【その日その瞬間】
 パンチ佐藤さん(56歳/スポーツタレント)

 人生の岐路となったその瞬間は仰木彬監督から「芸能界へ行け」と言われた日。タレントとして活躍する元プロ野球選手を引退後の芸能界に導いた仰木マジックについて語ってくれた!

  ◇  ◇  ◇

 僕が上田(利治)監督の「うちに来てくれるね」という一言に「心は一つです!」と答えて、オリックスに入団させてもらったのが1989年。1年目は上田監督の下で1番松永、2番が僕、3番門田、4番石嶺、5番藤井と組んでもらい、レギュラーとして3割の打率を残せて、手応えを感じていたんです。

 ところが、2年目からの土井(正三)監督の時期はうまくいかず、僕も土井監督の下でふてくされちゃったところもあって、さっぱりダメで……。

「このまま選手として死ぬわけにはいかないぞ。違う監督の下でもう一度勝負してみたい!」という気持ちを持った94年に仰木監督になったんですよ。仰木監督の下でダメなら諦めもつくし、活躍できれば「ほら、やっぱり俺はやれるだろ」となるし、白黒ハッキリつけられると思ったんです。

 仰木監督はコーチからではなくて、新聞記者の方たちから選手の情報を得ていたんです。コーチは選手個人への気持ちが入っちゃうから。仰木監督は記者たちを毎晩のようにお酒に誘うので、記者の方も本当のことを言うわけですよ。

「佐藤は守備はうまくないけど打ちますよ」「ピンチヒッターなら十分やれます」と聞いた監督が「パンチ再生」と宣言してくれた。

■「俺と同じ散髪屋さんに行って、パーマあててこい」

「俺と同じ散髪屋さんに行って、パーマあててこい」と店のメモを渡されて行くと、散髪屋の主人が「仰木監督から『俺と同じようにしてくれ』と言われてます」と、監督と同じ席で同じコテでパンチパーマして、同じようにビールやうどんまで出してくれました。そこまでされたら僕も燃えますよ!

 有名な話ですけど、「鈴木一朗も必ず出てくるが、一人でイチローに改名すると風当たりが強くなるから、パンチ佐藤と一緒に売り出そう」と監督が考えてイチローと一緒に改名。オリックスに注目を集めたんです。

 シーズンはそこそこ打っていたけど、夏場に投手を1人増やすために僕が二軍行きを宣告されて。「パンチ再生って言ったのに!」と8、9月は二軍でモヤモヤして過ごし、ついに監督に電話して「話がしたい」と申し出て、ホテルのラウンジで会うことに。

 僕はカッカしてるからビールをガバガバ飲み、「僕は一生懸命に努力してます。努力が足りないならもっと努力するし、使えないのなら辞めますので、どっちか言ってください」と聞きましたよ。

「代打の1番手としてパンチを置いておきたい。だが、おまえ1000万円しかもらってないじゃないか。俺は5000万円はもらってると思ってたよ。おまえは中国人の奥さんがいて子どもが生まれたわけだから、稼がなきゃいけないだろ。リサーチしたら、おまえは芸能界でやっていける素質があるいう話だ。今、芸能界に入ったら年俸の5倍稼げるから、引退しろ」

「芸能界での素質があるなら、今すぐ野球を引退しなくてもいいじゃないですか」と僕。

「1年早くても1年遅くてもいけない。芸能界へ行くのは今だ!」


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2021年2月1日 9時26分
日刊ゲンダイDIGITAL

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