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2018年03月17日 06時00分更新
平山さんは後に、ホームシックとしたのは嘘だったと打ち明けている。

「プロ選手としての考え方を見つめ直さなきゃいけない、
と思ってFC東京を選びました。
オランダの1年目はJリーグでのプレー経験があるピーター・ボス監督が
自分を理解してくれて、試合でも使ってくれた。でも、
2年目になって監督が代わってからは話もしなくなり、
その監督は新しいFWを連れて来てしまった。急に環境が変わり、
試合に出られなくなった時に自分の弱さが出てしまった。
それをごまかすための言葉がホームシックでした」
https://diamond.jp/articles/-/163813?page=5

当時もコラムで指摘されてる

posted2006/09/20 00:00

平山は帰国してからというもの、「オランダに馴染めなかった」、
「オランダ語を話すのは無理」と、情けないコメントを繰り返しているが、
オランダ時代の平山を知る人なら、彼が本心を語っていないことはすぐにわかるはずだ。

 オランダ時代の通訳氏は言う。

 「戦力外になったショックを、相太は必死に隠そうとしている」

 平山はオランダ人の友人を作っていたし、カーニバルなどのイベントがあるとチームメイトといっしょに遊びに出かけた。
「サッカーに集中するために、ヘアワックスをつけないようにしてるんです」と決意を語ったこともあった。
目標に向かってひたむきに走り続けた時間を、本気で否定するわけがない。

 Jリーグを経由せずにヨーロッパのクラブに入団するという挑戦は、ひとまず失敗した。
それでもオランダで過ごした1年は、Jリーグや大学でプレーするよりも、はるかに多くのものを平山に与えたはずである。

 今は負け惜しみを連発しているかもしれないが、それは体内でうごめいている悔しさの現われだと思いたい。
https://number.bunshun.jp/articles/-/13855