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プロボクサーに転向したハウバート・ダン。井上尚弥らが所属する大橋ボクシングジムで汗を流している photograph by Shimei Kurita
「他のプロスポーツからの転身。イロモノで見られるのは分かっています。でもね、誰に何を言われようがもう気にしません。サッカーでは完全燃焼できなかったが、ボクシングでならできる。そんな気がしているんです」


 元Jリーガーがプロボクサーへの転身――。

 そんなニュースが一部スポーツ紙で報じられたのが、3月末のこと。ハウバート・ダン、33歳。久しく表舞台で聞くことがなかった男の名前は、筆者を含む30代半ばの高校サッカーファンには知られた存在でもあった。そんな男がいったいなぜ突如ボクサーを志したのか。所属する大橋ジムで取材に応じたダンは、自身の軌跡をなぞりながら、冒頭の言葉を何度も繰り返した。

ジョージ・ウェアに憧れて
 リベリア人の父と日本人の母のもとに生まれ、ACミランで一時代を築いた“リベリアの怪人”ジョージ・ウェアに憧れてボールを蹴り始めた。

 小さな頃から嫌なことは続かない性格だったという。ハーフで体も大きいダンはひときわ目立ち、学校生活では疎外感を感じることも少なくなかった。集団の和に入ることが苦痛で、人並みの悪さもしてきた。本人曰く、極度の飽き性。それでも、不思議とサッカーと向き合う時間だけは苦にならなかった。

 山口県・多々良学園高(現・高川学園高)時代にその名は全国に知れ渡ることになる。恵まれた体躯に裏付けされた身体能力を活かし、2005年度の選手権ではエースストライカーとしてゴールを量産。青森山田高や流経大柏高ら名門校を次々と撃破し、同校として初のベスト4入りの原動力となった。

 準決勝では乾貴士、青木孝太らを擁し、「セクシーフットボール」と称されて大会を席巻した野洲高に惜敗。それでも統率されたチームにあって、個人技で局面を打開するダンは優勝校の脅威となり、強烈なインパクトを残した。当時のことをこう懐かしむ。

「あの時の多々良サッカー部はまさに軍隊(笑)。上下関係も絶対で、監督の前では常に直立不動でした。だから、自由な雰囲気でミーテイングをしている野洲高校をみて衝撃的でした。『これ、本当に同じ高校の部活なの』と。それでも振り返ってみれば、高校時代は最高でしたね。俺たちはどこよりも厳しい環境で厳しい練習してきた。だから負けたらもったいない。絶対に勝つんだ、という一体感があった。苦しかった分だけ、振れ幅が大きかったんですよ。あれだけ必死に何かに取り組んだのははじめてで、その感覚が心地良かった」

 結果的にみれば、ダンのキャリアは高校時代がピークだったのかもしれない。愛知学院大学に進学後は、2009年に特別指定選手として京都サンガF.C.と契約し、10年にはプロとしてデビューしている。だが、Jリーガーとしてのキャリアはわずか11試合に留まった。

 当時の京都は前線に柳沢敦やディエゴ、工藤浩平ら豪華メンバーが顔をそろえ、さらにはユースに所属していた高校生の久保裕也も頭角を現しつつあった時代。ダンは彼らの牙城を崩せず、満足な出場機会を得られない日々が続いた。

 練習中は不貞腐れたかのような態度をみせ、コーチらの助言は右から左へと聞き流すこともあったという。首脳陣との溝は深まっていき2年で京都を放出されると、期限付き移籍したJFLでも一度も公式戦に出場することなくユニホームを脱いでいる。

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