【格闘技】五味隆典42歳、尽きない格闘技への情熱とたった1つの心残り メイウェザーとも闘いたい? [砂漠のマスカレード★]
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相模原市の東林間駅からほど近い住宅街の一角に位置する格闘技ジム――。髪色を鮮やかなグリーンに染めた、尋ね人の姿がそこにあった。両脇に2匹の小型犬を携え、笑顔で出迎えてくれたのは総合格闘家の五味隆典、42歳だ。
2004年に初参戦したPRIDEでは、軽量級の不動のエースとして海外からの刺客をことごとくマットに沈め、無敗のまま初代ライト級王者へと登りつめている。圧倒的な戦歴もさることながら、常に前傾姿勢で、獲物を狩るかのような五味の試合運びを観る度に胸が高鳴った。
なにより、その姿や振る舞いにはいい知れぬ“華”があった。KO勝ちにこだわるそのファイトスタルに多くのファンが熱狂し、日本中を席巻した総合格闘技ブームの中心で輝き、10年にはUFCデビュー。実に7年間、世界最高峰の舞台で闘い続けた。
17年末からはRIZINに身を置き、18年にはメルヴィン・ギラードにKO勝ちを収め、健在ぶりを示した。そんな五味がリングから遠ざかり、2年の月日が経過した。一部では引退説も囁かれたが、現在もジムでトレーニングを重ねる毎日だという。コロナ禍の今、五味は現在の格闘技界の状況をどう捉えているのか。
“天下無双の火の玉ボーイ”が、自身のキャリアや未来、その生き様を存分に語った。
当時の自分のことはほとんど覚えてない
五味隆典(以下、五味) 俺は現役だから、過去のことを振り返るのはあまり好きじゃない。それでも、今でも初めて会った人にはPRIDEのことはよく言われる。ジェンス・パルヴァーや桜井マッハ速人選手との試合のことなんかを聞かれたりしますよ。当時はミルコ、ヒョードル、ノゲイラらスーパースターが来日して、興行的にも技術的にも日本の格闘技界に波が訪れていた。
パルヴァーなど、UFCの王者が日本に来てPRIDEに参加していたから驚くよね。俺がPRIDEで闘ったのは3年と短い時間だったけど、時代に恵まれた面は確かにあった。実際に世界が変わったといえるほど、自分を取り巻く環境も急激に変わっていったから。
そんな中で、年間に5試合というハードスケジュールで闘ってきた。毎日が慌ただしく、試合が終われば次戦の準備。毎日があっという間に過ぎていって、正直、当時の自分のことはほとんど覚えてないんですよ。
その反面、俺が見てきた佐藤ルミナ選手や山本“KID”徳郁選手、桜井マッハ速人選手なんかは、もうね、人間の域を超えたような魅力があったことは印象に残っている。選手としての華というか、マスコミの枠に収まりきらないオーラのようなものがあった。
彼らの試合前の顔は、選手目線から見てもピリピリした緊張感があり、言葉にできない雰囲気を醸し出していたから。改めて考えると、そういう魅力に溢れた選手が多かったから、試合内容を含めた興行的にお客さんは満足してくれたんじゃないかな。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3956e721dd5b8fc70ce8f9134fc9d0f1dabb1e21
11/20(金) 17:05
https://number.ismcdn.jp/mwimgs/e/4/-/img_e4ed39e64afdaf36365456bfcb68d788416545.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=ZeXMbkenpu8
Scary -Delete Streamin' Freq. From Fear Side- Takanori Gomi entrance music 「積み重ね」はお客さんに伝わる
20歳で修斗デビューして、「この世界で受け入れられないと生きていく術がなくなる」という思いでずっとやってきた。絶対有名になるという覚悟があったし、格闘技で負けたくない、と思っていたから。この世界に来る人間は、目立ちたがり屋と負けず嫌いばかりだけど、そんな選手達に負けないために死ぬ気で練習もした。
