RIZINの公式YouTubeチャンネルにて連日生配信されている『榊原社長に呼び出されました』。
榊原信行CEOと視聴者が選手たちに様々な質問をぶつけていく同コーナーで、第1回ゲストの朝倉海(トライフォース赤坂)が、“禁断の兄弟対決”について言及している。

「『階級を上げて兄貴との試合を見たい』っていうのも来てます」──海が視聴者のコメントを読み上げると、榊原CEOは「どうですか?」と海に問いかけた。

海は頭を振り“ノー”の意思表示。続けて「これ、ファイトマネー、高くなりますか? 過去最高額が出ますか?」と苦笑しながら質問。榊原CEOは「出るんじゃない?」と即答した。

いったん「オーッ」とテンションが上がった海だが、榊原CEOの「積年の恨みを晴らしてよ」の言葉には、「いやいやいや、絶対無理ですね。
母親とか号泣してそう、そうなったら」と再び否定した。

日本で打撃ありの“兄弟対決”として歴史に残るのは、2015年1月と同年11月にK-1で行われた卜部弘嵩vs.卜部功也の2試合だろう。
1月の王者決定トーナメント決勝では功也が判定勝利し初代王座に就いたが、弘嵩が再戦を希望。弟の王者・功也に兄の弘嵩が挑み、3R KO。
弘嵩が2代目王座に就いている。

榊原CEOは、「K-1の卜部兄弟とかやっていて、あれもちょっと特別なものがありますね。相撲は基本、同部屋対決は無い。
師弟とか兄弟は戦うべきではないというのはあるんだけど、本割で決まらなかった優勝決定戦で弟の貴乃花と兄の若乃花(
1995年11月、九州場所千秋楽)が対戦したことがあってスペシャルなものにはなった」と前例を挙げ、
「(海が)階級を上げてGPの決勝とかで兄弟対決とか見たいね」と、トーナメントでの頂上決戦で両者の試合を見たい、とした。

朝倉兄弟の“対決”はスパーリングでは実現している。

初回は、路上でのもの。YouTubeの「KAI Channel」で海は、当時のことを「ほんとうに突然、呼び出されて。
まだ俺は高校生で40kg台、160cm無かったくらいで小さかった」と振り返る。

街灯の薄明かりのなか、グローブタッチして拳をかわした。

「グローブつけたのは初めてでした。構え方とかも分からないし」という海。序盤、いきなり未来はオーソドックス構えから左フックを強振した。

「顔がガチだった。あの瞬間、人生で初めて死を覚悟しました。あっ、これ当たったら殺されるわと思って」

右にステップしてかわした海。「ステップとか構えとか出来てますね、俺。このときからすでにギリギリまで(パンチを)見るのが出来てたから、本能的に」と自身の動きを振り返る。

オーソドックス構えからサウスポーにスイッチした未来の左ハイをダッキングでかわす海は、「ハイキックを下に避けるのはヤバい」と苦笑する。当時、「蹴り方は知らなかった」という。

危険な路上でいきなり始まったスパーリング。

動画でも分かる通り、海の体格は小柄で、ヤンチャをしていた未来の影響で、街中で「朝倉未来の弟」ということだけで喧嘩を売られることがあったという。
兄の未来としては、そんなときのために弟の海に、戦いの免疫をつけておきたいと考えていたのかもしれない。

「でも、これが格闘技を始めたきっかけでした。(スパーリングが無ければ)絶対(格闘技を)やってなかったもん、俺の性格的にたぶん」
と海は、未来とのスパーリングが格闘技に取り組むきっかけとなったことを明かしている。

「このスパーリングの後から公園で“リアルアウトサイダー”と言ってスパーリングに参加するようになりました。
グローブとヘッドギアもつけて」と、その後の青空練習を振り返っている。

“路上の伝説”と呼ばれた朝倉未来と海の「始まりのスパーリング」。
強引な未来の“試し”に応えた海は、類まれな身体能力と危機察知能力を発揮し、必死に向き合うことで、その後の格闘技人生の一歩を踏み出した。

現在では、ミットは持つことはあっても、スパーリングは「実際、あまりやらない」という。
もしいまやったら? と問われると海は、「俺がボコボコにされるよ、たぶん」と笑い飛ばしている。

榊原CEOに「GPの決勝とかで兄弟対決とか見たいね」と訊かれた海はこう答えている。

「これは……無理ですね。引退する最後の試合とか」──。

https://news.yahoo.co.jp/articles/59111be574638caf954c874d8eb725d00fba4713
5/8(金) 13:09配信