大河「麒麟がくる」明智光秀は衝撃の“ナレ死” 最も損な役回りの武将は… [爆笑ゴリラ★]
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2/24(水) 6:15
東スポWeb
大河「麒麟がくる」明智光秀は衝撃の“ナレ死” 最も損な役回りの武将は…
長谷川博己(左)と眞島秀和
総集編が23日に放送されたNHKの前期大河ドラマ「麒麟がくる」は、まさかの“ナレ死(最期のシーンが描かれず、ナレーションによって死亡が説明されること)”となった主人公・明智光秀を巡る考察などでいまだ余韻を残している。全話平均14・4%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と直近10年では5番目の数字を残した同ドラマにあって、損な役回りとなったのはこの武将だった。
「一番のババというか、光秀以上にマイナスポイントが見える役を引いてしまったというのがあるのですが…」
こう振り返ったのは、眞島秀和が演じた細川藤孝(幽斎)のゆかりの地・京都府舞鶴市の学芸員氏。7日の最終回で放送された藤孝の行動が、ネット上で大きな反響を呼んでいた。いわく「裏切り者」。この言葉は主君の織田信長を討った光秀の“定番”だが、藤孝にそのイメージを呼ぶ場面があった。
盟友である光秀から謀反の可能性を察知した藤孝は「急ぎ、備中の羽柴(秀吉)殿に使いを出せ。何も起こらぬことを願うが、あるかもしれぬと伝えよ」と側近に命じた。これが密告と受け取られたようで「一番男を下げたのは細川藤孝さん」「細川藤孝ヘイト高まる」といったネット投稿が相次ぐ一方、「裏切り野郎みたいな終わり方でかわいそう」「ショックでした」との同情も寄せられた。
光秀が信長を殺害した本能寺の変後、藤孝は光秀の参戦要請を断り、隠居したとされる。備中から電撃上京した秀吉軍に光秀は敗れ、三日天下に終わる。藤孝が秀吉「中国大返し」に一役買ったかのような説は珍しいとみられ、新しさを感じた視聴者もいた。
前出の学芸員氏は藤孝密使派遣説について「明らかにそのことを示唆する史料はない。ただ、状況から判断してその可能性はあるとにおわせている研究者はいる」。とはいえ「舞鶴で一番期待していた藤孝の描かれ方が悪役になったので、ちょっとそこは残念だなというのはあります」と複雑な思いを語った。
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210224-02802669-tospoweb-000-7-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ac9ea9f2a94362a7b0cec32f32c611076b0b237 >>465
岐阜にいれば最後まで戦う選択肢なかった >>469
信忠が岐阜にいたら光秀は謀反起こさなかったかもな う〜ん、でも光秀最初は信忠の方はかまってないからな 信忠存命だとあのタイミングで秀吉は天下取れなかった 細川藤孝は判断力がすごいよね
選択肢を決して間違えない
兄弟で将軍家に使えてたのに自分だけ尾張の新興大名に鞍替えするとかなかなかできることじゃないわ >>474
兄弟2人で仕える主君を変えるのはお家存続に役立つからあの時代はかなり多いんじゃないかな 有楽斉以上に織田なのに全く相手にされない信雄は本能寺の時さえ信忠の増援部隊もくそも全く役に立たなかったしなあ。
秀吉とおっぱじめるわ、秀吉軍の三法師を長久手で徳川軍にぎたぎたにされて討たれるわ、手のひらを返すつもりで勝手に秀吉と講和しちゃうわ
関ヶ原じゃ家を真っ二つに分けちゃうわ。しかも長生きで、亡くなる時は秀忠や家光どころか、4代家綱の代まで生きていた。
その時天童に出されたような。 信雄って判断間違えまくりなのに生き残り力はすごいよね
いや、生き残ったから正しい判断だったのか >>477
紀州攻めで信雄が独断専行で軍を進めて返り討ちに遇い、兵は無駄に戦死多数に武将も何人かやられて信長激怒もやらかしてる。
このバカをやらかして激怒した信長はあわや勘当されかけている。 >>475
継ぐ家が別だから普通の兄弟とも違うだろ 信忠は光秀に味方しなかった諸将と同じじゃないか。信長が万一逃げ延びたら、を考えてしまったんじゃないかw
見捨てて逃げたら親父がどう言うか。しばし迷った為に脱出する機を逸してしまったw >>474
文武両道で頭もキレるから、情報網と人脈が凄いんだと思う。
朝廷から信長秀吉、のちに家康と。全方位に信頼された人付き合いの達人w >>474
関ヶ原とかは多くの大名が選択を間違えたけど
義昭のところは別に難しい判断でも何でもない
槙島の戦いで義昭に味方した幕臣も、その後義昭について鞆の浦に同行した幕臣もほとんどいなかったそうだ
足利将軍家なんてかなり長期間有名無実で「誰かパトロンになってくれる地方大名いませんかー」っていう状態だったんだから >>483
光秀はずっと手紙やり取りしてたんだろ?