木口宣昭先生のもとで徹底的なトレーニングをしてきたという自負があるし、ボクシングの練習も15歳から欠かしたことはない。レスリング式の下半身の作り方とか、一番めんどくさい基礎練習ばっかりやってたからね。それと、当時は毎日レスリング式の基礎をやった後に、一日で5人程度のスパーリングの相手を用意してもらっていた。それを代わる代わるやって、そういうトレーニングを積んだからこそ、打撃戦は怖くなかったというのもある。
今の格闘技界に当てはめることが必ずしも正しいとは思わないけど、俺の場合はそういう積み重ねが自信に繋がった。決して科学的でもないし、データを重視するわけでもないけど、要は、他の選手にない練習をしてきたということ。だから、修斗でもPRIDEでも自信を持って闘えたし、アメリカでもあれだけ長く出来たというのもある。 レベルが高くなればなるほど、基礎が大切になってくると身をもって体感したし、その点を経験を踏まえて伝えられる存在は少ないと思う。(佐々木)憂流迦たちには伝えているけど、そういう練習ができないとリングに上がるべきじゃない。そういう積み重ねは、お客さんに必ずわかると思うから。
強い憧れを抱いていたUFC
<50戦以上に及ぶキャリアの中でベストバウトは。そんな質問を投げかけると、UFCでの試合が複数あがってきた。五味自身が「メジャーリーグ」と表現する最高峰での闘いは、自身の格闘技人生の中でも特別な挑戦だったという>
五味 もともとUFCには強い憧れがあった。やっぱり総合格闘家にとってトップの場所であり、ずっと観てきた世界だったから。「火の玉ボーイ」の由来も、ティト・オーティズ(UFC元ライトヘビー級王者)が好きで、彼のトランクスがファイヤーパターンだった。それを俺が真似てトランクス作ったから、火の玉になったと思うんだけど、誰が名前をつけたかはわからない(笑)。日本でもうやり残したこともなかったし、これまでとは全く違う感覚でUFCに挑戦した。
ただ、皮肉なもので一番憧れた舞台であるUFCでの成績が一番悪かった。今でこそ思うけど、修斗、PRIDEでチャンピオンという夢を2つ叶えて、モチベーションを高く保つことが出来なかった面はあった。そんなに格闘技のベルトばかりいらないから(笑)。
俺ね、チャンピオンという目標を叶えて、「じゃあもっと上へ」となる性格じゃなくて、頂上まで行ったら、翌日にはゼロになる人間で。一晩寝ると、何もしたくなくなるというか。でも、普通は人間ってそういうもんじゃない。本当にUFCで勝とうと思ったらトレーニングも含めて、堀口恭司選手や憂流迦のように向こうの基準に合わせて調整していかないといけない。それも考えた時期もあったけど、2つの夢を叶えてしまい、もうパワーがなくて、3つ目をやるエネルギーもなかったのかな。 後がないUFC2戦目、64秒でKO
それでも満足して覚えている試合って、結局UFCでの試合で。デビュー戦でケニー・フロリアンに負けて、後がない状況で臨んだ2戦目。あの時はまだUFCのスタイルへの慣れもなく、日本とは真逆でほぼアウェーの状態。PRIDEに来ていたブラジル人とかもそうだったと思うけど、見えないところでのプレッシャーもあった。
相手のタイソン・グリフィンとは、一度ラスベガスで練習したことがあって、ある程度手の内が分かっていた。崖っぷちに追い込まれた状況の中、1分ぐらいでいつもと変わらないKO勝ちできたことが後に繋がったし、ホッとした。
あとは、14年にボルティモアで闘ったアイザック・ヴァリーフラッグ戦。あの時はメインがジョン・ジョーンズ選手で、興行的な注目度が高かった。拳の骨折明けからの復帰戦だったけど、そんな中でファイト・オブ・ザ・ナイトを取れたからね。35歳となり年のことも散々言われてきて、本音を言えばパフォーマンスを保てるギリギリの年齢だとも思っていたから。
戦績的には4勝で、それでも契約を続けてもらえていたのは、4勝の中身がKO賞やファイト・オブ・ザ・ナイトを取ったりで、「五味はどこかで爆発してくれる」という期待もあったと思う。だから俺らしい試合を見せようと思えたし、個人的にはこの4勝は日本でタイトルマッチを勝つくらいの価値はあった。ゼロに近い状態でも続けられたのは、それまでよりも純粋にUFCの舞台が好きだったからやれたんじゃないかな。
考えていた引き際、でも今は「闘いたい」
<最終戦から既に2年が経過した。膝に故障を抱え、42歳となりキャリア終焉の時は近づいているのかもしれないが、五味の心境には変化が生まれつつある>
五味 格闘技は若さがアドバンテージとなる競技で、それは間違いない。17年にキム・ドンヒョンに敗れた後に、プロとしてUFCのレベルでなくなっていると感じたことも事実としてあり、自分もどこかで身を引くタイミングがあるとは考えていた。
ただ、世の中の流れとして、新型コロナで試合開催が難しくなったという現実もある。タラレバになっちゃうけど、コロナがなければおそらく夏くらいには試合をしていたと思う。コロナの前までは引き際について考える時間が増えたけど、逆に今は闘いたいという気持ちが出て来て、練習にも身が入ってきた。
納得行く相手と条件が合えば、どこの国であれ、もう一度リングに上がりたい。若手の活躍を観ていると、そういう思いが強くなってきたね。対戦相手? そりゃ闘えるなら、コナー・マクレガーとやりたいけど現実的じゃないでしょ。
極端な例だけど、そのリングが総合でなくても、ボクシングであってもいい。来月2月に(フロイド・)メイウェザーが来ることになったけど、俺、やりたいよ。だってトップに登りつめた選手だから、そりゃ闘ってみたいでしょ。 後がないUFC2戦目、64秒でKO
それでも満足して覚えている試合って、結局UFCでの試合で。デビュー戦でケニー・フロリアンに負けて、後がない状況で臨んだ2戦目。あの時はまだUFCのスタイルへの慣れもなく、日本とは真逆でほぼアウェーの状態。PRIDEに来ていたブラジル人とかもそうだったと思うけど、見えないところでのプレッシャーもあった。
相手のタイソン・グリフィンとは、一度ラスベガスで練習したことがあって、ある程度手の内が分かっていた。崖っぷちに追い込まれた状況の中、1分ぐらいでいつもと変わらないKO勝ちできたことが後に繋がったし、ホッとした。
あとは、14年にボルティモアで闘ったアイザック・ヴァリーフラッグ戦。あの時はメインがジョン・ジョーンズ選手で、興行的な注目度が高かった。拳の骨折明けからの復帰戦だったけど、そんな中でファイト・オブ・ザ・ナイトを取れたからね。35歳となり年のことも散々言われてきて、本音を言えばパフォーマンスを保てるギリギリの年齢だとも思っていたから。
戦績的には4勝で、それでも契約を続けてもらえていたのは、4勝の中身がKO賞やファイト・オブ・ザ・ナイトを取ったりで、「五味はどこかで爆発してくれる」という期待もあったと思う。だから俺らしい試合を見せようと思えたし、個人的にはこの4勝は日本でタイトルマッチを勝つくらいの価値はあった。ゼロに近い状態でも続けられたのは、それまでよりも純粋にUFCの舞台が好きだったからやれたんじゃないかな。
極端な例だけど、そのリングが総合でなくても、ボクシングであってもいい。来月2月に(フロイド・)メイウェザーが来ることになったけど、俺、やりたいよ。だってトップに登りつめた選手だから、そりゃ闘ってみたいでしょ 若くして自分のジム持ってトップになった時点で成長止まったよね 思いっきりと当て感が良くいい選手だったね
プライド武士道はヘビーよりスピードがあって面白かった 当時調子こいてた青木ボッコボコにしたのは最高にスカっとしたわ
あれは今だに見たくなる いまだに試合を見返してワクワクできる。PRIDE連勝中の五味は本当にかっこ良かった。
最近朝倉海の動画で見たら太りまくってたな…もともと酒好きだから摂生しないと大変なんだろうけど。 >髪色を鮮やかなグリーンに染めた、尋ね人の姿がそこにあった。両脇に
おいおい両腕に刺青かよ最悪だなと思ったら犬でワロタ >>9
青木とはやってないね、ボコったのはマッハか自演乙かな。
五味は青木とやったらあっさり1本とられてしまいそうだ 本人の前で「ごみがしゃべった」と言った瞬間に鼻が折れて地面に倒れる>>12 >>14
あれ?勘違いしてたかも
川尻だったかな?審判止めるの遅かったし死ぬんじゃないかってくらい頭殴り続けたやつ 須藤元気と同い年なんだな
あっちは議員で馳と絡んだり楽しそう 一番いいときに梯子外された印象
あのときは輝いてたよ 全盛期はホントに格好良くて良い兄ちゃんだった
プライドがあんな終わり方しなければ名の知れたヒーローになってたね
五味の試合中のビリビリ張り詰めた空気がたまらんかったw 朝倉弟にスパークリングで勝っていたけどもう年寄りだな
ヒクソンの息子には挑戦しないのか? 同じ名字の記者ばかり頭に浮かぶ
空港で有名な人だったような >>14
青木は得意のグランドでヒクソンの息子に歯が立たなかったな 判定?駄目だよ、KOじゃなきゃ!
スカ勝ち最高だった
勝てなくなったのはピーク超えたのとオクタゴンに合わなかったの両方あると思う >>26
体重差も相当あったし、五味の得意なレスリングのスパーだからねえ。絞ってない五味だと15kgくらい差があったんじゃないのかなw 今でも朝倉弟を圧倒してたな
日本格闘技のレベル低下酷い 試合が終わるごと一切関係者と連絡を取らなくなるんだよな
リフレッシュする時間必要とするために
年5試合は多すぎだよなモチベーション維持するの大変だわ 練習してるって言ってももう絞れないんじゃない、お腹たぷんたぷんじゃん あの頃は楽しかったなぁ
なんで格闘技ブームがこんなに落ち着いちゃったんだろ
ボクシングは井上尚弥がワクワクさせてくれるけど >>44
朝倉兄弟みたいなチンピラが無双してるレベルだからな PIRDE武士道のエース五味と
修斗の黒船 川尻が対戦したのはストーリー性も試合も面白かったなぁ 減量して絞って70キロ級の身体に仕上げても顔が大きく重いから73キロになってしまう
ので、五味に合わせて73キロ級が作られた >>56
魔裟斗も5頭身だけど70キロに抑えたのに 五味が勝つと客の盛り上がり方が半端じゃなかったのは覚えてる。
今のRIZINの選手の比じゃないくらいに盛り上がってた >>49
大会の運営が黒すぎた
活躍の場が無くなれば競技者が減って廃れる プライド武士道の五味対川尻を生観戦したのはいい思い出
結着後の地鳴りの様な歓声は忘れられない >>63
朝倉兄弟なんかビビって挑戦すらしないけどな かなりの練習嫌いと言われてたな
やる時は本当にやるらしいけど ルミナ、ゴミ、KID、朝日昇
中軽量のレジェンドですな・・・
ユーチューブに逃げてる未来くんの生き方も有りだとは思うけど
カッコいいファイターじゃないね 35くらいまでだな
40超えると反射神経が悪くなるし筋力も落ちる >>68
ピークは30歳でその後の数年はそれまでの貯金(練習量や節制)で変わってくるみたい
だから30超えると急に衰える人が出てくるのはそれが理由
スポーツ全般に言えるみたいだね 筋力、筋量はむしろ30〜40代でピークに来る場合もある
加齢で落ちやすいのは瞬発力と平衡性 重い階級なら古くはクートゥア、今のUFCではテイシェイラなどおっさんでもトップで通用したりする
最近UFCで連勝してるアリスターやアルロフスキーも40代 >>62
ここ10年でUFCで通用したと言える日本人はタイトルマッチまで行った岡見と堀口、10位以内に入った水垣ぐらい
五味はUFCで最も高い評価を得ていた日本人 全盛期の五味はマジで強くて華があり人気があった
UFC4勝8敗の五味が海外でも高評価されていたのもUFCの人間や海外の格オタもPRIDE時代の五味を知ってるから UFC時代の五味はマジで練習してなかったと
関係者から言われてたそうだな
魔裟斗とのエキシの方が練習してたんじゃねーの? 打撃中心のセンスだけでやれてた天才だから劣化するのも早かったな MMAのPFPランキングにも五味が入っていた時期があるんだよな
打撃の五味、組みの青木が日本代表だった
https://www.youtube.com/watch?v=bQ9yu1Dkmp0&t=2s まぁ、メクラフックが当たれば勝ち、当たらなきゃ負けって分かりやすい選手だわw
BJに半殺しにされても、アウレリオに負けても、全くグラウンドを練習してるようには見えんかったな >>70
見過ごされがちだが医学的には平衡性が加齢で最も大きく落ちると言われてるみたいだな
次に瞬発力と柔軟性
筋力とスタミナは比較的、落ちにくい 打撃中心でグランドは駄目って散々言われたけど
それってある意味凄い事なんだよな
それまでの日本人はグランドテクニックは世界に通用してもパワー負けしたり
打撃で勝負できなかったりといまいち説得力に欠けていた
あんなにスカッとする勝ち方をしたのはそれこそ五味が初めてだったんじゃないか
なキッドなんかもいたけどちょっと違うし メイはMMAルールで試合はしないから実現しないし興味ない 五味は一応、関節技ありのコンバットレスリングの大会で何度も優勝してるのに ビニールテープで補修しまくりのサンドバッグに悲しいものがある ヒョードルとかヌルマゴとかロシアの一流選手はボロい設備や公園とかに集まって練習してたりする
アメリカのジムはデカい、設備も豪華だが ファイトスタイルも好きだったけど、話が上手くて面白い 五味は練習嫌いのイメージがあったけど
実は結構ハードに練習してんだんだよな 動きがおっさん化してる五味
全盛期の五味とは別人
今はただのゴミ コンバットレスリング
できた当初は高校国体以下のフリースタイルレスリングレベル
関節技はそこそこレベルが高いが、柔術のような下からの攻め防御技術は乏しい
できた当時はU系格闘プロレスが比較対象だったから、技術レベルがしっかりしていると
みなされてかなり評価された 今やっても負ける可能性高いけど未来とやってみてほしい
五味みたいなアグレッシブなタイプ割と苦手だと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています