生駒山からの強風に加え、氷雨まで降ってきた。2001年1月7日、花園ラグビー場。第80回全国高校大会決勝で伏見工(京都)が21―3で佐賀工を下し、8年ぶり3度目の優勝に輝いた。

 「フシミ」は20年ごとに物語を紡いできた。現総監督の山口良治(77)が率い、TVドラマ「スクール☆ウォーズ」でも描かれた初優勝は60回大会(1980年度)。当時スクラムハーフだった高崎利明(58)が監督となって優勝したのが80回大会(2000年度)。そして今冬、100回大会に挑む後継校の京都工学院を率いるのは、20年前に主将を務めた大島淳史監督(37)だ。
 現在、伏見工は定時制だけになり、その閉校が4年後に迫っている。「スクール☆ウォーズ」のその後の物語をつづる。

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 観客席で監督の高崎(当時38)は冷たい雨に打たれていた。隣には総監督の山口(当時57)。びしょ濡れのスーツ姿だった2人は勝利が決まると固く抱き合った。20年前は山口に率いられ全国頂点に立った高崎が、今度は監督として教え子と優勝を果たしたのだ。
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 カチャ、カチャ、カチャ。高まる興奮を抑えきれないのか、試合前のロッカールームからはスパイクを踏み鳴らす乾いた音が聞こえてきた。嗚咽(おえつ)も漏れる。「さあ、もういいだろう。集まろう」と声をかけたのは山口だ。当時の3年生は28人。ベンチ入りから外れた7人が決勝に挑む仲間たちに、一言ずつ思いを告げていく。
 「絶対に勝ってくれよ」「優勝だけを待ってるからな」。気持ちが高ぶり、途中からは言葉にならない。メンバーも泣き始めた。
 「しんどい場面が必ずやって来る、その時は応援席にいる仲間を見ろ。仲間のことを思って闘おう。60分後、優勝しているのはフシミだ。よし、行ってこい」。山口がそう言って選手を送り出した。
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 1980年度の60回大会で高崎は平尾誠二(故人)とハーフ団を組み、大工大高(現常翔学園)を7―3で破って初優勝。中学教諭を経て94年に伏見工教諭となり、ラグビー部コーチに。98年に山口の跡を継いで監督になった。
 80回大会は監督3年目。前年に熊本西に0―7で初戦敗退を喫する苦渋も味わい「全国ベスト8に進出して当然という時代。自分の未熟さもあった」。それだけに、日本一という山を登り切った喜びは大きく「背負った重さが軽く感じた。あの優勝がなければ重圧がずっと続いたと思う」。その後の指導にも余裕ができたという。
 数年後には「脱スクール☆ウォーズ」も宣言。「校舎のガラス窓が割れている」「廊下をバイクが走る」など過去のイメージとは決別した。TVドラマとは違い「きちんとしている生徒が入学している実情を知ってほしかった」。良い学校だからと、自信を持って長男も進学させた。

あの日のロッカールームで「仲間のために闘って、みんなで喜ぼう」と鼓舞した大島は7月の誕生日で38歳になる。高崎が花園で優勝した年齢だ。中学教諭を経て、2014年に伏見工に赴任。昨年から京都工学院監督を務める。
 伏見工と工学院。深紅のシャツ、黒のパンツというスタイルは同じだが、チームを取り巻く環境は微妙に変わった。人工芝のグラウンド、最新のトレーニングルームなど施設面は充実する。その一方で、週2日は7時間授業があり「勉強と競技の両立がより求められるようになっている」という。
 この4年間は花園出場を逃してはいるが、全国優勝し両校の歴史をつなぐのが現場を任された自分の役割だ。「山口先生が言う『教育とは忘れられない思い出づくり』は本当にその通りだと思う。教え子であり、後輩の部員にそういう思いを味わわせたい」。どうすれば勝たせられるのか。もがき苦しむ。

そんな大島を、高崎はラグビー部GMとしてサポートする。今春から伏見工定時制の校長となり、西京高定時制と統合して来春開校する京都奏和開校準備室長も務める。「京都奏和を充実させつつ、伏見工の最後を輝かしく締めくくりたい。最後の卒業生が胸を張って巣立っていけるようにするのが自分の仕事」
 現1年生が卒業する4年後の春、伏見工の校名は消える。フシミのロマンを後世に引き継ぐ、2人の戦いは続く。(敬称略)



       

https://news.yahoo.co.jp/articles/d56be84e64c26e49e9d23833582448910cfa1424
6/13(土) 11:00配信


https://www.youtube.com/watch?v=ooeRrFk26fo
スクールウォーズOP:「ヒーロー」by麻倉未稀