズを掴んでるっていうことでは、極めて優れた戦略的お笑いとも言えるよね >>160
カラオケボックスに機材が入らなかった事は覚えている 欽ちゃん、ドリフ、たけし、ダウンタウン
ピークが一番凄かったのってどれなの >>654
一発録りであってほしいw
コントの最後の最後で志村が疲労困憊のいかりやに向かって「さあ本番行こうか!」と嬉しそうに言い放ったのは笑った >>657
テレビ番組のつくり手としては欽ちゃんが全局制覇して100%男だからNo. 1
単発番組としては全員集合がナンバーワン
視聴率50%はなみじゃない最終回も30%超えてる
たけしは雰囲気チャンピオン
存在感は欽ちゃんドリフ以上だったと思う
番組見てる人は多くはないけど、何故か意見をやたら求めてたから露出度は本当に高かったと思う
ダウンタウンは、無風状態でライバルタレントからの
あからさまな潰し合いがなかったんで
もう一つ迫力がない 金ドンの絶頂期でまだ40歳くらいでしょ
今ならまだM1出てもおかしくない歳だよ 70年代はTVはドリフとコント55号の時代
そのほか三波伸介とか伊東四郎小松政夫
あとはやすしきよしか番組も多かったと思う
最後の最後でタモリが登場
日本テレビはお笑いタレントを使わない番組づくりを
結構していて巨泉まえたけ、マチャアキ研ナオコ使った番組が当たっていた
ツービートや漫才ブームは80年から >>657
ドリフの全盛期は志村じゃない。
加藤茶がイケメンとして若い女からキャーキャー言われ
歌を出せば、いい湯だな、ミヨちゃん、ズンドコ節、ほんとにご苦労さん、
誰かさんと誰かさん、ツーレロ節などが次々とヒットし、
「ドリフの◯◯」「○○だよ全員集合」等の主演映画がバンバン作られていた時代
(21本作られた)
「全員集合」も志村登場前で視聴率が常時40%代で、お化け番組と言われ無敵だった
まさに日本中を席巻した。
志村は後期ドリフを支えたが、テレビでコントをやるだけになってしまった。 >>664
クレイジーキャッツの植木等もそんな感じで映画に歌に凄い人気だった 自分の覚えている限りでは、
欽ドン(1975〜)は、素人相手役を開発した。相手役の返しが十分じゃないと、欽ちゃんがダメ出しをして、
再度やらせる。その中で相手役の個性が現れて、それが笑いにつながっていた
ところがみんなの言うとおり、それがだんだん「くどい」法ばかり目立つようになり、番組人気は落ちた
欽ちゃんはアドリブ、とよく言われるし、ご本人も言っているけど、本当にアドリブ待ちでやっていたのは、欽ドンまでだった
その後の「欽どこ」「よい子悪い子普通の子」「週刊欽曜日」などでは、基本アドリブに見えるような「作り込み」でやっていた
欽ちゃん本人は、自分の中に「笑わせる引き出し」をめちゃくちゃ持っているので、とにかく相手を徹底的に追い込んで
面白さを引き出そうとする。大御所の劇団の舞台監督のような人
同時に、秋元康みたいに、何にも芸に染まっていない人の中に、華を見出す嗅覚も優れている人
だから「どうしてこんなど素人を」という人を笑いの渦の中心に置くことができた
でも、その本人はたまらないわけよ なぜ受けているのかわからなかったり、勘違いで天狗になったり
で、相変わらずめちゃくちゃ欽ちゃんにしごかれるけど、何をしごかれているのかわからない
そのあたりで、83年以来、どんどんほころびが出てきた
その時期から見ていた人は、欽ちゃんのどこがおもしろいかがわからないまま、大人になったのだろう >>662 そんな時代を言うなら、ウクレレの牧伸二が自分の番組もってウレてたりしたんではないのか
なお牧伸二は、何故か日本のレゲエの初期にそれに参入して貢献してるね
しかし音楽界である日本のレゲエ側は何故かそれを全く無視しているようだけど・・・・ >>347
人気あったけど晩年といったとこかな?
ことし49歳のオヤジだけど
イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」が大ヒットしたのが
小学校3年生でしたわ
中学入る頃には欽ちゃんの番組ほとんど終わってたんじゃないかな 欽どこやカックラキン大放送みたいなお茶の間のセットが中心のお笑い番組はバブル以降廃れたな >>669
バラエティーの公開放送自体が無くなったしね
残ってるのはNHKの歌謡バラエティーお江戸でござるぐらいなもんか 昔は面倒だよな。ライバルって書かれたって、友達なら仲良くしてりゃいいのにw >>670
五木ひろしが意外なほど器用なんだよな
民放の公開放送コントのレギュラー番組は三宅裕司あたりが最後になるのだろうか >>664
しかしドリフの映画は不思議なほどつまらないんだよね
なんでだろ
当たった作品が一本もないのはこれはこれで凄いと思う 美空ひばりも多くの映画に出演したが名作と呼ばれるものは無いと思う >>673
チームプレイ過ぎたんじゃない、もっと加トちゃんの笑いを前面にだせば良かった、全員集合と同じになっちゃうけど >>651
加藤もいかりやのコミックバンド路線に反発した小野ヤスシと一緒に辞めるはずだった
新生ドリフになっても次第に笑いに飽きて荒井と一緒に辞めるつもりでいた
音楽がやりたかったらしい >>671
歌丸と小圓遊が移動中の電車で話してたら
なんだよ?本当は仲いいじゃねえかよ、って文句言ってきたおっさんがいたそうだ >>558
YouTubeにかつてフジの天皇と呼ばれた日枝久が編成局長時代に懺悔室で水かぶった動画がある
こんな事がよく出来たものだな 欽ちゃんは恐ろしい人だった
素人や二郎さんを追い込んで追い込んで、困ってきょどるのを笑うのが
基本のスタイルだったからな
幼児だったけど、あー見てられない、見てるのつらいって思ったよ >>488
その若いのがテレビじゃなくネットへ向かっている >>680
欽ちゃんは番組に出す幼児決める時にオーディションや子役の中から決めればいいのに『それだとドラマがない、面白くない』と気に入った子見つけるまでディレクターに全国の幼稚園廻らせたとか
視聴率が下降した時に「今のボクの番組の良くない所どこ?」って聞いて意見述べたスタッフを『輪が乱れるから』と首にしたとか
欽ちゃん球団に武井壮がセレクションで受かったけど『ボクお前の顔好きじゃないの。一緒にやりたくないの』って遠征全く連れてかなかった話とかサイコパスの走りだよな >>676
だから完全に志村にエース役をシフトさせ譲ったんだな ラビット関根時代の関根も、芸風をめちゃくちゃ嫌われてたらしいなw
浅井企画の社長と番組スタッフのフォローで徐々にハマってったらしいが >>684
カマキリ拳法か
桂三枝が名付け親らしいな >>684
今見直してもひたすら気持ち悪いだけで
面白くともなんともない
最後までラビットは気持ち悪かったなあ >>569
そうそう 見たいために泊まりに行ったw
終わるとイトコたちとくるまやラーメンに塩バタ食べに行ったわ >>673
あれは松竹の寅さんの併映作品で
ドリフが出てりゃ何でもいいんだよ
忙しいから実質1週間ぐらいで撮った作品 後年萩本の流れを一番汲んでたのがエンタや電波少年
受け付けない人はとことん受け付けないと思う ウィークエンダーのWikiは肝心なことが書いてない >>149
全員集合の配信見ても普通に当時のCMのパロディとかやってる コント55号って実は萩本欽一がボケで坂上二郎がツッコミだったし
まあコント55に限らず関東のバラエティはそこまでボケツッコミ明確じゃなかったなダウンタウンまでは
ダウンタウン以降は明確に分かれてるのが当然の時代になった ドリフは普遍的で55号は今見ても笑えないってよくわからないな
俺はつべで見られる55号のコントは今のサンドみたいで面白いなと思うけど、ドリフのコントは単純すぎて笑えない >>475
意味わからん
子供が見るものだからPTAが文句言うんでしょ >>635
志村は藤山寛美を尊敬しててよく寛美のビデオを見て研究してたらしいな >>376
80年代前半の日曜8時も激戦区だった
大河ドラマ、TVスクランブル、家族対抗歌合戦、西部警察 >>694
アスペかお前
子供向けなら何の問題もなく文句の付けようが無いだろ馬鹿 意味が分からん
子供向けだから子供が悪影響受けることをするなというクレームが成り立つんじゃん 実際PTAから嫌われてたのになぁ
何が言いたいんだろうか テレビ界における目に見えない形に残らない影響というのは萩本の方が断然残している。
フジの土8がバラエティ枠なのは、コント55号→欽ドンが始まりで、欽ドンの後番組がTHE MANZAI。
フジの月9、ドラマ枠になる前は欽ドン
元々は「死に枠」と呼ばれてた視聴率の取れない曜日時間帯に欽ドンが土曜から引っ越してきてそれまでの常識が変わる。 全員集合はPTAが選ぶ子供に見せたくない番組1位に毎年選ばれてたな
当時はそんなの無視できてたが >>698
アスペやろお前
子供対象じゃないからPTAから子供に悪影響があるとケチ付けられたんやろ馬鹿 >>699
子供向けならばいかにPTAからのクレームを回避するか考えるだろ馬鹿2号 子供に人気があっただけで子供向けではないわ馬鹿アホ 小学校入る前は全員集合見てて、小学校入ってからはひょうきん族見てたと思うんだが、暴れん坊将軍見てたような記憶もあるんだよな
カトケンの頃はカトケンもひょうきん族も暴れん坊も見てなかったかな
もう土曜8時にお笑い番組見るって感覚ではなくなってた >僕らもドリフも『動き』が基本だったから、
>脳で笑うっていうより、直感でお腹を抱えてくれた
たしかに今の芸人はあまり動かないね >>657
なんでそこにとんねるずがいない?
彼らが視聴率も話題性も歌手としてもヒットを飛ばしてcmも複数あったのに >>708
一周回って考えが動かない方に戻ったってことじゃない?
コント55号の頃の演芸中継はカメラワークが定型で舞台袖は撮らなかったしマイクがセンターにしかなかったから動く人がいない中で動いたから目立った 欽ちゃんか
「欽ドンよい子悪い子普通の子」「週刊欽曜日」「日曜9時は遊び座です」は好きだったな >>614
高校生でも月4万のアルバイトで買える金額だぞ?月賦でだけど
1987年に金持ちだけ持ってたとか、んなアホな…
1987年に俺は高校生で二十数万したベータPro(親が保証人で月賦)とディスカウントで買った1万5000のVHSの2台持ってた。
俺、金持ちじゃねーし… >>616
借金作ったのはシネマジャックではなくて、『手』という自主制作映画。 >>608
だからミュージックソンのメインパーソナリティやってたのか 欽ちゃんはアドリブ力に優れた二郎さんを相手にしていたから、
普通の芸人相手では勝手がわかりすぎていて、新しい笑いは生み出せないと思っていた。
そこで、欽ドンでは何が飛び出すかわからない素人や、前川清などの歌手に新しい笑いを求めた。 >>574
何年か前どころか去年の志村死去で最近でもやたら流されてる
つーかドリフ&バカ殿やったのつい一昨日だし >>599
実際、だいじょうぶだぁの爺さん婆さんコントではハイそれまでよとかいくつかクレージーの歌ネタがあるな ウンジャラゲの歌ってクレイジーキャッツがやってたよね >>3
最近は自分以外にもおまんこいじりしてくれる人が増えた気がする
もう卒業時期か 歴代フジ土8のお笑い番組
•コント55号世界は笑う
•欽ちゃんのドンとやってみよう!(19時30分からの90枠)
•オレたちひょうきん族
•ウッチャンナンチャンのやるなばやらねば
•めちゃ✕2イケてる >>717
コント54号だっけ。あれで前川清は芸能人生の幅が広がったなあ
まあでも55号あってこそだな
55号全盛時を知ってるのは60代以上だからこのスレもその後の話でしか盛り上がらんよなあ
元記事の欽ちゃんとドリフメンバーの交友の話とか面白いんだけど >>300
いかりや長介が生きてた頃から高木、仲本、加藤の三人でずっとこぶ茶バンドって名前でバンド活動してる 前川清はいかりや長介も野口五郎らと並べてコントが上手いと思ったゲスト歌手に挙げてたな >>712
コメディアン=動き、芸人=言葉なのかも
日本のコメディアンって戦前からチャップリンとかキートンの影響大きかったしエノケンなんかもかなり動いてたみたいだからな
一方で落語や漫才はもちろんあんまり動かないし >>720
ドリフはほぼほぼカバー
東村山音頭もそれ 志村は普通のことを言ってても表情や動きで笑いを起こせた
「いらっしゃいませ」と言うだけでもおもしろくできる
今、コントがうまいと言われてる芸人もほぼネタのおもしろさ
台本がおもしろいわけで、演者は劇団員と大差ない
志村じゃなきゃ不可能みたいな芸人がいない なんか、みんな凄いのだが。
70歳以上の住民とかも居るわけ?
