【訃報】林家こん平さん死去 77歳「笑点」で人気「1、2、3、チャラ〜ン」 [爆笑ゴリラ★]
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12/21(月) 14:56
スポーツ報知
林家こん平さん死去 77歳「笑点」で人気「1、2、3、チャラ〜ン」
2016年4月、笑点での思い出を語った林家こん平さん
日テレ系「笑点」の解答者として知られる落語家の林家こん平(本名・笠井光男)さんが17日に死去した。77歳。葬儀・告別式は19日に近親者で済ませた。2005年7月に、難病の「多発性硬化症(MS)」であることを公表。一線からは退いたものの、一門の落語会や落語家仲間による卓球サークル「らくご卓球クラブ」では元気な姿を見せていた。最後まで再び高座に上がることを夢見ていたが、その願いはかなわなかった。
あふれんばかりの笑みで「1、2、3、チャラ〜ン」と、ファンと共に声を合わせるこん平さんの姿を、もう見ることはできない。
6人兄弟の末っ子として生まれ、中学卒業と同時に上京して初代林家三平の弟子となったこん平さんが、全国区の人気を得たのが、66年から出演を始めた日テレ系「笑点」だった。自らの出身地である新潟県千谷沢村(現在の長岡市)を「チャーザー村」と呼び、地元ネタで観客を沸かせた。「チャラ〜ン」も、元々は同番組での自己紹介の締めから始まったものだった。
40年近く日曜のお茶の間を楽しませてきたこん平さんに、突然のアクシデントが襲ったのは、2004年8月。当初は、のどの使い過ぎが原因で、声帯に小さな固い突起物ができる「声帯結節」と診断された。1か月ほど入院して安静にすれば治るとされ、早期復帰が見込まれていたが、なかなか体調が回復しなかった。
05年に判明した病名は「多発性硬化症」。厚生労働省が特定疾患に指定しており、脳や脊髄に炎症が起きる難病。こん平さんも、噺(はなし)家の命である“言葉”が不自由になり、高座に上がるのをあきらめざるを得なくなった。
それでも、トレードマークである笑顔が消えることはなかった。趣味が高じて87年に三遊亭小遊三と結成した「らくご卓球クラブ」の練習には積極的に顔を出し、リハビリにも取り入れていた。09年12月には、東京・池袋演芸場で5年7か月ぶりに定席(通年落語が聞ける場所)へ“復帰”。10年3月の自著の発売記念会見では「今でも復帰を目指している?」と聞かれ「ハイ、そうです」と元気よく答えていた。
再びファンの前で落語を披露するのはかなわなかったが、天国で09年11月に亡くなった5代目三遊亭円楽さんと「大喜利」をしているに違いない。
◆林家 こん平(はやしや・こんぺい)本名・笠井光男。1943年3月12日、新潟県生まれ。中学卒業後に上京し、初代林家三平に入門。62年11月、二つ目昇進。66年5月から日テレ系「笑点」のメンバーに。72年9月、真打ち昇進。80年、初代三平の死去後は一門を引き継ぐ。2004年9月、「笑点」を降板。05年7月、多発性硬化症(MS)であることを公表。
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201221-12210086-sph-000-3-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/401dd851fbd01cd388251269b823055c953b88eb 多発性硬化症ってアメドラで名前はよく聞く難病だよな すごく好きだった
病気だって知ってショックだった
たくさん明るい気持ちにさせてくれてありがとうございました 一番好きなメンバーでした
髪の毛カールと大きな声本当可愛らしいおじちゃんだったな 歌丸さんに続いて…ご冥福をお祈りします
肺癌闘病中の六代目圓楽さん、頑張ってほしい 笑点降板から16年も経ってんのか。
未だにオレンジはこの人のイメージ… 日曜の夕方がいつも楽しみでした
安らかに眠ってください >>6
英語名の略でMSって書くけど、MSと書けば欧米ではMicrosoftか病名かって言うくらいメジャーな難病 三波伸介、圓楽、歌丸、小圓遊、こん平
大分揃ってきたなあちらで BS日テレの笑点メンバーのドラマシリーズは、次は
この人か。 >>9
旅立つ時は、その鞄を満杯にしてもらわないとな・・・ >>18
番組スタート時のメンバーが全て鬼籍に・・・ 明後日の『笑点なつかし版』、じっくり拝見するか。
大変な闘病生活だったろうに、お弟子さんが後任をやり遂げているから安心出来たところもあるのかな?
ご冥福をお祈りします。 小松の親分さん浅香光代師匠に続いてこん平師匠もか、ご冥福をお祈り致します。 >>38
ああ、談志の頃のメンツはそうなっちゃったか
>>39
あとは三遊亭圓窓と木久蔵かな 確か笑点最後のオリジナルメンバー
木久扇は途中加入 まあ良く持ったもんだよ
円楽より先に逝くかと思ってたぐらいだったし >>46
ミュージックプレゼントは月1になったけどマイペースでやってるね
今年は伯山襲名披露の口上で寄席にも上がった >>40
常識だよ
そんなの>>1を読んだ時から知ってる >>48
まだ寄席に出てるしコロナで息子がやった配信寄席にも出てたけど、途中加入なんだ 昔、中国から来てた留学生がこれを聞いて怪訝な顔をしてた
どうした?と聞いたら
チャンランは中国語でゴキブリのことだと言ってた >>1
あの世で大喜利したほうが面白いな
司会 三波伸介
解答 歌丸、五代目圓楽、こん平、小圓遊
木久蔵待っているぞとか? 62歳から闘病してたのか
もっといってると思ってた
今考えると若いなぁ
合掌 病は気の毒だったが
噺家としてはなんの才能もなかった
訛りは抜けないし
本格の落語はもちろん
漫談すら面白くなかった
合掌 >>73
伝統芸能板常駐の林家嫌い乙
今の落語家に生粋の江戸っ子なんてほとんど消滅してるし(特に落語協会の前座は元こぶ平の息子くらいしかいない)
江戸落語って落語の上手い下手じゃなくて集客力があるかどうかが全てなんだが 笑点で見たのがついこの前の感覚だったのに
学生の頃で時間が止まっていたんだな おれなんか小益が文楽になっているなんて臀もしなかった 「こん平のギンギラクイズ〜」
「お酒飲むなら?」
「クインビー!」 BSの笑点の再放送を見て気づいたけど、挨拶でよくやってた「1、2、3ちゃら〜ん」って降板するおよそ3年間くらいしかやってなかったんだな。 こん平さんが落語会にいなかったら志ん朝師匠もまだ生きていたかも知れない >>81
あれは2002年ぐらいからだったな
それまでは長いこと挨拶の冒頭にちゃらーんて叫んでた 声がでかいことしか取り柄がなく高座はほぼ漫談で降りていた
でもわりと好きだった >>89
こん平は若い頃からムチャな飲み方をする事で有名で、古今亭志ん朝は可愛い後輩だからとそれに付き合う事が多かった
志ん朝自身がマクラで「このままこん平の酒に付き合ってたら殺される」なんて冗談を言ってたが、実際に志ん朝は60代前半で肝臓ガンで亡くなってしまった >>92
納得した
言ってたのを聞いたか見たかしたことあるわ
落語家の早世ってほぼ酒だよね
柳家は下戸が多いが古今亭は特に酷いとか
控えてくれりゃいいのになあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています