10/17(土) 6:00
スポーツ報知

佐々木則夫氏、東京五輪金へなでしこに提言…澤穂希のように泥臭く戦え
佐々木則夫氏
 日本サッカー協会は16日、Jヴィレッジ(福島・広野町、楢葉町)で行うなでしこジャパンの候補合宿(19〜26日)のメンバー23人を発表した。FIFAランク11位の日本にとって7か月ぶりの再始動。新型コロナウイルス感染拡大による中断前の3月に行われた親善大会「シービリーブス杯」(米国)では、3戦全敗と苦戦を強いられた。2011年女子W杯ドイツ大会で初優勝へ導いた前監督の佐々木則夫氏(62)が、このほど電話取材に応じ、来年の東京五輪に臨む代表へ「献身性を武器にせよ」と提言した。

【一覧表で確認!】なでしこジャパン代表候補合宿メンバー

 19年W杯フランス大会16強敗退の反省を胸に、3月の親善大会に臨んだなでしこジャパンだったが、不用意なミスから失点を繰り返した。その戦いぶりに佐々木氏は強い危機感を覚えた。

 「攻守に足りないものがあり、チームの質が上がっていなかった。この状態だと、(今年開催なら)東京五輪はメダルも届かないと思った」

 女子代表を9年間指揮し、澤穂希さんらと世界の頂点に立った佐々木氏は、「やまとなでしこ」の強みを知り尽くす。

 「ボールを自分たちが保持するには、相手から効果的に、意図的に奪うことが必要。そのためにボール状況をみんなが見ながら連係して動く。日本の女性は目配り、気配りが素晴らしく、その能力にたけている」

 自分を犠牲にする献身性も特徴という。

 「澤さんはボールを持った時の懐の深さや奪取能力が非常に高かった。澤さんをきっかけに、チーム全体で献身的なプレーの質を徹底して上げた。欧米勢と比べて手足の長さやパワーは劣る。その分、自分を捨てて、泥臭くボールに向かえる日本の強みで戦った。1人がスライディングすれば2人目、3人目がボールを拾える。素早く攻めに転じると相手陣形はブレて、決定的なチャンスが生まれる」

 自分たちの武器を極めた当時のなでしこは、08年東アジア選手権中国大会で女子史上初の公式大会タイトルを獲得。11年W杯優勝、12年ロンドン五輪銀メダルなど、女子サッカーの歴史を次々と塗り替えた。

 「こういうことをすれば勝てるんだ、と感じれば、人間ってやるわけです。我々の時は、試合の前の最後の仕上げはスライディングだった。ベンチに戻ると、もうサッカーパンツの脇が汚れていた。今の代表はスライディングのヒット率に甘さがある。まだまだ体に染み込んでいない。質をもっと上げていかないと、世界との差は縮まらない」

 21年秋には日本初の女子プロリーグ「WEリーグ」が開幕。女子サッカー発展の機運も高まる。

 「東京五輪は女子サッカーの生命線になる。歴史の中で重要な大会。本当に女子サッカーの魅力を見せないといけない。時間的には十分ある。またなでしこ旋風を巻き起こしてほしい」(取材・構成=小又 風花)

 ◆佐々木 則夫(ささき・のりお)1958年5月24日、山形県尾花沢市生まれ。62歳。帝京高から明大を経て、81年に電電関東(NTT関東、現大宮)に入社。91年に現役引退後、指導者に転身。2006年から女子のU―17、U―20日本代表監督などを務め、07年12月になでしこジャパン監督に就任し、11年ドイツW杯優勝、12年ロンドン五輪銀、同年FIFA女子最優秀監督。15年カナダW杯準優勝。16年11月からJ2大宮のトータルアドバイザー。18年3月にJFA理事に就任。19年6月に日本サッカー殿堂入り。21年に新設する女子プロリーグ「WEリーグ」の設立準備室の室長。

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