2020年まで6年間プレーした石川駿氏「人生で1番強烈な時間」

大好きな芸能人を“出待ち”するファンのようだった。中日2軍の本拠地・ナゴヤ球場に隣接する選手寮「昇竜館」。玄関先でバットを手に立ち、訪れていた落合博満ゼネラルマネジャー(GM)が帰ろうとするところで話しかけた。「バットスイング、教えてください」。そこから壮絶な指導が始まるとは、まさか思ってもみなかった。【小西亮】

6年も前のことを、鮮明に覚えている。昨季まで中日で内野手として6年間プレーした石川駿氏が、ルーキー時代の2015年。開幕前に故障離脱し、たしか2軍が遠征に行っている時にナゴヤ球場で残留練習していた日だった。

「落合さんから教えてもらえるチャンスだと思いました。せっかく縁があって中日にいる。これを逃したら『何のためにプロに入ったんや』ってくらい後悔すると思いました」

 一通りの練習メニューを終えた昼下がり、玄関先で意を決して話しかけた。持っていたバットを確認され、食堂横にある部屋に移動。広い室内に、落合氏と当時GM付広報だった松永幸男・現編成部長の3人になった。

「振ってみろ」

 椅子に腰を下ろした落合氏に言われるがまま、素振りを始めた。横目で顔色を窺うが、一向にアドバイスは返ってこない。「いつ止まるんやろ……」。そんな邪念も数十分たつと、大量の汗とともに流されていった。荒くなる息づかいと、バットが空を切る音。それ以外は、静寂の時間が続いた。

 開始から2時間が経過したころ、不意に落合氏が立ち上がった。ようやく指導が始まるかと思った矢先、「やめるなよ」と言い残して部屋を出て行った。数分後、すぐに戻ってきて椅子に座る。ただトイレで離れただけだった。もう、石川氏に残された選択肢はひとつ。とにかく振り続けるしかない。

落合氏が口を開いた瞬間が終了の合図だった「最後の1本、良かったな」

腕が上がらないほど疲れていたはず。それでも、まったく感じないほど没頭していた。見られていることすら忘れてしまいそうなくらい。いつの間にか夜の帳が下りていたことも、もちろん気づかなかった。ようやく落合氏が口を開いた瞬間が、終了の合図だった。

「最後の1本、良かったな。それを忘れるな」

 表情ひとつ変えず、そのまま部屋を出ていった。ふと時計を見ると、午後7時だった。始まったのは午後2時ごろ。5時間も休みなくぶっ通しでスイングをしていたなんて、自分自身でも信じられなかった。

「人生で1番、強烈な時間でした。でも同時に、夢のような時間でもありました」

 史上唯一の「3度の3冠王」に輝いた稀代の大打者が、そこまで時間を割いてくれたことがうれしかった。「帰り際だったので、きっと予定もあったはず」と当時を振り返る。その後もナゴヤ球場で会うたび、声をかけてもらった。

 石川氏は2年目の2016年に1軍デビュー。2017年には初の開幕1軍をつかんだが、腰痛など相次ぐ故障に悩まされレギュラーに定着できなかった。四六時中、理想の打撃を考え、思い立ったら昼夜問わずにバットを振る生活。「休む勇気というのも、持つべきだったかもしれません」。2020年限りで戦力外通告を受け、現役を引退。「もう野球はお腹いっぱい」。紛れもない本音だった。

 1軍通算31試合で41打数10安打、1本塁打、6打点。結果で恩返しはできなかったが、感謝の念はつきない。「12球団ある中で、落合さんがいる中日でプレーできて良かったです」。偉大な存在と過ごした濃密な時間を、今でも宝物のように胸にしまっている。

2/6(土) 6:50
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