【音楽】おニャン子クラブ、運命の日から35年。ブレイクして「壊したもの」と「残したもの」 [フォーエバー★]
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「お声の様子とか、みなさんのアクションは非常に若々しくてあどけないんですけれども、歌詞がすごいんですねぇ。今ごろこんな歌詞、みんな平気で歌っちゃうのかな?」
1985年8月29日に放送された音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で、司会の黒柳徹子が発したコメントである。それはこの日、初めてベストテン入りしたおニャン子クラブが、7位にランクインしたデビュー曲『セーラー服を脱がさないで』(作詞:秋元康、作曲・編曲:佐藤準)をスタジオで歌唱した直後に飛び出した。
無理もない。《友達より早くエッチをしたい》とか《バージンじゃつまらない》といった際どい歌詞を、どこにでもいそうな少女たちが、あっけらかんと歌ったのだから。
もちろん、少女の初体験をテーマにした歌謡曲はそれまでにも存在した。しかし、そのほとんどは隠喩的な表現で聴き手の想像力を刺激するもの。これほどまでに直截(ちょくせつ)的であけっぴろげな歌は、前代未聞だったのである。
オリコン初登場は34位にとどまったが…
そのおニャン子クラブは、'85年4月にスタートしたフジテレビ系のバラエティ『夕やけニャンニャン』から誕生した。月曜〜金曜の夕方5時から放送された通称『夕ニャン』は、同局の深夜番組で女子大生ブームを作った『オールナイトフジ』('83〜'91年)の女子高生版、という位置づけだった。
番組のコンセプトは“放課後のクラブ活動”で、開始当初の司会は片岡鶴太郎。当時、シングル『一気!』のヒットなどでブレイク中だったとんねるずがレギュラーだったこともあり、番組は中高生の間でたちまち評判を呼ぶ。
そんな『夕ニャン』のマスコットガール的存在だったおニャン子クラブは女子高生を中心に11人で結成され、以後、番組内オーディション「アイドルを探せ」の合格者が次々と加入していく。すでに芸能事務所に所属しているメンバーもいたが、既成のタレントにはない親しみやすさと、素人然とした言動がウケて、同年7月5日に『セーラー服を脱がさないで』でレコードデビューするほどの人気を得る。
とはいえ放送開始時は、フジテレビがカバーする関東地区以外は北海道、長野、静岡、岡山、広島、沖縄の6道県でしか放送されていなかったローカル番組(最終的に全国23局まで拡大)。人気はまだ限定的で、『セーラー服を〜』もオリコン初登場34位にとどまった。
だが、まもなく追い風が吹き始める。高校生メンバーが夏休みに入ると、グループは活動範囲を拡大。7月24日には『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に初出演を果たすなど『夕ニャン』以外のメディアにも露出し始めたことが奏功し、『セーラー服〜』は順調にランクを上げていった。
そして冒頭の『ザ・ベストテン』である。当時、音楽番組の中で『紅白歌合戦』に次ぐ高視聴率を誇っていた『ザ・ベストテン』にランキングされることの意義は大きく、おニャン子クラブは全国区の知名度を獲得。この日を境に人気は社会現象級のブームへと過熱していく。それは歌謡史において、アイドルのあり方を根本から変える“事件”でもあった。
8月29日はその転換点となった日から35年。その節目に、おニャン子クラブが歌謡界やアイドルシーンに与えた影響について、功罪両面から検証したい。が、その前にまず、ブームの大きさを確認しておこう。
8/29(土) 16:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/2149e561c2b595e65f081dbbdfdb85c40962474f?page=1
https://i.imgur.com/1Vvsrek.jpg おニャン子スレになるとひたすら名前を羅列して書き込んでくおっさんが気持ち悪い テレビ露出の成功体験をAKBであっさり捨てられる秋元の先見性を評価すべきだな セーラー服をぬがさないでが1985年
