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2020.06.28

宮崎駿監督やスタジオジブリ作品のことを語る上で、どうも特別な扱いをされることの多い『風の谷のナウシカ』。それもそのはず、『風の谷のナウシカ』はかなり特殊な境遇の作品だったりします。そこで今回は、『風の谷のナウシカ』という作品が映画だけでなく、映画の外で取り巻くメディア達にどう波及していったのかを紹介します。

スタジオジブリの作品達と比べると『風の谷のナウシカ』の多岐に渡るメディア展開がどれだけ異質なのかがわかるのではないでしょうか。※以下、『風の谷のナウシカ』のネタバレを含みます。

今でこそスタジオジブリの作品達と名を連ねている『風の谷のナウシカ』ですが、厳密にはスタジオジブリ作品ではありません。というのも、スタジオジブリが設立されたのは1985年。『風の谷のナウシカ』が公開されたのは1984年で、生まれは『風の谷のナウシカ』の方が先だったのです。

では、『風の谷のナウシカ』を作ったのはどこのアニメーション製作会社なのかというと、トップクラフトという会社です。原徹氏が社長を務めていたこの会社は、スタジオジブリの前身となる存在で、『天空の城ラピュタ』を製作するタイミングで解散となり、原徹氏はスタジオジブリの取締役を務めることになります。

そして、もう一つ知らない人には衝撃的なことが『風の谷のナウシカ』が、実は同名の漫画が原作の作品だということです。宮崎駿監督が漫画を原作にした作品を製作するなんて珍しいと思いますが、それもそのはず、その漫画の作者こそ宮崎駿その人。1892年よりアニメ雑誌「アニメージュ」で連載をしていました。漫画版「風の谷のナウシカ」は全7巻。映画化を果たしたのは原作がまだ2巻の頃だったので、まだまだ物語の結構な序盤で、映像化を果たしたわけです。

とはいえ、宮崎駿はもともとアニメ化するつもりで漫画を製作したことが明らかになっています。今でこそアニメオリジナルの長編作品も存在しますが、当時は前例があまりなかったこともあり、漫画の連載をはじめました。

そんな宮崎駿監督作品でも特殊な境遇を持つ『風の谷のナウシカ』ですが、なんとゲーム化も果たしていました。発売されたのは公開当時の1984年。今でこそゲーム専用機が定番となっていますが、コンピュターゲームとして発売されました。驚くべきはなんと3本も発売された点。PC-8801向けに発売された「風の谷のナウシカ」は、アドベンチャーゲーム。ナウシカを操作して、アイテムを見つけてメーヴェを完成させるといったものです。PC-6001mkU向けに発売されたゲームは「ナウシカ危機一髪」というシューティングゲーム。プレイヤーはガンシップを操作します。そして、MSX向けに発売されたのが「忘れじのナウシカ・ゲーム」というゲームで、こちらもシューティングゲーム。「ナウシカ危機一髪」と同様にガンシップを操作するというものでした。

『風の谷のナウシカ』は、別の作品にも波及していきます。中でも「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズや、『シン・ゴジラ』でおなじみの庵野秀明監督によるミニチュア短編作品が『巨神兵東京に現る』です。この作品では『風の谷のナウシカ』に登場する巨神兵が、東京に現れ、街を破壊していく様子を描いた作品です。展示会「館長庵野秀明特撮博物館ミニチュアで見る昭和平成の技」や映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の併映作品として公開されました。映画『風の谷のナウシカ』冒頭で巨神兵が並んで立つ場面と、同様の構図のシーンが用意されているのも見所です。ちなみに庵野秀明は、『風の谷のナウシカ』の原画として製作に参加しており、『風の谷のナウシカ』の外伝作品の製作を希望していたこともあり、この企画が実現したそうです。

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