【社会】 三島由紀夫事件、警察は事前に「計画」を知っていたか 三島氏の友人が語った真実 [朝一から閉店までφ★]
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国内 政治 2020年11月25日掲載
前代未聞の事件
大きな事件が起きた時に、一定の割合で出てくるのが「実は事件には裏があって……」という解説である。オウム真理教の起こした事件では「実は公安はある程度察知していた」という説が唱えられていた。また近年では薬物事件で芸能人が逮捕されると「政権の目くらましだ」という説がネット上で流布された。多くの場合、これらは「陰謀論」と片付けられるのであまり相手にされない。
ではこの事件の場合はどうだろうか。
誰もが知る有名作家が突如、自衛隊の本丸で人質を取って立てこもり、自衛隊員にクーデターを呼び掛けた末に割腹自殺を遂げた――半世紀前、1970年の11月25日に起きた三島由紀夫事件は今なおさまざまな形で語り継がれている。小説や映画をはるかに超える展開に、当時の人々が強い衝撃を受けたことは想像に難くない。
世界的な評価をすでに得ていた三島氏だけに、事件は海外でも大きく報じられたという。現在でも有名人の犯罪はさまざまあるが、多くの場合、薬物事犯や傷害、婦女暴行といったもので、国家転覆まで視野に入れたものは前代未聞かつ空前絶後だろう。そのため当時から現在に至るまでこの事件を扱った書籍や番組などは数多くある。
事件から50年目となる今年、刊行されたのが『三島由紀夫事件 50年目の証言』(西法太郎・著)。同書のサブタイトルは「警察と自衛隊は何を知っていたか」。つまり「何かを知っていたのではないか」が著者の問題意識ということになる。冒頭に触れたように、この種の説は陰謀論扱いされがちである。
しかし、著者の西氏は決して想像や妄想、あるいは単なる推理を開陳しているわけではない。膨大な三島事件裁判資料を精査し、さらに関係者から貴重な証言を得たうえで、「何かを知っていたのではないか」と問いかけているのだ。以下、同書をもとにこの点を見てみよう(引用はすべて『三島由紀夫事件 50年目の証言』より)。
「極左に天下を取られる」
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/11250556/?all=1
次ページ:「玩具の兵隊ですね」
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/11250556/?all=1&page=2 豊饒の海が第4巻で終わるのは不自然 かつ
三島は切腹の仕方のレクチャーを医師に求めており自害を未遂で終わらせる気が満々だったとしか思えない 講演会なんなりといろいろと手段あったんじゃないかな そんな甘い考えじゃ駄目だ!とか言われそうだけど お昼ごはんの前に来たからみんなが苛立って話を聞かなかった 武器もって複数人で市谷の隊に入れたり
どうやらマスコミを呼んでたらしいし
当時から噂はあった 偉いさんが人質に取られているにも関わらず自衛官から罵声浴びて退場という喜劇的な結末も含めて絵になるシーンだな 昼ごはん前にやったら隊員ブチ切れるに決まってんだろ
そういう事に頭が回らないのが演説ド素人
ヒトラーにはゲッベルスやリーフェンシュタールが居たが、三島にはスタッフにロクなのが居ない >>25
三島の生き様、思想を全く理解していない。 名物編集者坂本一亀(坂本龍一父)が口説かなければ
ただの公務員風情の軟弱ちびマッチョ みごとな死にっぷりだったじゃないか、死んでから50年たってこのように取り沙汰されるのも計算のうちだろう
あほ朝鮮人には真似できまい 自殺未遂で終わって半年後「豊饒の海」の連載再開
これがシナリオだったのは言うまでもない >>1
公安はある程度知ってただろ
三島も関係者もベラベラと喋ってたみたいだし
極左のテロリストとは違うからな
あくまでも愛国者だし
ただ公安は本気でやるとは思ってなかった
当時は軍服を作って軍隊ゴッコしてる連中程度にしか思われてない
時代は学生運動も終焉。デモから人が減り政治より経済という時代
バカにされてた三島がガチで自決したから驚いた
三島自身も追い詰められた感があるからな
「我々は本気で国を憂う存在だ」とアピールするには死しかなかった >>49
ちょっと違うな
「我々」楯の会なんか三島は本当は興味ないよ背景に過ぎない
憂国の志士として自決する自分にロマンとエロスを感じてただけ
追い詰められてもいない単に最後の小説を脱稿したタイミングで死にたかっただけ
とんでもないロマンチストだな >>42
司馬遼太郎は思想とかイデオロギーというものを全く信じていなくて
酒と同じで思想に酔って暴れ出す人がいるという立場
「思想というものは、本来大虚構であることをわれわれは知るべきである。
現実とかかわりがないというところに思想の栄光がある。
ところが、思想は現実と結合すべきだというふしぎな考え方がつねにあり、
とくに政治思想においてそれが濃厚で、たとえば吉田松陰がそれであった。」
「かれ[松陰]ほど思想家としての結晶度の高い人でさえ、自殺によって
自分の思想を完結しようとはおもっていなかった。
さらに松陰の門下から多くの血なまぐさい思想的奔走家や政治的奔走家を出したが、
かれらの一、二をのぞいては思想と現実が別個なものであることを知っており、
現実分析による現実的行動によって歴史を変革することをなしとげた。
というより変革期にきている歴史的現実を、現実的にとらえ得た」 性的肉体的コンプレックスを拗らせただけとキーンに指摘されてたな >>32
肉声にこだわったんだってさ。拡声器というフィルターを通さずに、直の男一匹、命を賭けた檄文を武士に投げかけたかったんだよ。無念にも三島が本当に訴えたかった陸自部隊の武士達は遠征でいなかった 明治憲法に現行憲法加えて仏教を足してくれないかな
そうすればいい憲法になるのに あさま山荘事件の前に死んじゃってるね。生きてたら山荘に駆けつけて何か訴えたんだろうかw 三島由紀夫事件以来、日本は異論を認めない国になった
要するに菅政権みたいに最弱なんだよ 三島の首コロリ写真を紙面に載せた朝日新聞は
昔から憎悪に満ちていたな。 楯の会の幹部が酒屋でたまたま石原裕次郎にあって大騒ぎして、サインねだったのを見て、三島はこんなミーハーな連中とは知らなかったと驚いた。 三島由紀夫事件から10年後の1980年、
大江健三郎は日本文学研究者のアメリカ人女性から、
三島事件についてインタビューを受けた。
そのアメリカ人女性は三島本人とは会った事が無く、
写真や映像によって、その姿を知るのみであったが、
鍛えられた筋肉隆々の姿から、三島に対して大柄な男性との印象を抱いていた。
その事に気付いた大江が、「むしろ男性としては小柄な方でしたよ」と修正すると、
同席していた大江の知的障害のある息子で後に音楽家になる光(当時13歳)が、
「そう、とても小さな人間でした。これくらいの大きさでしたよ!」と、
地面から30cmほどの高さで手を水平に動かした。
三島事件当時は3歳だった息子にも、
三島の生首の姿が鮮明に印象に残っている事を知り、大江は嫌悪感を覚えたという。 >>58
そもそも武士道自体がファンタジーだし w
>>62
w
図星突かれて逆ギレ www
しょせん自称右翼なんてこの程度 w >>10
騒ぎになって報道ヘリの音で演説は聞こえなかったんだよな 空襲され米軍が迫って来ているのが分かって何時死ぬか明日死ぬか
そう思う日々は不思議と幸せだった
日本が負けたら日本は終わるはずなのに昨日までと何も変わりがない
昨日までと何も変わらず蝉が鳴いている
みたいに言っていたねえ 池田信夫 「学術会議は共産党の活動拠点だった。投票では左翼の活動家が選ばれる傾向が強い」
↑
これが結論
売国左翼なんて学会にもマスコミにも要らないんだよ
民主党政権時代の超円高政策で得したのは韓国だけ
民主党政権時代の超円高政策で日本の輸出産業や証券会社は壊滅寸前までいって、
韓国の輸出産業はこの世の春を謳歌した
日本の左翼は韓国と一体化してるから、日本の左翼は韓国に有利な政策にして日本を滅ぼしたいだけ
日本にとって重要なのは日本の敵の売国左翼と在日チョンを壮絶な拷問にかけながら刑務所にぶち込む事。つまり赤狩り。
笑っちゃうくらい日本の敵の学術会議wwwwwww
↓
【池袋暴走】飯塚幸三被告、日本学術会議の委員長だった [雷★]
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圧倒的多数派の愛国派が少数派の売国左翼と在日チョンを永遠に続く壮絶な地獄に叩き落していくのが、これからの日本の政治的なトレンド
.
. 命を賭した演説はヘリコプターの音でかき消されて
自衛隊の連中まで届かなかったらしいね
そのヘリは共◯党のチャーター機なんだろうな >>49
w
このテの大馬鹿ばかりだった当時の日本 w
後年三島の予言が話題になるも
他力本願自浄能力ゼロの日本人は他人に依存する甘ったればかり w >>37
>>40
そんなにお昼ごはんの方が大事か自衛隊w 三島由紀夫は、もう少し学生運動は頑張ると思っていたんだね。
当初、三島が思い描いていた筋書きは、こうだった。
いずれ学生運動は、警察の手には負えなくなる。
(同じ頃、やはり学生運動が盛り上がっていたフランスでは、
パリのセーヌ川左岸地区は一時的に学生たちの管理下に置かれ、
警察も立ち入れない状況になった。いわゆる「五月革命」。
三島は、日本もそれ位まで行くと予想していた)。
警察が駄目なら自衛隊か。だが、今の憲法ではそれは不可能。
そういう状況になれば、流石に国民も目覚め、憲法改正への
機運が高まるだろう。
だが三島の予想に反して、日本の学生運動は安田講堂陥落あたりを
転機として、急速に縮小・弱体化して行った。
それで、ああいう事件を起こす事になった。 メディアは文学者としての三島
若い頃の肉体的コンプレックス
そういうのを織り混ぜて上手に三島の人生を話すけども
思想家としての三島にはほとんど触れようとしないんだな 三島に226の将校(霊)が取り憑いていたという話もあるな >>78
それって美輪サマの三島エピソードじゃなかった?
あの人の三島由紀夫話って、他に誰も関係者や同席者証人のいないエピソードばかりなんだよね〜 >>35
そしたら深々と割腹して頭ビョン、介錯出来ずに首をギコギコとはならんだろ
言われている通り、老醜を避けただけだと思うがな >>79
>>82
2・26事件に入れ込んだ三島は、逆に、英霊たちに、魅入られた!少なくとも、美輪明宏はそう見ていた。事件の年の正月、南馬込の三島邸で、美輪明宏は、三島の背後に青年将校の霊を見た!「磯部浅一」の霊。死刑となった青年将校の中で、天皇陛下万歳を叫ばず、呪いの裡に果てた磯部。磯部が憑いている。美輪が言い当てるのを本多は見ていた。
とあるから、美輪明宏による三島由紀夫エピソードと言ってもいいと思う
しかしあの人の霊能力って本当なのかね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています