1993年に国立競技場でリーグ旗揚げ戦のV川崎―横浜Mが行われた5月15日は「Jリーグの日」と呼ばれる。開幕から27年の“誕生日”を迎えるにあたり、村井満チェアマン(60)は14日に談話を発表し、インタビューにも応じた。

また、当時からリーグにかかわる鹿島の鈴木満フットボールダイレクター(62)は、スポーツ報知の電話取材に応じ、強化担当者の目から見た「Jリーグバブルと今」の年俸事情を中心に変遷を語った。

 鹿島で主に強化責任者としてJリーグで戦ってきた鈴木氏は「昨年、今年が27年で人件費としては最高額。Jリーグバブルを超えた」と明かす。

 Jリーグバブルとは開幕の93年から数年の時期を指し、三浦知良(V川崎)の2億4000万円を筆頭に1億円プレーヤーが多く存在した。クラブ全体予算のうち40〜45%が適正な人件費といわれる中、ほとんどのクラブは60%の額を費やした。

鈴木氏は「借金で無理をしてでも選手を獲る、そんな時代だった。赤字は親会社に補てんをしてもらう。経営的にはとても危うかった」と回想する。

 だが、日本経済そのもののバブル崩壊で親会社の業績が悪化し、98年に横浜Fが破綻した。

他のクラブも経営は厳しく、Jリーグは冬の時代に突入。当時2強だった鹿島、磐田がそれぞれのトップ選手、秋田豊、中山雅史の年俸を8000万円に抑制し、他のクラブも続いた。1億円プレーヤーは消え、代表クラス選手も3000万〜5000万円に下げたことで何とか生きながらえた。

 「クラブの収入が追いついていなかった。スポンサーも今のように、まとまった金額を出すわけではなく、親会社頼みだった。収入はチケットだけに近かった。人件費がバブル期を超えた今は、あの時とは違う。Jリーグが社会的にも認められ、ビジネスとして魅力を感じる企業が増えた。マーケティング戦略も確立している」(鈴木氏)

 鹿島は2018年度に売り上げが初めて70億円を突破し、昨年度は約67億円を売り上げた。人件費は約31億、30億で適正範囲におさまる。

2017年にJリーグが、DAZN(ダゾーン)と10年約2100億円の大型放映権を結び、賞金や配分金が飛躍的に増えたことも、安定をもたらしている一因だ。ただ、Jリーグバブルの苦い経験が消えるわけではない。

 鈴木氏は「当時と変わっていないのは一年、一年、一日、一日が勝負だということ。新型コロナウイルスで中断があり、どうなるかわからないから」と話した。(金額は推定)

 ◆Jリーガーの年俸 1990年代に一時代を築いたV川崎(現・東京V)のFW三浦知良はリーグ最高額の2億4000万円。90年代後半は各チームが経営難から大幅減俸に。2000年以降はDF中沢(横浜M)やFW高原(浦和)ら日本代表クラスが1億円超え。13年にDF闘莉王(名古屋)が1億8000万円に上った。近年では神戸MFイニエスタの32億5000万円は別格だが、日本人の1億円超えは10人ほど。平均年俸はJ1で約3500万円、J2〜J3で300万〜400万円程度とみられる。(所属は当時、金額は推定)

 ◆J1の1試合平均入場者数の推移 93年は1万7976人で、94年は1万9598人まで増加。“Jバブル景気”は次第に下降し、97年に歴代最少の1万131人まで落ちたが、日韓W杯を翌年に控えた2001年には前年比5483人増の1万6548人に回復。その後は11年に東日本大震災による大幅な観客減があったが、1万7000〜1万8000人で推移。近年は神戸MFイニエスタら海外の世界的スターの加入も増え、19年に歴代最多の2万751人を記録した。クラブ別では、08年の浦和の4万7609人が歴代最多。

5/15(金) 7:00 スポーツ報知
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce50491d024052038c8eca6da9499e6e9dcee23b

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