本能寺の変後、上洛させるって内容の書状があったような?なんで義昭なんかに肩入れしてたんだろう >>484
史料として残ってるのは当人同士の手紙ではなく
明智光秀→土橋重治の手紙に「これ義昭のこと書いてんじゃね?」って一節があるだけ >>485
じゃあ特別肩入れしてたわけじゃないのか
早々と義昭から信長に鞍替えしたくせに何言ってんだ?と思ってた 綺麗事ばっかり並べてて麒麟の光秀は好きになれなかったな 通年で明智光秀が主役として立っていなかった
プロデューサーの股間だけが門脇麦の手により立っていた >>486
肩入れしてた、というより細川藤孝を始めとして、思いのほか味方が集まらず、あわてて大義名分として
足利義昭の存在が必要になったのでは
あと、考察があるかどうかは知らないけど、遠くの足利義昭を頼って、手近の朝廷に頼れなかったのは、
光秀としても、帝や朝廷なんぞ最初から当てにしてなかったような気がする
「信長が帝に譲位を迫ったり、朝廷をないがしろにする態度を取ったことが本能寺の変を起こした動機」
という説も、こういう光秀の態度からして疑問に思わざるを得ない >>489
譲位問題は通説とは真逆に院政復活のために譲位したい正親町帝と譲位させたくない信長というのが優位説に踊り出た
多分三職推認問題もそこに関わってるハズ >>488
そうそれ!
ドラマは門脇麦を中心に歴史上の人物が動かされていた
主役置き去りで
光秀は駒を引き立てる為の駒でしかなかった
おばさん呼ばわりされてた描写があったし本当は脚本家も駒を描くの嫌々だったんだろうな >>228
ルイス・フロイス「彼は裏切りや密会を好み刑を科するに残酷で独裁的でもあったが己を偽装するのに抜け目なく、戦争においては謀略を得意とし忍耐力に富み計略と策謀の達人であった」
1583年に書かれたとはいえ酷すぎるwww 光秀は宣教師に冷たかったからそんな風に悪し様に書かれたってのもあるよね
たぶん >>493
光秀が本当に抜け目なく己を偽装してたらこんな風に言われんやろw 「裏切りや密会を好み」
「己を偽装するのに抜け目なく」
この辺は、主君を裏切った結果を受けての評価のような気がする
「刑を科するに残酷で独裁的でもあった」
「戦争においては謀略を得意とし忍耐力に富み計略と策謀の達人であった」
おれとしては、このあたりの評価が、実像に近い光秀のキャラ設定な気がする
武将として「軍紀に厳しく、戦争の名人」的な >>496
「刑を科するに残酷で独裁的でもあった」
「戦争においては謀略を得意とし忍耐力に富み計略と策謀の達人であった」
この部分は謀反と関係ないもんな 「面白おかしかった」だけでも真田丸のほうがずっと上。
ぶっちゃけたけしフガフガ大河と同じレベル 明智光秀から見た戦国時代前半は面白かった。
明智光秀の評価が大きく変わった1年だった。 >>499
どう変わった?
やっぱり嫌いなままなんだが 明智光秀の裏に、天皇・公家系と比叡山系と将軍系がいて、
そのどれら(複数あり)が明智光秀と連携して、信長を討ったんだろう。
背後の黒幕説は間違いなくありそう。 >>500
信長嫌いの意味はわかってる人?
そうでないと話が全く進まない >>501
光秀は天皇から信長の後釜の書類貰ったらしいな安土城で >>1
変な脚色だらけの大河でどう描かれようがどうでもいいじゃん 裏切り者のマイナスイメージの人が
部下と家族を見捨てて一人のうのう生き延びるという超マイナスイメージの人に変わった
制作スタッフは何がやりたかったんだろう >>506
人心に寄与しない所や残忍な所じゃねーの?信長好きだから嫌な部分わからんけど >>508
信長嫌いという言葉を知ってる人なら、
明智光秀の評価が世間で大きく変わっていった時期だと捉える人も多いのではないかな。 >>507
明智嫌いを増やしたかったんじゃない?
見た目だけで好きな人は増えたらしいけど 光秀の部下と家族は秀吉あたりがミナゴロシにしてんの? 山崎の合戦までやってほしかった。
京を戦場にしないように不利な場所で戦ったとか描きようはあっただろうに。 >>511
それだと明智の子孫は嘘吐きということになる >>510
大河秀吉とか光秀ってけっこう智将、真面目なイメージもあったんだよね。だから俺は言われてるほど
嫌いでもなかったんだけど。この光秀は嫌いだったな。織田の敵義昭に秘密で会いに行ったり釜の事で
主君騙したのに自己正当化したり、事あるごとに綺麗ごと言って信長に反論したり。今作でイメージ悪くなったw 明智光秀の重臣であった斎藤利三は、市中引き回しの上処刑。息子は殺害。
利三の娘の春日局は徳川家光の乳母として大奥の礎を築いた。 >>515
綺麗事ばかり言ってたよな
中二病みたいだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています