2/20(土) 10:57
デイリー新潮

石原良純が語る叔父「裕次郎」の思い出 「年に1度逗子でハワイアンパーティーを」
叔父の「世界観」を語る良純さん
 石原慎太郎氏(88)の芥川賞受賞作「太陽の季節」が発表されたのは本誌(「週刊新潮」)創刊の前年、1955年夏だった。翌年3月には小社から単行本が刊行され、間を置かずに映画化。“無軌道”な太陽族の生態を描いた作品は大反響を呼び、弟の裕次郎ともども石原兄弟は時代の寵児となっていく。慎太郎氏の次男で俳優の良純さん(59)が、昭和を彩った父と叔父への思いを語る。

(「週刊新潮」創刊65周年企画「65年目の証言者」より)

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 良純さんが生まれたのは62年。その数年前の“太陽族ブーム”について、

「いつの世にも郷ひろみさんとかSMAP、嵐など、その時代のスターがいますけれど、叔父の裕次郎と父(慎太郎氏)が作ったブームというのは、そうしたスターの複合型だったのではないでしょうか。例えて言えば三谷幸喜さんとSMAPと秋元康さんが合体したくらいの衝撃で、エンターテインメントの革命だったと思います」

 独特の表現で当時を捉える良純さんは、そんな“革命”の空気を知り得る最後の世代だという。

「映画俳優・裕次郎というのは、僕らはリアルには知らない世代です。小学生の時に『太陽にほえろ!』の放映が始まりましたが、映画スターの叔父がテレビドラマに出るというのは当時、大変な出来事だった。そうした感覚は、僕より下の世代だとなかなかピンとこないかもしれません」
 映画「太陽の季節」には裕次郎も端役で出演しているが、その“世界観”には、あらためて驚かされたという。

「太陽族ブームから30年後、僕が20代の頃に海遊びで流行っていたサーフィンやヨットなどは、すでに『太陽の季節』で登場していたわけです。可愛い女の子を連れてスポーツカーに乗り、ヨットで遊ぶという情景は30年経っても変わっていなかった。言い換えれば、流行から30年後に小説を読み、映画を見たりしても全然違和感がないのです。それだけ65年前の石原兄弟の世界観が超越していたということでしょうね」

 そうした兄弟のタッグがいっそう際立ったのは、56年7月に発表され、同時に映画化された「狂った果実」だったと指摘する。

「何しろ、叔父のために父が小説を書きおろしてしまうのですから。『太陽の季節』の映画化が決まった後、次作を書く前に日活の人が父のもとへ来て『ぜひうちで映画化を』と持ち掛けるのですが、そこで父は『弟が主演なら』と、約束を取り付ける。そうやって俳優・裕次郎は本格デビューするのです。主題歌も父が作詞していますが“草陰に結び 熟れてゆく赤い実よ”などと、いかにもといった感じの神経質な歌詞。あれを叔父が歌うのが兄弟の感覚なのか、と思いました」
>>2続く

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https://news.yahoo.co.jp/articles/68b3c992ab9d3cf4ff5a5f250c44b5c749929de3