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放送作家の高須光聖が、世の中をもっと面白くするためにゲストと空想し、勝手に企画を提案していくTOKYO FMの番組「空想メディア」。
3月14日(日)の放送では、シンガーソングライター・尾崎裕哉さんが登場しました。

◆父のライブの真似をしていた幼少期
高須:やっぱり、顔がお父さん(尾崎豊さん)に似ていますね。

尾崎:ありがとうございます。

高須:2歳のときにお父さんは亡くなられているんですよね? ということは、ほぼ記憶には残っていないですか?

尾崎:唯一ある記憶は、画面越しの父親です。ライブをしている姿だけですね。

高須:すごいねえ。僕には小さい娘が2人いるんですけど、下の子がまだ2歳なんですよ。このぐらいのときに亡くなられたのか、と考えてしまいました。子どもが一番かわいい時期ですからね。映像としての父親を見たときの記憶って、覚えていますか?

尾崎:なんとなくですけど……3、4歳ぐらいだったかな。その前から家では曲が流れていましたけど、「TOUR 1991 BIRTH」のライブ映像だった気がします。ステージを走っている姿が目に焼き付いていて。小さい頃の話を聞くと、よく父親の真似をしていたらしいです。ライブのカウント“1、2、3”のタイミングで、カーテンの後ろからオモチャのギターを持ってジャーンと登場する、みたいなことをやっていました。

高須:生前の記憶がないなか、ほかの人からお父さんの話をちょこちょこと聞くわけじゃないですか。そのときはどういう感覚なんですか?

尾崎:一つひとつのパズルのピースを集めている感覚に近いです。

高須:どんな父親像に辿り着きました?

尾崎:僕が14、15歳のときは、父親という印象が強くありながら、アーティストという面に強い憧れを抱いていたんですよ。子どものときって、親が神様みたいな感覚じゃないですか。曲を聴いているときも「父親の言うことは全部正しい」って思いながら、メッセージを受け止めていたんですよ。だけど、今となっては“彼も人間だったんだな”って思っています。ヤンチャな話も聞きましたしね。吉川晃司さんとの話とか。

高須:吉川さんとの話はよく聞きますよね。“酔いつぶれて道路で寝た話”とか。

尾崎:たまに六本木を歩いたりしていると「ああ、ヤバいことをしていたんだな」って思いますよ(笑)。

◆父と比較される苦しみを乗り越えた
高須:お父さんが歌っているものって、ご自身が感じられた目の前のことを詩にしているんでしょうけれど、それがすごく普遍的なんですよ。時代を越えてもメッセージがちゃんと世の中に届いている。こんなに対空時間が長い曲を、あんな短い期間に作っていたのって、すごくないですか?

尾崎:めちゃくちゃすごいですよね。僕が生きているあいだにそれができるのかどうかわからないです。

高須:あんなにすごいお父さんを持ったらつらいですよね(笑)。

尾崎:“超えよう”と思ったらつらいですけど、彼は彼なんでね。アーティストとしてのキャラが立ちすぎているので。今の時代、僕はそっち路線じゃ多分いけないと思うんですよ。コンプラ的な話ですが、今の時代に尾崎豊みたいな人はたぶん出てこれない。百歩譲ってラッパーぐらいじゃないでしょうか。

尾崎:僕はヒップホップが好きですけど、歌としてはやらないし、もうちょっと爽やかなことをやりたいんですよね。

高須:ご自身で作詞や作曲をされているわけじゃないですか。そのなかで、お父さんの存在に引っ張られたり、“なんで父親のことばかり聞いてくるんだ”って反発していた時期はなかったですか?

尾崎:音楽をはじめた当初は、すんなり受け入れていたんですよね。リスペクトばかりだったけど、(父親に)重ねられることが多かったし、声も似ているから“今って誰の声を聴いているんだろう”って思うことはありました。でも、今となってはどうでもいいことですけどね。

高須:強くなったんだね。

尾崎:ある意味、理解したと言いますか。似ていることがいいとか悪いっていう話じゃないと思うんです。逆に今の自分の歌は全然似ていないんですよ。

高須:曲を聴いたら、たしかに似ていないって思った。

尾崎:なので、今度は“似せてやろうかな”って思っているんですよ(笑)。

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