自粛も1ヶ月になろうとしている。朝から晩までメディアはコロナ一色。緊急事態宣言は延長必至であり、必然的に家にいる時間が長くなり、ついテレビを見てしまう。普段家にいないビジネスパーソンは知らなかったかも知れないが、テレビは早朝から夜7時まで、ほとんどライブで、ニュースかワイドショー(テレビ局は情報番組と言っている)を放送している。

■ テレビの番組制作
筆者も元々民放テレビの人間だからよくわかっているが、ワイドショーはほとんど外部制作会社のスタッフが作っている。日々の事件・事故、芸能スキャンダル系のニュースを追っかけて番組の形するのには長けていても、今回の新型コロナウイルス感染症などという医学の専門知識が必要な番組作りは極めて不得手である。

筆者には苦い経験がある。2011年3月東日本大震災が起きた時、私はフジテレビの解説委員として、BSフジのプライムニュースの解説キャスターという肩書きで番組制作に関わっていた。未曾有の原発事故をどう報道するのか、正直途方にくれた。現場から情報が入ってくるわけでもない。福島第一原子力発電所に記者が近づくことも出来ない。それなのに格納容器の中で何が起きているのか、これからどうなるのかを報道し続けなければならない。これには本当に参った。

まず、誰が専門家なのかわからない。他局でとある学者が出て解説をしているのを見たら、「とにかくその人を呼べ!」と怒声が飛び交う。なにがなんでも専門家(かどうかわからないまま)をかき集める。そんな状況だった。手当たり次第に大学の先生を番組に呼んだものの、テーマとその人の専門が違っていた、などという笑えない事が起きた。

そこで私が学んだことはただ一つ。専門的な知識が必要とされるテーマは、思い込みを排し、慎重な上にも慎重に、偏ること無く報道することの重要性だった。放送法も、放送は偏向してはならず、多様な意見を提供するよう求めているはずなのだが、偏向していると思われる番組が無くならないのは残念なことだ。

今回の新型コロナ報道を見る限り、テレビマンは過去の教訓から全く学んでいないように見える。

なにせ、今回相手にするのは、未知のウイルスである。わからないことが多すぎる。学者、もしくは専門家と称する人らが、毎日自説を展開している。何が正しくて何が正しくないのかなど、誰にもわからないのに、テレビで彼らが断定的に話したり、憶測を述べたり、司会が結論を誘導したりしてしまう。これは一歩間違えば印象操作ともいえるもので、日本のテレビの悪弊だと私は思っている。

とりわけ、地上波テレビは影響力が強大だ。情弱な人は洗脳されやすい。残念なことに、世間で「・・・らしいよ」とか、「・・・なんだって」と断定的に語られる言説のネタ元が、実はワイドショーだったりするのだ。

その怖さがわかるがゆえに、局のコメンテーターは中立的な物言いを心がける。いや、そうすべきだと私は思っている。筆者は取材もしていないアナウンサーや専門家でもないタレントもどきのコメンテーターが断定口調でコメントする危うさにずっと警鐘を鳴らし続けている。単なる演出のノリでコメントなどすべきではないのだ。世論をミスリードしないために、それは最低限必要なことだと思っている。