50代の自分も知らないこと多すぎるw 懐メロ番組でキャンディーズのやさしい悪魔の映像を見て
三村が
「振り付けが志村さんのに似てたけど、ここから取ったのかな」
と言ったら大竹も
「さあ、どうだろ」
さまぁ〜ずですらキャンディーズをリアルに知らない世代
ナイツが「僕らが生まれたのはキャンディーズが解散した年」と漫才やってるんだから当然か 10年くらい前、20歳の会社の女子に、
坂上二郎さんって知ってる?って聞いたら、
「飛びます、飛びます」の人でしょ、
って言って感動したわ。
若い子でも持ちネタを知ってるんだな。 さま〜ず同世代だけど、キャンディーズ解散コンサートは小学4年生の時だし、ピンクレディーと違ってファンの年齢層高かったから、学校でもあまり話題にならなかった >>730
別にオーバーアクションの方が凄いってわけでもないと思うけどな
落語で言えば桂枝雀も偉いけど古今亭志ん朝も偉い 萩本欽一が故三波伸介にはペコペコしてたのは驚いた
まあ年齢的にもかなり離れているし、弟みたいに可愛がってたみたいだけど、
三波伸介がテレビで欽ちゃんの番組を見てて電話で直接欽ちゃんに電話して、「欽坊、1回合いの手が多いから、あそこは減らせ!」と伝えたら、
欽ちゃんは「はいっ!兄さん今度からそのようにします!」と平身低頭即答したとか、息子が語っていたな >>667
クレイジーのメンバーでも、ハナ肇や谷啓は当時の専門誌のランキング表に載るほどのミュージシャン
というか、ナベプロホリプロ田辺サンミ
みんな一流ミュージシャンがセルフマネジメントの為に作ったプロダクション
オペラ出身のエノケンなど、東京の昭和芸人はドリフ台頭まで踊りと音楽ができないとテレビでは3流扱いだった(当時のテレビバラエティは寄席かショーだった)
55号は歌は二郎さん、踊り(体技)は欽ちゃんで別れてたりしてる TVバスターズの最終回見たらあまりに酷くて、こりゃすぐ終わるわなと思った。 志村もドリフにしては萩本欽一みたいなイジメ芸というかサディストなんだよな
https://youtu.be/6ad_4IacCmY >>9
今思えばおもしろビデオコーナーって今でいうYouTubeだもんね
さきがけ凄いよね >>745
はからずも「素人の想定外のアクションがいちばん面白い」という欽ちゃんの考えと合致した訳だ >>745
ネットから拾った衝撃映像や面白映像系の番組は全部カトケンのパクリ >>683
荒井が抜ける時いかりやはミュージシャンを後任にしようとしたらしいが
加藤が強硬に志村を勧めたらしいが
加藤の読みは当たりだったんだねえ 本家?の英米の人間から見てもコント番組の生放送を毎週やるのは狂気の沙汰らしいわ
昔のコントを再演していかりやがいなくてもやれるけどブーさんいないとコントが成立しないと言ってたが
高木ブーはどういう役割だったんだろうね >>750
高木ブーの法則
一人見劣りする奴をメンバーに入れると売れる >>750
加藤と志村仲本は
一時離脱してたことあるんだよね
それでもなんとかなってた
高木はなんかの番組の打ち合わせで居眠りして番組出演がパーになったらしい AKBの指原のブスは高木ブーの法則を越えたステマ大実験やな
鬼滅とかのステマで騙されるチョロい奴ばかりやの大実験 ドリフト大爆笑のもしもコーナーでブーのコントだけ1分くらいで終わるのをお約束として笑ってたから、そんな役割としか言えないな
それでもブーは愛されてたと思うよ >>756
ブーさんはミュージシャンとしてはドリフでは上位だがコメディアンとしては駄目だ
高木ブーの法則でグループは一人無能を入れたら売れるな >>755
ノミ行為のとき
>>752
バンドの場合はボーカルさえ美形ならあとはどうでもいいのパターン多いかな >>750
長さんだったかが評して
「高木は足の小指。一見無くても困らない様に見えるが、居ないと(ドリフは)歩けない」
あと、ギタリストとしてバンド「ザ・ドリフターズ」のカナメ
更に言うならいかりや長介のワガママに唯一ついて行けて、いかりやを和ませる事が出来る人格者 >>755
ノミ行為で仲本と一緒に謹慎した時じゃないの?
加藤は人気絶頂の時に交通事故で相手半殺しにして謹慎
ブーもアキレス腱断裂で離脱したことがある >>1
>スタート直後の『全員集合』の視聴率は15%前後。『世界は笑う』にダブルスコアをつけられていたが、キャンディーズや沢田研二など大物ゲストを次々と投入し、わずか1年で逆転。『世界は笑う』は1970年3月に終了し、コント55号の2人はソロ活動に移った。
なんだこれ?酷いな。
キャンディーズのデビューはもっと後だし、
デビューしてしばらくはナベプロ制作の番組とかにバーターで出るだけで、
視聴率を稼ぐだけの人気はなかった。
伊藤蘭がセンターになってようやくスターになったわけで、
それも70年代中頃だろ。 >>743
監督コントは「シャボン玉ホリデー」のなべおさみの真似だよ。
クレージーキャッツの付き人上がりの小男のなべおさみが監督で、
助監督のクレージーキャッツの安田をいじめるというやつ。
本来威張れる立場でない奴が威張るそのギャップが面白い。
あと、この手のコントは元々はハリウッドの喜劇映画が元祖だと。
いかりやは、若い頃にアメリカの喜劇映画を浴びるように観て大好きなので、
ドリフのコントはアメリカ映画のパクリが多い。
鏡コントはマルクス兄弟だし、
アフリカ探検や刑務所や軍隊や、
その辺は全部アメリカ映画がルーツ。 >>760
一度だけ偶然高木さんと話す機会あったんだけど
ホント人格者で穏やかなひとがらだった >>121
第二期からの映像は全部あるから
その辺りをやるかやらんかはTBSもしくは事務所の匙加減次第 >>757
志村加入前の音楽ネタの映像を見ると演奏ではブーと仲本が中心になって生き生きしてるよね >>763
関係無いだろ
志村のツッコミ叩きは敢えて痛いツッコミ叩きのサディストのツッコミな >>766
ブーさん仲本と加藤は普通にミュージシャンで売れた実力派
いかりやはB級のそれなりで荒井注は誤魔化すだけ >>768
お前邪魔
知識が無い上に頭も悪い事を理解しろよ >>767
クレージーの監督コント知らんのか
知ったかぶりは恥かくだけなので気をつけなさい
なべおさみは、ヤクザ礼賛みたいな本を書くくらいの人でな
おっとりとしたインテリや常識人の多いクレージーキャッツ関係では異色の不良体質
なのでツッコミもキレキレでメガホン捌きも遠慮なし だから監督コントはオリジナルのなべの方がやっぱり
面白いんだよなあ >>774
なべおさみは同和部落やろ
お前こそ知ったかぶりして恥かくなよ
被差別部落の同和カス 萩本さんの正当な弟子筋はパジャマ党サラダ党の放送作家の人達。
あとは前レスにもあるシネマジャックの件で認めた清六さん。
加えて大将がラジオのゲストに出て弟子にと言われたコサキンの2人。 >>774
志村の叩きツッコミはサディストのツッコミで遠慮や配慮は無いわカス
これが後々にイジメに繋がっていたら不味い 志村の高木ブーに対しての叩きツッコミは無能判定や恩知らずのツッコミ叩きな >>762
ゲストはキャンディーズ、沢田研二じゃなくてサインはV、柔道一直線、キーハンター等の人気番組の出演者やね
番組プロデューサー居作昌果の本に書いてある
いかりやの「ダメだこりゃ」と合わせて読むと同じ出来事に正反対の内容が書いてったりして興味深い >>745 >>747
実は素人が制作した映像をテレビで公開するっていうのも欽ちゃんが先にやってるんだよな
日テレが欽ちゃんの爆笑CM大賞、素人映像コンテストってのと欽ちゃんではないが素人ばかうけビデオ祭りって特番をやってて
カトケンのおもしろビデオコーナーよりも数年先駈けてる いかりや長介の自伝だと千葉真一がゲスト出演して生放送で派手なスタントを披露した回があって、そこから視聴率が急上昇したと書いてたな そもそも欽ちゃんの番組は素人の投稿ハガキのネタをそのままやってたしな
ラジオの深夜放送のリスナーのお葉書を読むコーナーを、
テレビのコントにするアイデアは素晴らしい >>783
CM大賞はつまんなかったなあ。仮装大賞の姉妹番組みたいなんだけど、スタジオでみんなで観るの。4、5回は続いてたかなあ。
ハプニングじゃなくて視聴者が撮ってきた短編だったからね。 おまいらコントの役割もわからずに面白いかどうか判断してんだな クレイジーの出発進行は覚えていたけど、その間ドリフが日テレの日曜8時に別番組をやってた事は全然知らなかった。 >>730
ドリフの笑いってリズミカルに進行して絶妙な間で転がるとかなのに
志村のボケは間延びしてグダグダしつこい感じ
ツッコミ役でもそう >>792
志村以外はジャズ喫茶や米軍キャンプ周りの生粋のバンドマンだからね
バンマスのいかりやの指示やきっかけに合わせてかっちり合わせると
昔のバンドはバンマスがマネージャー兼雇い主で権限が強くかったしな
志村は最初から純粋なコメディアン志向で、バンドも学祭レベルしか経験もないし >>785ニッポン放送の月曜から金曜までやってた10分のラジオだね
欽ちゃんのドンと言ってみよう?