この秋元が書いた下品極まりない歌詞をテレビで若い女に歌わせたことが
それから徐々に若い女の貞操観念の欠如を加速させたキッカケかもな あの日に戻りたいな
年だけ取っておっさんになったけど精神年齢はあのときのままだ 脱がさないでの本当の意味を知ったのはかなり経ってからだったw
在学中に食べてねの意味だったとは。 八王子のくずの豚元はこれの前にオールナイトフジで味をしめたんや >>13
それはそうやな
見てる側はどはまりして見てたけど
一部を除いてほとんど系列のポニーキャニオンからやけど、同じレコード会社の岡田有希子が二年掛かかって一位を取るより前にど素人の新田がデビュー曲からいきなり一位とか
振り返ってみると、アイドルは時間かけて自力つけて育てるより、安く簡単に作って出すのがおいしい感じの消耗品になったな >>12
クラブ終わって急いで家帰って見てた。
全部含めていい時間だったな。 ベストテンはライバル局から生まれたおにゃん子を出すことを拒否してたんだよね >>17
それは明らかに間違い。
おにゃん子の人気は限定的でアイドルのメインストリームではなかった。
それは番組終了とともにあっけなく解散したことでもわかる。 そこらへんにいる学生を集めてごった煮にしたアイドル 懐メロ番組でもおニャン子が取り上げられることはほとんどない
たまにやっても誰も懐かしがらない >>3
それよく聞くけど
おニャン子の活動時期と光GENJIの活動時期ってほとんど被ってないだろ >>30
だね。これとほぼ同時期にアイドル四天王と呼ばれる南野・浅香・中山・工藤(ま、こいつはおニャン子だが)の全盛期が来るわけだし >>16
某深夜ラジオで「秋本〇して俺も死ぬ」ってハガキが読まれてた >>37
工藤静香、渡辺美奈代、ゆうゆとかソロ活動組なら辻褄が合う >>46
「大半が」ってのがね
工藤静香くらいなもんじゃねえの >>28
逆だよ。フジ(石田班)側が拒否した。
ザ・ベストテンは他局であろうがズカズカ行って中継するのが売りの一つだった。 >>27
今や若いのに5chなんかにきてる方が場違い こんな歌は発禁にすればよかった
こんな文化日本にいらんわ この時代から下品なことをするのが面白いみたいな風潮あったんだな
今でもそういうアイドルいるしこういう文化は無くなってほしいわ >>1
やっぱキムタク長女ココミはゆうゆに似てるわ おニャン子が売れていた時に調子に乗ってザ・ベストテンの出演当日ドタキャンやったりして
その後のフジテレビ発のアイドル乙女塾やribbonが他局に出られなかった
つい最近まで存在していたアイドリングも他局に出れなかった バブル前夜ってか片足突っ込んでたな
なんか社会全体に勢いがあった >>48
先に書かれていた
ベストテンでおニャン子ではなく誰かの出演で
フジテレビか日テレの中継車に入る演出があった
あんみつ姫の小泉今日子だったかな? >>57
アイドリングはもうちょっと気合入れて売ってやれよって思ってたわ >>61
ほんま悲惨な話
30年前の蛮行でアイドリングがTBSはおろか他局が全く取り合わずにフジテレビだけで活躍するしかなかった
もうちょっと頑張れば何かが動いたのかもしれない >>12
当時の録画した夕ニャンとか今見てもあんまり面白くない。おっさんになったわ。 >>12
お前は俺か
俺はどんな経緯が有ろうとも今でも手を出した秋元を許していない
幸せであってくれって今でも祈っている 福永恵規好きだったけど、一切表に出てこないからこういう話題の時もなかったことにされる。
月曜ドラマランドで主役でよく見てた気がするんだが。 >>60
この時だったか忘れたけどおニャン子の現役メンか卒業メンが共演者としていて
しかもその週のベストテンにランク入りしていたのに番組に出なくてTBS側の中継アナが
さっきまでスタジオに××さんが居たんですけど慌てて帰られましたとか言って、それを聞いた
黒柳さんとか司会者さんが苦笑いしてなかったっけ? >>67
あの人いまキョンキョンの事務所の社長なんでしょ?
