結局スティーブ・ウィリアムスが小橋に放ったバックドロップ3連発がすべての始まりだったんだよな。

あれで静まり返った客席の反応を見て、当時の客が求めていたものがクリーンな試合ではなく過激な殺人技の応酬だったと考えた三沢が生み出したのが全日の四天王プロレス。
それに付き合えるだけの才能と肉体が川田小橋にあったことが客の要求をどんどん押し上げた。
90年代の全日に創業以来最大の売上をもたらしたのは間違いなく四天王プロレスそのものだった。

ある意味三沢は猪木や大仁田と並ぶプロレス界最高のアイデアマンだったと言える。
当時から危険な面を批判する声も大きかったが、同年代の闘魂三銃士が次第に省エネプロレスに退化していったことを考えれば、ノアまで過激な路線を継続して完全燃焼して終わったと評価することができるのも事実。
本来は楽しい興行であるはずのプロレスを死闘と定義できたのはあの時代だけだったと思う。