だったかな >>782
全員集合が終わる経緯も
いかりやが書いたのと居作Pが書いたのじゃ
全然違うんだよなw >>753
志村が死んだときも加藤が高木の居眠りをネタにして笑いを取ってたな
「父親の葬式で脱糞して笑いを取る」って豪語してた松本人志でも
実際の葬式で笑いを取れるかどうか >>739
志村けんさんも慕う東八郎さんも欽ちゃんの師匠なんだよな。 >>785
『よゐこ悪い子普通の子』がそれの典型だな
「普通の子」がオチになるのが新しい >>789
出発進行ってなんか評価低かったみたいだね
クレージーがドリフ風のコントやるだけだったとか聞く
シャボン玉とかはさすがに知らないけどクレージーとドリフでは持ち味が違うのは分かるわ
逆にクレージー映画に出てる加藤茶もやっぱり浮いてるし 世間が忘れてる欽ちゃんの番組
日曜9時は遊び座です >>802
たしか、バラエティじゃなくて松竹新喜劇みたいに
舞台公演中継ぽかったと思う 悲しい時は、、
えーい踊ってしまえええ
て台詞があった ドリフの稽古が長かったのはいかりやが全然台本覚えられないから
一番出番の多いカトチャンと志村はとっくに覚えてるのに付き合わされてた 72年から活動のキャンディーズが なんで逆転に関係するんだ? >>792
あー、それよくわかるわ
志村の笑いはドリフ本来のものとはベクトルが違うよなあ
仲本工事が何年か前のインタビューで、志村がMr.ビーンを研究してるのを長さんから聞かされて
ドリフの笑いの方が上だって答えたという話をしてたな >>807
そういうのもあって志村メインになって全員集合見なくなっちゃったよ >>807
そうだったね
最後の頃は他の人があんまり舞台にでなくて
アンサンブルが減って
志村1人舞台にいることが多かった
だから志村うしろうしろが流行ったんだな
昔ならテンポよく次のシーンにうつっていたのが
やたら間延びしてた >>800
俺は第一回を覚えてるぞ。
最初はフェイクで先週終わったはずのドリフターズが法被着て登場したんだわ。
その後にクレージーのメンバーが「おいおい違うぞ」みたいに後ろから出てきてバトンタッチ。
55号の番組テーマソングも覚えてるよ。
ドリフよりポップな感じの曲だったな。 >>795
居作さんと長さんの著作両方読んだけど
方や番組制作に責任を持つプロデューサー
方や演者としてドリフというグループに責任を持つリーダー
自分の立場・役割のみから過去を振り返ってみると、どうしても意見の相違は出てしまうものだろうな >>812
居作さんはプロデューサーだから現場のスタッフや作家を労う立場にあるだろうから、スタッフへ辛く当たる長さんを見て、ドリフが年々増長してると感じてたんだろう
しかし長さんはドリフが酷使されてるとしてスタッフ、しいては番組自体に不信を抱いていた
その立場に自分が置かれてると、どうしても自分からの視点で物事考えがちだよね、と両方の著作を読んで感じた 出発進行になったのはドリフが日テレで新番組を始めるためって経緯を見たが
その新番組のことはまったく記憶にない
番組自体もこけて戻ってくることになるわけだが、ドリフだからといって
どこでも成功するわけじゃないってことだな 荒井注はドリフ時代を知らない
明智小五郎の刑事の人の印象だわ
小さい頃は本当に志村けん好きだったな
ひょうきん族だとのりおが好きだったかな
まあ騒がしいのが好きだったんだろうね >>813
ありがとうありがとう
まあどちらも立場が違えば長年やっていて
すれ違ってしまうよね悲しいけど
てなもんや三度笠も製作者と藤田まことでは長年やってたせいかすれ違ってしまっていたもんね 今見ると当時の子供たちはあまり興味がなかったであろうゲストたちに目が行ってしまうな
若山富三郎や三船敏郎のゲスト回をみたいけど配信されてなくて残念 >>789
どパンチ学園だっけ?なんとなく記憶の底にあるな 火曜夜8時戦争
テレ朝
笑アップ歌謡大作戦
フジ
火曜ワイドスペシャル(ドリフ大爆笑ほか) このゴールデンの8時枠を、東京ボン太とかいう人をメインとして番組をやってたことがあったはずだ
その後どうなったかとか当時どうだったかについては殆どしらないけど >>823
TBSは大映テレビのドロドロドラマ
日テレは伝七捕物帳や新五捕物帳などの時代劇 >>821
両方youtubeにある 田宮二郎のもある >>75
ゲバゲバ90分はドリフと欽ちゃん両方出ていたイメージ 月曜夜8時戦争
テレ朝→見ごろたべごろ笑いごろ
日テレ→紅白歌のベストテン
こっちの戦争はシャレにならなかった めちゃイケは土8をブランドだってしてたけど
そのころそうでもなかったよな >>741
ごきげん→やるやら→マジカルで
TVバスターズの入る余地は無かった ドリフはテレ朝の水曜スペシャルの枠でも定期的にコント番組やってたよな。
テレ朝黄金の水曜日
19:00霊感ヤマカン第六感
19:30水曜スペシャル
21:00欽どこ
22:00特捜最前線
23:25トゥナイト >>693
サンドのコントは終始ボケの富田が主導権握るスタイルで爽快感がある
55号は終始ツッコミの欽がボケの二郎さんのやることにケチを付けて回るスタイルで見てて気分が悪い コント55号は動けてた時は爽快感あるけど
動かないとネチネチが先に目立つね >>79
TV付けっぱで寝ちゃった時にあのオープニングで起こされるわ >>7
全員集合終わらしといて
自滅するんだもんw酷いよw >>630
お笑いなんて全部時代背景込みなんだから
普遍的な偏差値なんて無いよw >>818
「ジッシッザ ペン!」
てのが
おぼろげに記憶あるw >>837
あー、マジカルか。
やるやら→めちゃイケは、間が3年くらい空いてるんだよね。 >>844
コードついてないギター持って舞台に上がって弾くポーズだけして実際の音は下の舞台にいるブルージーンズが出してる 昔ドリフがCMしてたエスビーレーンボーカレーというのがあった
既存のゴールデンカレーのお子様版という位置付けでハウスバーモントカレーに対抗したものの、結局バーモントカレーに大きく水を開けられて短期間で姿を消した カルピスの対抗商品?の森永コーラスのCMは良く覚えてる
メンバーがヴォルガの舟歌の替え歌で「ヘイ、コーラス♪」と歌ってるやつ >>494
おっくん20数年前に欽ちゃんの番組に出てて
今はテレビのカメラマンやってると言っていた
今も現役かテレビの技術系の役職についてるのては? 家にテレビが1台だけだったから土曜8時は親父が暴れん坊将軍とか時代劇見てた。 >>9
子供の頃あれのコントの志村のスイカ男が恐くてスイカ食べれなくなったわ みなさん、ごっつ、やるやらはゲームコーナーがありつつもコント中心だったけど日テレのウリナリが感動バラエティーが当たってからフジのめちゃイケが感動バラエティ路線+ゲームコーナー化してそれ以降はコント番組=ゲームコーナーになっていったな。笑う犬もコントは残しつつも後半はゲームコーナーが多かったし。 ドリフも後半は教室コントばかりのワンパターンになってた
小学生だったからうろ覚えだけども 1970年大後半はドリフは土曜日だけで萩本は20〜21時代を制圧してた記憶がある >>860
基本的にドリフは全員集合と月1大爆笑だけだからな
