ヒクソンvs.船木20年目の真実「フナキのパンチで両目の視力を一時的に失った」 [牛丼★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2000年5月26日、東京ドーム。
『コロシアム2000』のメインエベントとして行われたヒクソン・グレイシーvs.船木誠勝。
あれから、ちょうど20年が経つ。
1994、95年に開かれた『バーリ・トゥード・ジャパン』トーナメントを連覇、その後、PRIDEのリングで高田延彦に2度圧勝したヒクソンは、「400戦無敗」の称号のもと当時、最強と目されていた。そのヒクソンにパンクラスのエース船木が挑んだが、結果は残せず。1ラウンド11分46秒、チョークスリーパーで失神に追い込まれてしまった。
結果だけ記すと「ヒクソンの完勝」であり「船木の惨敗」。だがそれは、観た者の記憶に深く刻み込まれる衝撃的な闘いだった。
無制限ラウンド(1ラウンド15分)、そして、いまでは考えられないがレフェリーストップがない決闘。
ヒクソンと船木は、ともに死を覚悟してリングに上がり、観衆は世紀の一戦を固唾をのんで見守った。
緊迫感漂う中での前半、そう、8分過ぎまでは互角の攻防だった。
スタンドで組み合い、ヒクソンが船木をコーナーに押し込んだ状態が続く。
グラウンドの展開に持ち込みたいヒクソンと、スタンド戦での打撃でダメージを与えたい船木。いずれも自らのペースに持ち込めずにいたのだ。
その後、もつれ合うようにしてグラウンドへと移行する。上になったのは船木だった。右のパンチを2発、ヒクソンの顔面に叩き込み船木はスクッと立ち上がった。
マットに背中をつけて寝転ぶヒクソンと、立った状態で相手の足にキックを見舞っていく船木。
一見すると、単なる「猪木ーアリ状態」。ヒクソンがグラウンドに船木を誘っているようにも見える。
だが、そうではなかった。
ここに、1つ目の重要なポイントがあった。
ヒクソンに異変が生じていたのである。
「あの時、もつれ合った後に私はフナキのパンチを右目にもらってしまった。オープンフィンガーグローブだったので指が目に入り眼球が圧迫されもしたのだろう。大動脈の神経は両目をつないでいる。ダメージを受けたのは左目だったが、それにより両目の視力を一時的に失ったんだ。
何も見えなくなったことに驚き不安な気持ちにもなったよ。それでも私はパニックを起こすようなことはなかった。冷静でいられた。まず思ったのは、私の目が見えなくなっていることを相手に知られてはならないということ。だから、視力が戻ることを信じて蹴られながらジッとしていたんだ」
ヒクソンは、視力を失っていた。
だが、そのことに誰も気づいていなかった。
セコンドについていた弟のホイラー・グレイシーさえ、「立て!立て!」と叫んでいたのだ。
船木の述懐。
「まったく気づかなかったですね。気づいていたら攻め込んだでしょうが、蹴りながら私は立ち上がってきた後の攻防を考えていました。いま振り返っても視界が塞がれている状態でパニックを起こさないのは、さすがヒクソンだなと思います。でも、あの時(猪木ーアリ状態の時)、私も大きなダメージを負ってしまっていたんです」
ここが2つ目の重要なポイント。
今度は逆に船木がカラダの異変を感じていたのだ。
「ヒクソンが下になった時に上からバンバン蹴っていたんですけど、向こうも足を伸すようにして蹴ってくるんです。その内の一発がまともに入ったんでしょう、右ヒザをやられました。
『あれ、ちょっとおかしいな』と思った後にタックルを受けて踏ん張りが利かなかったんです。ヒクソンから、それほど力強さも感じていなかったし倒されない自信はあったのですが、アッという間にマウントポジションを取られていました」
グラウンドに持ち込まれた船木は、ヒクソンに背後に回られチョークスリーパーを決められてしまう。もはや逃げることはできなかった。それでも最後までタップを拒む。意識が遠のく中で「これで死ぬんだ」と思ったという。
6年前、サンタモニカで一緒に食事をしていた時、ヒクソンに尋ねたことがある。
「日本で9試合闘っているが、一番印象に残っているファイトは何か?」と。
少し考えた後、彼が口を開く。
「フナキとの闘いだな。あれは私にとっても重要な試合だった。貴重な経験をさせてもらったよ。眼下底骨折で、しばらくの間痛かったけどね。結果的に、あの試合が私のラストファイトになった。いまは、それで良かったと思っている。フナキは闘いに対して真摯で、ハートの強い男だったから」
「ヒクソンとの闘いは、スポーツの試合ではなくて決闘でした。死を覚悟してギリギリまで自分を追いつめての闘い。負けはしましたけど、大舞台でそんな経験ができた自分は幸せです」
◼抜粋以下全文
https://news.yahoo.co.jp/byline/takaokondo/20200526-00180196/ 俺は、ヒクソンにデンバー空港で出会ったことがある。
ヒクソンは、彼よりごついボディガードに囲まれていた。 結局そこらへんの実力だったよな
後は情報が少ない時代に上手いこと立ち回ったよ 今思うと、高田とか船木とか弱いやつしか挑戦しなかったんだよな。
船木の前に桜庭がやれてればな。 ヒクソンが今のファイターだったら天心にKO負けだよな あの頃はグレイシー柔術とVTが神格化されてたな
今でこそMMAなんて言い方だけど
当時は有名同士だと片方が負けたら終わりみたいな果たし合いの空気だった あぁ、お前がヒクソンか!