胡散臭い人になってるイメージ。 中京圏じゃ、平日は夕ニャン、土曜は5時SATと夢のようなローテーションだったわ おニャン子ってベストテンに出てたんだ
出なかった印象しかなかった ま、「ザ・ベストテン」という番組を終了させた張本人だったよな、おニャン子は
いろんな利権とか、大人の事情とか、そういうものを取っ払って
本当に支持されている曲を紹介していこう、という精神で始まった「ザ・ベストテン」
だから他局の出演中であってもスポンサー以外のCMソングであっても
指示されていれば出演をお願いする、というのが面白かった
でも、おニャン子でTBSはついに折れたし、視聴者も見ていてばかばかしくなってきたしで
番組は終了した(公式には、違う理由をいろいろ言っているけどな)
もちろん当時から俺はおニャン子は大嫌いだった
河合その子だけいい曲もらっている、というのも、なんだかなあ、と。 > 土曜は5時SAT
って何だよw
そんな誰も知らないようなもん持ちだれてもな とんねるずは裏でやってたつくば万博の番組にも出てたな 俺は当時、内海和子が一番好きだった
きれいな年上のおねえさんっていう感じがしたんだ
もちろんまわりには内海のファンは俺以外ひとりもいなかったw >>40
自己レスしてる通り工藤はおニャン子残党だし
渡辺満里奈とかおニャン子の残党が台頭していくことになる >>79
でもソロアイドルになって売れたのは工藤くらいだろ
満里奈とか美奈代はアイドルってよりバラエティタレント化したし まあアイドル時代終わりの始まりだったかもね
演歌勢のロウソクの燃え尽きる前の最後の煌めきみたいなのやら
アーティストみたいなのに影響されたのか知らんけど
何かアイドルと呼ばれることが恥ずかしいみたいな人も多かったんだろうと思う おニャン子が80年代アイドルの最後の打ち上げ花火で散っていった感じ。その後、安室奈美恵迄
アイドルが出なかった。 >>82
いやそれは誤解だっての
おニャン子よりアイドル四天王の方が後だぞ? 大阪やけど関西TVに「何でネットせんのや!」って苦情の電話したわ。そやから鶴太郎とか知らないんよ。 >>82
これは勘違いや
アイドル冬の時代というのは90年代後半 >>85
何が間違いなの?
80年代後半のアイドルが90年代前半まで残ってるんだから間違いじゃないだろ とんねるずはあの頃が一番面白かったわ、腕相撲とかやってな、近寄る観客殴ったりな。
支離滅裂さは楽しかったわ。 おにゃんこ全盛時代、俺が一番夢中になってたのは川島なお美だった
俺ぐらいだろう、お笑いマンガ道場を見ながらオ○ニーしてたのは
何度、富永先生でイッてしまったことかw とりあえず最高傑作は「夏休みは終わらない」
異論は一切認めない とんねるずのコーナーが面白かったなぁwやりたい放題だったw >>30
正統派アイドルはおニャン子クラブがぶっ壊したのも実際あるが、
ロックバンドブームが来てやられたのが大きい >>89
「ミスDJ」斎藤慶子、千倉真里、大阪やけど必死にチューニングして聞いてたなぁ。 逸見さんがニュース読んでて、とんねるずが突っ込んで一気に人気アナになったよな。「帰宅部」なる言葉さえ生まれたもんな。 まあこんなのが流行って後のAKBに繋がっていくのかと思うと
俺らジジイ世代の残した負の遺産みたいなもん >>7
セーラー服をぬがさないでが1985年
この秋元が書いた下品極まりない歌詞をテレビで若い女に歌わせたことが
それから徐々に若い女の貞操観念の欠如を加速させたキッカケかもな
↑
少女隊 bye-bye ガール
作詞:秋元康
1985年8月21日
https://youtu.be/3xZet_RyMQo >>96
あれがなかったら逸見さんは普通の局アナで終わってたろうね 高井麻巳子の実家に深夜5人ぐらいで車で見に行ったなー
何するワケでもなく本当ただ見てきただけ
いい時代だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています