TBS朝のワイドショー「グッとラック!」の「来年3月終了」が『FLASH』(光文社)に報じられたのは12月上旬のことである(TBS広報は言明せず)。
「ひるおび!」での歯に衣着せぬコメンテーターぶりが好評だった落語家の立川志らくをMCに据え、鳴り物入りでスタートした新感覚のワイドショーも、報道が正しければ1年半で命脈が絶たれることになる。

打ち切りの理由については複数の要因が挙げられようが、発言力のある田村淳(ロンドンブーツ1号2号)の存在は船頭が増えた感が否めず、橋下徹(元大阪府知事)の起用は政治色の偏狭さの表れにしかならず、
フワちゃん(ユーチューバー)の抜擢は、目先の人気の依存にしか見えなかった。今秋に決行された大幅なテコ入れとはすなわち、方向性のなさを浮き彫りにしただけだった。

炎上が及ぼす「タレントへの悪影響」

しかし筆者は、TBSに勤務する知人から、「という“敗戦の弁”を又聞きした。あくまでも又聞きである。
でも、打ち切りが事実ならば、そう間違っていないのかもしれない。そうでなくても、昨今の芸能人、文化人およびプロダクションはSNSにおける“炎上”に非常にナーバスになっている。その意識を作り手も共有していただろうことは容易に察しがつく。

思えば筆者も、以前担当していたテレビ番組で、タレントのマネジャーから「あまり炎上させないよう、相応の話を振ってやってください」と懇願されたことがあった。
「タレントイメージの瓦解」「CMキャラクターの毀損」「受けるタレントの心理的ダメージ」等々、炎上が及ぼす悪影響は、視聴者が予想しうる以上に、甚だ深刻なものだからである。

そしてこの問題は、朝のワイドショーのみならず、すべての生放送のトーク番組に波及しているのは言うまでもない。炎上が怖くて本音で話せない生のトークに存在意義はあるのか。
そうでなくても、かつて隆盛を誇ったテレビのトーク番組の数字は、相対的に低下傾向にあるのだ。

いや、トーク番組の需要の低下は、はたして炎上だけが理由だろうか。そうとは言い切れない気もする。トーク番組とは切り離せないはずの「ドキュメンタリー要素」を基軸に、別の理由も探ってみるべきではないか。
そもそも、トーク番組とは一体なんなのだろう。

長年いくつかのトーク番組に携わってきた筆者は、その構造について、なんとなくではあるが理解しているつもりでいる。
タレントや文化人が、何かしらのテーマを与えられ、自身の考えを虚心坦懐に述べる。編集のない生放送なら、なおのこと直に接する印象を与える。視聴者は彼らの所感に接し、感心したり、共感を寄せる。それが番組の売りであり、そんな中から今までにないキャラクターが登場してきた。

例えば、無名のコラムニストだったマツコ・デラックスが一躍テレビの主役に躍り出たのも、出演したトーク番組において、自身の異色のキャラクターとポテンシャルの高さを大いにアピールできたからである。
同様に、二番手クラスのベテラン俳優だった坂上忍が、今や帯番組のMCを堂々と務めるまでに至った経緯も、トーク番組の出演を奇貨として、自身の特異性を含む知られざる一面を視聴者や業界関係者に知らしめたからにほかならない。

2020年12月24日 13時0分 東洋経済オンライン 全文
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