お前がヒクソンか!!
お前がヒクソンか!!!
おい、ヒクソン!お前食えてるのか?
おい、割りきれっ!
これで飯食えっ!(10万円) 桜庭がやるべきだったのに何の実績もない船木がかっさらった 5ちゃんねるで見たんだけどヒクソンが長州力から逃げてたって本当? 船木なら
っていう煽りは一部にあったよね
俺はその煽りに乗っちゃったけど >>16
前田は「何て事言うんだ」って怒ってたのに
当の高田は「プロレスを守るためにそう言ったんでしょ」
ってケロッとしてたのが面白かった ヒクソンにチョークを決められながら最後までタップしなかった船木
ヒクソンに腕ひしぎを決められて、2試合連続で高速でタップした高田
最後のシーンだけエンドレスで繰り返すとマジ笑えるって ヒクソンに勝ててた可能性あるのは
高坂
藤田
桜庭
長州
三沢
高橋
くらいだろうな ヤラセ無しのガチ対決だったからなぁ
船木が最後までタップしなかったのを見ても
それがよくわかる 高田も船木もバックボーンがないもん
プロレスの極めっこ延々やってて長州にバカにされてたわけで >>7
弱い奴選んでやってたからなぁ
藤田桜庭との対戦は拒否 山本は印象にすら残らなかったのか?
前田とやって欲しかったもんだ。 >>33
田村、TKとの対戦も拒否。
VTJでトーナメント卒業。プライドGPに出場せず。 ヒクソンが戦いたいのはテイクダウン出来て寝技の攻防へたくそな奴だからな >>7
とはいえ、高田・船木レベルの知名度じゃないと
スポンサーが付かなかった可能性もあるんだよなぁ
この2人でも猪木・馬場のネームバリューに比べたら疑問符が付くぐらいだし あの日の近藤だったらヒクソンなんて余裕だったろう
間違いなく近藤の方がバーリトゥードに向いてた 全盛期の引く損が今の井上尚弥とボクシグンルールで戦ったらどっちが勝つよね? あの年齢とあのフィジカルで戦い方もばれてるのに、負けなかったのは凄いわ
相手が弱いのもあるかもしれんが この試合に対する猪木のコメント
「あいつ(船木)の人生って何だったの?」 >>41
体重差あるけどヒクソンのパンチが当たらないしスタミナ無いしで
井上の勝ちじゃないか >>35
田村TKもだったのか
まあ、TKと寝技勝負になったら普通に負けるだろうし 三沢「ヒクソングレイシーとVTルールで戦ってみたいってのはあるよ」 この大会の三週間前がPRIDE GPの桜庭対ホイスで、あの勝ち方だったから
やたら船木への期待感が高かったんだよね >>46
田村もリングスルールだが全盛期のフランクシャムロックに引き分け、
ヘンゾ相手に判定勝ちしてるからなぁ。 日本人と変わらないような体格でピークを過ぎた年齢だったんだから
やはりそこそこ強かったのだろう
日本人で確実に勝てると言えるたのは当時の桜庭くらいじゃないか
まあ本人が当時一線でやっててヘビーのノゲイラ、ヒョードル、ミルコにも勝てるとか言ってたから幻想は膨らんだのだろうが
さすがにそれは無理だろと思った 船木ごときのパンチ顔面に食らってるようじゃ
世界で戦えない 新日のGIクライマックスにヒクソンが招待されて座ってたのはシュールで面白かった ヒクソン! ヒクソン! ヒクソン ドラームタタクソン!! スタンドでテイクダウン警戒しながら打撃打てる奴もNGかな 山本にロープ捕まれて何もできなかったよなw
最後山本が油断して離しちゃったけど >>61
あそこで山本が勝ってもスターにはなれなかっただろなw >>56
体躯的にはカーロスニュートンみたいなもんだったからな。ヒクソン。
全盛期の桜庭には勝てないだろうね。
ボブチャンチンに撲殺されるレベルかと。
コールマンとやったらアランゴエスみたいになってただろうな。 ヒクソンの功績だけは称え尊敬するが
格闘家最強レベルの候補にあがるようなレベルでないことは間違いない
てのはプロも素人も同意見 >>63
ヒクソンに勝ったとしてその後、不戦敗でトーナメント離脱していたとしても
リングスに戻ってしばらくしてモラエス戦が待ってるからなぁ。笑
前田のマッチメイクはガチすぎる。 少し全盛期は過ぎてたが船木程度に危なかった程度の強さ
桜庭程度から逃げた(他にも何人も)
でもルール無しの喧嘩でもヒクソンはそれなり強いと思う
集中力精神力が凄い >>66
なんでもありの格闘技がブラジルにしか存在しない1980年後半ぐらいならまだ最強レベルだったかも
ウゴなどのルタ・リーブリ勢とやりあってた頃 >>21
インタビュー本やヒクソンが著者名義の書籍、ヒクソンがタイトルについた書籍では高田、桜庭、船木についての言及はあるが長州力について触れたものはない。
