食道がんからステージ復帰直後にコロナ禍

 大橋さんは札幌の大学に進学し、軽音楽部でバンドに入る。卒業後に上京してからもバンドを組むが、74年のレコードデビューはソロになった。しかし、その3年後には「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」(※旧メンバーには後に「一風堂」メンバーの土屋昌巳、作曲家の佐藤健が在籍)でバンド活動を再開。翌78年に大ヒットする「たそがれマイ・ラブ」では、またソロになった。

 ソロだけど、大人数のフルバンドで歌っていたし、大学でのアマチュア時代にロックバンドをやった経験もあったから、「やっぱりバンドがやりたい!」と思い、1年で事務所を辞めました。

 セルジオ・メンデスのように、バンドの中のボーカルという位置が私の考えるボーカリストだったんです。

 それからは「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」で活動していたのですが、「たそがれマイ・ラブ」はドラマの主題歌(「獅子のごとく」TBS系)だったのでソロ曲の扱いになったのです(※カップリング曲はバンド名義)。

 ヒットしたがゆえにバンドとソロの岐路に立たされ、悩みましたね。売れてなければ、すんなりとバンドを続けていたでしょう。でも、今思えばそれから40年以上経っても、歌手でいられるのは「たそがれマイ・ラブ」や、「シルエット・ロマンス」(81年11月/第24回日本レコード大賞最優秀歌唱賞)という、ソロのヒット曲があるからなんですよね。

 それでもバンド活動は続けてきました。バンドにこだわりがありましたから。

「マシュ・ケ・ナダ」が入ったアルバムは今も持っています。私のボサノバのカバーアルバムにも入ってますし、歌手・大橋純子とは切っても切れない曲。

 2年前に早期の食道がんになりましたが、病気療養し、去年の12月にコンサートを実現させました。「ステージに立って楽しい!」と思った直後に今のような状況(コロナ禍)になり、今年予定していたライブがなくなりまして……。

 今はいたって元気ですが、年も年ですし、とにかくライブをやりたいのが本音。コロナが終息したら、どこででもいいから歌いたい。

▽おおはし・じゅんこ 1950年4月、北海道出身。74年「フィーリング・ナウ」でソロデビュー。ソロやバンドで多くのヒット曲を生んだ。2018年に食道がんを患うが、昨年、ニューアルバム「Terra3」をリリース。年末にはコンサート活動を再開。

5/25(月) 9:26配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/43f95a5f155f15fa7c1efd692e730f63d6bd7a73?page=2
https://i.imgur.com/cMdySMb.jpg