全盛期萩本は週5本くらいやってるし 70年代中期〜後期は、せんだみつおやずうとるびがお笑いの人
的な感じの露出ですごかった。 コントって今もやってる人いるのかな
元はチャップリンとかそういうのだと思うけど、菌ちゃんそれ勉強して日本でのパイオニアになったんかな
ざっと見た感じ白黒時代のチャップリンの方が凄く見えるな
タウンタウンのコントは異質な感じ 漫才ブーム前の吉本のゴリ押しが無い70年代後半が、関東人には1番心地よかった感じがするね >>865
吉本のゴリ押しが始まったの90年代に入ってからじゃないかな? >>864
チャップリンの自宅を訪ねて会えたんだっけ ドリフのコントが現代まで通用するのは
金のかけ方が桁違いなんだから当たり前
ボストンビッグドッグがこの世に影も形も存在しなかった時代から
身長20mのジャンボマックスという巨大二足歩行ロボットを舞台に上げていたのは
世界でも日本のドリフターズぐらいだろう >>864
漫才じゃないと言われたマヂカルラブリーのネタが、そういう動きのコントっぽいかも 今見ると、まだドリフは重しいが
ひょうきん族は、何が面白かったんだろう
そう思うコントやギャグだらけだな
時代だったんだろうけど >>848
あ、おぼろげにw
>>849
なるほど、そういう方法か〜 >>872
瞬間風速は凄かったよ
当時ドリフファンだった自分も
一瞬だけ乗り換えたしw >>866
フジテレビの「THE MANZAI」が始まったのが1980年
やすきよ以下関西の漫才師は吉本ばかりで、大阪本拠の吉本が東京に本格的に攻め上がってきたのはここからだと記憶している
この「THE MANZAI」で人気が出た漫才コンビを主にキャスティングして、翌81年に始まったのが「オレたちひょうきん族」だな >>872
全員集合は冒頭の長尺コント部分で語られがちだけど
ちょっとだけよとか最初はグーとかは極めてひょうきん族っぽいノリの笑いではある TBSのネット外だったが
高校で関西に行ったときに見たかったのは
ヤングオーオーだった ドリフはフジで見てたが
TBSを見られるようになった頃には全員集合やドリフは見なくなってた
そのあと漫才ブームからひょうきん族で
お笑いやギャグよりカルトっぽさやサブカルっぽさで見てたな >>875
ザ・マンザイ→笑ってる場合ですよ!→ひょうきん族だな
だから笑ってる場合レギュラーの高田純次が初代ブラックデビルだったりする ドリフはしっかり作りこまれてるから、結構今でも通用する >>859
今考えると
教室コントが一番動きが少なくて済むんだよな
あとアイドルも出せるし >>864
ダウンタウンは中川いさみの世界観もネタも丸パクリしてる
そのチョイスが良かった >>862
せんだみつおと湯原昌幸の時代って一瞬あったね >>872
単純には面白い、というよりは面白いことが起きそうな予感
のその予感だけで終わる番組だった
予感が通り過ぎて、エンディングのエポの曲が流れるとなんだか凄くいい番組みた「気」になるという
雰囲気番組
基本はこれまでのテレビ番組や製作への冷やかし、批判精神だけで成り立っててそれが斬新だった
でも真新しさで勝負だから一通り批判が終わるとやることがなくなる
批判されて一気に古臭さくされた全員集合で終わって
しまったけどひょうきん族もやることが無くなって
終わってしまった
でも、なんというか当時の「新しい時代が始まるかも」
というワクワクだけは止めることができない番組だった >>864
チャップリンは当時のお笑いやる人なら全員観てるでしょ
どちらかというと時代的にはアボット・コステロとか
もう少し暴力的なコンビからの影響が強い気がする
ただ、1人になってからは体力もないし
もう少しチャップリン的なテイストや
あるいは浅草的なものに頼るようになった
ペーソスっていうやつか
勉強でいうと前に誰かがかいていたけど全員集合
の方が古くはマルクス兄弟からジュリーandルイス
近くは植木等・クレージーキャッツまで
かなりの量勉強して消費していたと思う >>864
今はドリフ的な大掛かりなコントよりも55号的な最低限のセットと人数でやるコントが主流じゃない?
漫才との境目が曖昧になってきてる >>847
92年上半期は、ウッチャンナンチャンのやるならやらねばとマジカル頭脳パワーが双方KATO&KENテレビバスターズにダブルスコアな20%台の殴り合いを展開していた >>885
大掛かりなコントはNHKのほうでやるようになったな
しかも芸人は少なめでドラマ出演組が多いし >>858
フジも一時期電波少年模倣の感動バラエティをやってて、電波少年に名指しでおちょくられてましたw >>887
たしかにNHKの方に生き残ってるねぇ
歌謡ショーは全員集合のテイストが
LIFEにはドリフ大爆笑のテイストが残ってる 欽が笑えたのはラジオ版欽ドンでリスナー弄りしてた頃までだろ スレの前の方で芸能史語ってるジジイ共凄えな
俺が記憶にあるのはピンクレディーもキャンディーズも同列だったよね
巷ではサブちゃんの与作が流行ってた
その後すぐにチェッカーズが来て新時代だったわ 一時、明らかにドリフより欽ちゃんが芸人達の目の敵にされてたね 何年か前に欽ちゃんが何かのラジオ番組で欽どこについて話してたが、真屋順子や見栄晴、清六、細川たかし、かなえ、たまえの事は口にしてたが、のぞみについては完全スルーしてた。
MCの人がわらべについて触れても、のぞみの事だけは徹底してスルー。
何か怖かった。 >>883
いやオープニングから面白かったよ。
昔のアニメのキャラが同じ声優であり得ないようなふざけた漫才みたいなので始まって、
「ひょうきんプロレス」なんかロス疑惑の人をモデルにした「フルハム三浦」というリングネームのレスラーが六法全書を凶器に攻撃してきたり。
ひょうきんベストテンとか懺悔のコーナー、
エンディングのエポの歌とか古臭いお笑いのドリフが色褪せて見えたよ。
でも小学生ぐらいならドリフ派が多かっだろあな。
高校生以上の若者はみんなひょうきん派だったね。 >>862
あと山城新伍か
笑アップ歌謡大作戦
伊東四郎小松政夫の見頃食べごろ笑いごろ >>10
昭和テレビ史の生き字引がこんなところにいたとは この話にまではついていけない…
せいぜいひょうきん族以降 歌とコントバラエティー(古い順)
光子の窓(草笛光子)
シャボン玉ホリデー(クレージー ピーナッツ お爺さんおかゆができたわよ あおしまだ〜)
ホイホイ・ミュージック・スクール(木の実ナナ 布施明デビュー)
コント
ぴよぴよ大学 見頃食べごろ笑いごろ
これに西田敏行と武田鉄矢がレギュラーで歌とコントやってたのか
昔話大好きな武田鉄矢も、この頃のことは一度も語ったことも書いたこともないね知らなかった
よほど辛かったのか
才能ある2人だから金八先生や池中元太が当たらなかったら
バラエティタレントとして大きくブレイクしてた世界線もあったのかも知れない スマップスマップ以降だと何かある?>歌とコント番組 堺正章が、カックラキンでバラエティもやれるで威張って頃もあっただろう
コメディ系ドラマなどでも主役級だったので歌もあるし、単なるお笑いなどは見下していたはず 全部関東発やね 大阪にはコント文化ないもんな〜
寄席コント コント55号の系譜はこっちかな?
ナンセンストリオ (親亀の背中に子亀を乗せて 忍者コント)
トリオ・ザ・パンチ (ハードボイルドだど キザ男コント) >>902
SMAP SMAP以前だと夢がモリモリか >>905 全員集合は作り込んでの劇みたいなのでやる型式のコントだろう
それなら吉本新喜劇みたいなものとも言えるね、でも吉本の方は毎回ほぼ使いまわしのセットだったけどね >>904
父親がお笑いの人だから見下しはしないんじゃないかな >>903
あいましょうは黒柳徹子とか渥美清、坂本九とかが出てたやつじゃない?
逢えたらはダウンタウンとウンナンのだろ? >>5
そりゃあまあ、俺らが友達と「欽ちゃんなんて全然笑えない。誰が見てるんだ」
とか言ってたのが30年前だからな。
笑えない笑いを続けて30年の筋金入りだよ うれし楽し大好き、も歌とコントじゃなかったっけ
陣内とドリカムが出てた
ダイナマイトが150tをノリノリで歌ってたな陣内 志村けんが生前トーク番組で「今まで色んな方とコントやって来ましたが、相手は歌手の人が一番やりやすいですね。」「こっちがアドリブで何かポンッとやっても、テンポよく反応して下さる方が多い」「ノリがいいんですよ。みなさん」「相手が役者さんだったりすると、中々そうはいかない事が多くて」って話してたことあったね。 お前ら欽ちゃんバカにしてるけど
収録に客を入れる、若手が前説をやる、ピンマイクを付ける、天然ボケという言葉を使う
これ全部欽ちゃんが始めたことだからな >>890
視聴率100%とかいわれていた頃からつまらんかった。
なんでそんなに視聴率高いのかと思ってたらそこからあっという間に凋落 >>918 本当に誰も笑えてないなら視聴率100%(合計だけど)にはならないよ
安心して笑えるお茶の間の笑いという分野を開拓してそれで本当に100%になってたんだよ
そして凋落してしまう前に、まだ打ち切りレベルでもなかったのに、自ら全部降りたんだよ
すぐに全滅でもなかったし、ゴールデンを外してならまだやれただろうけど、嫌気が差して退いた
自分勝手だが、本人がそうしたかったんだろうね >>907
吉本新喜劇、というよりはてなもんや三度笠ではないだろうか
こっちの方が舞台だし歌ってるし >>920
欽ドンと欽どこはともかく週刊欽曜日の視聴率は明らかにバブル
ブームだからついでで見てただけで
ブームゆえに勢いがしぼむのも早かった >>922
それでも3年続いたのはすごいね
でも他の番組にくらべると数段落ちてたね
良い妻悪い妻普通の妻降板してからこの番組のレギュラーだったんだね中原理恵
時折言われてるスキャンダルが欽ちゃんの逆鱗
にらふれたから降ろされたというのとは少し違うような気がする
降ろしたタレント新番組のレギュラーになんかすえないもの 全員集合も現代ではほぼ無理だけど
てなもんやはもっと無理だな
澤田隆二チャンネルみてビビったわ >>917
ひょうきん族のターゲットは大学生と20代の会社員
そこに背伸びをしたい年頃の中高生が食いついた 全員集合、てなもんやが歴代バラエティー番組の視聴率双璧なのは、もちろん時代に恵まれたこともあるけどやっぱり大衆はスペクタクルが好きってことなのかもな >>881
不条理ギャグなんて吉田戦車から始まったようなもん
ダウンタウンより全然先 >>895
ひょうきん族って
つまるところパロディだった気がする
一周してやることなくなっちゃった感じ
ドリフはもちろんパロディの要素もあるんだけど
ちゃんとオリジナル足り得る >>5
今の若い奴らは多分
ビートたけしで笑ったことはない
って言うだろうな >>915
というより志村自身、ミュージシャンを
一段上に見てたんでしょ?
あの時代のコメディアンは
みんなミュージシャンがバックボーン >>930
ドリフの中ではあんまり演奏できるたちではなかったから
尊敬の念があるのかもね しかし荒井注のでてくる6人ドリフめちゃくちゃ面白いな
とくに長さんの切れ味がスゴい >>928
ひょうきん族は面白いことをやってると言うより、「人気の面白い奴らを集めた」って感じなんだよな
当時は顔見ただけでも笑えたが、今見たらさっぱり
逆に全員集合は今見ても笑える >>864
今は漫才といいつつ、「おれ店員やるからおまえ客やって」と役割を決めて演じる
実質のコントが多い
コントも本来はボケっぱなしで突っ込むのは客だった
今はツッコミ役がいて、どこがおかしいのか指摘してから笑う漫才風が主流に >>933
それはあるかも
なんか変なことさせられて
ハマった人もいれば
スベってる人も少なからずいた記憶 >>934
このボケの
何が面白いのかを
解説するみたいなスタイル? >>934
海外ではこうですじゃなくて日本の話なのか
その本来のコントとやらはいつの時代なんだ
ドリフやコント55号も萩本やいかりやなどツッコミ要員
を必要としてただろ >>904
堺は植木等に私淑してたしなあ。いかりや長介も植木等に私淑していたし。 >>933
それよく言われるけど、そうかな?
ドリフのコントって頭にたらいが落ちてきてゴン!みたいなお約束のお笑いじゃん。
あんなの大人になって面白がるとかヤバくね?
それでも思わず笑ってしまったのが、
志村がサラリーマンの酔っ払いを演じたコントで、
鞄の中にゲロ吐いてその後それを飲もうとしたシーンぐらいかな。 >>10
今の5chは年寄りしかいないってなってるけど
昭和の生き字引だな
凄い >>937
虎ドッキリは桂三枝達がやってたがな
小人レスラーは今は出せないな >>940
苦手なタイプのネタだわ
気持ち悪い
牛乳コントも嫌い ドリフ大爆笑は今でも見ている
やっぱり面白い(スベりも多いがw)
ひょうきん族なんて今見たら糞つまらないだろな >>945
そうでもないぞ
再放送しないだけで見たら面白いだろ
見ても面白くないのははねるのとびら ひょうきん族は面白くないとは言わんが
今見ても半分もネタがわからんと思う 内輪はちょっとうんざりすることもあったが、時事ネタは面白かった
タイガージェットおしんの大根ラリアットとか、突然「おっ母ぁ〜!」と叫んで観客達が泣き出すとか、息が詰まるくらい笑った >>951
タケちゃんマンの光線技「太田プロ副社長これはこれは光線」なんて初期も初期じゃん >>956
それ言い出すとひょうきんディレクターズなんか超初期だな(´・ω・`) 小林信彦はドリフあまり好きじゃないんじゃなかったか?
ドリフだけでなくクレージーのこともテレビに出るようになってからつまらなくなったとか言ってたし 正直、ひょうきん族は子供に良くない番組だとつくづく思った >>26
1975年 センターをスーからランに変更。シングル5枚目年下の男の子が初ヒット
これで3人組はセンターを誰にするかで売れるかどうか決まるという伝説が生まれた
実際、パフュームはのっちをセンター固定にしていればもっと売れたと思う 全盛時の全員集合とひょうきん族に挟まれて、僅か3ヶ月で打ち切られた日テレ「ダントツ笑劇隊!!」を覚えている人はいるかな? >>962
ぼんちのおさむちゃんがひょうきん捨ててこっち行っちゃったので
横澤Pが怒って番組打ち切り後もなかなかひょうきん出してもらえなかったって曰くの番組だな >>962
ザ・ぼんちがひょうきん族に出なかった原因の番組か >>467 >>494
おっくんの本名は境田晃一さんで福島で本業のカメラマンをしつつFTVカルチャーセンターで手打ちそばの講師をしてるよ。FTVカルチャーセンターの趣味のところに青葉手打ちそばだったかな?そこに境田晃一って書いてあるよ。
>>649
ヒロミって打ったら出るよ。 連続カキコをお許し下さい。
966です。 おっくんのですけど
FTVカルチャーセンター→おすすめの講座→くらし・趣味→十勝手打ちそばの下に手打ちそば があってそこの講師のところに境田晃一の名前が載ってます。 休養ってなってるけど、その前の欽ちゃん叩き欽ちゃん下ろしが結構凄かった >>962
観てたよ
お笑いスター誕生のメンバー沢山出てたから
なのに内容まったく覚えてないくらいつまらなかった
そのころ周りはひょうきん族に熱狂していた
うなずきトリオと吉田君のお父さんで大騒ぎになってた >>969
お笑いスター誕生のメンバーって誰出てたの?
竹中直人、マギー史郎は面白かったけど。 >>970
ダントツメンバー
おぼん・こぼん
コント赤信号
小柳トム(現・Bro.TOM)
九十九一
コロッケ
アゴ&キンゾー
青芝金太・紋太
ギャグ・シンセサイザー
とんねるず
ほか この中では小柳トムと九十九一が抜きん出て面白かった
小柳トムの10週目のネタで街の警察官がどこをどう間違えたのか機動隊にまわされるネタ
登場した瞬間客先から山のように紙テープを投げられて「石は投げないで下さい!石は投げないでください!!」
と怒鳴る掴みは最高だった
九十九一の10周目はYouTubeで聞くことが最近できて感激した >>971
今YouTubeが一部で評判いいエド山口もお忘れなく >>973
司会が三波伸介とザ・ぼんち、あのねのねだって >>973
上がった見方を、すれば中心になるべき南伸介の
亡くなる一年前の番組だからあんまし体調良くなかったのかもね >>902
TOKI−KIN急行・・は速攻打ち切られたな
あとエンタの神様超初期は歌もコントもあるごった煮番組 エンタは芸人が出る前のナレーションが臭すぎてシラケる 皆さん覚えてるもんですね
ぼんちは急に失速した印象だったけど、きっかけはレギュラー化したひょうきん族に出なかったことだったんだ >>978
初期のエンタってミスターマリックがくりまたすみと名乗って手品したり伊集院光が海外のハプニングホームビデオ見せたりする番組だったようか >>978
ジャニタレが好きでTOKIーKIN急行視てたけど全然覚えてないわ。 >>983
>>984
モー娘やソニンの歌もあった >>982
それと恋のボンチシートで売れすぎて露出多すぎて
消費されたというか飽きられたというか
瞬間風速的にはとんでもない人気者になってた
芸人ではく完全にアイドルだった ダントツ衝撃隊のプロデューサーはひょうきん族でも
ギャグに使われてたりかなり意識されてたんだね
中島銀平光線! >>974
エド山口のYoutube、ラジオでアシスタントやってた岡田有希子の自殺について
動画あげてすぐ削除して修正版を再アップしたそうだが何言ったんだろ ドリフターズは荒井注がいた頃はバンドマンとしての魅力もあり
ジャズ喫茶でのステージは見応えあった。
しかし注が抜けてコントに方向転換してからはバンドマンとしてのドリフは終わった
それはとても残念な事だった このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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