中日新聞4月30日 12時09分更新
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29日、肺炎による急性呼吸不全のため死去、87歳。津市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は次女紘子(ひろこ)さん。後日、名古屋市中区のジャズクラブでお別れの会を開く予定。
 
10歳のころからギターをはじめ、戦後、名古屋を代表するギタリストとして活躍。71年からジャズクラブを経営し、作曲家としても活動した。

名古屋にジャズ文化
和田さんは十一歳で終戦を迎え、ラジオから流れるギターの音色に心を打たれた。大学在学中からジャズギタリストの活動を開始。名古屋市中区で自身が経営するジャズクラブ「ジャズ・スポット・スイング(旧ココ)」は今年で五十年を迎え、名古屋にジャズ文化を根付かせた。

六十年来の友人でジャズファンの越田耕一さん(79)=同市天白区=は「米国の著名なジャズ専門紙で『名古屋にすごいギタリストがいる』と記事になったこともあった」と振り返る。東日本大震災後は一緒にチャリティーライブを企画した。「名古屋のジャズ界で彼の右に出る者はいなかった。寂しい」と惜しんだ。