0001湛然 ★
2020/12/09(水) 22:55:13.95ID:CAP_USER912/7(月) 16:56 夕刊フジ
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebd85c4f8617277458f8d6e4adbd0098e1370889
織田哲郎
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【織田哲郎 あれからこれから Vol.96】
人が演奏した場合、いくら上手な人でも演奏に揺らぎが生じます。演奏者の気持ちがうまく一致したときには、その揺らぎが合わさってものすごくカッコ良いグルーブになるのですが、気持ちが一致しないと、何やらぼんやりしたノリになってしまいます。
打ち込みで音楽を作るようになった当初、絶対にそのぼんやりしたノリにならないことがうれしかったのです。でも、何しろ揺らぎのない連中ですから、だんだんと「なんだかお前らノリが機械的で嫌なんだよ!」と機械に向かって理不尽にぼやきたくなってくるのです。
その揚げ句、1990年代に結成したのがDON’T LOOK BACKというバンドでした。サックスは古村敏比古、ベースは美久月千晴、ドラムは小田原豊、そして私の4人で結成したバンドでしたが、当時私は音楽制作が忙しすぎる上、苦手な雑務に追われて精神的に病んだ状態で、バンドを組むことでそこに逃げ場を作ることができる気がしていたのです。
が、そんなわけがありません。結局音楽制作と雑務の両方がますますタイトな状況になり、自分で自分の首を絞めたようなものでした。
その後、スペインで本当に首を絞められて声が出なくなり、そのおかげでやっと立ち止まって人生を考え直すことができました。
それから、しばらくはエレキギターの音を聴くのもいやになって、後遺症で自分の音域も狭くなったし、もうロックはいいやと思っていたのです。
ですが50歳を過ぎてふと考えてみると、もともと一番楽しかったのは自分が歌うことではなく、ボーカルの横でロックンロールギターを弾くことだったのです。それをやれずに人生が終わるのかと気づいたとき、「いやいや、今からでもやったろうやんけ」と思ってしまいました。
そして一緒にバンドを組みたいのは、ブルース心があってなおかつショーマンシップがあるボーカルだと考えると、ダイアモンドユカイ君しか頭に浮かびませんでした。早速彼に声をかけてみると、最初は案の定「何言ってんだ、このおっさん」という反応でした。でも私が本気だと分かると徐々に聞く耳を持ってくれて、最後には「やってみようか」という話になりました。
そこからGUNIW TOOLSのASAKI(ギター)、FUZZY CONTROLのJOE(ベース)、LINDBERGのCHERRY(ドラム)に声をかけ、ROLL−B DINOSAURというバンドを結成しました。
2015年に『ROLL−B DINOSAUR』、17年には『SUE』という2枚のアルバムをリリースしました。今年はコロナのせいでライブができませんでしたが、来年はまたこのバンドでガンガンとライブをやりたいものです。
■織田哲郎(おだ・てつろう) シンガー・ソングライター、作曲家、プロデューサー。1958年3月11日生まれ。東京都出身。79年のデビュー当初からCMやアーティストの音楽制作に携わる。現在「オダテツ3分トーキング」をYouTubeで配信中(毎週土曜日更新)。
織田哲郎ライブ2021『幻奏夜V』を開催。来年1月9日(土)のヒューリックホール東京はチケット発売中。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)