12/14(月) 11:01
週刊女性PRIME

松本明子(54)、バラドルがコロナ禍で「ようやく叶えた」人生初のアイドルコンサート
松本明子 撮影/伊藤和幸
 デビューは“不作の'83年”と言われる年。'80年代アイドルとして松本が振り返る波瀾万丈のこれまで──。

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“花の'82年”の勢いに圧倒された、不運なデビュー

「今の10〜20代にしてみた笑い声のうるさいおばちゃんという印象でしょうね(笑)」

 こう話しつつ、“ハッハッハッ!”と高笑いをする松本明子。松本といえば、'92年に『進め!電波少年』で松村邦洋とコンビを組み、NGなしで何でもやってのけてしまうバラドルとしてのイメージが強いが……。

「私、正統派のアイドルとしてデビューしたんですよ。本当はミニスカートやフレアスカートを着て、聖子ちゃんみたいに歌いたいという夢を胸に上京したんです。あのときは瀬戸大橋なんてないから、四国から船ではるばると!」

 松本がデビューしたのは'83年。実はこの年、“不作の'83年”という不名誉なキャッチがつけられている。

「前年にデビューされた先輩たちがすごくて。シブがき隊、中森明菜さん、小泉今日子さん……。まさに“花の'82年”でした。

 それで翌年デビューの私たちが埋もれちゃって。だって先輩たちが2年目に入って、さらにパワーアップするんですから。もう散々でしたね」

 当時は歌謡大賞などの賞レースも盛んだったが、'84年の『日本テレビ音楽祭』で、デビュー2年目に活躍したアイドルに贈られる『金の鳩賞』はまさかの“該当なし”──。

「初の該当者なしです。もう誰も芽が出なくて(笑)」

 当時、彼女につけられたキャッチフレーズが“アッコ、とんがってるね”。まさに“とんがった”エピソードが生放送での放送禁止用語事件。女性器を表す4文字を大声で叫んだのだ。

「言葉の意味を知らずに、よからぬことを言っちゃって。謹慎になっちゃいましたから、デビュー2年目にして(笑)」

 この事件から約2年間、仕事は、ほぼゼロという境遇だった彼女。普通なら心が折れてしまうのだが─。

「故郷に錦を飾るまでは帰れない、という思いがあって。このままでは地元に戻れないし、同級生や親戚にも会えない。自分が芸能界にいるんだ、というものを示せるまでは、とずっとしがみついていました」

アイドルとして初めて迎えるコンサート

 そしてアイドルから道を変え、バラエティーで頭角を現していくのだが、ずっとアイドルとしてステージに立ちたいという思いを持ち続けていたという。そして迎えた今年の春。新型コロナで緊急事態宣言が出された翌日、54歳の誕生日を迎えた松本。

「ライブ、舞台、テレビ……芸能の仕事、どうなっちゃうんだろう。“ステイホーム”がいつまで続くんだろう、ってものすごく不安になって。そこでふと思ったのが“こんなときは歌だ”と。

 アカペラで自身のデビュー曲を歌った動画をSNSに上げる。それをバトンのようにSNS上でつないでいけないか─。

「同期の'83年組の友人や森口博子ちゃんに連絡をして、インスタグラムとツイッターで #アイドルうたつなぎを始めたんです」

 すると、世代を超えて新旧アイドルが参加。バトンはどんどんつながり、なんと来月にはコンサートを開催するまでのムーブメントになった。

「本当にうれしいですよ……。デビュー37年目にして、ようやくアイドルとして初めてコンサートができます。アイドルとしての私を“松本、もういいよ”とお客さんに思わせるくらいお腹いっぱいにさせてあげたいと思います!」

 松本明子・まつもとあきこ 1966年4月8日生まれ。'82年にオーディション番組『スター誕生』に合格し、'83年にデビュー。バラドルとしてさまざまな番組に出演

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