1997年10月11日 PRIDE 東京ドーム
高田延彦vsヒクソン・グレイシー!

1993年に現在世界最大規模の格闘技団体であるUFCの第1回大会が行われ、圧倒的な強さで優勝したホイス・グレイシーが「兄のヒクソンは私の十倍強い」と発言したことで一躍有名になったヒクソン・グレイシー。
1994年、修斗「VALE TUDO JAPAN OPEN 1994」に初来日したヒクソンは噂通りの強さを見せ、安生洋二を返り討ちにした“グレイシー道場破り事件”経て
翌95年、修斗「VALE TUDO JAPAN OPEN 1995」も完全制覇、当時“最強”を掲げていたUWFインターナショナルの高田に期待がかかります。

Uインターも解散し、グレイシー戦に向け牙を研ぐ高田に戦いの場を提供するかのように、総合格闘技イベント『PRIDE』が始動。
これまで団体の経営に携わるなど選手活動以外での負担も多かった高田。そしてこの試合の3日前には風邪で点滴までしてたどり着いた高田。
対するヒクソンは、3週間前に来日し長野で山籠り。この試合に向けて万全に仕上げてきたといいます。
それでも高田に期待せずにはいられない我々!燃えろ高田あ〜!

リング際で安生と抱き合う高田、ええ、もちろん私泣きそうでしたよ!

選手コール、ゴング、緊張でいっぱいのドーム!
高田、もっと蹴れ!もっと蹴れ!蹴り続けて欲しい!

でも、おかしいんです。全く不安が無くならないんです。

高田が組みに掛かりもつれ倒れた両者。立ち上がる高田の脚を取ってヒクソンが抱え上げた瞬間、叩き付けた瞬間、この二箇所はどうやったのか私の記憶にカシャッと切り取られ収納されてます。

『いやいや、でもまだわからんぞ!こっからやで高田!』と拳を握った1R終盤、5分まであとちょっとだったのに、まさかまさか、『まさか高田に腕取りか!?』と思った刹那、ズバっとヒクソンの腕十字が決まり高田がタップ……。

淡々とグレイシーメソッドをこなされてしまったこの感じ。

学校では「なんや、負けたんや」と映像を見ても無い彼らに高田を否定されたあの感じ。
ミドル→ソバット→なんならバックドロップまで仕掛けて『アホか!全部掛けた高田の勇気を讃えんかい!』やら色々叫びたくとも、『昔から追いかけてない彼らには伝わらんやろなぁ・・・』と仕舞い込みました。

ただね、そこで終わらないのがプロレスラー!そしてプロレスファン!
下向いたら次は上向くだけだ!

とにかくボロボロでどんな形であれ闘い続けた高田がヒクソンとも握手して、形は変われど今も活躍してるのは素晴らしい!

高田延彦といえば、最近プロレスや格闘技に触れたファンの方にとってはRIZINの統括本部長として、「出てこいや!」と叫んでいる陽気なおじさんというイメージが強いかもしれませんが、新日本プロレスから始まり二期のUWFを経てUインターで数々の名勝負を残しPRIDE立ち上げのきっかけになったりと確かに時代を創った熱い男なんです〜!
願わくば今こそ伝われこの想い!(笑)

今日もプロレス最高っ!

https://news.yahoo.co.jp/articles/9d0e0f4b469f53712fab1a9651a6df0df80f5067