日刊SPA! 4/16(金) 8:53

3月26日、22年間お茶の間の朝を彩ってきた『とくダネ!』(フジテレビ系)が終了し、昭和・平成を駆け抜けた「ワイドショー」はひとつの転換点を迎えた。芸能リポーターとして、ときに事件、事故の現場に向かい、人々の喜怒哀楽を伝え、時代の節目に立ち会ってきた者たちも同時に新たなステージに向かおうとしている。芸能リポーターという仕事とは何だったのか? 令和のいま、当事者たちの証言をもとに紐解いていく――。

<大村正樹・第4回>
 阪神淡路大震災、そして地下鉄サリン事件に端を発するオウム事件を通じて、リポーターとしての自信と手応えをつかんでいた大村は、その後も順調にキャリアアップを続けていた。しかし、21世紀の訪れとともに、少しずつ時代は変わろうとしていた。

 現在、インターネットの検索サイトで「大村正樹」と入力すると、キーワード入力補助として「無神経」という言葉が出てくる。以前は、そこに「炎上」「嫌い」「不謹慎」というワードも並んでいた。一体、彼は何をしたのか? どうしてそこまで否定的な扱いを受けねばならなかったのか? そのきっかけは20年前にさかのぼる。

「2002(平成14)年に日韓ワールドカップがありましたよね。同じ年には日朝平壌宣言もあったこともあって、その前年くらいから何度も何度も韓国に取材に行きました。日韓ワールドカップを契機として、日本と韓国の距離が近づくんじゃないか。そんな思いを持って、リポートを続けていたんです」

 02年ワールドカップにおいて、グループHから決勝トーナメントに進んだ日本は6月18日、仙台でトルコに敗れ去った。一方、グループDを一位通過した共同開催国の韓国は決勝トーナメントではイタリア、スペインを撃破。6月25日にソウルで行われる準決勝・ドイツ戦まで勝ち進んでいた。

「僕は韓国でイタリア、スペイン、ドイツ戦をすべて現地取材しました。このとき僕はソウル市内から韓国のユニフォームを着てリポートしたんです……」

 当時、すでに『とくダネ!』でも、番組公式ホームページを開設していた。そこにはチャット欄も併設されていたが、そこが荒れに荒れた。大村に対して、「韓国びいきだ」「反日リポーターだ」という罵詈雑言が乱れ飛ぶこととなったのだ。

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