前田については正式なオファーは来なかったという言及がある。
ヒクソン長州力について触れているのは永島の本とかだね。 ヒクソン一族がいなかったらここまで総合格闘技は流行らなかった
その功績は大きい 長州力が東京ドームに登場。
「てめーら!この状態が今何を求めているのかわかるか?。
俺はこの総合のど真ん中に立ってるんだぞ、今!」
ヒクソンが駆け付け、長州と対峙。
「ヒクソン、よ〜くお前だけ上がって来たな。
天下を取り損ねた男がよく上がって来た。
最後に一つだけ言ってやろうか、
次にこのリングのど真ん中に立つときには
俺のパワーホール全開でこのど真ん中に立ってやる。
わかったか。」
ここでヒクソンが手を出し、長州が張り合いに。
若手が2人を引き離すと
「ヒクソン、さすがにお前は総合の天下を取り損ねた男だ。
ヒクソン、もう一つ面白いこと見してやろうか。
と、ここで、怒り爆発のホイス、グレイシー道場若手らが長州に襲いかかり言葉を遮ってしまった。
ここでリングから離れた長州は
「お前達、その反応、遅すぎたんだ」と吐き捨てると東京ドームを去って行った。 >>66
素人の意見じゃん。
どんなプロがそんなことを言ってる? >>69
その頃の新日の猪木、ルスカ、イワンゴメスあたりとやってくれてたらね。
ルタにしてもマルコフアスともやってない。 ヒクソン「そういう話はあったようだね。ただ、長州がPRIDEのリングに上がるという話ではなかったはずだ。つまり、私が彼のプロレスのリングで試合をするということだ。
その場合、我々がMMAをやったとしても、観客にプロレスの試合だと思われるかもしれない。やるならば、確実にリアルファイトの舞台でやらなければならない。だから、長州サイドからのオファーは到底受け入れられないものだった。」 船木戦の後にヒョードル戦のオファーを受け対戦合意したけど
怪我しちゃってキャンセルと本人がFRIDAYで言ってるけどマジデスカ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/37803?page=2 >>73
なんの世界でも同じだけど素人は「負けない」ことの大切さを知らなさすぎる >>31
相手を制するためにはまず相手の上になることが基本、をハードにやってきた連中にとっては極める技は1つか2つありゃいい、それより上になることがまず最初、だからね >>73
バカにしてるコメントとかもテメエで探せ
甘えるなガキ >>80
今どころか14年前(ホイス対マットヒューズ戦)の時点でもう手も足も出なかった >>77
桜庭戦は息子が亡くなって流れたね。
ヒョードルはその後かな。
>>79
そして上になれる相手を選択。
レスリング出身は避けた。 >>35
高田1の後、前田は自分負けるの前提の
前田+田村+TKとの3戦契約オファーしたんだっけ >>87
いや、自分までまわって来ない前提の
田村、TK、前田の順で3連戦。 >>87
2つ説がある
>>88の言う田村・TK・前田の3試合契約説と田村・高田・前田の3試合契約説
どちらが正しいかは知らんが3試合でオファーした事だけは事実
断ったみたいだけどね >>56
何も無かった時代に独自でやっていた人と
競技として認知されてきてそれなりの経験をつんだ人を比べても意味が無い >>2
マウスサービス、だとw
オーラルサービスってんだよ、バカ 今ならUFCのランカーにも勝てないだろうけど
あのタックルのタイミングとかマウントへのもっていきかたは凄いなと >>89
ギャラが地上派とWOWOWじゃ段違いだからね。
VTJよりリングスの方が高かったが地上派がさらっていったね。 ヒクソンがヒョードルとやるわけないやんwww
ヒクソンが上になった状態で始めるくらいのハンデ無いと勝ち目ない >>90
だからこそマルコ・ファスやマリオ・スペーヒー程度の実力だったのでは?
と思ってるわけ 高田みたいにもう1回試合できたら船木は勝ってたな
寝技には付き合わないって戦略上の先入観が無ければ、せっかく取ったマウントを自分から外さずパウンドでタコ殴りにして勝ってただろう
あれだけ見事にヒクソンからマウントポジション取ったのは日本人では船木だけだろう
まあ、それを言ったら当時の船木は93kgというウェイト的にヴァンダレイとか吉田と戦わなきゃいけない選手なんだけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています